2019年7月1日月曜日

海外登山技術研究会に登壇しました




先週6月23日、日本山岳・スポーツクライミング協会が開催している「海外登山技術研究会」というイベントに登壇してきました。


このイベントは、澤田実さんが中心となって企画されてきたものですが、5月に亡くなってしまったので、急遽私に代役の依頼がきたというものです。講演的なものは苦手意識があるし、澤田さんの代役というのも正直荷が重いと思ったのですが、話が来たのがイベントまで2週間ちょっとというタイミング。迷っているヒマはないと思い、思い切って即断で引き受けました。


テーマは「無補給登山の可能性」。昨年、トランス・ジャパン・アルプス・レースを無補給で完走した望月将悟さんを主役に、「無補給」なる行為の意義や可能性について掘り下げようというものです。


澤田さんがこのテーマで何を表現しようとしていたのか、正確にはわかりません。が、なんとなく想像できるものはあります。


レースといえど、食料や燃料をすべて自分で持ち運ぶ行為は、まさに登山そのもの。そこに望月さんのような先鋭的なフィジカルを掛け合わせれば、これまでに考えもつかなかったようなことが可能になるのではないか。かつてヨーロッパの山岳スキーレースに刺激を受けて、冬の黒部横断でそれまでの常識を超えたような登山を実践した経験をもつ澤田さんであるからこそ、望月さんのチャレンジに特別な可能性を感じ取ったのではないか……。そういう方向なら話せることもあるだろうと。


そんな基本線に沿って、スライド使いながら30分ほどしゃべりました。詳しい内容は省きますが(トークの情報量ってすごく多くて、文字再現すると30分ほどでも1万字くらいになってしまうのです)、ひとつ、自分でもいいこと言ったなと思うのがこれ。




登山の原初的動機ってこれじゃないかと私は考えています。「行けなかった所に行く」ために、さまざまな技術や登り方を開発・発展させてきた歴史が登山にはあります。


エイドステーションや荷物のデポを前提とした山岳レースは、肉体的パフォーマンスを純粋に追求するには適した場ですが、レースの運営体制やコースが変われば、同じパフォーマンスは発揮できなくなってしまう。一方、デポや他人のサポートを前提としない望月さんの無補給スタイルならば、仮にコースが無人の原野を行く400kmに変わったとしても対応できるわけです。


どんな条件、どんなコンディションが出てきても突破できるような術を身につけることが登山の原初的目的であるとするならば、望月さんが目指したことはまさに登山の源流。


で、重要なことなんですが、源流がよいのは、たんなる懐古趣味とか伝統主義ということではなく、行ける場所の範囲が広がることにあります。だって、他人の助力なしに400kmの山岳コースを6日間で踏破できる能力があるわけですよ。それができるのならば、これまでは思いも付かなかった場所や課題すら視野に入ってくる可能性が広がるのではないかと思うのです。




ーーというようなことを、会場ではしゃべりました。


すると、望月さんは最前列で、「なるほど!」というような顔をしていました。いやいや、あなたのことですよと、ツッコミを入れる場面ですが、望月さんはキラキラした目で他人事のようにうんうんとうなずいているのです。


望月さん、まともに話したのはこのイベントがほぼ初めてでしたが、無邪気というか子どものような人でした。「これやりたい!」「おおーっ! やろうやろう!」という感じ? 「子どものよう」というと失礼にあたるのだとすれば、純粋というか。私がしゃべったような理屈っぽい動機で無補給チャレンジをやったのではなく、ただただ「それは面白そうだ」と感じて無補給をやったというのです。


この感じ、思い当たる人が他にもふたりいます。平山ユージさんと三浦雄一郎さん。彼らは、自分がやりたいと思ったことに一点の曇りももたず、子どものように全力で突き進めるメンタルをもっています。望月さんも同じ人種だった。話していて、ユージさんと三浦さんが思い浮かんでしかたなかった。


ただし、この人たちは、理屈抜きに直感で本質を突く能力をもっているところも共通しています。たとえばユージさんのレッジ・トゥ・レッジ。詳しい説明は省きますが、このことって、それまでのクライマーが全員、心のどこかに引っかかっていたことではありながら、見て見ぬふりをしてきたことであるのです。が、ユージさんはビッグウォール経験数回でこのことに気づき、裸の王様を指摘するがごとく、「だってそのほうがよくない?」と、まったくもってストレートにレッジ・トゥ・レッジを実践しました。これは世界のクライミング史に残る意識革命だったと私は思っているのですが、望月さんの無補給トライにも似たようなものを感じます。一流は、理屈抜きに一撃でコトの本質を見抜く能力を持っているのだと。


イベントでもしゃべりましたが、じつはこの無補給思想、トランス・ジャパン・アルプス・レースが始まったころすでにあったのです。




これは、トランス・ジャパン・アルプス・レース創始者である岩瀬幹生さんがレースを始める前、ひとりで日本海~太平洋トライを重ねていた20年くらい前に書いた記録の一節です。


レースが回を重ねるにつれて、途中の山小屋などで食料を補給することはほぼ前提となっていきましたが、創始者が最初に思い描いたのは無補給であったわけです。


「このこと、知ってましたか?」と望月さんに聞いたら、「いや、初めて知りました」と明るく答えました。やはり望月さんは直感で源流に行き着いていたのだ。





慣れないトークショー、しかも急遽代役ということで、かなり緊張して臨みましたが、まあまあしゃべれたかな。会場には私の妻(望月ファン)も来ていたので出来を聞いてみたら「すごく聞きやすかった。見直した」と言っていたので、まあよかったのでしょう。2週間背負っていた肩の荷が下りた気分です。




2019年5月22日水曜日

澤田実さん、寂しいです




遭難するような人ではないと思っていたので、不意打ちをくらったようで本当にショックです。


2年前、澤田さんについて書いた文章があります。結果的に公開されずじまいだったのですが、自分としても自信作で、なにより、澤田実という登山家の魅力をとてもよく表現できたと思っているので、ここに公開します。







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首都圏に住む登山歴数年以上の人は、この顔に見覚えがあるんじゃないだろうか? 「あっ、カモシカの人だ!」と気づいたあなた、あなたは鋭い。東京・高田馬場にある登山ショップ「カモシカスポーツ」に行くと、いつもニコニコと人なつっこい笑顔で立っている店員さん。それが澤田実さんである。


「でも久しぶりに見た気がする……」と感じたあなた、あなたはさらに鋭い。澤田さんは3年前にカモシカスポーツを辞めている。現在は山岳ガイドとして活動しているのだ。


澤田さんのガイド資格は、「日本山岳ガイド協会認定・山岳ガイド・ステージⅡ」というもの。技術レベルでいえば国際山岳ガイドに次ぐもので、国内では取得するのがもっとも難しい資格。やさしそうな見た目とは裏腹に、アルパインクライミングから山岳スキー、沢登りなど難しい登山を得意としているのが澤田さんの持ち味だ。


ガイドを始める前から、登山家としてもその名を知られていた澤田さんだが、その山遍歴はとにかく多彩である。





まずは高所登山。これまでヒマラヤ、アラスカ、アンデス、アフリカ、カムチャツカなど、海外の高峰に数多く登頂。ナンガ・パルバットやエベレストといった8000m峰にも登っている。





国内の雪山にも足繁く通う。なかでも北アルプスの黒部横断登山はライフワークといえるほど、さまざまなコース、さまざまなスタイルで挑戦している。





そしてクライミング。本場ヨセミテでのロッククライミングのほか、北アルプス錫杖岳や瑞牆山などで新ルートの開拓もしている。





沢登りにも強い。日本最大の滝といわれる立山・称名滝全4段を通して初めて登ったのはこの人だ。





山岳スキーに強いのも澤田さんの大きな持ち味。スキーを利用して、黒部横断を11時間で成し遂げてもいる。





こんなことまで。「小川山レイバック」という有名なクライミングルートを「ギター初登」。音楽も得意な澤田さんは、途中のテラスで尾崎豊を熱唱した。




こうして並べてみると、ほとんど登山の全ジャンルをこなしているといってもいいほど。しかもそのいずれもハイレベルで。このマルチプレイヤーぶりは日本の登山界では際立っている。それはガイドという仕事にも大いに生かされているようだ。







「どれがいちばん好きかって? うーん、ひとつには決められないなあ……」


高所登山からスキー、沢登りまで、まんべんなくハイレベルにやっている人ってあまりいないと思うんですが。


「面白そうだなと思うことをそのときどきにやってきただけなんですよ。山って、それぞれに、いちばんいい季節、いちばん合った登り方があるじゃないですか。そのいちばんおいしいところを選んでいったら、結果的にいろいろやることになっていたということなんです」


澤田さんが登山を始めたのは大学に入ってから。愛知県出身の澤田さんは、「北海道になんとなく憧れがあって」北海道大学に進学。そこで探検部に入部したことで登山と出会った。


探検部というのは、山だけでなく、川下りや洞窟探検、海でのダイビングなど、さまざまな活動を行なう。部の活動ではないが、澤田さんは、1年休学して150日ほどかけて日本徒歩縦断(北海道宗谷岬~九州佐多岬)ということも行なっている。





大学探検部時代、北海道天塩川をイカダで河口まで下った


いろいろやったなかでも「登山がいちばんバリエーション豊かで面白い」と感じた澤田さんは、卒業後も就職せず、山で生きていくことを決意。山小屋やスキー場など、山でのアルバイトを見つけて働くようになる。しかし、こうした山での仕事は意外と登山には行けないことがわかり、当時はクライマーの職場として人気があった窓拭き会社のアルバイトに転身。同時に上京して山岳会に入り、実力のある仲間を得た澤田さんの登山熱は爆発していく。


1994年にアラスカのデナリ(6190m)に登り、90年代は毎年のように海外登山に出かける。ヒマラヤ8000m峰も登るようになり、その実力と大学で地質学を学んだ経験を買われて、エベレストの山頂で化石を探すというテレビ番組の企画にも起用された。「化石探しが目的だったんですが、いい化石が見つからないうちに山頂に着いちゃった(笑)」





1997年に登ったナンガ・パルバット(8126m)


このころの澤田さんの生活は完全に山中心。窓拭きの仕事はかなり自由がきいたため、長期山行や海外登山にもしばしば出かけている。厳冬期2月の単独黒部横断にも挑戦し、11日間でこれを達成している。この時期の剱岳は非常に厳しく、登られた記録があまりない。そこにあえて挑戦した澤田さんは、山岳会の記録にこう書いている。


「休みが取れないことをうまい口実に敢えて避けてはいなかっただろうか。誰もやらなかったのならば、山のためにフリーター生活をしている僕が行かなくてどうするのか」


2004年には、スペインで行なわれた山岳スキーの世界選手権にも出場。4人チームで、ほかのメンバーは、松原慎一郎(山岳ガイド)、横山峰弘(トレイルランナー)、佐藤佳幸(元アドベンチャーレーサー、現アドベンチャーカメラマン)という強力なもの。





2004年の山岳スキー世界選手権


このレースで澤田さんは、海外の強豪選手のスピードに衝撃を受ける。このノウハウと装備を日本の山に持ち込んだら、それまで想像もつかなかったすごいことができるんじゃないか。そして黒部横断ワンデイという、当時としては途方もない発想にいたる。





黒部横断を11時間18分で達成


超軽量スキーとデイパックに、レーシングスーツで身を包んだ、冬山登山の常識を飛び越えた異様な風体の男が冬の黒部を疾走。11時間強という、それまで考えられなかったタイムで横断を達成した。







そして2004年にカモシカスポーツのスタッフとなる。家族ができ、不安定なアルバイトのままではいられなくなった末の決断だったが、自分の経験が生かせる職場は楽しく、好きなものに囲まれた毎日で、最新の道具事情にも詳しくなった。


接客業を経験したことも大きい。それまでは嗜好を同じくする仲間としか付き合ったことがなかったのだが、登山ショップには、ハイキングからクライミングまで、さまざまな趣味嗜好のお客さんが来店する。自分の発想にはまったくなかった相談を受けることもある。そんな経験を通じて、山を見る目も広がっていった。


気がつくと、ショップ勤務も10年になろうとしていた。カモシカスポーツの顔のひとりとして定着していた2014年、澤田さんはカモシカスポーツを辞め、山岳ガイドへの転身を決断する。


「やっぱり僕は山にいたかったんですよ。ショップは休みが限られますから、時間の自由がきかないし、長期の登山も行きにくい。もっと山にいる時間を増やしたい――その条件に合って、自分の経験も生かせる仕事はなにかなと考えたときに、出てきた答えが山岳ガイドでした」


もっと山に行きたい。そういう自分の欲求から選んだ新たな道だったが、ここにきて、マルチプレイヤーとして活躍してきた経験が生きている。さまざまな山、さまざまな登り方に対応できるのだ。この3月には、かつて自身が11時間で行った黒部横断コースを、お客さんに請われて2泊でガイドした。こういう、あらゆる技術と経験の複合技が必要なコースをリードできるガイドは多くない。


現在は年に200日近く山に入る毎日。ガイドの仕事だけでなく、自分の登山を磨くことも忘れていない。この冬には、10日ほどかけて穂高の継続登山をしてきた。「目標にしていた岩壁は、天気が悪くて逃げまくっちゃいましたけど(笑)」。


どんな山でも楽しい。そう語る澤田さんの表情は、カモシカスポーツでもおなじみだった、ニコニコとして人なつっこい笑顔のままだった。

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やりきったと思える人生を送れて幸せだったと思っていてほしいです。が、思い残すことはあったはず。ご本人とご遺族が安らかな日々を送れる日が来ることを願って。


2019年4月14日日曜日

「遭難救助は税金のムダ」なんかじゃないと思うのだが





白馬山頂から滑り下りたところ、カリカリのアイスバーンでヒヤッとしたという動画。これのコメント欄が燃えていました。登山のリスクとそれに対する世間の認識について、いろいろ考えさせられるやりとりなので、興味のある人は見てみてください。


発端はこういうコメント。

ゲレンデじゃない場所で滑る事の危険性や無謀さの認識はあるのでしょうか。しかも誰も足を踏み入れてないような急斜面を横滑りで下るって、雪崩でも引き起こしたいのかって思ってしまう。雪崩を引き起こしたり、遭難した場合、多方面に迷惑が掛かるってのに。勝手に失踪するならともかく、雪山の事故で山岳救助隊なんか出動しようもんなら、どれだけの血税が無駄に使われることか。

自分はここにすごく引っかかりました。山岳遭難が起こったときなどに、よくこのように「税金が無駄になる」という趣旨の批判がなされるのですが、これにはいつも激しく違和感を抱きます。


だって人の命が危険にさらされているわけですよ。そこに税金を使わずしていったいどこに使うのか。「登山は遊びで行っているのに」という意識からこういう言葉が発せられると思うのですが、ならば、海水浴で溺れた人も休日のドライブで事故を起こした人も助ける価値がないのか。そんなことないでしょう。どれも等しく助けなくてはいけないし、それこそ税金の使い方としては、人命救助はもっとも優先度が高いものであるはず。


「危険なことを好き好んでやっているのだから自業自得」という意識も、批判の背景にはあるのでしょう。が、登山の死亡率って、0.005%くらいですよ(600万人登山人口がいて、年間の死亡者数が300人くらいなので)。新聞が山岳遭難を大きく取り上げてきた歴史があるので、登山って実態以上に危険なものというイメージがついてしまっているように感じます。


おそらくですけれど、「税金の無駄使い」と批判する人は、登山をシリア潜入などと同じようなことと考えているのではないでしょうか。わざわざ危険を冒して、なんの意味があるのかわからないことをやっている人たちという認識。それを人的・金銭的コストをかけてまで助ける必要があるのかと。そう考えると私も批判を理解できるような気がするのです。イラクやシリアでの捕虜事件のニュースを聞いたとき、私のなかにも批判の目で見たくなる感情が少しはあったからです。


でもそれは、私はイラクやシリアのことをよく知らないし、そこに向かう人のことも知らないからなんですよね。「北斗の拳みたいな場所にのこのこ出かける間抜けなやつ」という程度の雑なイメージしか描けないから、雑な感情しか抱けないわけです。


そうであるのならば、税金がどうのという大上段な議論をしてはいけないと思うんです。「気に食わない」程度の雑な言い方ならかまわないと思いますよ。けれど、雑である状況認識に、税金という精緻な議論が必要なものをからませると、そこにはズルさを感じてしまう。私が「税金の無駄使い」論が嫌いなのはそこに大きな理由がありそうだ。動画の一連のコメントを読んでいて、そんなことを思いました。



2019年3月19日火曜日

連載「山岳スーパースター列伝」最終回



雑誌『PEAKS』でやっていた人気連載「山岳スーパースター列伝」が、15日発売の4月号で終了しました。記事冒頭にも書きましたが、終了の理由はネタ切れ。もう紹介できる人がいなくなってしまったというわけです。


連載が始まったのは2013年5月号なので、まる6年間やっていたことになります。フリーになったばかりのころに始まった連載であり、初代の担当編集は、その数カ月前まで私の部下だった臺代裕夢という男でした(こやつ、つい最近、小学館ライトノベル大賞という文学賞で優秀賞を受賞しました!)。「山岳スーパースター列伝」という軽薄なタイトルは編集部がつけたものであり、私ではないのでよろしくお願いします。


連載では1回の休載をはさんで、計71人の登山史上の偉人について書き続けてきました。1回が約1700字あるので、計約12万字。おお~。われながらよく書いたな~。


書くにあたって毎回念頭においていたのは、読者に、偉人の実績よりも人物に興味をもってもらうようにすること。そのために、ダメなところを含めて人間くさいエピソードをできるだけ盛り込むようにしていました。だってすごい実績を教科書的に羅列したところで面白くないですからね。読者の記憶に残らなければ連載の価値はないと思って毎月書いていました。


そのため、71人の人選はそれなりに偏っています。人間くさい面を書こうとすると、私がなんらかの思い入れがある人しか書けないわけです。連載のテーマからすると、エベレスト初登頂者のヒラリーやテンジンなども出てきておかしくないわけですが、結局登場していません。シェルパ枠からは代わりにバブ・チリなんてマニアックな人を登場させたりしていました。


ところで、この連載のもうひとつの主役といっていい存在が、綿谷寛画伯によるイラストです。


画伯は登山をやる人ではありません。なので、連載開始当初は、人物の写真やら道具の説明やら、いろいろ資料をそろえて渡し、どんなイラストを描けば人物のイメージに合うか細かく指示していました。


が、画伯はその指示をことごとく無視して独自のイラストを仕上げてきます。ところがそれが、私がイメージしていたものよりもはるかによいのです。なので私はそのうち、人物の顔写真数枚と、どんな人なのかの簡単な説明1行くらい渡すだけになりました。あとは画伯におまかせしたほうがいいものになるという判断です。


それでも登山を知らないはずの画伯が、しかもイラストと原稿は同時進行だったので本文を読んでいるわけでもないのに、なぜこんなズバリのイメージを描くことができるのか、毎回本当に不思議でした。


最近のいちばんの傑作は、2019年3月号で岩崎元郎さんを取り上げたとき。岩崎さんの背後に「岩崎さ~ん」と呼びかけるハイカーが描かれておりました。こんな小細工、私は指示してませんよ! でも、中高年登山者に絶大な人気を誇った岩崎さんを表現するに、これ以上効果的な描き込みがあるでしょうか!? 画伯はどこでこんな絶妙なニュアンスを知ったのか……。




画伯はもともと『POPEYE』や『MEN'S CLUB』などで活躍していたファッションイラストの巨匠。そのイラストは、だれもが一度は見たことがあるんじゃないかと思います。本来、画伯、画伯となれなれしく呼べる存在ではありません。が、本人のメールアドレスからしてwatatani-gahaku@~なので、もういいんじゃないか(笑)。ということで、編集部との内輪ではつねに「画伯」と呼ばせていただいておりました。


綿谷画伯に描いていただいたおかげで、連載はぐっと格調高いものになったと思っております。画伯こそ真のプロ。そんな尊敬できるイラストレーターとコンビを組ませていただけたことは私の誇りであり、感謝のひと言であります。もう、71枚のイラストだけをまとめて画集を作りたいくらいです。


読者のみなさんもぜひ、画伯のイラストに注目して連載ページを見返してみてください。6年間ありがとうございました。




2019年3月3日日曜日

「私にも登れますか」には答えられません




昔、山と溪谷編集部にいたころに、こういう問い合わせの電話をよく受けた。


「私にも○○山は登れますか」


これは絶対に答えられない質問なんですよ。だって、登れるか登れないかというのは、人によって大きく変わってしまうから。電話をかけてきているのが登山経験豊富な人である場合と初心者とでは、答は180度変わってしまうこともあるわけです。


「140kmのスライダーは私にも打てますか」と聞かれたら、相手がプロ野球選手なら「打てるんじゃないでしょうか」と答えるだろうし、野球素人なら「無理だと思いますよ」と答えますよね。それと同じことなのです。


もちろん、だからといって「わかりません」とひと言で切って捨てるのではなく、電話をかけてきた人の登山経験を聞いたりして、可能性を探る会話はするわけですが、いずれにしろ最終的に結論を提示することはありません。そこで安易に「登れると思いますよ」とか「無理でしょうね」とか言ってしまうほうが、むしろ無責任かと思うのです。


だから七ツ石小屋のケースも、問い合わせをするなら、こう聞くべきなのであります。


× 「アイゼンないけど今週末なら登れますか」

○ 「いま登山道に積雪ありますか」


登れるか登れないかの判断はできないけれど、積雪があるかどうかは客観的事実なので答えられる。その事実をもとに行けるかどうかを判断するのはあくまで本人。というか、本人あるいは近しい人にしかその判断はできない。


がしかし、客観的事実から登れるかどうかを判断できる人は、そもそもこういう質問をしないだろうという矛盾にいま気づきました。ならば百歩譲ってこう聞いてほしい。


「雪山経験○回で、これまで××山とか△△山などに登りました。それくらいの経験で今週末七ツ石山に登ることについてどう思われますか?」


これならば、質問というより相談といった類のことになるので、もう少し実のあることを答えられる余地はあります。


とはいえ、山小屋や雑誌編集部、山岳ガイドなどは発言に責任が伴う立場なので、会ったこともない人に対して確定的なことは言わないし言えません。そこはやっぱりお忘れなくとしかいいようがないモヤモヤした結論になってしまいましたがよろしくお願いします。



2019年2月26日火曜日

統計の読み方には注意しようという話


このような記事を目にしました。登山者が山でどんなカメラを使っているのかということなどを、山と溪谷社がアンケートで調べたというもの。私は登山も写真撮影もどちらも好きなので、これは興味深い。


内容を見てみると、意外な発見がけっこうあります。


たとえば、山でいちばんよく使われているのはコンパクトデジタルカメラだという(38%)。これは意外。いまや山でもスマホで撮影する人が多いだろうと思っていたのだけど、結果は違うようだ。ちなみにスマホの割合は24%で全体の2位。3位が一眼レフで22%。スマホと一眼の差がほとんどないのもびっくり。


撮影したデータの保管について、ダントツの1位(45%)が「パソコンに保存」というのもわりと驚き。みんな意外と几帳面なんだな。


あとは動画。「撮りたいと思わない」という人が45%もいることも、個人的な体感からすると予想外な結果でした。


がしかし、こういう統計とかアンケートって、結果だけ見てパッと判断するのは危険だと常々思っています。どういうアンケートが行なわれているのか、その背景もよく見て考えないと。


そこで目に付いたのが、アンケートの回答者でした。有効回答者数は3156人。これは十分な数といえるでしょう。


問題は性別と年代。男女比は81:19。男性が圧倒的でした。年代については、76%が50歳以上。つまり、このアンケートに答えた人の8割は50歳以上の男性といえるのです(厳密にはそうはいえないのだけど、まあざっくりと)。


登山者全体のなかで、50歳以上の男性が多いことは確かですが、それにしても8割はないでしょう。女性や50歳以下の男性ももっといるよ。


つまりこのアンケート結果は、50歳以上の男性登山者の実態を表したものとはいえるけれど、登山者全体の実態からするとそれなりにズレがあるんじゃないかと。私が「意外な発見」と感じたのは、そのズレのせいじゃないかと思ったのですが、どうなんでしょうかね!?





2019年2月7日木曜日

NumberWebで連載始めました

スマホアプリは山岳遭難の救世主?老舗『山と溪谷』も"推奨"に方針転換!(森山憲一)

登山とクライミングをテーマにしたコラム連載をNumberWebで始めることになりました。


基本的に1カ月に2回のペースで、登山ネタとクライミングネタを交互にやっていく予定です。Numberなのでスポーツ寄りのテーマが多めになるとは思いますが、初回からかなり山っぽいテーマなので、どうなるかは自分でもわかりません。クライミングは純粋スポーツクライミングからときにはアルパイン系ネタまで入ってくるんじゃないかと思います。


このブログでときたま書いていたオピニオンチックな話も、それなりに一般性をもつものはNumberで書くようにするかもしれません。逆にこのブログはNumberでは書けないようなマニアックな話を中心にしたいなと思っています。やたら突っ込んだ長文の道具レビューとか角幡唯介のおちんちんがどうしたとかいう話ですね笑


「こんなテーマ読みたい」などのリクエストがありましたら、コメントなどでお寄せください。ぜひ参考にさせていただきます。


よろしくどうぞ~


2019年1月30日水曜日

クライミングコンペ撮影の勘所










ふと思いついて、ツイートの転載という手抜きエントリーやってみました。すみません。

2019年1月3日木曜日

あけましておめでとうございます2019


昨年はあまりブログを更新できなかったので、今年はもうちょっと頑張りたいと思います。

(写真は丹沢の加入道山です)

2018年11月10日土曜日

角幡唯介、ノンフィクション本大賞受賞


ノンフィクション本大賞2018 - Yahoo!ニュース

角幡唯介が、Yahoo!ニュース本屋大賞「ノンフィクション本大賞」を受賞した。本屋大賞といえば、いまやある意味、芥川賞や直木賞よりも価値がある賞。今年から新設されたノンフィクション部門の大賞第一号が角幡というわけだ。私は角幡が書く文章の大ファンであるので、受賞はとても喜ばしい。


以前、このブログで角幡の文章の魅力について書いたことがある。そちらもぜひ読んでいただきたいのだが、じつは本当に読んでほしいのは、最後に紹介している角幡自身のブログの文章である(タイトルはここには記せない)。


『外道クライマー』書評




実際に会う角幡は、どちらかというと表情の変化がないほうで、しゃべりも訥々としており、あまり切れ者という印象がない。ところが著作から受けるイメージはキレキレであり、そのギャップにとまどう。どちらが角幡の真の姿なんだ。


7年前、角幡が2作目の著作『雪男は向こうからやって来た』を出したときに、『PEAKS』にその紹介記事を書いたことがある。これも角幡の人物と文章のギャップについて書いていた。この文章はいまでも自分的に気に入っていて、埋もれさせるにはもったいないので、PEAKS編集部の許可を得ずにここに再掲します。






<以下再掲>

 もう15年くらい前になるけれど、角幡唯介とクライミングに行ったことがある。先にばらしてしまえば、角幡は大学探検部で私の後輩にあたる。私はすでにOB、角幡は入部して間もないころで、岩場で会ったのが初対面だった。

 このときの印象は「野人のような男だな」という一点につきた。とにかく目つきが鋭い。いまよりやせていて顔つきももっとシャープだったと思う。そんなハングリーむき出しのような風貌が強く印象に残っている。

 そして日本語で会話をした記憶がない。憶えているのは、「ウオッ、ウオッ」という、うなるような相槌だけだ。それだけ聞くとほとんど類人猿のようで、本人には失礼な話だが、でも、自分にとってはそういう印象しかなかったのは本当なのだからしょうがない。

 その後は会う機会はほとんどなく、たまに人伝てに噂を聞く程度だった。しかし伝わってくる話は、やっている活動の内容にしても言動にしても、猪突猛進というイメージのものばかりで、私の第一印象を裏付けるだけだった。行動力は人一倍ありそうだけれど、知的なタイプではないのだろう。だからその後、上級生になってクラブのリーダーに就任したと聞いたときはちょっと意外に感じた。

 角幡は大学を卒業して朝日新聞の記者になった。これにはもっと驚かされた。当時の朝日新聞といえば、日本一入社するのが難しい会社のひとつだ。獣を思わせた肉体派の男が、いったいどうやって入ることができたのか。私にはわからなかった。

 角幡は、朝日新聞に入社する前、破天荒な人物として知られるあるクライマーと、登山経験皆無に近い女性歌手との3人で、ニューギニアまでヨットで渡り、ジャングルを踏破し、トリコーラという標高5000m近い山の北壁を初登攀するということをやっている。後年、ひょんなことからその女性歌手と知り合った私は、壮大な冒険行でありながら、どこか珍道中ともいえるその旅の実態を聞いたことがある。私にとっての角幡像は、エリート記者よりそちらのほうがしっくりくるものがあった。

 そして昨年の『空白の五マイル』である。それを読んで申し訳なく思った。こんなにも緻密で論理的な仕事ができる男だったとは。なにより、まったく非日常なテーマながら、ふつうの読者に刺さる言葉をきちんと選び出し、決してマニアに走らない。そのバランス感覚に本当に感心した。これは野人どころか、かなり頭がキレるやつでないとできない話だ。

 それは今回の本にも共通している。雪男がテーマというと、多くの人は「大丈夫か、こいつ?」と思うにちがいない。安心してほしい。角幡は雪男の信者ではない。むしろ懐疑的なスタンスだ。そんなものにどうしてこれだけ多くの人が惹かれ、人生をかけてまで探そうとするのか。それを元新聞記者らしい多面的な取材と人物描写で説いてくれている。

 昨年、穂高に行ったときに山中で偶然、再会した。久しぶりの角幡は、とてもやさしい笑顔を見せるようになっていて、もちろん日本語もしゃべっていた。しかし体は格闘家のようになっていた。「クマみたいだな」と思った。

 野人からクマ。格が上がったのか下がったのかわからないけれど、少なくとも野人イメージはもう消えた。だから許してくれ、角幡。

<PEAKS 2011年12月号 p.97より>








この『PEAKS』12月号、たまたま別の記事で角幡のインタビューが5ページにわたって掲載されています。当時角幡が住んでいた東長崎のボロアパートで取材が行なわれ、柏倉陽介が撮影した印象的な写真が使われています。そちらも注目です。





↑一瞬混乱するかもしれませんが、私のツイートではなく、ライターの森山「伸也」のツイートです(血縁関係はありません)。穂高で角幡に会ったとき、私はこの伸也くんと一緒だったのです。ちなみに、当該の号に載っているインタビューは伸也くんが書いているものではありません。彼によるインタビューはそれより前、2011年2月号に載っています。




なお、ニューギニア冒険の話は、この本に詳しいです。著者の峠恵子さんが件の「女性歌手」です。この本、冒険界きっての奇書といわれるくらいとんでもない本で、峠さん自身も相当ぶっとんでいます。本を読んでいると、3人のなかで角幡がいちばん常識的な人間に見えるくらいです。