2019年4月14日日曜日

「遭難救助は税金のムダ」なんかじゃないと思うのだが





白馬山頂から滑り下りたところ、カリカリのアイスバーンでヒヤッとしたという動画。これのコメント欄が燃えていました。登山のリスクとそれに対する世間の認識について、いろいろ考えさせられるやりとりなので、興味のある人は見てみてください。


発端はこういうコメント。

ゲレンデじゃない場所で滑る事の危険性や無謀さの認識はあるのでしょうか。しかも誰も足を踏み入れてないような急斜面を横滑りで下るって、雪崩でも引き起こしたいのかって思ってしまう。雪崩を引き起こしたり、遭難した場合、多方面に迷惑が掛かるってのに。勝手に失踪するならともかく、雪山の事故で山岳救助隊なんか出動しようもんなら、どれだけの血税が無駄に使われることか。

自分はここにすごく引っかかりました。山岳遭難が起こったときなどに、よくこのように「税金が無駄になる」という趣旨の批判がなされるのですが、これにはいつも激しく違和感を抱きます。


だって人の命が危険にさらされているわけですよ。そこに税金を使わずしていったいどこに使うのか。「登山は遊びで行っているのに」という意識からこういう言葉が発せられると思うのですが、ならば、海水浴で溺れた人も休日のドライブで事故を起こした人も助ける価値がないのか。そんなことないでしょう。どれも等しく助けなくてはいけないし、それこそ税金の使い方としては、人命救助はもっとも優先度が高いものであるはず。


「危険なことを好き好んでやっているのだから自業自得」という意識も、批判の背景にはあるのでしょう。が、登山の死亡率って、0.005%くらいですよ(600万人登山人口がいて、年間の死亡者数が300人くらいなので)。新聞が山岳遭難を大きく取り上げてきた歴史があるので、登山って実態以上に危険なものというイメージがついてしまっているように感じます。


おそらくですけれど、「税金の無駄使い」と批判する人は、登山をシリア潜入などと同じようなことと考えているのではないでしょうか。わざわざ危険を冒して、なんの意味があるのかわからないことをやっている人たちという認識。それを人的・金銭的コストをかけてまで助ける必要があるのかと。そう考えると私も批判を理解できるような気がするのです。イラクやシリアでの捕虜事件のニュースを聞いたとき、私のなかにも批判の目で見たくなる感情が少しはあったからです。


でもそれは、私はイラクやシリアのことをよく知らないし、そこに向かう人のことも知らないからなんですよね。「北斗の拳みたいな場所にのこのこ出かける間抜けなやつ」という程度の雑なイメージしか描けないから、雑な感情しか抱けないわけです。


そうであるのならば、税金がどうのという大上段な議論をしてはいけないと思うんです。「気に食わない」程度の雑な言い方ならかまわないと思いますよ。けれど、雑である状況認識に、税金という精緻な議論が必要なものをからませると、そこにはズルさを感じてしまう。私が「税金の無駄使い」論が嫌いなのはそこに大きな理由がありそうだ。動画の一連のコメントを読んでいて、そんなことを思いました。



9 件のコメント:

  1. 正直、雪山登山なんて死に場所探して行ってるようにしか見えないです。
    また、登山の危険性について議論するなら、難易度によって区別するべきではないでしょうか。
    特に、登山の安全性を示す上で、死亡率ではなく遭難率を示すべきだと思います(死亡率だと遭難救助による助命活動の影響が数値に加味されている為。純粋な登山の安全性を示す為には遭難率を用いて議論するべきである)。

    このように数値も理解せず、議論している人が素人に向かって「状況認識が雑だなんて」傲慢甚だしいと思いました。

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  2. 初めてコメントさせていただきます2020年8月4日 22:16

    ちょっと辛辣な言い方ではありますが、上記の方が仰っていることにはとても共感しました。

    所謂レジャーには”不要”な危険がつきものですが、一般人から見たエクストリームな登山は、あまりに自己満足的で危険度が高いものに思えます。

    例に出ていたシリア潜入について言えば、ど素人の我々にもそれなりに福祉的動機や社会的貢献の余地が想像できます。
    一方で、危険な登山はあくまで個人の満足のために行うもので、それらを同列で比較することには少々無理があります。新しい山の測量や、生物・化学的データを収集するための危険には大いに税金を使うべきだと思いますが、登って自分自身で満足するだけの人には同情しづらいというのが率直な印象です。

    純粋な自己利益のために活動する趣味を引き合いに出すならば、危険なジャーナリズムではなく、身近な釣りなどが妥当なラインだと思います。

    ごく普通に港や船から釣りをしていて、海に落ちてしまった人を救助することに文句を言う人は少数です。一方で、ライフジャケットもつけずに不安定な足場を攻める人や、大荒れの海に無理やり突撃して沈没する船には少なからず違和感を感じますよね。
    同じように、準備万端で高尾山に登って捻挫した人に対して、「お前の責任だ、這ってでも帰れ」とはとても言いません。しかし、素人が明らかに危険な領域に踏み入れながら、自分の高揚のために無理をして救助要請するのは不適切で身勝手です。
    大きな魚を釣りたいのは皆一緒ですが、だからと言って素人が荒海に漕ぎ出すべきではありません。ピクニック中の事故に対して敵意を感じなくても、明らかに無謀で危険な入山には否定的な人も多いでしょう。登山好きの「安全」と一般人の「安全」と同義とは思えませんし、我々凡人から見るとちょっとクレイジーです。

    また、上の方も仰っていますが、登山を一括りにして死亡率のみを語ることにも違和感を感じます。
    ほとんどのレジャーでは、多少の捻挫・骨折や体調不良はタクシーで病院に行けば解決しますが、自然界に身を置く登山においてそうはいかないでしょう。漁港での迷子や捻挫は大した問題にならなくても、山での怪我や遭難は一大事になりかねません。
    データを用いて分析するなら登山自体の危険度もクラス分けすべきですし、救助が必要になる確率およびそれ自体のコストの違いも加味する必要があります。
    山の難易度や救助要請率、それらにかかるコストには目も向けず、シンプルな死亡率のみを引用するのは合理的でしょうか?

    長々と見苦しい駄文を書き綴ってしまい、申し訳ございませんでした。
    私個人としては、遭難した人を救助することに異論はありません。理由が何であれ、人の命を助けるのは当然のことだと考えるからです。
    しかし、己が犯した自己満足的な危険のために、他人の命やリソースが注ぎ込まれる事実は認識していただきたいです。自責の念を持てとは言いませんが、救助されて当然というのはちょっとどうかと思います。
    ご覧の通り、私は登山好きではないので、そもそも山に登る行為を理解する点から認識に隔たりはあります。しかし、登山の救助予算の元手はあくまで税金、登山愛好会ではなく我々全員のポケットが出処です。

    とても尊敬できる公平なブログだからこそ、あえて意見の異なる記事にコメントさせていただきました。バカなゆとり一般人の殴り書きですが、斜め読みでもしていただけたらとても嬉しいです。失礼しました。

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    1. コメントありがとうございます。まず、丁寧な言葉でこれだけの量の字数を尽くしていただいたことに感謝いたします。私とは考えは異なるのですが、お考えは十分理解できますし、ひとつのご意見、ひとつのお立場として、間違いなく尊重いたします。これだけの労力をかけてコメントしていただいたからには真摯にお答えしなければならないと思うので、以下、思うことを書いてみます。

      まず一読した感想として、やはりこの問題について理解を得るのはなかなか難しいなと感じました。私の妻は登山をやらない人間でして、もう知りあって30年ほどになるのに、いまだにこのへんのことは理解してもらえません。遭難のニュースがあるたびによく話をするのですが、それでもダメです。考えを異にする人に理解してもらうには、おそらく膨大な時間と言葉と体験の量が必要なのだと思います。普通それはできないので、私にできることは、こうやって機会があるごとに少しずつ発信していくことだけかなと思っています。

      ご指摘されていた死亡率の件については、おっしゃるとおりです。ここは私もちょっと雑に書いた自覚がありまして……。あとで読み直して、ここ書かないほうがよかったかなと反省しました。ご指摘のとおり、こういうことを言うなら、もっとデータを整理して丁寧に論を組み立てないといけないですね。

      ほか、コメントを拝読していて、考えさせられたことがありました。以下、それについて述べてみます。

      1)危険な登山をする人の人物像について。ひとつご理解いただけると幸いなのは、危険な登山をする人たちは、それが危険であるほど真摯であり、準備万端であるということ。もちろん、ジーンズで冬の富士山に登ってしまうような抜けてる人もたくさんいます。でも一方で、端から見るとものすごく危険でクレイジーなことをしている人でも、当人はそれを成し遂げるために10年以上、ときには人生をかけて取り組んでいたりもするのです。そういう人が運悪く失敗したとしても、責めたり社会的に見捨てたりするような気には、私はどうしてもなれないのです。そんな人を直接知っていないととてもイメージはできない話だと思うのですが、そういう事情もあるということを頭の片隅でも入れていただけるとうれしいです。

      2)コメントでは「社会的貢献」「準備万端」「自己満足」などのキーワードで、価値判断が行なわれているように読めました。しかしその線引きはどうやって行なうのでしょうか? もちろん、感情的には十分理解できる話なのですが、人命を前にしたときにそれは原則しないというのが近代社会の常識であって建前ではないかと思うのです。きれいごとかもしれませんが、そのきれいごとを心底信じてことにあたっている人たち(山岳救助隊)を取材してから、私もその立場をとるようになりました。……と、そんな話をしたおつもりはまったくないかもしれません。私が間違った読み方をしている可能性もあります。が、全体にそんなニュアンスを感じたので、一応意見を書いておきました。

      3)「ゆとり一般人」と書かれていたので、20代くらいの方なのでしょうか? 先日、冒険作家の角幡唯介が20代の記者にインタビューされたとき、「角幡さんがやっている冒険は社会の役に立っていないのでは?」という質問をされて驚いたと言っていました。その記者は「自分たちの世代は、『社会的価値』というものを軸に物事を考えるべきという圧力を常に感じている」と言っていたそうです。角幡は40代、私は50代で、世代的なものなのか個人的な事情によるものなのか、いずれにしろそういう考え方が薄いので、ハッとさせられたのです。もし、今の若い方にある程度共通の考え方なのだとすれば、私がブログで書いたことは、言葉が足りないか、あるいは論の立て方の方向性がそもそも間違っていたかもしれません。
      「ゆとり」という言葉から年齢を決めつけて勝手に世代論を語ってしまってすみません。理解の難しさには、角幡が言っていたような事情ももしかしたらあるのかもしれないと思い出して、書いてみました。

      4)「己が犯した自己満足的な危険のために、他人の命やリソースが注ぎ込まれる事実は認識していただきたいです。自責の念を持てとは言いませんが、救助されて当然というのはちょっとどうかと思います。」
       わかりやすいように極端な言い方をされているのだと思いますし、そう言いたくなるような極端な書き方を私もブログでしているのですが、大半の遭難者はそんなふうには思っていないはずです。ごく一部の無神経な人をのぞいて、自分のために他人が尽くしてくれていることに引け目を感じています。「救助されて当然」というのは社会システムとしてはそのとおりですが、当事者としてのひとりの人間の感情としては、「当然」と開き直るなんて当然できません。実は私もかつて、同行者が死亡して救助を頼んだことがあります。その十字架と感謝の念は一生背負っていくものだと思っています。事故が重大であるほど、体験者は同じような思いを持っていると想像します。ただしそれは外部の人には見えにくいことなので、理解はされにくいことでもあるはず。ブログや短い記事ではどうしても筋としての理屈ばかりが先行してしまうのですが、こういう感情面にも光を当てて発信していくのが私の仕事かなとも思っています。

      ひとまず以上です。もしかしてコメントの返答になっていないかもしれない……と思いつつ、感じたことを書きました。もし、「これに答えてもらっていない」ということがありましたらコメントください。再度お答えしたいと思います。

      丁寧なコメント、重ねてありがとうございました。ブログのコメントでこんなコメントをいただけることはなかなかないので、ちょっと清々しい気持ちになっています。ブログ記事、難もあると思うのですが、書いてよかったなと思っています。

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  3. とても不躾で容量を得ないコメントに対して、これほど丁寧な返信をいただけるとは思っておりませんでした。本当にありがとうございます。大変心のこもったお返事を頂いておきながら、読むのが遅れてしまったことをお詫び致します。

    経験あるエキスパートの方に対して、顔と顔を付き合わせた状態で「あなたの行動・意見は理解しづらい」とは中々言いづらいものがあります。だからこそ、このような率直かつ謹厚な内容は新鮮で興味深いものでした。大変失礼とは存じますが、若輩者の私なりに再度コメントさせていただきます。無礼な青二才のたわごとだと思って、流し読んでいただければ幸いです。


    1. 危険な登山をする人の人物像について
    危険な登山をする人々は準備万端であり、リスクを承知の上でチャレンジをしているとのことですが、この意見は大いに理解・賛同できます。無論私自身が挑戦する気は起きませんが、世界的な雪山の超難関ルートを登るプロ中のプロにはロマンや憧れを抱かざるを得ません。YouTubeなどで実際の映像を見ると、素人目にもかっこいいな〜と思ってしまいますね。
    しかし、ここで一つ疑問が生じます。それは、我々が危険な登山をする人に対して似た意見を共有しておきながら、何故見解の誤認が生じたかということです。これについて、私なりに考察した二つの理由を列挙してみました。
    一つ目の理由として挙げられるのは、私の単純な説明力不足です。
    『素人が明らかに危険な領域に踏み入れながら、自分の高揚のために無理をして救助要請するのは不適切』という一文を通じて、一般人がプロの真似事をすることの危険性を表現したつもりでした。しかし、この文章単体では必要な情報をカバーできていませんし、正確に主張を反映することが出来ていません。コメントが長すぎることを自覚していたので(笑)、必要な箇所を省略してしまった私のシンプルなミスだと言えます。
    二つ目の理由として考えられるのは、「危険」や「素人」という単語の認識についてです。個人的には、この議題こそが本問題全体のカギだと思います。
    危険度や素人(熟練度)というのは主観的な感覚で、絶対的な指標は設定しづらいものです。だからこそ、我々が同じ単語を使いながらも、無意識に異なる事象を示してしまっているように感じます。
    例えば、「この山は危険」と一口に言っても、森山さんが仰るのと私が言うのとでは恐らく意味が違います。森山さんにとっての危険とは、低体温症や滑落などの差し迫った死の危険。一方私にとっての危険とは、ダニやヒルが多い・稀にクマが出る・転びやすい等々の不快指数が上がる事柄です。一般人からすれば、専門家以外が雪崩が起きる場所や絶壁を登るなんて行為は言語道断なわけです。
    プロや熟練した登山家にとっては「普通」な登山が、一般人から見れば無謀で危険に見えるということは大いに考えられるのではないでしょうか?同じように、「素人」や「プロ」の定義が、登山家(森山さん)と一般人(私)では異なることもあり得ると思いました。


    2. 価値判断のプロセスと人命救助の在り方について
    森山さんの仰る通り、準備万端という単語は定義の揺らぎがあまりに大きく、何を持って「万端」とするかの線引きが曖昧です。私のような登山素人がそれを定義しようとしたのは安易、無意味でした。
    また、先のコメントにおいて、登山には社会的な貢献が乏しいという旨の記述をさせていただきましたが、これも少々不正確だったと反省しております。登山家が珍しい動植物や自然現象を観測することもあるでしょうし、人々に非日常と勇気を届けているのは紛れもない事実です。
    危険地域のジャーナリスト/医師は、己の人命を賭して他者を救済しようとする人々であるため、一般登山者というよりはレスキュー隊に近いものがあると感じます。レスキュー隊が危険を冒すことと、一般人が危険な登山をする事は同じではないというニュアンスの文章だったのですが、うまく表現できていなかったようです。
    「自己満足」という単語は、登山という行為の動機と目的を鑑みた上でのワードチョイスでした。己の欲求を満たすことが主要な動機てあること、社会福祉や第一哲学(学問的探求)の貢献に主眼が置かれていないことが「自己満足」という表現を選択した理由です。無論、人間が全ての行動に倫理的裏付けを持つ必要はありません。感情的な批判を展開したつもりはなかったのですが、そう聞こえてしまったのであればお詫びします。

    人命救助については、最初のコメントで記述した通り、人の命を救うこと自体に全く異論はございません。他人を救うために怪我をしたヒーロも、酔っ払って道頓堀に飛び込むおバカさんも、何であれ全力で救命すべきというのが私の持論です。山での遭難は自己責任、救助なんて不要という考えは持っておりません。
    山岳救助について気になっているのは、救助隊員の人命が危険に晒されること、高額の費用がかかること、救助隊員が値するリスペクトを得られていないように感じることです。これらのトピックについては、4)にて論じさせていただきます。


    3. 私の年齢および世代ごとの冒険心について
    大変遅ればせながら、簡潔な自己紹介をさせていただきます。私は24歳の生態学を専攻する学生で、15歳から海外で生活しています。現在はコロナの影響で一時帰国中なのですが、暇を持て余したネットサーフィンでこのブログに辿り着きました。
    私はひとり旅と生物が大好きですし、それなりに冒険心がある方だと自負していますが、それでも登山は中々手が出ません。プロ登山家の勇気・探究心には感服させられるばかりです。
    20代記者の「冒険は社会の役に立たない」という質問についてですが、これには言葉以上の暗喩が含まれているように感じます。原因はわかりませんが、若者の多くはとにかく無気力で、人と違った行為を避ける傾向が非常に強いです。「社会の役に立たない」という言葉は、社会的価値を軸にした確固たる意見なのではなく、「社会の役に立つ=皆と同じロボットになる」という若者方程式の逆説に由来するのではないでしょうか?
    冒険者というのは得てして特別な存在を目指すものですし、目的を持たず無気力に彷徨う若者方程式とは相対するものです。その疑問が、「でもそれ社会(=みんな)と違うけど良いの?言われたことやらなくて良いの?」という質問に繋がったように見えました。


    4. 人命救助について
    引用されている私の文章は、ご指摘の通り極端な書き方をしています。本記事全体が、「救助は当然」、「批判は到底理解しがたい」という論調に読めてしまったので、批判にも一理あるということを必要以上に強調して主張してしまいました。
    遭難者の大部分が感謝の気持ちを持っているということは、知ることが出来てとても良かったです。謝意の有無に誤解が生まれるのは、遭難した人がまた山に戻ることが我々一般人には理解できないからなのかもしれませんね。
    また、娯楽の事故が救助隊員をも危険に晒すことが登山という趣味の特異性です。登山の魅力が分からない人間からすると、しなくていいことをして誰かが道連れになるようにも見えてしまいます。
    事故が発生した場合の救助隊員の処遇も気になります。下記リンクのような例を見ると、命をかけて救助に向かった隊員があまりに浮かばれません。知識不足でよく理解できませんが、死にかけの人間を大至急で助けた結果が訴訟というのは悲しすぎます。似たような事例もいくつかあるようですが、レスキュー隊員が不憫だと感じる私は感情的すぎるのでしょうか。
    リンク:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/477/087477_hanrei.pdf


    以上が私なりにまとめたリプライです。自分でコメントを書いていて、いかに私が登山嫌いかを再認識させられました(笑)。
    大昔に部活にて7泊8日で白馬岳に登ったのですが、天気は常時雨で、重いテントがとにかく苦行だったことを思い出します。その後も山には何度も登ったのですが、ひたすら地面を見て足を動かす拷問だった記憶しかありません。ヒマラヤ級ではないごく普通の登山の魅力とは何なのか、私が理解するのはまだまだ先のようです。

    こんなコメントにもお付き合いいただき、本当に有難うございました。専門家の方とこんな形でお話しできるとは思ってもみなかったので、感謝感激の至りです。
    下らない素人意見ばかりと存じますが、何か少しでも目につくものがあれば嬉しいです。長文駄文失礼いたしました。

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    1. 再度、ご丁寧なコメント、本当にありがとうございます。とてもうれしいです。私にはなかった視点を多く知ることができました。この問題について、自分の考えもあらためて整理・深化することができました。ブログ書いて本当によかったなと思っています。

      議論をさせていただいたおかげで、なんとなくわかってきたのですが、私の意見は以下のふたつに集約できるような気がします。


      1)山岳遭難救助を公金で行なうのはアンフェアなことではない
       遭難救助の費用を受益者負担としてしまうと、他の事故の救助との整合性がとれません。交通事故、火事、海難事故など、多くの人命救助は公金で行なわれているはずです。

      2)結果は責めず、予防に注力する
       よほど悪質なものでないかぎり、遭難した人を社会が責めるべきではない(身内はバンバン責めればよい)。社会がやるべきことは、そういう事故が起こらないような対策を考えること。交通事故の死亡者が、交通マナーの啓蒙と技術的工夫(エアバッグやシートベルトなど)によって大幅に減った例がイメージです。
      *「悪質」の基準は、丹沢玄倉川の事故あたりがイメージでしょうか。警察などの必死の避難勧告を無視し、暴言まで放った結果、鉄砲水で13人が死亡したという事故です。あるいは、主体が事業者であった場合。ツアー会社とか学校、山岳ガイドなどが複数人を死に至らせた場合等ですね。



      ところで、実は私も、小学校の遠足で行った登山があまりに面白くなく、「こんなつまらないこと二度とやらないぞ!」と誓ったクチです。

      持論なんですが、集団登山というのは登山の魅力を大幅に損なう行為だと思っています。「登山というのは自由であるからこそ楽しいのであって、自由のない登山に価値なんかない」。以前の職場の仲間にこう伝えたことがあります。我ながら名言だと思っています(笑)

      機会があれば、ぜひ、「気の合った仲間と」「好きなペースで」「天気のいい日に」白馬岳に再度登ってみてください。印象の違いに、絶対に絶対に驚かれることを保証します!

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    2. 補足ですが、リンクを張られていた富士山の事故については、私も違和感がありました。救助隊員に酷すぎるのではないかと。

      ただし細かい事情を知らないとなんともいえないという気持ちもあります。それこそ、考えられないようなミスや怠慢が原因なのであれば、判断がまったく変わってくることもありますので。このあたりは医療事故と同じようなものなのかなという気がします。

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  4. 返信ありがとうございます。自分が知らない分野だからこそ、勉強させていただくことが沢山ありました。こんなド素人に対して、丁寧に辛抱強く回答していただけたことに感謝します。

    救助することは絶対に必要、事故の遭難に注力すべきというご意見に強く賛同しました。
    しかし、登山の安全対策はなんとも繊細な問題ですね。登山者に対して、「危険すぎる」「貴方には無理だ」なんて指摘は誰がするんだ、という話になってきますし。登山の専門家から見た、国や自治体が実施すべき安全対策があれば是非お伺いしたいです。

    「悪質な事故」という括りについては、社会にどれだけ理解されるのか少々疑問に思いました。
    事故はミスと不運が絡み合った複合的な結果なのでしょうが、多くの人々はそれすらも自業自得だと即断定するでしょう。
    トムラウシ山や吾妻連峰の事故レポートは良質な論文のような興味深い内容でしたが、果たしてワイドショーを見ている主婦のオバちゃんやオッチャンが検証をじっくり読むのかどうか。遭難者=悪=自業自得!とする方が楽ですから…。

    しかし、何と言っても一番衝撃的なのは、山のプロでも昔は登山嫌いだったということですね(笑)。てっきり、登山家=プロゴルファーのような、物心ついた時から英才教育を受けてきた人ばかりなのかと思っていました。今や専門家になった人でも強制集団登山が嫌いだったというのは、なんだか免罪符を与えられた気分です。

    せっかく滅多にない機会をいただいた訳ですし、必ず登山にチャレンジしてみます。自然や景色は大好きなので、坂登りをどうにか克服できれば未来があるかもしれません。リフトかロープウェーがあるなら山も最高なんですが、きっと自分の足で登ることが山好きには楽しみなのでしょうね。

    ところで、森山さんの他記事を拝見させていただいたところ、今年はコロナの影響で登山客が少ないそうですね。登山者が少ない山はより危険でしょうし、この状況下でのド素人登山はひとまず諦めるべきでしょうか?
    また、有酸素運動が苦手なゴリラ体型でも楽しめる、超初心者向けの山があればお聞きしたいです。当方東京在住なので、景色が綺麗な筑波山や草津白根山などが気になっています。
    近年の私の登山(?)歴ですが、昨夏に行ったラオスの雨ジャングル山は6時間で疲労困憊でした。流石に高尾山はかなり余裕がありましたが、登山知識はほぼゼロ、平均以下のスタミナだと思います。
    「知らない人間にアドバイスは不可能」というごもっともなスタンスを承知の上での質問ですが、少しでも知識をご教授いただければ有難いです。もちろん、アドバイスは不可能との回答やスルーでも全く問題ございません。

    登山はマラソンと並んで最も理解不能な趣味だったのですが、少しは再チャレンジする気が湧いてきました。貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。

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  5. いまは北アルプスがいちばんいい時期なので、白馬岳とか最高なんですが……。筑波山いいと思うんですが、いまは地獄の暑さなんじゃないかと思うんですよ。できるだけ暑くなくて、できるだけ行きやすいところで、初心者でも登れる山で、パッと思いつくのは以下とかでしょうか。

    ■浅間山(黒斑山)……軽井沢の近く。標高2000m超で涼しい。景色最高。インスタ映えする山。ただし車でないと行きにくい。歩行時間2~3時間。

    ■那須岳……栃木。ロープウェーで上がれるので、登りラク。火山性の荒涼とした独特の景観。いろんなコースがとれるのだけど、最短で2時間くらい。西側に下りると、三斗小屋温泉という激シブい山間の秘湯がある。

    ■谷川岳……群馬。標高2000m弱。ロープウェーで1500mくらいまで上がれるので比較的登りやすい。歩行時間4~5時間になるけど超おすすめ。私がいちばん好きな山でもあります。

    まだまだあるんですが、とりあえず思いついたのはこんなところです。もっと近場で丹沢とか奥多摩とかもあるんですが、いまは暑くていやになっちゃうんじゃないかと……。

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  6. どうにも遭難した「後に視点を置いて」「どれだけ本人に問題があろうが、今人間が死にかけているのに助けないっていうのか!?」という主張しかしていないように見受けられるのですが。

    批判している人は「事故が起こる前に」「危険度が高く社会への負担が高いので最初からやめておく」判断ができないのか? 屁理屈こねて続けたいだけの依存症にしか見えないぞ、と言いたいので平行線にしかならないと思います。

    負担する側の人間の理解と信任を得ていないなら得られるまでは止めておくべきなのに、自分の価値観で先行して批判されたら「ひどい全体主義だ、活動の尊さがわからないのか」というのでは「なんでもやったもんがち」になってしまうと思います。

    公費は削減した上で支持する人間に向けて寄付やボランティアを募ればよいのではないでしょうか。集まらないならその程度の意義しかない活動なのですから諦めて予算で安全を確保できる範囲に抑えるべきです。

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