2026年2月18日水曜日

山岳遭難救助は有料化するべきなのかそうでないのか

 

「遭難救助は税金のムダ」なんかじゃないと思うのだが

「山岳遭難救助に公金が使われるのはアンフェアなことではない」ということを主張した記事。

7年近くも前に書いた記事なのだけど、コメント数では当ブログ中屈指で、今でも定期的にコメントが付きます。

かなり鼻息荒めに書いており、今読むと雑だなと感じる部分もあります。その一方で、山岳遭難救助のあり方については、この記事を書いたとき以上に社会問題化しているというか、ホットなイシューになっているように思われるので、ここであらためて考えをまとめておきたいと考えました。



山岳遭難救助は有料化するべきかそうでないのか

遭難救助に関する問題はいろいろな側面が取り沙汰されているのですが、さしあたりここでは「救助の有料化」というテーマに絞って考えてみます。

7年前に記事を書いたときと比べると、「山岳遭難救助を有料化せよ」という声がかなり大きくなってきていると感じています。富士山周辺では、地元首長が有料化を主張するようにもなりました。SNSやネットニュースでそういう話を見聞きしたことのある人も多いことと思われます。

私自身の考えを言えば、有料化について反対ではありません。そのほうがいろいろすっきりすると思っています。

ただし、単純に有料化すればいいというものではない。そこにはクリアすべき課題や条件がいくつかある。そこをすっとばした議論は社会にとってむしろ有害である。という思いは7年前から変わっておりません。

それはどういうことなのか。以下、論点を整理してみたいと思います。



なぜ登山だけを有料にするのか

ひとつめの論点はこれです。

災害や火事などはもちろん、交通事故や海難事故なども含めて、人命が危機にさらされるような事故の救助活動は、消防などの公的な組織が行なっています。公的サービスなので無料で誰もが公平にその恩恵を受けられることになっています。

スキー場でスキーパトロールが救助に出動するなどしたときに費用が請求されることはありますが、それはあくまで民間の話。警察や消防の出動に費用が発生することはありません。

海難事故でも同様です。毎年、海のレジャーで1000人近くが遭難し、200人以上が死亡したり行方不明になっているそうですが、その救助には海上保安庁が出動します。そこに費用は発生しません(民間の漁船などに協力を仰いだ場合は有償となることもありますが)。

こうしたなかで、登山だけを有料化することは、公平性という観点からバランスを欠くことにならないか。たとえば、ドライブでの事故と登山での事故に本質的な違いはないはずですが、そこに差を付けるとすると、その理由は何か。

この問いは、有料化を検討するうえで核心となる論点です。というのは、救助の有料化は、言ってみれば「命に差を付ける」行為だからです。この判断は軽々にできるものではなくて、ものすごく慎重に考えなければいけないことのはず。実際、長野県や埼玉県で有料化が検討されたとき、このことは真っ先に議論となり、結局、ここを乗り越える理屈は立てられないまま終わっています。

山岳遭難の救助は一般に難易度が高いので、法律上の特例として有料化する――ということはあってもいいのではないかと個人的には考えていますが、それはあくまで私のふわっとした印象論。社会制度として実装していくためには、この論点について議論を重ね、明確な答えを出しておくことは必須と考えます。



どこからが山岳遭難で、どこまでが山岳遭難ではないのか

論点ふたつめ。これは意外と厄介な問題です。

警察庁の山岳遭難統計によれば、2024年1年間に3357人が遭難していますが、その内訳を見ると、明らかに登山といえるものは2676人。

残りの681人(全体の約2割)は、山菜・キノコ採り/観光/作業(林業などの山仕事とかでしょうか)/渓流釣り/山岳信仰、などとなっています。とりわけ山菜・キノコ採りは多く、毎年300人前後が遭難しています。

果たしてこれらは山岳遭難といえるのでしょうか?



もう少し具体的に考えてみましょう。

たとえば、自宅の裏山に散歩に出かけたところ、30分ほど歩いたところでケガして歩けなくなり、救助を頼むことになってしまった。これは山岳遭難?

あるいは、上高地などの山岳観光地に出かけた観光客が、遊歩道を歩いていたときに転倒して脚を骨折してしまった。こういう場合はどうする?

一方で、送電線の管理業務などでは、登山者でも行かないような山深い場所に入り込んで作業する人もいます。そこで事故が起こった場合は、普通の登山より難しい救助が要求されることも考えられます。これも山岳遭難と見なして費用を請求すべきでしょうか?

こういう判断に迷うグレーゾーンの事例はほかにも無数に存在します。それらはどう考えたらいいのでしょうか?



つまり、「山岳遭難を有料化する」には、「山岳遭難とは何か」ということを定義しないといけないのです。

これはきわめて難しいお題で、定義は不可能なんじゃないかと私は考えています。

唯一、可能性のある考え方としては、エリアを指定して、その内側で起こった事故はすべて山岳遭難とする、というやり方です。富士山など、ひとつの山限定で有料化を行なうのであれば、この手法は現実性が高いでしょう。2018年に埼玉県がヘリコプター救助を有料化しましたが、対象となる範囲はやはりエリアで指定しています

しかし全国など広い地域でこれを行なうとなると、すべての地域で指定エリアの細かな検討を重ねなければなりませんし、山はいつか開発されて山ではなくなってしまうこともあるので定期的な見直しも欠かせません。それだけの労力をかけるに値する話なのか? という疑問は拭えないところです。


*余談ですが、「山とは何か」を定義することはできないとされています。周囲と比べて相対的に高くなっているところを山と呼んでいるだけで、高さや傾斜などの絶対的な基準で決められるものではないからです。国土地理院でも「定義はしていません」としています。



本質的な話は以上です

山岳遭難救助有料化にあたって最も重要な論点は以上のふたつだと考えます。

ほかにも、法律的な整合性の問題とか(埼玉県がヘリコプター救助を有料化したときは、航空法がネックになって当初の案よりだいぶ縮小した条例にせざるを得なかったといいます)、クライミングと低山ハイキングを同条件で扱っていいのかとか、徴収の方法やそのコストはどうするとか、そもそも料金はどれくらいが妥当なのかとか、考えるべきポイントはいくつもありますが、それらは言ってみれば枝葉の問題。

「なぜ登山だけを有料にするのか」「どこからが山岳遭難で、どこまでが山岳遭難ではないのか」、このふたつが出発点であり、ここについて明確な答えを出してはじめて、議論は前に進めると思うのです。

この2条件をクリアにしないまま有料化の議論を進めると、話は登山以外にも無制限に波及していく可能性があります。「海水浴の救助は有料」「釣りの事故での救助は有料」「僻地での救助は全部有料」などなど……。

「なぜ登山だけを有料にするのか」ということに明確に答えられなければ、「なぜ海水浴は有料じゃないのか」ということにも答えられないはず。今は海難事故は山岳遭難ほど問題になっていないので問われないだけで、何かあれば「海の救助も有料化せよ」という意見が出てきてもまったくおかしくありません。それは海だけでなく、他の救助についても同様です。

そんなカオスが果たして社会にとって幸せなことなのだろうか――というのが、「そこをすっとばした議論は社会にとってむしろ有害」と冒頭に記した意図であります。

「なぜ登山だけを有料にするのか」
「どこからが山岳遭難で、どこまでが山岳遭難ではないのか」

簡単に答えを出せるものではないけれど、この2点は避けて通れない重要な問いだと考えています。



海外ではどうしているのか

さて、以下に書くことは本質論ではないのですが、最近よく耳にする論点なのでふれておきます。「国際標準に合わせよ」という話で、おそらくは、登山家の野口健さんの主張が発端になっているのだと思われます。

たとえばこういう意見。

ネパール(ヒマラヤ)では山岳救助に警察なり軍のヘリが飛ぶというのは基本なし。全て民間ヘリなので原則自己負担。故に山岳保険に必ず入ってからヒマラヤ入り。手配をしてくれる現地のエージェントも入山許可書の手続きの際に必ずと言っていい程、山岳保険に入っているかどうか確認が入ります。 
<中略> 
富士山に限っては国際的なルールに基づいて管理すべき。国も山梨、静岡両県に押し付けるのではなく、国が中心になって両県と連携しながら迅速に新ルールを作成して頂きたい。


野口さんは「国際的なルール」と言っていますが、実は救助費用自己負担は国際的ルールではありません。むしろどちらかというと逆で、無償のほうが世界的には標準といえます。ネパールはかなり特殊な例なのです。というのは、ネパールの山岳救助はヒマラヤ登山をする人たちが前提だから。

もっと一般的な普通の登山者を対象とした遭難救助は無償で行なう国が主流です。たとえば、アメリカやカナダ、イギリスやフランス、ニュージーランドなどは無償が原則です。アジアでは韓国や台湾でも無償です。
*アメリカは州によってルールが異なったり、他の国でも条件によっては有料になったりする場合もあります。


これら登山の歴史が長い国でなぜ無償になっているのか。おそらくは「金銭その他で扱いに差を付けてはいけない」という人命救助の原則論に則っているのではないかと想像しますが、何かほかにも理由があるのかもしれない。私も詳しいことは知らないのですが、ここには、有料化を議論する際に学ぶべきポイントがいくつもあるように思えます。

ただし近年、これらの国でも山岳救助を有料化すべしという声が大きくなってきているようです。私が見聞きしたところでは、フランス、アメリカ、台湾でそういう議論がなされていました。その理由は日本とほぼ同じで、遭難救助が人的・費用的に地元の負担になっているからというもの。これが一時的な声なのか、それとも今後、制度として定着していく動きなのかはまだわかりませんが、動向は注目しておく価値がありそうです。



以下は私見

救助有料化に私は反対ではないと書きましたが、これは私だけではなく、90年代以前から登山をやっていた人は同意する人が少なくないとも思っています。

というのは、昔の山岳救助は実質有料だったから。警察や消防の公的な救助体制が今ほど整っておらず、地元の民間救助隊やヘリ会社が出動するケースが多かったためです。

救助を頼んだら高額出費になるという意識は現在より強くあり、「遭難すると家を売らないといけなくなる」なんてことも話半分ながら言われていました。そのため山岳保険に必ず入っていたし、多少の事故ならば可能なかぎり自力で下山するという意識が当たり前でした。そもそも、携帯電話がなかったため、救助を呼ぶこと自体がかなり困難だったのです。

当時を知っている身からすれば、現在の遭難救助環境は便利で恵まれすぎている……という意識もあります。それが有料化されたところで、昔に戻るだけと思えるので、有料化しても別にいいんじゃないかと考えられるわけです。


とはいえ、そんな時代を知らない登山者にとっては、救助の有料化はかなり抵抗を感じる話でしょう。「なんで登山だけ」と思ってしまうのも無理ないなと思うのです。

一方で、難易度の高い山岳救助を無料で利用し放題という現状が、このままでいいのかという意見も理解できます。


個人的には、理想はスイスのやり方かなと考えています。スイスではREGAという非営利組織が山岳救助を担っていて、年間8000円ほどの会費を払えば、無料でレスキューを受けられる体制になっているそうです。

興味深いのは、このREGAは山岳救助専門の団体ではないところ。病人や怪我人を搬送するドクターヘリの役割も担っており、災害時などにも出動し、要するに、緊急搬送や救助が必要な案件には理由を問わず出動する組織なのです。

スイスではほぼ社会インフラとして定着しているそうで、国民の4割が加入しているといいます。それだけの巨大組織であるので、資金・人材・機材は潤沢で、山岳レスキューにおいても非常に高い技術を持っているそうです。

こういう組織が日本にもあったら、私は今すぐにでも加入したい。そう思う登山者は私だけじゃないんじゃないでしょうか。道のりは遠いと思うけど、そんな体制になったらいいなあ……と思うのです。







2025年6月23日月曜日

高尾山の遭難は国内屈指なのか←違うと思う



朝日新聞がこのような記事を出していた。高尾山の遭難が富士山や穂高より多いのはなぜか、というところに着目したものである。

しかしこれは当然の話。なにしろ高尾山の年間入山者数は300万人ほどと言われている。それに対して富士山は20万人。穂高は正確な統計がないので不明だが、長野県と岐阜県の調査によると、10万人~20万人の間くらいだと思われる。

いくら高尾山が初心者向けの山とはいっても、10倍以上の数が登っていれば、そりゃあ遭難者の数も多くなるでしょう。

それ以外の理由があるのかと思って記事を読んでみたところ、案の定なにもなかった。

「初心者向けの山として知られている高尾山でも年間131人もの遭難が起こっている」という注意喚起としての意味はあるかもしれないが、それならば書き方はもう少し違うものになるべき。現状では要らぬ誤解を生む記事になってしまっていると思う。

この記事の元ネタとなった警察庁の遭難統計レポートを見ると、高尾山、富士山、穂高連峰がピックアップされて、それぞれの遭難者数が記されているページがある。ここを見て「えっ! 高尾山の遭難者数は富士山や穂高より多いのか!!」と記者が早合点して、こういう記事を書いてしまったのではないかと想像される。



試しに、入山者数に対しての遭難者数の割合を出してみると以下のようになった。

高尾山:2万3000人に1人

富士山:2400人に1人

穂高連峰:2300人に1人


記事を書くなら、こういう数字も念頭に置きつつ、高尾山の遭難について考えるものにしないと意味ある記事にならないんじゃないか。



ちなみにふと思いついたので、ディズニーリゾート(ディズニーランド+ディズニーシー)についても調べてみた。

年間入場者数:約2756万人

年間救急出動件数:1760件*

*ディズニーリゾートがある千葉県舞浜地区の2023年度救急出動件数は1955件。その9割がディズニーリゾートだと推計されている


これを上と同様に割合にしてみると

ディズニーリゾート:1万5660人に1人


かなり大ざっぱな計算だし、山の事故とディズニーランドの救急案件を同列に比べるものでもないけれど、そんなところを差し引いたとしても、高尾山の危険性はそんなに煽るもんじゃないということは言えるのではないだろうか。



▲高尾山の入口となる清滝駅



2024年9月22日日曜日

野口健「シナ発言」についての私的解説


ツイッターでちょっとした炎上を引き起こしてタイムラインをお騒がせしてしまいました。「あなたは言葉が足りないところがある」と妻に言われ、確かにそういう部分はあるかもしれないと思ったので、発言の補足および、これを機会にポリシーについても説明しておこうと思います。



普段SNSでは政治や社会の問題に口を出すことはないのですが、それがなぜ、野口健さんの投稿に異を唱えたかというと、理由がふたつあります。


1)野口さんは世間では登山家を代表する存在と見なされているため

2)投稿内容が一線を超えていると思われたため


同じ投稿内容でも、投稿者が登山とは関係ない人だったら、私が口を出すことはありませんでした。しかし野口さんは日本で最も知名度の高い「登山家」といえます。であれば、登山界側からの異論も必要だと考えました。


野口さんは中国での児童殺害事件について、「シナの大使を国外追放すべき」と発言しています。もちろん事件は痛ましくひどいものです。しかしそれを非難するために「シナ」という言葉を使う必要は全くないでしょう。必要ないどころか、悪感情を無駄に煽って害悪ですらあります。そこが一線を超えたと判断した部分です。


今アメリカでは、SNSの暴走によって民衆の分断と過激化が進み、現実の殺人事件にまで発展する抜き差しならない事態に陥っているといいます。一連の中国の事件も、SNSの過激化による影響が考えられるという説を目にしました。こうしたところには、過剰な言葉で人の感情を過度に煽る悪質なアジテーターがいます。野口さんはそれになりたいのでしょうか?


他人の不幸に便乗して自分の思想を主張したり利得を企んだりする人を私はとりわけ軽蔑しています。最低の行為だと考えます。野口さんが使った「シナ」という言葉にはそれを感じました。だから私は「最低発言」だと表現しました。なぜ普通に「中国大使を国外追放すべき」と書かなかったのか。それでもかなり強い言葉ですが、そのレベルに留まっていれば、私は一線を超えたとまでは思わなかったはずです。


もし野口さんが、事件のあまりのひどさに激しい怒りを抱き、つい侮蔑的表現を口走ってしまったというのなら、まだ理解できる部分もありました。ところがそのすぐ後に野口さんは、ネパールでの家族旅行のほのぼのとしたツイートをしているのです。なんなんですかその軽さは。侮蔑的表現を使うに値する強い思いがあったわけではないんだなと判断するしかないではありませんか。


野口さんが普段から右寄りというか愛国的な思想を持っていることは知っています。そこは私が口を出す筋合いのものではないし、問題あることとも思いません。ただしそれは正しく主張していただきたい。侮蔑や差別になってしまっては非難されて当然だと考えます。




ちなみに私自身は明確な政治的思想を持っているわけではなく、ほぼ中道でどちらかというと左寄りというところだと思います。支持政党は特になく、選挙のたびに政党関係なくよさそうな人に入れています。最近では国民民主党の主張が自分の考えに近いところが多いかなという感じでしょうか。


何事も事案ごとに是々非々で判断するのが好きなので、私の言動には一貫性がなく、わかりにくく見えることがあるかもしれません。実際、私の過去ツイートや書いた記事では、野口さんについて擁護したり支持したりしているものもあります。それがなぜ突然批判するのか。そういうところが外部的にはわかりづらく映るかもしれないという自覚もあります。


私は誰かを批判的に語るときは、その人格と発言を意識的に区別するようにしています。これは言論では基本作法ですが、世間一般的には人格と発言をまぜこぜで語られがちです。だから私が野口さんの発言を支持すると「森山は野口派なんだな」ととらえられたり、逆に批判すると「アンチ野口なんですね」と言われたりする。いや、場合によってどっちもあるんですよ。


今回の一件で評価はだいぶ下がったものの、野口健という人物自体に私は特に悪感情を抱いてはおりません。同意できる意見や評価できる部分があることも事実で、今でも全否定するつもりはありません。しかし野口さんが9月19日9時14分に行なった発言は間違いなく最低である。ここははっきりさせておきたい。


こうした私の態度はわかりにくいものなのかもしれないけれど、そもそも世の中や人間ってそんなに一面的に判断できるものではないでしょう。簡単に決めつけてしまうから過激化するんだよ。ということも私にとっては大きなテーマなので、この機会に主張しておきたいところです。




以降はある程度余談ですが、炎上中、サヨク呼ばわりされたことは不愉快でした。右翼の野口さんを批判するのなら左翼。そういう単純なものの見方はやめてほしい。私は党派制でしかものを考えられない偏った思想が嫌いなだけ。言ってみれば「反偏」。強いて言えばそれが自分の思想ということになるのかもしれない。


たとえば、よく投げつけられた言葉に「青木理の劣等民族発言についてもコメントをどうぞ」というものがありました。これは私を左翼だと決めつけての嫌がらせなのだと思いますが、それに答えるとすると「青木理の劣等民族発言は最低である」となります。このニュースを聞いたときは、言論人として終わってるなと感じました。これは野口さんのシナ発言に匹敵する最低発言だと考えています。


ただしこれも野口さんと同じで、青木さんを全否定するつもりはありません。青木さんの過去の仕事には、今でもよく覚えているほど素晴らしいものもありました。今後、青木さんが劣等民族的な言動を繰り返して、過去の貯金を失ってしまったら全否定に至ることもあると思いますが、それまでは是々非々です。人間ってそういうものでしょう!?





2024年8月27日火曜日

統計から考える高齢登山者のリスク

 

こんなツイートをした。


死亡・行方不明者は50歳以上だけで83%を占める、高齢登山者のリスクは顕著に高いということがいえそうなので、高齢登山者への安全啓発が必要なのではないか……ということを続けて書いている。


これが思いのほか拡散され、多くのご指摘・ご意見をいただいた。いわく「高齢登山者の数が多いだけなのではないか」「高齢者には山菜採りの事故が含まれているのではないか」「遭難率としては若者のほうが高いのではないか」などなど……。


書いたことはジャストアイデアもしくは仮説のようなことで、厳密に詰めて考えたものではなかったのだが、これだけ拡散されると、もう少しちゃんと考えないといけないなと思った。


そのなかで最重要な検討事項は「高齢登山者の数が多いだけなのではないか」ということ。高齢登山者の数が多ければ、それに比例して死亡・行方不明などの事故数が増えるのも当然……というわけだ。そこはわかっていたのだが、全登山者の年齢別人口のデータを持っていなかったので、自分の印象を書くにとどめていた(50歳以上の登山者が5割、それ以下が5割と見積もった)。


そうしたら、いただいたリプライのなかで、総務省統計局の統計を教えてくれた方がいた。私は登山者人口のデータというとレジャー白書のものくらいしか知らなかったのだが、統計局の統計を見ると、かなり細かく登山者のデータをとっている。そこには年齢別データもあった。


そこで、この統計(令和3年社会生活基本調査)を使って、さらなる検討を加えてみることにした。その結果が以下である。




登山者人口は860万人!


統計局の調査によれば、登山者の全人口は約860万人。レジャー白書では500万人ほどになっているので、ずいぶん多い印象だ。年齢別に見ると、以下のようになる。


10代:75万人

20代:105万人

30代:120万人

40代:170万人

50代:156万人

60代:126万人

70代:92万人

80代以上:17万人

総数:861万人


50歳未満が470万人で約55%、50歳以上が391万人で約45%。おお、自分の見積もりはいい線突いていたじゃないかと悦に入ることができた。


これを割合(%)表示にして、死亡・行方不明者の割合と比較するとこうなる。


10代:8.8%(死亡・行方不明者0.9%)

20代:12.2%(同2.5%)

30代:13.9%(同4.5%)

40代:19.7%(同8.8%)

50代:18.1%(同13.7%)

60代:14.6%(同26.9%)

70代:10.7%(同30.2%)

80代以上:2%(同12.4%)


20代から70代まで年代別の人口比はほぼ均等に10%台に収まっているのに対して、死亡・行方不明者の割合は60代・70代で顕著に跳ね上がっている。やはり高齢登山者は危険度が高い……といえそうなのだが、総務省の統計には他にも興味深いデータがあった。それは1年間の登山日数だ。



高齢者は山行日数が多い


統計では、1年間に何日登山に行ったかということまで調べていた。1年に1~4日/5~9日/10~19日/20~39日/40~99日/100~199日/200日以上の7段階に分け、それぞれ年齢別に数を出している。


これを見ると、高齢者、とくに60代と70代は他の年代に比べて山行日数が多い人が多い。年に1~4日という人の数は、50歳未満:50歳以上が6:4の割合なのだが、5~9日になると5:5になり、20~39日は1:3、200日以上で3:7となる。高齢者はよく山に行っているという傾向が明らかだ。


年に1日しか山に行かない人と100日行く人では、後者のほうが、1年のうちに事故に遭う可能性が高いことは自明。となると、山行日数と死亡・行方不明者数を比べるのが最もフェアといえるだろう。


そこで、年代別に1年間の山行日数を計算してみた(統計では1~4日などと幅があるので、間の数字をとって計算)。その結果得られた、1人あたりの年間平均山行日数が以下である。


10代:5.6日

20代:4.6日

30代:5.9日

40代:6.0日

50代:7.6日

60代:10.5日

70代:15.1日

80代以上:11.5日


こうしてみると、60代以上の山行日数が顕著に多くなっていることがはっきりする。


さらに、のべ山行日数を年代別に出し、そのボリュームを%で表示すると以下のようになる。


10代:6.3%

20代:7.1%

30代:10.5%

40代:15.3%

50代:17.6%

60代:19.8%

70代:20.6%

80代以上:2.8%


総人口では50歳未満:50歳以上=55:45だったが、総山行日数では40:60と逆転する結果になった。


最後に、これに死亡・行方不明者の割合を合わせてみよう。


10代:6.3%(死亡・行方不明者0.9%)

20代:7.1%(同2.5%)

30代:10.5%(同4.5%)

40代:15.3%(同8.8%)

50代:17.6%(同13.7%)

60代:19.8%(同26.9%)

70代:20.6%(同30.2%)

80代以上:2.8%(同12.4%)


単純な総人口と比べたものからは少し差が縮まった印象だ。


ということで、登山者数と山行日数をかけあわせて改めて検討した結果としては;

高齢登山者は他年代より山に行く回数が多いので、それにともなって事故数も増える

・ただし、高齢登山者が若年登山者と比べて危険度が高いことは間違いない

――ということがいえるように思う。



統計疲れましたが面白いです


数字ばかり扱ってきて疲れた。頭パンクしそう。もし計算が間違っていたり数字の解釈がおかしかったりする箇所があったら、コメント欄で教えていただけると幸いです。


統計局のデータ、仔細に見るとなかなか面白いです。1年に200日以上も山に行く75~79歳が5000人もいることなどがわかります。六甲山で毎日登山している人などでしょうかね。


それから、年に1回でも登山にいけばこの統計にカウントされるので、友人や家族に連れられてたまたま1回行っただけとか、学校登山とか会社の合宿とかの人も入っていると思われます。それに対して、年に5~9日以上行っている人は主体的に登山を楽しんでいる、いわゆる登山愛好家といえる層になると思います。その人たちの数は約257万人。実態的な意味での「登山者数」はこちらの数字になるんじゃないか……なんてこともわかります。


あと、登山だけでなくていろいろなスポーツについて同様な統計をとっていて、そのなかにはクライミングもあります。「登山系」という名称になっていて、キャニオニングやシャワークライミング(沢登り?)などと合算されていますが、その総人口は約10万人になっています。インドアクライミングの人口は50万人といわれることも多いので、ちょっとこの10万人という数字は少なくないか?と疑問が湧きますが、どうなんでしょうかね。


ちなみに基にしたデータは以下からとりました。統計局の統計はエクセルデータをダウンロードしないと見られず、しかも大した説明もないので最初は面食らいますが、根気よく探せばわかると思います。


e-Stat 令和3年社会生活基本調査


警察庁 山岳遭難・水難



2024年8月23日金曜日

「遭難したときに家族はどう動くべきかマニュアル」を作ろう


先日、このようなツイートを見かけました。私もこういうものを作らねば作らねばと思いつつ、面倒でずっと放置してしまっていたので、これを機会に自分用の「遭難したときに家族はどう動くべきかマニュアル」を作りました。


以下がその内容です。


「『山で遭難したときの対応マニュアル』のイメージ画像を生成してください」とGrokに指令したところ出てきた画像



遭難したときの対応マニュアル

1) 帰宅予定日の翌日13時になっても何の連絡もない場合、遭難したと見なしてください


2) まずはメールで送ったコンパスの登山届を開いてください

  

3) 居場所確認アプリ(いまココ)を開いて、居場所を確認してください

  

4) 同行者がいる場合は、同行者本人もしくは同行者の緊急連絡先に電話して、状況を確認してください(連絡先は登山届に書いてあります)

  

5) 同行者に連絡がつかない、もしくは状況が確認できない場合は、110番に電話して「夫が山で遭難したようだ」と伝えてください

  

6) 単独の場合は、4)5)を省略して110番に電話してください

  

7) 行方がわからない場合は、110番に連絡後、ココヘリにも電話してください

  TEL.XX-XXXX-XXXX 

  ココヘリID:XXXXXX-XXX/パスワード:XXXXXXXX

  

8) 警察等から費用的なことを聞かれたら「問題ないのですべてお願いします」と答えてください

  

9) 以降は、警察の指示に従ってください

  

 【憲一は以下の保険に入っています】

■XXXXXXXXX……救援者費用XXX万円補償 (会員番号:XXXXXXXX)

■XXXXXXXXX……生命保険・傷害保険 (証券番号:XXXXXXXXX)



以下、内容を解説します。


1)遭難と見なす条件を(時間等で)明確に示しておくこと。これはとても重要です。「連絡がなかったら遭難したと思ってくれ」などと伝えていたとしても、それは連絡がつかなくなってから何時間後にそう判断すればよいのか。家族(特に登山を知らない人)には判断できないからです。

この項目に限らず、家族に考えさせないように、できるだけ具体的かつシンプルに記すことが大切だと考えています。なにしろ緊急事態なわけです。冷静に頭が働くことは期待できません。家族が登山を知っている人ならば、ある程度考えることもできますが、そうでないならば、やるべきことなどまったく思い浮かばないはずなのです。

注意点としては、日時の設定。私は「帰宅予定日の翌日13時」をタイムリミットに設定しましたが、ここは各人の事情に応じてよく考えて決める必要があります。

早期の救助を期待するならば早いほうがいいわけですが、あまり早くしすぎると、電話ができないエリアにいて下山が遅れているだけなのに、捜索隊が動き出してしまうことが考えられます。

私の場合、携帯圏外でビバークになってしまって、翌朝動き出して通話圏内に入ってから家族に連絡をする……というパターンが考えられます。この場合、リミットを8時くらいに設定してしまうと早すぎると考えました。そこで少し余裕をもたせて13時としています。

昔はもっと遅く設定していました(帰宅予定日の翌日23時くらい)。しかし携帯通話範囲が広がった現在、半日行動しても通話圏内に入らないケースは多くないと思うので少し早めました。



2)3)7)は、あくまで「私の場合」です。登山アプリや捜索サービスを使っていない人はここは不要になります。

いずれにしても、登山計画書を家族や知人に渡していくのは必須。これが救援・捜索のすべての手がかりになるので。もちろん紙のメモなどでもOKです。

ちなみに、他者や110番に連絡する前に2)3)を行なうようにしているのは、登山の情報がある程度頭に入っていないと、人と話すときに要領を得ないおそれがあるからです。たとえば警察に「ご主人はどういうルートで登る予定でしたか?」と聞かれても、その情報がまったく頭に入っていなければ、その場で計画書をガサガサ探すことになり、お互いに無駄な時間を消費することになってしまうわけです。



4)5)6)は、ほとんどの人・ケースで共通でよいと思います。

通報先は私は110番にしています。119番にも通報すべしという人もおりますが、やることを増やすと素人の家族が混乱するので、できるだけシンプルにしています。

細かいことをいえば、「同行者本人もしくは同行者の緊急連絡先に電話」という部分にも意図があります。「同行者本人もしくは同行者の緊急連絡先に連絡してください」という文面だと、家族は「連絡? えーっと……どうやって連絡すればいいんだ?」などと思ってLINEやメールアドレスを探してしまったりすることもあり得ます。そんなこと……と思うなかれ。緊急事態に陥った人は本当に頭が働かないものなのです(経験あり)。

やるべきことは可能なかぎり具体的に記す。書いてあることを考えずにそのまま実行すればOKというマニュアルが理想です。



8)は、警察から「民間の救助隊に救援をお願いしようと思いますがいいですか」などと聞かれた場合のためです。

これは費用が発生することを意味するわけですが、登山をしない人はそれがいったいいくらくらいになるものなのか見当もつきません。いくらかかっても助けてほしいという気持ちはありながら、あとで何千万円と請求されたらどうしようという思いが頭をよぎることもあるでしょう。そういう余計な迷いや心配を家族に与えないように「すべて問題なし」と答えよ、としています。私の場合、山岳保険やココヘリで救助費用はカバーできるようにしてあるので、実際問題ないわけです(保険に入っていない人はこの限りではないけれど)。



最後に、自分が入っている保険の情報を加えておきました。死んだり意識不明になってしまった場合、家族が必要な情報だからです。これは山岳保険だけではなく、一般の生命保険などの情報も同様。



さらに。

マニュアルを作った後、家族(マニュアルをわたしておく人)に一度見せることを強くおすすめします。すると、「これは何?」とか「このときはどうすればいい?」などの疑問が出てくると思います。そこはまさに、家族が判断できずに迷うポイントになってしまっているはずです。このフィードバックをもとに修正しておくことをぜひおすすめします。



これ作ろうとして気づいたのですが、手本にできるような既存のマニュアルがほとんどありません。考えてみたら、登山雑誌などで「遭難したときに家族はどう動けばいいか」というテーマで作られた記事を読んだ記憶もありません。

「登山計画書の作り方」は既存のひな形がいくらでもあるし、それをテーマに書かれた記事は山のようにありますが、「家族がどうしたらよいか」という知識・ノウハウはほとんど積み重ねられてきていないのです。

ですがこれ、登山計画書を作ることに匹敵するくらい大切なことなんじゃないでしょうか。登山界はなぜここに注目してこなかったのか。自分でも不思議に思うくらい、重要情報のエアポケットがここに発生してしまっているように感じました。

私が作ったマニュアルも、お手本なしにイチから考えて作ったものです。なので見落としや改善点があるかもしれません。もし何か気づくことやアイデアがあったら、コメント欄で教えていただけると嬉しいです。

私のマニュアルをコピペなりして活用もジャンジャンしていただいてかまいません。運用するなかで気づいたことなどがあれば、それもまたコメント欄に書き込んでいただけると幸いです。

 

2024年4月5日金曜日

YouTubeの遭難チャンネルが最悪だ



遭難をテーマにしたYouTubeチャンネルについてこんなツイートをしたところ、「何が悪いのかわからない」という意見を散見しました。


そこで以下、この手のチャンネルの問題について説明してみます。



人の不幸を金儲けの道具に使うな

まず、遭難した人の遺族や知人はとても悲しく苦しい思いを抱えています。そのときに、軽薄なエンタメもしくは小銭稼ぎの道具として故人が使われているコンテンツを目にしたらどう思うでしょう? 私ならころしてやりたいほどの怒りを覚えます。それがこうしたコンテンツがダメである第一の理由です。




3番目は私の知人です。マジで腹立ちました


「本チャンネルは過去の事例を知り、再発防止に役立てていただくことを目的としております。事故の関係者を冒涜、侮辱するといった意図は一切ございません」


という断り書き(言い訳)を入れているところも多いですが、こんなサムネイル作っておいてそれは通らないですよ。



ここまで読んでそれでも問題があると思えない人は、以下を読んでも意味がないと思うのでここで離脱してください。



写真や動画を盗用するな

次に、写真や動画の盗用です。サムネイルや動画内で他人の写真や動画を無断で使っているのが目立ちます。これは私自身がされたことがありますし、同様の経験をもつ知人も何人かいます。


たとえばこれは私の知っている人で、動画の内容とは全く関係なく勝手に顔写真を使われています


ただし最近はAI画像を利用することが多く、盗用は少数派になってきているようです。盗用をすると通報されてチャンネルBANのリスクがあるため、対策しているということなのでしょうか。必要な写真を探して盗用するよりAIに作らせたほうが簡単ですしね。



動画やるならちゃんと調べろ

ダメな理由3番目は、内容が不正確であることです。ここはチャンネルによって差があるので一概にはいえませんが、登山をほとんど知らない人が作っていると思われるものもあります。


たとえばピッケルについて説明しているときにこんな画像を載せるんですよ。これはツルハシだっつーの!






最低チャンネル増殖の背景

ところで今回、この手の遭難チャンネルについて少し調べてみたところ、いくつか興味深いことがわかりました。


私が見つけただけでも20個くらいの遭難チャンネルが存在するのですが、そのほとんどは2023年9月以降に始まっています。そしてそのどれもが動画の構成がほぼ同じです。AI画像もしくはイラストを使って画面を構成し、ナレーションソフトが台本を読み上げるというもの。


この界隈ではどうもこのチャンネルが一番老舗かつ大手のようですが、他のチャンネルはこれの作りをパクっているようです。

山岳遭難ファイル

ちなみにこのチャンネルは比較的まともでした。見るならこのチャンネルがよいと思われます。他のチャンネルはどうせこれの劣化コピーだし。



逆に私が見たなかで一番タチが悪いと感じたのがこのチャンネルです。サムネイルが最悪なうえにけっこう再生回数が回っていて、悪影響が大きいと思われます。

生きて山から帰るには【山岳遭難解説】



調べている過程でこんなのも発見しました。サイトの売買を仲介するサイトで、遭難チャンネルが売りに出されています。チャンネルを作ってある程度軌道に乗せたところで売って利益を得るビジネスモデルなのでしょうか。昨年9月以降に急増した裏にはこういう仕組みがあるのかもしれません。



売られていたチャンネルはおそらくこれです。

登山者の教訓【山岳遭難事故に学ぶ】




これらは登山を歪める社会悪である

さて、以下に書くことは私の印象ですが、こういう動画を楽しんで見ているのは、登山をやらない人にこそ多いように感じました。登山の知識がない人にこういう動画が大量に見られてしまうのは社会的悪影響が大きいように思うのですがどうでしょうか。


だって、

・無駄に恐怖やミスのみをあおり

・内容の正確性は担保されず

・ノーチェックコピーで大量生産される


こういう動画なわけです。そこに理念なんかなく、自身の小遣い稼ぎ目的があるだけです。そんなものから有益な学びなんか得られるわけないでしょ。むしろ悪影響のほうが深刻ですよ。


これを書くために見ているだけでうんざりでしたが、こういう最悪文化がこれ以上はびこることのないように私自身注視していこうと思うし、自分にできることを考えていこうと思います。



*掲載したサムネイル画像は本来なら出典を記すことが引用の必要条件ですが、PVを送るのが不愉快なのであえて記しません



【付録】最悪チャンネルの見分け方

遭難系YouTube、避けたほうがよいチャンネルを見分ける指標を発見したので共有します。以下の3つにひとつでも当てはまるチャンネルは要注意。3つがそろっているところは最悪レベル確定です。


1)サムネイル画像の煽りがひどい

ここは主観判断になりますが、刺激性を過度に高めたサムネイルにしているところはインチキ度が高いです。

・ボカシの入った顔写真

・「大丈夫っしょ♪」など当事者の言葉を捏造

・「遺体」「腐乱」などショッキングなワード

これらの有無が刺激性の判定ポイントです。


2)動画公開頻度が高い

1カ月に4本以上動画を公開しているチャンネルは、クラウドソーシングなどで外注して品質無視の大量生産をしている可能性が高いです。


3)参考文献が記されていない

動画の概要欄に、どの資料を参考にしたのか書いていないチャンネルはアウト。資料名を具体的に記していないところは真面目に動画制作をしていないと見なしてよいと思います。

*「複数のニュース記事を参考にしています」などの具体性がない文はダメ



【追記1】

「デイリー新潮」に関連記事を書きました

故人を冒涜する「遭難系YouTube」が人気 登山ライターの怒りと警鐘(全文) | デイリー新潮


【追記2】

こちらは遭難チャンネルの問題点についてわかりやすく面白く説明してくれています。必見です。







【追記3】

かなりニュートラルなスタンスで遭難動画について解説した動画。


2023年10月2日月曜日

北アルプス不帰の道迷い事故を現場検証してみる

北アルプスの不帰で、行方不明になっていた登山者が8日ぶりに救助されたというニュースがありました。


この事故について、以前に現場周辺のパトロールをやっていた方が事故原因についての考察を書いていました。


不帰ノ儉付近で道迷い遭難に陥った登山者が8日ぶりに救出される - 豊後ピートのブログ


これを読んだ4日後にちょうど現場を通る予定があったので実地に確かめてみました。結果としては、道迷いの現場はブログに書かれていた所でほぼ間違いないだろうという感想でした。




まず、天狗ノ頭から下ってきて、この場所に突き当たったら要注意。天狗ノ大下りが始まる部分で、鎖場になっています。





登山道は青線のように続いていますが、赤線ルートにもけっこう明瞭な踏み跡があります。どちらもすぐに合流するので大差はありません。





問題はその合流部分。上の写真がその合流地点ですが、豊後ピートさんのブログに書かれていたとおり、写真右方向のガレた沢状を下っていってしまうおそれはあるなと感じました。





こんな感じ。赤線を下ってしまうとガレ沢に入り込んでしまうというわけです。正しい青線の道は一段上がっていて、足元ばかり見て歩いていると見落とすことは十分ありそうだなと感じました。


このへんは動画のほうがわかりやすいと思うので、以下を参照ください。






豊後ピートさんのブログでは、「沢方向に鎖が延びている」ということが書かれていましたが、現在は短く処理されていたので誤誘導のおそれはないと思います。ただし同ブログで言及されていた「グリーンロープ」はなくなっていました。


と思ったら、横にこんな残骸が。落石か積雪などで切れてしまったのだと思われます。これが残っていれば、間違って沢方向に下りていってしまうおそれは激減すると思うのだけど。



間違った沢方向にも少し下りてみましたが、ガレガレで荒れていて、とても北アルプスの登山道とは思えない状態です。間違って踏み込んだとしてもほとんどのケースではすぐ気づいて戻ることができるでしょう。道迷い箇所としての難易度は高くありません。


ただし、ガスで視界がほとんどきかないとか、強風大雨で余裕がないとか、疲れきっていてやはり余裕がないとか、あるいは足元しか見ていないとか、そういう悪条件が重なると今回の道迷いのような泥沼に入り込んでしまうこともあるのかもしれません。



登山道が突然不明瞭になったら立ち止まれ

結局、これに尽きるのでしょう。登山道が突然不明瞭になったり荒れたりしたら、絶対に何かあります。立ち止まって周囲を見回して、場合によっては地図やコンパスを確認したら、たいていは間違いに気づくことができるはず。そして立ち止まるのは早いほどよい。なにか変だなと感じたままズルズル歩き続けてしまうと傷を深くするというわけです。


以上であります。さすが元パトロールの方。考察はドンピシャで当たっていたという感じでした。




*この事故の実際の救助のようすが富山県警の公式チャンネルで公開されています



*この遭難の再現映像かと思うほど同じような道迷いをした方の動画。ものすごくリアルで必見

2023年9月2日土曜日

先鋭登山をわかりやすく伝えるのは難しいことなのである


「登山は基本的に自己満足の世界」...それでもなぜ、一流クライマーによる"疑惑の登山"はなくならないのか? | 山はおそろしい | 文春オンライン


 「登山家と嘘」というテーマでインタビューされました。


このなかで、インタビューアーの中村計さんがこんなことを語っています。


現代の先鋭的登山を書くときの最大の壁は、その挑戦がいかに大変かを一般読者に伝えることがとてつもなく難しいということだと思うんです。


これはまったくそのとおりであって、これまで私も、どうしたら伝わるのだろうかといろいろ模索してきました。


模索の結果、私が多用しているのは、野球や格闘技などのスポーツに例えるという手法。たとえば栗城史多さんについて書いた記事では、栗城さんを「大学野球の平均的選手」に例え、栗城さんが目指していたエベレスト北壁を「メジャーリーグ」とすることで、実力と目標の乖離を表現しようと試みました。


昔であればこんな面倒なことをする必要はありませんでした。エベレストが登られていない時代は、究極の目標はエベレスト初登頂であり、そこにどれだけ近いかによって登山家の価値は決まる――ということは、野球や格闘技にたとえるまでもなく、誰にでも理解できる話だったからです。


ところが今は、先鋭登山の課題は多様化・細分化し、その評価は専門家でも容易ではありません。エベレスト北壁の登山史的価値を正確に評価できる人は、登山業界でも多くないのが実情です。そこに「無酸素」とか「単独」とか「冬期」とか「新ルート」などの各種条件が加わるとなおのこと。ましてや、登山をやらない一般読者にわかるはずもないでしょう。


そこで私は、野球や格闘技になぞらえることでわかりやすくする手法をとることにしたわけです。ただしこれはあくまでイメージを伝えるためのもので、多少の不正確性には目をつぶっています。「栗城さんのレベルは大学野球ではなくて高校レベルなのではないか」とか、「登山と格闘技は別物である」などと言われることもありましたが、そういうことではないんだ! 小さな正確性よりも大きなイメージを伝えることを優先した結果なので、細かいところを突っつかれても困るw


学者のコメントで、正確性を重視するあまり、素人には結論がわからないということがよくありますよね。「状況によって一概にはいえない」とか。確かにそのとおりなんでしょうが、私たち素人が知りたいことは細かくて厳密な事実ではなく、大きな枠組みなのです。学者や専門家は、事実の正確性にこだわるあまり、大きな枠組みを示してくれないことがよくあります。私はこれがいつもストレスに感じるので、自分が説明するときには伝わりやすさやわかりやすさを優先しています。




ところで最近、このあたりのことを説明するには、先鋭登山をスポーツに例えるより、学問や科学に例えるほうが適切かもしれないと思うようになりました。専門家以外にはなかなか内情がわからないところとか、メディアでもてはやされる人の本業の実態がよくわからないところとか、似ているなと思うのです。ノーベル賞やピオレドールで何が評価されたのかはわからないけど、受賞者がすごい人であることは想像できるとか。


そんなことを考えていると、先鋭登山は専門的になりすぎて蛸壺化しているなとも思えてきました。ただしだからといって、ごく一部の専門家やマニアの嗜みに過ぎないかというと、そうでもないんですよ。素人にはどうでもいいようなわずかな違いにこだわって工夫や切磋琢磨を続けてきた結果、登山は少しずつ前に進んでいるのです。


たとえば無酸素登山というのは、人類の可能性を広げる大きな一歩だったわけですが、そこに至るまでには、無数の登山家の死屍累々といえる試行錯誤が背後に存在します。そうした多くの蓄積を土台として、ときおり大きなイノベーションが起こる。そんなところも学問に似ているかもしれません。


服部文祥さんが、「登山の文化にフリーライドしている」と言って栗城さんを批判したことがありました。「無酸素」とか「単独」とかの言葉を使うなら、その言葉が意味する正しい手順を踏めと。登山史が長年かけて獲得してきた成果を自分の箔付けだけに使って、実態は適当にスルーするのではただのズルじゃないかということですね。



とりとめがなくなってきました。

最後に、先鋭登山の評価基準となるものをざっくりと説明しておきます。


1)どれだけ困難なことをしているか

2)新しいことをしているか


大きくはこのふたつです。


1は、技術的な難しさ。だれもが登れなかった困難な岩壁を登りきったとか、クライミンググレードの世界最高を更新したなどのことですね。技術的な困難を克服したということは単純に評価の対象となります。


2は、山の初登頂が典型例となります。だれも登ったことがない山に登ることは間違いなく新しいこと。ほか、酸素ボンベやロープを使うことが常識だった山で、それらを使わずに登ることも「新しいこと」です。だれも注目していなかった山を見つけ出して登ることもこれにあたります。


先鋭登山の総合評価は1+2で決まります。技術的に困難でも新しい要素がゼロであれば総合点は伸びませんし、その逆もしかり。例えれば、1は技術点、2は芸術点といった感じでしょうか。また雑な例えをしてしまいましたが、まあ、そんな感じです。以上。



2023年6月12日月曜日

【スマートウォッチレビュー】Amazfit GTR4を登山で使ってみたところ…

現在所有しているスマートウォッチ。左から、Amazfit T-REX2、Amazfit GTR4、Amazfit Stratos3Garmin Forerunner 955、TicWatch Pro 3 Ultra、Amazfit Band7。Amazfitが多いですが、T-REX2とGTR4はメーカー提供品


2021年から登山でスマートウォッチを使い始めて以来、すっかり凝ってしまって、今では6本も所有するようになってしまった(導入第一号だったOPPO Watchは人に譲ってしまいました)。

そもそもは、「腕時計で地図を見たい」という動機だけで導入したのですが、使ってみると、心拍数や移動スピード、移動距離などが測れたり、睡眠の状態を計測してくれるなど、身体の状態を数値で確認できることが楽しくなり、現在では登山に限らず24時間365日身に付けている状況です。



山では比較テストのためにもっぱら両手時計スタイル。「ケイスケホンダのようだ」と同行者に言われました。



過去にも以下のような記事を書きました。

登山で使えるスマートウォッチを研究したい


【スマートウォッチレビュー】Amazfit T-REX 2は登山で使えるか



今回は新たに、最近よく使っているAmazfit GTR4というモデルをレビューしてみようと思います。

これがAmazfit GTR4(社外品のカバー付けてます)



これはT-REX2と同様、メーカーからの提供品。とくにアウトドア仕様というわけではないので関係ないかなと思っていたのですが、登山で使ってみたところ意外と使いやすいと感じたので以下レビューします。

GTR4は、Amazfitの核となるいちばんメインのモデル。定価はT-REX2のほうが上になるのですが、Amazfitブランドの本流王道を受け継ぐモデルとなると、こちらGTR4といえるでしょう。

外観はまったく普通の腕時計に見えますが、内部的にはT-REX2と同等で、使える機能はほぼ同じ。以下、主な仕様を比較してみます。


T-REX2GTR 4
定価35,800円33,000円
サイズ47.1 x 47.1 x 13.65 mm46×46×10.6mm
重量66.5g60g
ケース素材ポリマーアルミ合金
耐衝撃性MIL規格
防水性10気圧5気圧
操作タッチパネル/ボタンタッチパネル
ディスプレイAMOLED 1.39インチAMOLED 1.43インチ
GPS(GNSS)6
センサー3.04.0(最新)
OS1.02.0(最新)
駆動時間24日14日
GPS駆動時間最大58時間最大52時間





T-REX2と比べると、耐衝撃性と防水性、そしてバッテリー性能がやや劣るのですが、本体がコンパクトながら画面が大きくて見やすいところがメリットといえます。デザイン的に日常ユースがしやすいところも利点といえるでしょう。

以下、特によいと感じた部分を解説してみます。




薄いことは重要だ

センサーの突部を含む厚みは、実測でGTR4が12.8mm。一方、T-REX2は15.8mm。数字で比べてもあまりピンときませんが、山での使用上、GTR4の薄さはけっこう重要に感じました。


こうして比べてみると、数字以上に厚さの違いがよくわかると思います。



薄いことがなぜいいかというと、ひとつは、袖に引っかかりにくくなること。

寒い時期は腕時計は服の袖で覆っていることになるのですが、時計を見ようと腕を上げたとき、厚い時計は袖に引っかかりやすいのです。山用のウエアは、袖口がゴムシャーリングになっていたりベルクロが付いていたりすることが多いのでなおさらです。この引っかかり、行動中にはわりとストレスです。

T-REX2は厚めであることに加えてゴツッとしたデザインなので比較的引っかかりやすかったのですが、GTR4では明らかに引っかかることが減りました。



もうひとつのいい点は、体感が軽くなること。こちらは、Garmin Forerunner 955との比較をご覧ください。


バンドを含まない本体重量はどちらも35gで同等。しかしGarmin 955は厚さがあるぶん、重心が腕から離れるので、GTR4より振られや重さを感じます。さらにGarmin 955は写真でわかるように角張っているので、ここが袖に引っかかりやすい。


この薄型ボディ、使用時の快適性にかなり貢献していると感じます。薄いこと大切。




ディスプレイが見やすい

GTR4のディスプレイサイズは1.43インチ。これは現行のスマートウォッチのなかでは最大級。スマートウォッチは画面に表示される情報が多くなるので、ディスプレイは大きいほど有利で、このへんはスマートフォンと同様です。

T-REX2も1.39インチと大きめで不満はなかったのですが、GTR4はそれよりさらに見やすい印象。


こうして写真で見るとそれほど大きさに違いを感じませんが、フィールドで使った印象では、T-REX2より見え方がひとまわり大きく、ディスプレイサイズ0.04インチの差は感じられました。

登山中はそんなにまじまじと画面を見つめるわけではないので、ちらっと見ただけで必要な情報がわかる視認性の高さはGTR4の便利な点と感じています。




気負わず使えるスマートウォッチ

薄いこととディスプレイが大きいこと以外にも、GTR4は最新のセンサーやOSを積んでいるなど、T-REX2より進化している点があります。しかしそれらは実用上、体感できるような差はありませんでした。

バッテリー持ちについては、スペックどおり、T-REX2のほうが長持ちします。1泊2日の登山で使った場合、T-REX2は30%ほどしかバッテリー残量が減りませんが、GTR4では40%ほど減ります。とはいえ、充電なしで5日程度の山行に対応する計算なので、ほとんどの場合はこれでも十分でしょう。

ということで、日帰り登山などでは、気軽に使えるGTR4を持ち出す機会が最近は増えています。T-REX2は、パネルタッチだけでなく物理ボタンでも操作できるという優位性もあるので、手袋をしている時期や雨のときなどの使いやすさを考えると、やはりT-REX2のほうがなにかと安心ですが、気負わずさっと使えるという点ではGTR4も悪くありません。




山ではカスタムして使おう

ところで私は、GTR4を山で使ううえで、2点、カスタマイズをしています。

ひとつはカバー。登山では、岩にこすったりして腕時計はけっこう傷つきます。T-REX2みたいなアウトドア時計はキズがついてもそれがひとつの味となってあまり気にならないのですが、GTR4みたいなクリーンなデザインの時計は気になります。

そこで、Amazonで見つけた以下のカバーを付けるようにしました。これ、着脱が簡単なのに装着時はしっかりフィットしていい感じです。山でGTR4を使うならおすすめ。



もうひとつのカスタムポイントはボタン。公式ページを見ていただければわかるように、GTR4のボタン(竜頭)は本来、右上に付いています。しかし、右側に付いていると山では不都合な場合が少なくありません。


こういうふうに岩などに手をついたとき、手の甲でボタンが押されて意図しない操作が行なわれてしまうことがあるのです。

そこで私は、画面設定で表示を180度反転させて、ボタンが左下にくるようにして使っています。


これだと不意にボタンが押されて誤操作されることがなく、ストレスなく使えるようになりました。こういうのはスマートウォッチならではの利点です。ただし、この画面反転設定ができないスマートウォッチもあるので、そこはご注意。



Amazfit GTR4、日常から登山まで1本のスマートウォッチですませたいという人には、けっこういい選択なのではないかと思います。地図を見たり、GoogleやAppleなどのアプリを追加したりすることはできませんが、そのぶんシンプルで使いやすいです。私の持っているスマートウォッチのなかでは、操作のスムーズさ、安定性、スマホアプリの使いやすさなどはベスト。機械としての完成度が高いと感じています。





【付録】

以前、Garmin Forerunner 955とGTR4を比較したツイートをしていたのでご参考までに。




2023年6月6日火曜日

ROCK & SNOWはなぜつまらなくなったのか

 

「ロクスノ」はなぜつまらなくなったか|Tomahawk


このような記事を読んだ。

真面目な論考であり、指摘の多くは的を射ているとも感じる。かつて編集長を務めた者として、そして今でもこの雑誌の編集に少し関わっている者として、以下思うところをスピード執筆してみる(時間がないのでとりあえず気づいたことのみ。後で追記するかも)。



■「つまらなかった記事」シューズテスト
なぜこれが続いているかというと人気があるからである(もうひとつの理由は編集的に作るのがラクだから)。確かに自分も、最近のテストは工夫がなくて面白くないと感じる。しかし人気があるという事実を無視をしてはいけない。記事の作りは改善の余地ありと思うけれど。



■編集力の低下

(記事より引用)


すごいデータだ。貴重なデータでありがたい。

ただし、雑誌の編集者ってけっこうあいまいで、単純にマンパワーとしてカウントできないことがある。Editorなどとして名前が載っていても、ほとんど何もしていない人がいる場合もあるし、企画会議で意見を言うだけの人がいたりすることもあるし、ある部分において限定的に関わっているだけの人もいる。人数=マンパワーと必ずしもならないのだ。

そこらへんは雑誌によっても異なったりする。本当に実質的な編集者として機能している人だけに限定して名前を記す雑誌もあれば、ほとんどお友達レベルの人まで記す雑誌もある。ROCK & SNOWでいえば、比較的実情に合った記載をしていると思うが、それでも名前が載っている人の間でかなりの濃淡はある。

たとえば私も最近名前を載せてもらっているが、実際の働きは、企画会議に出席することと、各号1~2企画(2~15ページほど)を担当することくらい。編集者の働きとしてはけっこう限定的だと思うので、「ロクスノの編集やってます」と積極的に公言はしていない。

このへんは内部事情を知って精密な議論をしないとイマイチ意味がないことになってしまうので少し注意は必要かな。ちなみに言うと、現在のROCK & SNOWは実態的なマンパワーが減少傾向にあるのは確か。





とりあえず、違和感を抱いた部分のみ、ざっと書いてみた。それ以外の部分は、明らかに的外れというものはとくになく、少なくともひとつの意見として一度受け止める価値のあるものだとは思う。

さしあたり。






【2023.6.9追記】

元の記事にならって、個人的に面白かった記事を私も3つあげてみる。



●VOL. 024(2004年夏号):「OLD BUT GOLD  Mars 5.13d」

杉野保さんの伝説的な連載企画「OLD BUT GOLD」。クライミングの魅力と奥深さを表現できる書き手として、杉野さんの右に出る人物は存在しない。多くの人に強い影響を与え、以後のクライミングの流れを変えたとさえ思える有名な連載だが、私も連載当時は毎号、このページから読んでいた。そして連載史上頂点と私が信じる回がこれ。杉野さんのクライミング愛、吉田和正さんへの思い、すべてのパッションがつまっている。連載史上だけでなく、過去30年の間に書かれたクライミングテキストの頂点に輝く金字塔である。読んだことのない人は絶対に読んでほしい。


とにかく出だしの一文がカッコいい。

「引き潮を狙って、ルーフ下の磯に入り込む。」

こんな一文で始めるなんて、プロの作家でもなかなかできない。


そしてラストがまた最高である。

「吉田は、まだ追いかけている。決してつかまることのない青い鳥を。」

ちょっと、完璧すぎませんか、杉野さん!!





●VOL. 046(2009年冬号):「中嶋徹 トラッドへの一人旅」

当時15歳、英語もろくにできないのにたったひとりでトラッドクライミングの本場イギリスに乗り込み、当地の有名課題を総ナメにした記録。トラッドクライミングの金字塔として知られるビデオ「Hard Grit」をテープが伸びてしまうほど繰り返し見ていた私は、ビデオに出てきた有名課題を15歳の日本人の少年が次々に切って落とす姿に目を見張った。同時に、そのパフォーマンスのレベルの高さだけでなく、読み手に手汗握らせる文章力の高さにも驚かされた。

「クライミングにルールはありません。僕たちはボルトを否定することはできないのです。しかし自由であるからこそ、なんでもできるからこそ、ひとりひとりが責任ある行動をとることが求められているのです。それは、ほかのクライマーに対してであり、未来の世代に対してでもあります。
『高校生が生意気なことを言うな』と思う方もいらっしゃるかと思いますが、高校生に指摘されるほど、ひどい現状があると思います。」

ここを読んだときは背筋が伸びる思いがした。この高校生の言うことこそが正義だと。





●VOL. 072(2016年夏号):「厳冬期黒部横断32日間 剱沢大滝左壁ゴールデンピラー」

厳冬期に32日間もかけて黒部の山奥にある課題を登った3人の男の記録。記事を書いたのは3人のうちのひとり、佐藤裕介さん。10ページにもわたる長い記事で、読み終わったあと、私は放心状態に陥った。「すごいものを読んでしまった……」と。

この記事については、別の雑誌(PEAKS)に書いたことがあり、その感想が的確なので以下に引用しておく。

「6月に刊行された『ROCK & SNOW』というクライミング雑誌に、2016年の全アウトドア雑誌中ベストワンの記事が掲載されている。<中略> アウトドア雑誌という狭い世界のなかでも、一年間に掲載される全記事の数となれば膨大になるはずだ。もちろん私はそのすべてを読んでいるわけではないが、この記事がベストであることは疑う余地がない」

「私は物書きを職業としているが、ここまで力のある文章を書けたことはないし、これからも書けるとはまったく思えない。ライターという職業に絶望を覚えるほどだ――と感じることすらなく、あまりの別次元に、ただただ、すごいという感情しか湧いてこなかった」





<番外>

ちょっと毛色の違ったところで、以下ふたつのインタビューもメチャクチャ面白いのでおすすめ。


●VOL. 016(2002年夏号):「驚異、一本指キャンパスの秘密」

クライミングジム「ビースリー」の元祖オーナー・大島次郎のインタビューなんだけど、話し手も聞き手も自由奔放すぎて面白い。全編、以下のようなカオスが展開されている。

「――高校時代は何かしてたの?」
「ラグビー。ラガーマンですよ。ラガーといえば、サッポロの”ファインラガー”、あれニセモノですよ。1月23日発売で誕生日と一緒だったから『やったー、俺はやっぱりラガーの申し子だ』って大喜びして、箱で買って帰ってきたんです。そして、プシュッて開けて飲んでみたら、発泡酒じゃないですか。『なんだこりゃ!』って感じで。頭にきて全部地面に捨ててやりましたね。やっぱラガーはキリンですよ」




●VOL. 028(2005年夏号):「A DAY IN THE LIFE ソン・サンウォン」

当時22歳の若手トップクライマー・松島暁人が、同じく22歳の韓国トップクライマー、ソン・サンウォンをインタビュー。やたら「!」が多くて発言が短く、若者は国が違えど同じだな~と思えたインタビュー。

「――1年の契約金ってどのくらいなの? シークレットだったら言わなくていいよ」
「大丈夫、韓国のクライマーで知ってる人がけっこういるから、シークレットじゃないよ。300万円ちょっとだね」
「――300万! ウォンじゃないよね?」
「ちょっと待って。ん~、ネルソンとコロンで……そうね、300万円くらいだね」
「――じゃ、新しい車買えるね! 足りてる?」
「うん」
「――グッドか?」
「うん、グッドね!」