栗城史多さんがエベレスト登頂を断念したらしい。今回で7回連続の登頂失敗ということになる。
栗城さんのことは、これまで、まあちょっとどうだかなと個人的に思ってはいたものの、本人をよく知らないし、話したこともないし(正確には10年くらい前に一度だけあいさつ程度を交わしたことはある)、判断はずっと保留してきました。ただしそろそろひとこと言いたい。さすがにひどすぎるんじゃないかと。
栗城さんはフェイスブックにこう書いています。
この状況でどうして「来年に繋げられ」るといえるのか、どうして「Never give up」といえるのか、本当にわからない。タイミングとか体調管理でなんとかなるレベルではまったくないことは、ヒマラヤに登ったことがない私でさえわかります。常識的に考えれば、もうとっくに登り方を変えるか、あるいは目標の山を変えるかするべきなのに、頑ななまでにやり方を変えない。これでは、ただの無謀としか思えないのです。
かつて、服部文祥さんが栗城さんのことを「登山家としては3.5流」と言って話題になったことがありました。3.5流という評価が適正かどうかは別として、登山家としての実力が服部さんより下であることは間違いない。野球にたとえてみれば、栗城さんは大学野球レベルというのが、正しい評価なのではないかと思います。ちなみに服部さんは日本のプロ野球レベル。日本人でメジャーリーガーといえるのは数人(佐藤裕介とかがそれにあたる)。
それに対して、栗城さんがやろうとしている「エベレスト西稜~ホーンバインクーロワール無酸素単独」というのは、完全にメジャーリーグの課題です。栗城さんが昔トライしていたノーマルルートの無酸素単独であれば、それは日本のプロ野球レベルの課題なので、ひょっとしたら成功することもあるのかもしれないと思っていました。しかし、日本のプロ野球に成功できなかったのに、ここ数年はなぜか課題のレベルをさらに上げ、執拗にトライを重ねている。
ドラフト候補でもない大学野球の平均的選手が、「おれは絶対にヤンキースで4番を打つ」と言って、毎年入団テストを受け続けていたとしたら、周囲の人はどう思うでしょうか。大学生の年齢なら、これから大化けする可能性もないとはいえないから、バカだなと言いつつ、あたたかい目で見守ることもあるかもしれない。しかし、実力だけが大学レベルで、年齢は35歳。これまですでに7回テストに落ち続けている。となると、たいていの人はこう思うはずなんです。
「この人、どうかしてるんじゃないか?」
私は栗城さんを批判したいというよりも、とにかくわからないのです。この無謀な挑戦を続けていく先に何があるのか。このあまりにも非生産的な活動を続けていくモチベーションはどこにあるのか。これが成功する見込みのない挑戦であることは、現場を知っている栗城さんなら絶対にわかるはずなのに、なぜ続けるのか。それともそれすらもわからないのか。あるいは、わかっていて登頂するつもりはハナからないのか。そこに至る挑戦の過程そのものがやりたいことになっているのか。もうこれが事業になっているからいまさらやめられないということなのか。……すべてわからない。
さらにわからないのは、ファンの存在です。栗城さんのフェイスブックには応援のコメントが並び、だれもが知っているような大企業がスポンサーについてもいます。彼ら彼女らは、栗城さんに何を見ているのだろうか。
「登頂に成功するかどうかは関係ない。彼のチャレンジ精神に感動するのだ」。これならわかる。しかしそれは、目標を実現するための努力を重ねている日々の姿に感動するというものではないでしょうか。私だって、栗城さんが年間250日山に入って冬の穂高から剱岳までバリバリ登り、エベレストのほかに毎年1、2回はヒマラヤやアラスカ、アンデスなどの山で高所の経験を積み、世界のクライマーと交流してルートの研究を日々行なっていれば、無謀なやつだと思いつつ応援したくもなる(それだけやってもエベレスト西稜ソロには届かないはずですが、気概は感じる)。
こう書くと、「彼はそういう登山界の常識に挑戦しているのだ」という声が聞こえてきそうです。ただ、ヤンキースの4番を目指すなら、野球にすべてを捧げる日々を送っていないと説得力ないでしょ。ふだんはフルタイムのサラリーマンをしていて、ヤンキースの4番と言っても荒唐無稽にしか聞こえないじゃないですか。野球ならすぐわかる理屈が、なぜ登山だとわからないのか。野球だって登山だって、そういうどうしても必要なことって確実にあると思うんですよ。常識を破っていくのはその先にある。
そのようすがまったく見えず、毎年、その時期が来るとトライにだけ出かけている姿は、やっぱりどうしても理解できないのです。不思議で不思議でしょうがない。栗城さんの真の目的はなんなのか。真相を知りたい。本当に、一度その心の底の底を聞いてみたいと思います。
【補足】
書き終わったところで、山岳ガイドの近藤謙司さんがこうツイートしているのを知りました。まさにこれです。
【補足2】
後日、もう少し詳しく書いてみました。
栗城史多という不思議2
栗城さんのことは、これまで、まあちょっとどうだかなと個人的に思ってはいたものの、本人をよく知らないし、話したこともないし(正確には10年くらい前に一度だけあいさつ程度を交わしたことはある)、判断はずっと保留してきました。ただしそろそろひとこと言いたい。さすがにひどすぎるんじゃないかと。
栗城さんはフェイスブックにこう書いています。
本当は30日に登頂を目指す予定でしたが、ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト全体が悪天の周期に急に変わり本当に残念でした。
25日の好天に登頂できればよかったですが、異様な吐き気が続き、本当に悔しいです。。
高所ではどんなに体調管理しても何がおこるかわかりません。
ただ今回初めて「春」に挑戦しましたが、秋に比べて春は好天の周期も多く、西稜に抜けるブルーアイスの状況もよくわかったので、来年に繋げられます。
皆さんご存知だと思いますが、栗城史多はNever give upです。
この状況でどうして「来年に繋げられ」るといえるのか、どうして「Never give up」といえるのか、本当にわからない。タイミングとか体調管理でなんとかなるレベルではまったくないことは、ヒマラヤに登ったことがない私でさえわかります。常識的に考えれば、もうとっくに登り方を変えるか、あるいは目標の山を変えるかするべきなのに、頑ななまでにやり方を変えない。これでは、ただの無謀としか思えないのです。
かつて、服部文祥さんが栗城さんのことを「登山家としては3.5流」と言って話題になったことがありました。3.5流という評価が適正かどうかは別として、登山家としての実力が服部さんより下であることは間違いない。野球にたとえてみれば、栗城さんは大学野球レベルというのが、正しい評価なのではないかと思います。ちなみに服部さんは日本のプロ野球レベル。日本人でメジャーリーガーといえるのは数人(佐藤裕介とかがそれにあたる)。
それに対して、栗城さんがやろうとしている「エベレスト西稜~ホーンバインクーロワール無酸素単独」というのは、完全にメジャーリーグの課題です。栗城さんが昔トライしていたノーマルルートの無酸素単独であれば、それは日本のプロ野球レベルの課題なので、ひょっとしたら成功することもあるのかもしれないと思っていました。しかし、日本のプロ野球に成功できなかったのに、ここ数年はなぜか課題のレベルをさらに上げ、執拗にトライを重ねている。
ドラフト候補でもない大学野球の平均的選手が、「おれは絶対にヤンキースで4番を打つ」と言って、毎年入団テストを受け続けていたとしたら、周囲の人はどう思うでしょうか。大学生の年齢なら、これから大化けする可能性もないとはいえないから、バカだなと言いつつ、あたたかい目で見守ることもあるかもしれない。しかし、実力だけが大学レベルで、年齢は35歳。これまですでに7回テストに落ち続けている。となると、たいていの人はこう思うはずなんです。
「この人、どうかしてるんじゃないか?」
私は栗城さんを批判したいというよりも、とにかくわからないのです。この無謀な挑戦を続けていく先に何があるのか。このあまりにも非生産的な活動を続けていくモチベーションはどこにあるのか。これが成功する見込みのない挑戦であることは、現場を知っている栗城さんなら絶対にわかるはずなのに、なぜ続けるのか。それともそれすらもわからないのか。あるいは、わかっていて登頂するつもりはハナからないのか。そこに至る挑戦の過程そのものがやりたいことになっているのか。もうこれが事業になっているからいまさらやめられないということなのか。……すべてわからない。
さらにわからないのは、ファンの存在です。栗城さんのフェイスブックには応援のコメントが並び、だれもが知っているような大企業がスポンサーについてもいます。彼ら彼女らは、栗城さんに何を見ているのだろうか。
「登頂に成功するかどうかは関係ない。彼のチャレンジ精神に感動するのだ」。これならわかる。しかしそれは、目標を実現するための努力を重ねている日々の姿に感動するというものではないでしょうか。私だって、栗城さんが年間250日山に入って冬の穂高から剱岳までバリバリ登り、エベレストのほかに毎年1、2回はヒマラヤやアラスカ、アンデスなどの山で高所の経験を積み、世界のクライマーと交流してルートの研究を日々行なっていれば、無謀なやつだと思いつつ応援したくもなる(それだけやってもエベレスト西稜ソロには届かないはずですが、気概は感じる)。
こう書くと、「彼はそういう登山界の常識に挑戦しているのだ」という声が聞こえてきそうです。ただ、ヤンキースの4番を目指すなら、野球にすべてを捧げる日々を送っていないと説得力ないでしょ。ふだんはフルタイムのサラリーマンをしていて、ヤンキースの4番と言っても荒唐無稽にしか聞こえないじゃないですか。野球ならすぐわかる理屈が、なぜ登山だとわからないのか。野球だって登山だって、そういうどうしても必要なことって確実にあると思うんですよ。常識を破っていくのはその先にある。
そのようすがまったく見えず、毎年、その時期が来るとトライにだけ出かけている姿は、やっぱりどうしても理解できないのです。不思議で不思議でしょうがない。栗城さんの真の目的はなんなのか。真相を知りたい。本当に、一度その心の底の底を聞いてみたいと思います。
【補足】
書き終わったところで、山岳ガイドの近藤謙司さんがこうツイートしているのを知りました。まさにこれです。
勉強しないのにお金もらって東大を受け続けているようなもんだ… https://t.co/sgUeeSRMMW— 近藤謙司 (Kenji KONDO) (@kenken8848) 2017年6月2日
【補足2】
後日、もう少し詳しく書いてみました。
栗城史多という不思議2