2022年9月24日土曜日

高山裏のオヤジさん


南アルプスには、名物とされる「山小屋のガンコオヤジ」がいます。その筆頭は、なんといっても農鳥小屋の主人。何十年も前から有名で、もうけっこうなお歳のはずだけど、いまでも現役で小屋を守っています。

その次に有名だったのが高山裏避難小屋のおやじさん。この方はすでに引退されたと風の噂で聞きましたが(未確認)、長らく農鳥と並ぶ両巨頭として知られていました。

その高山裏を訪ねたときの話を、昔PEAKSに書いたことを思い出しました。けっこううまく書けたと自負しており、埋もれるのはもったいないので、PEAKS編集部の許可を得ずに以下に掲載します。

ちなみに、小屋を訪ねたのは1999年の話で、書いたのは2012年です。


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 南アルプスの高山裏避難小屋に行ったときのことである。三伏峠と荒川岳の間にあるこの小屋は、南アルプスのなかでも登山者がとくに少ないエリアにある。うっそうとした樹林に囲まれた、収容人数20人くらいの小ぢんまりした小屋だ。

 小屋に着くと、50代くらいの小屋番氏が出てきた。角刈りで苦みばしった顔。このときは取材だったので、名前と来訪の趣旨を伝えると、小屋番氏は入口にどっかりと腰を下ろした。

「まあ、そこに座れ」

 小屋に入ることは許されず、荷をほどくこともできず、僕らは入口前に転がっていた切り株にとりあえず座った。 

「オレは、雑誌の記事には言いたいことがあるんだ」

 小屋番氏はそう言うと、登山雑誌は南アルプスの存在を軽んじているのではないかということ、実際に登って書いているとは思えない記事があることなどを語り始めた。話はおっしゃるとおりということもあれば、こちらの言い分も聞いてほしいというものもあり、僕はときに謝り、ときに受け流し、ときには抗弁しつつ、必死に対応した。

 そんなやりとりが30分ほど続いただろうか。

「オレは言いたいことは全部言った。キミの話もわかった」

 小屋番氏はそう言って話を終えた。

「じゃあ、入れ」

 ようやく僕らを小屋に招き入れてくれた。


 その日の宿泊者は、僕ら以外にはいなかった。高山裏避難小屋は、素泊まりのみの小屋である。僕らは持参した食事を作り始めた。

 ほどなくして、奥でなにかしていた小屋番氏が鍋を抱えて出てきた。

「これ食いな」

 鍋には味噌汁がなみなみと入っていた。ありがたくいただく。ひと口すすると、これが飛び上がるほど美味い。疲れたときに飲む味噌汁が美味く感じることは何度も経験しているが、それにしてもこの美味さは異常だ。

「なにが入っているんですか?」

 小屋番氏はニヤッと笑って、いろいろ説明してくれた。しかしなぜか詳しいことは忘れてしまった。ナメコのようなキノコが入っていたことだけは覚えている。

 その夜、小屋番氏は小屋番仕事の裏話や南アルプスの山々についてなど、おもしろい話をいくつも聞かせてくれた。


 説教から始まった小屋番がよくよく話を聞くとじつはいい人で――なんて、作り話のような都合のいい話だがすべて実話だ。

 もう十数年前の話である。このときの小屋番氏はすでに代替わりしてしまっているはずだ。しかし南アルプスではいまでも、そしてほかの小屋でも、これに類するような話をよく聞く。

「古き良き山文化が残っている」などと安易にまとめるつもりはない。人によっては必ずしも「良き」ではないからだ。ただ、世俗や商売抜きの素朴な雰囲気が南アルプスにあることは事実で、そこにこそ魅力を感じる人がいるのも事実。南アルプスの個性はそんなところにもあるのである。


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このおやじさんはとっくに引退したと思いこんでいたのだけど、この記事を書いた時点ではまだ現役で元気に小屋番をしていたそうです(記事執筆後に知りました)。その時点でけっこうな年だったはずなのだけど。

なお、冒頭で書いた農鳥小屋の主人は高山裏のおやじさんと同年代くらいだと思うのですが、こちらはまだ現役です。

農鳥小屋については、ガイドの山田淳さんが書いたブログが秀逸です。ぜひ読んでみてください。





転載したPEAKSの記事は、2012年8月号に載っています。南アルプスの特徴を表す個人的エピソードを3つ書きました。そのひとつがこの高山裏で、のこりのふたつは北岳と赤石岳です。




2022年8月31日水曜日

登山で使えるスマートウォッチを研究したい

 



昨年から登山でスマートウォッチを使うようになりました。理由は、「歩きながらすぐに地図を見たい!」

そんなの紙地図かスマホを胸ポケットあたりに入れておけばいいんじゃないのと思われるかもしれませんが、それだと、①ポケットから取り出す ②画面ロックを解除する(紙地図なら広げる)と、少なくとも2アクションが必要になります。一方、腕時計だと、手首をひねるだけの1アクション。しかも両手がふさがっていたとしても問題ありません。

私は行動中に頻繁に地図を見ないと落ち着かない人間で、できれば15分に1回は見たい。「地図を見る」という些細な動作でも、15分に1回やるとなると、できるだけ省力化したいわけです。そこで、スマートウォッチを活用することを思いつきました。



まずはOPPO Watchを購入

そこで昨年入手したのが、OPPO Watch(41mm)というやつ。いま(2022年8月末)はディスコンになっていますが、私が買った2021年9月には13,000円くらいで新品が買えました。



これを選んだ理由は単純。Wear OSで動くもののなかでいちばん安かったからです。スマホがiPhoneだったらApple Watchを買えばいいのですが、私のスマホはAndroidなので、それに対応したWear OSモデルしか選択肢がありませんでした(私が見たいヤマレコマップは、Wear OSかApple Watchでしか動作しない)。


で、1年近く使ってきましたが、結論を言えば、使い心地はイマイチ、というかあんまりよくありませんでした。

よくなかった理由は2つあります。

ひとつは、画面が小さくて表示が見にくいこと。これは通常使用ならそれほど問題にならないんじゃないかと思いますが、老眼にはキツイ! 私は山では老眼矯正が弱めのコンタクトレンズを使っていることもあって、肝心の地図が見にくいのです。

もうひとつはバッテリー。30時間くらいしか持ちません。日帰り登山なら問題ないのですが、1泊の山行となると、2日目の行動中にバッテリーが切れてしまいます。モバイルバッテリーを持っていれば充電も可能ですが、専用のケーブルが必要だったりして面倒くさい。



TicWatch Pro 3 Ultra GPSに買い換え

そこで最近、冒頭の写真のモデルを買い直しました。TicWatch Pro 3 Ultra GPSというやつです。

↓これ。私が買ったときは3万円くらい。


実を言うと、新しく出るGalaxy Watch 5 Proがバッテリー持ちがいいらしいという噂だったのでその発売を待っていたのですが、どうも価格が6万円くらいになるようなので見切り、TicWatchを買いました。Mobvoiという聞いたことなかった中国メーカー製ですが、スマートウォッチ界隈ではすでに定評ある会社みたいです。




ご覧のとおり、OPPO Watchに比べて画面が大きく、地図の見やすさは確実に上がりました。なので見やすさ問題は解決。

さらにこの機種は、バッテリー持ちのよさが売りでもあります。バッテリー容量は、OPPO Watchの300mAhに対して、こちらは577mAh。2倍近いです。メーカー公称では72時間もつと言っています。山での実使用では72時間はキツイ感じですが、50時間くらいは十分もつ印象です。これでもまだまだ足りませんが、私の山行は1泊以下が8割を占めるので、実用上はとりあえずよしとしました。



とはいえいろいろ問題もある

ということで、TicWatchにはひとまず納得しているのですが、不満はもちろんあります。

せめて1週間くらいはバッテリーがもってほしいし、使い勝手や機能的な面でも洗練されているとはいえず、それまで使っていたカシオのプロトレックなどに比べると、常用機械としての完成度は比べものになりません。なんだか10年くらい前のAndroidスマートフォンみたいなスキだらけの製品です。ただしこれはTicWatchのせいではなく、Wear OSのせい。Wear OSというのは、まだまだ発展途上のものなのだと感じます。

私はヤマレコの精度の高い地形図を見たかったのでWear OSモデル一択だったのですが、地形図は必要ないという人なら、HuaweiXiaomiのスマートウォッチ買ったほうがよっぽどいいんじゃないかなと思います。これらはシンプルな独自OSで動くので、バッテリーが1週間とか2週間とか余裕でもつそうです。ヤマレコなどのアプリは入れられませんが、歩数や心拍、血中酸素飽和度、睡眠計測などの機能は十分備わっています。それでいて安いしね。



情報募集します

スマートウォッチのことを調べていて気づいたのですが、登山でのスマートウォッチの使い方や選び方などは、意外と情報がありません。とくにWear OSについては情報が乏しいです。

スマートウォッチに対応している登山アプリはヤマレコとYAMAPのみ。YAMAPはカシオの古いスマートウォッチでしか動作せず、Apple Watchに対応したのもつい最近の話です(この8月から)。そもそも使っている人が少ないのかもしれません。

なので、「これを使ってます」とか「ここがダメでした」とか「こういう使い方をオススメします」とか、なにかご意見ご感想をお持ちの方は、下のコメント欄に書いてもらえるとうれしいです。

スマートウォッチって多機能すぎるうえにメーカーも乱立していて、私もよくわかっていないんですよ……。ガーミンのInstinctとかよさそうだなと思うのですが(ヤマレコには対応していないですが)、具体的にどういいのかはよくわかりません。使っている方は感想いただけると助かります。

現状はいろいろ問題はあれ、スマートウォッチには可能性を感じてもいるのです。数年後には、プロトレックやスントが築いた登山用ウォッチの圧倒的牙城を突き崩す存在になり得るとも思うので!


2022年8月18日木曜日

日本海~太平洋 大縦走コースをいろいろ考えてみよう

トランス・ジャパン・アルプス・レース(TJAR)2022が終了しました。

これまでもいろいろなところで書いてきましたが、このレースはもともと、「日本海から太平洋まで、山岳地帯をつないで歩き通してみたい」という、創始者の岩瀬幹生さんの思いから始まっています。

しかしそれは岩瀬さんのオリジナルな思いではありません。TJARのようにスピードを追求したりはしないものの、それ以前にも多くの人が独自にチャレンジをしてきた歴史があり、山好きなら一度は夢見る、いわば定番的「夢の縦走」でもあるのです。

日本海から太平洋、そこでどのようなコースをとるか。TJARのコースはその一例に過ぎず、ほかにも選択は無数に考えられます。これを考えることは実行することに劣らず面白い作業でありまして、そこには実行者それぞれの個性や工夫が如実に表れます。


そこで以下、さまざまなコース取りを机上で考えてみることにしました。



TJARコース


登山道総距離:188km

ロード総距離:206km

コース総距離:394km

標準所要時間:30日

通過する3000m峰:5(6)山

通過する日本百名山:9(11)山

*登山道総距離はヤマレコ(ヤマプラ)、ロード総距離はYahoo!地図で算出

*「3000m峰」は、国土地理院「日本の山岳標高一覧」に掲載されている21山を対象とした

*「標準所要時間」は、登山の一般的コースタイム+ロード区間は毎時3kmのスピードとし、1日の行動時間を7時間とした場合の所要日数

*以下同



ご存知、TJARのコース。いまや日本海~太平洋で、もっとも有名なコースがこれになるのでしょう。

しかしこのコースは、多くの日本海~太平洋縦走コースのなかでは、やや例外的といえます。その例外性が明確に出ているのが、早月川河口からの剱岳スタートとしているところ。このコース取りをしているのはTJAR以外では聞いたことがありません。

どうしてこうなったかというと、TJARコースは「可能な限りスピードが上がるコース」を追求して組まれたコース取りだから。

創始者の岩瀬さんはもともと、泊海岸から朝日岳に登り、後立山連峰を南下し、槍ヶ岳の後も西穂高岳まで縦走して上高地に下りるコースを試していました。しかしそれだと9日3時間かかっていました。さらにこれを短縮して1週間で踏破することができないか。それを模索した結果、現在のTJARコースに落ち着いたというわけです。

ところで、TJAR公式では総距離415kmと謳っていますが、私の計算では394kmになりました。まあ、このへんは誤差と思ってください。それから、「通過する3000m峰」を「5(6)山」としているのは、TJARでは槍ヶ岳の山頂直下を通るものの、山頂は通常踏まないから。3000m峰ではありませんが、黒部五郎岳も同様です。それぞれ往復30分~1時間かけて山頂を踏めば、「通過する日本百名山」も11山になるという意味です。





3000m峰踏破コース


登山道総距離:299km

ロード総距離:196km

コース総距離: 495km

標準所要時間:44日

通過する3000m峰:16山

通過する日本百名山:17山


日本海から太平洋を歩くにあたり、コース設定になんらかのテーマを設ける人が多いですが、そのなかでもっともポピュラーなテーマが「3000m峰をすべて踏破する」というもの。

それにはおおむね上の地図のようなルートが基本となりますが、細かいコース取りは人によってそれこそ千差万別。上の地図では親不知スタートとしていますが、これでは3000m峰の立山は通らなくなってしまうので、白馬岳から黒部川を渡って立山側にコースをつないだりする人もいます。

そのほかにも、上記モデルコースには、前穂高岳、仙丈ヶ岳、農鳥岳、悪沢岳の3000m峰が含まれておりません。 あくまで3000m峰全踏破を重視する人は、一筆書きルートにこだわらないとか、少し変則的なコース取りをするなどの工夫が必要です。





登山道重視コース


登山道総距離:326km

ロード総距離:143km

コース総距離: 469km

標準所要時間:40日

通過する3000m峰:12山

通過する日本百名山:16山


できるだけ車道を歩かずに、登山道を長く歩きたい。これは登山者として自然な感情。これをテーマとして設定されたのが上のコースです。

ポイントは、中央アルプスを通らずに八ヶ岳経由としているところ。北アルプスと中央アルプス、そして中央アルプスと南アルプスはそれなりに離れており、ここでどうしても長い車道歩きが発生してしまいます。そこを八ヶ岳経由にすると、前後の車道区間を最小限にすることができるわけです。上高地からは徳本峠を越えて松本に下りる設定にしているのもポイントのひとつ。

このコース、ワンプッシュ49日間で歩き通した人知っています(富士山には寄らないコースでしたが)。当時28歳、登山歴6年の女性。しかも単独。つまり、日本海~太平洋はTJAR戦士のような猛者だけのものではなく、時間さえかければだれでもできるということなのです。





変わり種パターン


変わったところでは、こういうのもあります。日本アルプスを一切通らずに、上信越国境主体で徹底的に山中を行くコースです。登山道とロードの距離などは調べていませんが、興味ある人は調べてみてください。おそらく驚異の登山道率(9割超え?)になるんじゃないかと思います。

コースは、新潟県柏崎海岸からスタートし、越後駒ヶ岳に入山。以降、新潟・群馬・長野・埼玉・山梨の県境を進むというものです。登山道があるところばかりではないので、ヤブこぎして進まないといけない箇所もあります。とくに、西上州付近はなかなか大変だろうことが予想されます。

ちなみにこれもやった人います。35年前にひとりの男性が完歩しています。しかしワンプッシュではなく、32区間に分けて、7年かけてつないでいます。こういうふうに、分割して少しずつ歩くという手もあるわけです。






私の知る究極の変態コースがこれ。東経137度線に沿ってまっすぐ進むというものです。

スタートは愛知県西尾市一色。そこから東経137度線の東西各1kmにおさまる範囲で、最後は能登半島輪島市白米町の海岸まで北上していきます(海洋上を通る能登島部分のみフェリー使用)。2kmの幅が許されているとはいえ、地形とはまったく関係ない地図上の直線をたどらなくてはいけないのだから、かなりの困難が予想されます。

これも実行者います。1980年、ひとりの男性が(部分的に同行者あり)ワンプッシュ39日間で歩いています。歩行中は「登山者というより浮浪者に近かった」そうです。




ということで、これらのほかにもまだまだ未踏のクリエイティブなラインが存在することと思います。地図を眺めながらあれこれ想定してみるのも面白いんじゃないでしょうか!?



2022年8月3日水曜日

「話す技術」と「書く技術」はまったく別物である

ある政治学者がいる。この人は知的な風貌に加え、つねに落ち着いた物腰、そしてFMパーソナリティのような深みのある声の持ち主である。昔からテレビ番組などでコメントを聞くたびに、説得力あるなあと感じていた。


しかしあるとき、この政治学者の言っていたことを、いつもほとんど覚えていない自分に気づいた。「あの人なかなかいいこと言ってたよ」と人に話を振り、「どういうこと?」と聞かれても、うまく説明できないのだ。「え~っと、あれ? どういうふうに言ってたっけ……?」


そんなことを何度か経験したあと、さらに気づいた。「じつはあの人、大したこと言っていなかったのでは……?」


よくよく注意して聞いてみると、「国際平和を実現するためには戦争をしないことが重要だ」とか、「日米関係でもっとも重視しなくてはいけないことは、日本とアメリカの立場である」みたいなことを、専門用語を交えつつ話を複雑にしながら、その持ち前の説得力ある風貌としゃべり方で語っていただけだったのである。


これは自分だけの発見かとも思ったが、そうではなかった。知り合いのライターがこの政治学者を取材したとき、取材現場ではひと言ひと言説得力抜群で、うんうんうなずきながらインタビューを終えたのだが、いざ文字起こししてみると、その内容のなさに愕然としたというのだ。そのライター曰く「あれは不思議な体験だったよ。取材中に感激していた自分はなんだったんだろう……」


この政治学者とは別の話で、取材中での同じような体験は私にもある。


ふたりの登山家の対談企画で、登山家Aは弁舌爽やかでよくしゃべる。それに対して登山家Bは言葉数が少なく、話したとしても、もごもごとしていてよくわからない。「これはAの圧勝になってしまうな……」。対談企画は、ふたりの発言の量と内容が均衡するのが理想である。ひとりの発言ばかりに偏った記事はいい記事とはいえないが、そんな記事にならざるを得ないことを私は覚悟した。


ところが、文字起こしをして対談の内容を精読して驚いた。あんなにキレのよかったAの発言は、文字で見ると思いのほか内容が薄く、逆に、まったく心に残らなかったBが意外なほどに深いことを語っていたことに気づいたのである。


Aは発言量は多いものの、よく聞くと同じ内容を繰り返していたり、テーマから外れたりすることも多く、そういう部分はある程度カットすることになる。逆にBの発言は、"えー" とか "うーん" などをカットして語尾を整えれば、ほぼそのまま使えた。しかも内容が濃い。結果的に、量的にも内容的にも、両者かなりバランスのとれたいい対談に仕上がった。



このふたつのエピソードから学んだことは、口頭表現と文字表現はまったく別物であるということ。


口頭で人に何かを伝えるとき、伝わるものの総量を100とすると、言葉だけで伝わるものは10もないといわれる。残り90は、声の調子や速度、大きさであり、または身振り手振りであり、表情や視線、服装や髪型を含めた外見などであったりする。話す内容よりも、話し方や見た目のほうがはるかに重要であり、人の心に残る9割はそちらであるというのだ。


一方、文章では、その90がほぼすべてカットされ、10しかなかった言葉のみに、受け手の全注目が集まることになる。となると、受ける印象がガラッと(ときには180度)変わるのも当然ではないだろうか。



じつはこの話、もっと深い結論に達することができそうだと思って書き始めたのが、ここまで書いてきて、これ以上はイマイチ展開できなくなってきたので、ひとまずはここで終わり。


2022年7月4日月曜日

わかりやすいことはいいことだ

こういう文章を読んだ。


価値というのはモノに内在しているという、長らく続いたモノを中心としたマーケティングの支配的思想が、サービス概念によって、価値は共創的に生まれると考えられるようにもなってきたように、マーケティングというものを「企業が顧客に働きかける活動」というものから、「企業と顧客間との相互行為である」というものとして、もっと思想を変えていかなければならないのだろう。


私はこれを読んだとき、文章の意味がわからなかった。もう1回読み返してもよくわからない。そこで3回目、文章構造に注意しながら時間をかけて読み直し、さらに4回目にして、ようやく、言わんとしていることがなんとなく想像できるようになった。


なんだかとても既視感のある文章だなと感じ、ちょっと考えた末に、高校時代の国語でよく見た文章に似ていると思い当たった。


私は国語がとにかく苦手で、好きでもなく、授業やテストが苦痛だった。問題文の意味がわからないのだ。どうやったらわかるようになるかの筋道も想像できず、なんのために自分はこんなことをやっているか理解もできないままに学生時代を終えた。


自分で言うのもまったく口幅ったいのだが、私の文章はわかりやすいと言われることが多い。これまた口幅ったいが、自分でもそう思う。なぜそうなのか、理由ははっきりしている。私が文章を書くときにいちばん気を配っていることが、わかりやすく書くことだからである。だからわかりやすくなるのは当然。むしろわかりやすくなっていなかったら、私の最大努力は実を結んでいないことになるので悲しい。


自分はなぜこんなにわかりやすさに固執するのかなと考えると、それは高校時代に苦しめられた恨みに起因している。あんな苦しい文章は読みたくないし読ませたくない。そんな思いがずっと心の底にある。わかりやすさを磨かせる強いモチベーションになったという意味では、国語の授業は私の糧になったともいえるのかもしれない。


まあ、その結果、私の文章は格調や味に欠け、ともすると安っぽく、ときには頭が悪そうにさえ見えるようになってしまった。しかし、文章の第一義は意味を伝えることにある。できるだけ多くの人に、できるだけ素早く伝達を達成できるもののほうが、文章として高性能といえるのではないか。国語の授業ではむしろこういう技術を勉強するべきではないのかと強く主張したい。


ところで、冒頭の文章を私がリライトしてみたら以下のようになった。元の文章で理解しきれないところもあるので、これで意味が合っているのかどうか、80%くらいの確信しかもてないけれど、どうだろうか。読解合ってるかな??


"モノ”を中心とする伝統的なマーケティングでは、価値は物に付随するというのが一般的な考え方であった。ところが、”サービス“という概念が普及した結果、価値は受け手と共に創りあげられるものと考えられるようになってきた。同じように、マーケティングも、「企業が顧客に働きかける活動」から、「企業と顧客との相互行為」としてとらえるようになっていかなければならないのだろう。



*私の高校時代に、わかりにくい文章を書く筆頭格として悪名高かったのが評論家の小林秀雄。ところが40代になってから、数十年ぶりに小林秀雄の文章を読んだところ、その格調高い言葉のチョイスと流れるように理解できる論理展開に驚いた。私が高校時代に苦しんだのはなんだったんだろう。



2022年7月1日金曜日

盗用とか無断転載とか著作権のもろもろ

あるYouTube動画に私が撮影した写真が無断で使われていて、クレームを入れたら動画は削除されたということがありました。こういうことたまにあって、以前もブログ相手にクレーム入れたりしたことがあったな。


私が編集仕事を始めたときに先輩から教えられたことってたくさんあるのだけど、「盗用をしない」というのは、そのなかでもトップクラスに重要なことのひとつでした。他人の文章や写真、イラストなどを無断で使ったことが発覚したら、その人の編集者人生・ライター人生はその時点でほぼ終了するーーというのが、業界の当然の認識だったのです。

しかしこれは出版や新聞、テレビなどあくまでマスコミ業界内の常識であって、一般の人にそこまで厳しい認識は求められていなかったと思います。ところがインターネットの登場によって、現在は1億(世界なら80億)総表現者時代に。すべての人に著作権の知識や認識が求められるようになってしまいました。


著作権というのは非常に難しい概念で、私も基本を理解するまでに10年くらいかかりました。新人に教えるにしても、手を変え品を変え、さまざまな事例を体験させながら、数年かけてようやっと理解してもらえるような代物なのです。

編集部に入ってきたばかりの新人が、記事中の写真すべてをネットでコピった写真で構成していることに校了間際の水際で気づき、深夜にあらゆる人に電話をかけまくって総動員状態で作り替えたりしたこともありました。当の新人にはもちろんキツイお灸をすえましたが、最初は「えっ、ネットからとってきちゃダメなんですか?」と真顔で言ってました。こいつが人一倍ダメだったという可能性もありますが、出版社に入ってくる人でも最初はこんなもんです。


こういう体験があるので、私自身はインターネット上での盗用には比較的寛容なほうだと自認しています。だって1億(もしくは80億)人に著作権のこの難しいルールを守らせるなんて無理だから。大きな問題が生じないかぎりは黙認でいいと思っているし、実際そうしてきたものもたくさんあります。

そもそも、現行の著作権法は時代に合っていないのです。基本的に紙・フィルム時代の表現を想定した内容になっており、これだけ多くの人が毎日大量の発信をし、表現の手段も多岐にわたり、しかもコピーが圧倒的に簡単になった時代にはまったく対応できていないのです。現代のインターネット表現において混乱や矛盾が生じまくってしまうのは当然のこと。


とはいえ、無法状態でいいと思っているわけではなく、個人的には以下のような基準を設け、ここに抵触するものにはクレームを入れるようにしています。

1)表現そのものよりも、明らかに金儲けが目的であるもの

2)著作者や、著作物に関係する人の尊厳を傷つけるもの

3)コピー作品が原作より影響力をもってしまう場合

今回の動画は2に抵触しました。1にも該当する可能性はありますが、そこは実情がわからないので不問。



ところで著作権について話をし始めると、どうしても理屈っぽくなってしまいがちです。「~をしてはいけない」という話ばかりで、「じゃあ、どうすればいいのよ!」という気持ちにもなります。そこで、いちばん重要なポイントをひとつだけあげておきます。


他人が作った表現物を使うときは、作者の許可をとる


これです。

これをやりさえすれば、トラブルを起こしてしまうことはほぼありません。

もちろん手間がかかりますよ。使用許可をくれない人だっているかもしれない。でもそこを怠ると、後々、思わぬトラブルに巻き込まれることがあるってことです。

個人的には、こんな面倒なことをしなくても、もっと気軽にコピー利用ができる新しい時代のルールや法律ができてほしいなと思っています。でも現状そうはなっていないので、最低限のルールは守らないといけない。ましてやプロであるなら(=金をとっているなら)、最低限では全然ダメで、最大限守らないとね。




【おまけ情報】

ここで激しくオススメの本を紹介しておきます。著作権の本を何冊読んでも一向に理解できなかった諸々の事柄が、この本を読んで私はすべて一掃されました。


著作権の本って、「著作権とは、財産権、人格権、隣接権から構成されており~」なんて説明から始まるものが多いのですが、この本はまったく違います。「アンディ・ウォーホールのキャンベルスープの絵は権利侵害に当たるのか」とか「マッド・アマノのコラージュは著作権違反に当たるのか」など、実際に問題になった実例をもとに、著作権なるものの勘所をじつにわかりやすく面白く解説してくれています。

なにより私が目を開かされたのは、著作権の「真の目的」。著作権というと、著作者の権利を守ることばかりが注目されますが、法律の真の目的はそこではなく、創作行為をより活発にすることにあるのだというのです。パクられ放題の世の中だと、バカバカしくなって創作などする人がいなくなってしまうので、そうならないために著作者の権利を守る。順番が違うのです。

この根っこを理解させてくれるところが、この本の最大の価値かなと思います。ここさえわかっていれば、あらゆる裁判の判例もなぜそういう判断になるのか概ね理解できるようになるし、自分の身の回りの事例もこの根っこから延長して判断できるように私はなりました。

私はこの旧版を持っていて、編集部の新人に著作権について教えるとき、まずはこれを読めといつも推薦していたのですが、今本棚を探したら見つからない。だれかに貸したまま借りパクになっていると思われます。

とにかく、ここまで読んできて、著作権に興味をもった人には、この本を読むことを超絶オススメします!


2022年6月9日木曜日

山のテント指定地はだれが指定しているのか


山に行くと、多くの人気山域ではテントを張る場所が決められていて、そこは「テント指定地」などと呼ばれています。

それはだれが「指定」しているのか?

山小屋でしょうと考える人が多いかもしれないが、違います。山小屋は指定地の管理・運営を委託されているだけで、指定の主体ではないのです。

ではだれが?

これがよくわからないのです。25年も山岳メディアに携わっていながら、ここについては私も詳しいことをほとんど知らない。それは私だけではなくて、山と溪谷にしろ岳人にしろPEAKSにしろ日本山岳・スポーツクライミング協会にしろ日本山岳ガイド協会にしろ、テント指定地の全貌を把握している人っていないんじゃないだろうか。

なぜ知らないのかというと、知る必要がなかったから。テント指定地というのは、多くの場合、山小屋の付随業務的にゆるやかに管理されてきたし、利用料も1人500円程度と安いもの。そこに義務や権利を意識させるようなものではなかったからです。

ところが最近はそれも変わってきました。コロナのせいで利用料は急騰。1人2000円なんてところも現れています。さらにはSNSの影響。「闇テン」なんて言葉が登場したように、指定地に張らないヤツは登山者失格という空気も醸成されてきました。

となると、そもそもの指定を行なっている責任主体はだれなんだ、という疑問が生じてくるのも必然。私は生じました。

そこで調べてみましたが、仕事の片手間にちょっと調べてみただけではまったくわからん! 全国の指定地一覧表などがあるわけではなく、指定の主体も事業執行の主体もわからない。断片的な情報が集まってくるだけで、全貌がわからないのだ。

どうもこれは登山道と同じで、慣習と縦割り行政と無関心が複雑にからみ合った世界で、そんな簡単にわかるものではなさそうだ。

ということで、断片的な情報をここに溜めていくことで、気長に調べていくことにしました。新たなことがわかり次第ここに載せていく更新型の記事にするので、なにかご存知の方はぜひお知らせください。下のコメント欄でもいいですし、ここでもかまいません。


【6月11日追記】

どうも以下のようなことなのではないか……というところまで考察が進んできました。合ってるかどうかはまだわかりません。

1)テント場ができる(戦前)

2)林野庁が事後承認(戦前~戦後)

3)環境庁ができてそちらに指定権限移管(1970年代以降)

4)以降も実質的業務は土地所有者の林野庁が所管

5)国有林外に作られたテント場の管理状況は場所によってまちまち



日本の国立公園(環境省)

各公園のページに「公園計画書」という資料があり、野営場についての記載があることが多い


中部山岳国立公園(北アルプス)の公園計画書(PDF/環境省)

4ページと6ページ、および104ページ以降に野営場の一覧あり


中央アルプス国定公園の公園計画書案(PDF/環境省)

50ページ以降に野営場の一覧あり


■林野庁のコメント

森山が公式ホームページの問合せコーナーから質問したところ、以下のような回答でした。

「南アルプス、北アルプスなどの国立公園、国定公園に指定されている場所では、自然公園法を所管する環境省の所管となります。その他の場所でのキャンプ場につきましては、所有者(地方自治体、個人など)あるいは管理者が設置しているものと思われます。国有林では林野庁がキャンプ場を設置し、管理、整備を行っています。」


全国国有林地図

膨大な数のPDFがリンクされており、見るのはめちゃくちゃ大変


■北アルプスのある山小屋

テント場についての窓口は林野庁であると(森山が)聞いたことがあります


■関東近郊のある山小屋

自然公園法にはこれまでテント場の指定という条項がなく、テント場は慣例によって運営管理されていたが、近々、なんらかのかたちで明文化する等の議論が予定されているとのこと。


2022年6月2日木曜日

アルパインクライミングとバリエーションルートと本チャンの違い

ロープやクライミングギアを使うなど、普通の登山と比べて難しい登山行為をなんと呼ぶか。いろいろ呼び方はあるのだけど、そのそれぞれが人によって少しずつ認識がズレていることを感じる機会がしばしばあるので、ここで整理してみようと思う。



アルパインクライミング

急峻な岩場や雪、氷などが出てくる難しい山を登ること。



マッターホルンやアイガーなど、ヨーロッパアルプスの山がまさにこれに当てはまります。アラスカやロッキー山脈、南米のアンデス、ニュージーランドのサザンアルプスなどもそうですね。ヒマラヤでやっていることも大きくとらえればアルパインクライミングといえるのですが、8000mなど標高が高くなってくると独特の行動様式やスキルが必要になってくるので、そこは「高所登山」として分けて考えるほうがよいと思います。

日本でアルパインクライミングに相当するのは、まずは冬の岩壁登攀。「冬壁」などといわれるやつです。剱岳や穂高、谷川岳、八ヶ岳などが代表的。

剱岳の岩壁や岩稜は、夏でもアプローチにそこそこの雪上技術を要求されるので、アルパインクライミングといっていいと思います。一方で、瑞牆山のマルチピッチルートなどは氷雪要素ゼロなのでアルパインクライミングではない。夏の北岳バットレスや谷川岳一ノ倉沢などもアルパインとはいいにくいけど、わずかに簡単な雪渓があったりもするので微妙なラインといえなくもない。――という感じ。


瑞牆山のマルチピッチルート


夏の谷川岳一ノ倉沢


これは夏の剱岳八ツ峰




バリエーションルート

ノーマルルートの対概念。

登頂しやすい一般的なルートがまず存在することが条件で、それ以外の登路をバリエーションルートと呼ぶ。

たとえば槍ヶ岳でいえば、もっとも登りやすいノーマルルートは、槍沢(もしくは飛騨沢)~山頂。それに対して北鎌尾根はバリエーションルート。登山道がなく、北鎌尾根でもない場所を千丈沢かどこかから適当に登ってもそれはバリエーションルート。

ここには、雪や氷があることとか、クライミング技術が必要とかの条件はありません。その意味では、沢登りは多くの場合、バリエーションルートに当たります。「多くの場合」と書いたのは、まれに、山頂に達するにもっとも容易なルートが沢登りになる山もあるからです。


ここで説明のために極端な例をあげましょう。

下の写真は私が昔登ったアフリカの岩山ですが(サントメ・プリンシペ民主共和国のピコ・カン・グランデ663m)、私たちが初登頂であり、いちばん簡単そうなところから登ったので、やってることはクライミングそのものではありますが、「バリエーションルートを登った」とはいえません。

近ごろ、欧米のクライマーが数パーティ訪れて私たちよりはるかに難しいルートで登頂に成功しています。彼ら彼女らが登ったのがバリエーションルートということになります。




逆の極端な例をあげると、高尾山北面の樹林をヤブこぎして山頂に達するのはバリエーションルートといえます。




本チャン

古い山ヤにしか通じない言葉かも。これはゲレンデの対概念です。

昔は、ゲレンデと呼ばれる近郊の岩場でクライミング技術の練習をしてから、剱や穂高、谷川岳などのルートに向かうのが一般的でした(関東では三ツ峠や越沢バットレス、関西では六甲堡塁岩などがゲレンデとして有名)。

「ゲレンデは卒業して、そろそろ本チャン行くか!」

なんて会話が行なわれていたものです。要するに、本チャン=本番という意味ですね。

ただし、フリークライミングの普及にともなってゲレンデという呼称がほぼ死語になったので、その対概念たる本チャンも自動的に死語となりました。

――となるのが本来であるはずなのだけど、なぜか本チャンだけは今でもけっこうしぶとく使われているようです。山岳会で登山を覚えた人とかが使っているのかな?




以上のことからまとめると

・アルパインクライミングは登山のカテゴリー

・バリエーションルートは登山ルートの種別

・本チャンはゲレンデの対義語

ということ。

それぞれまったく別のレイヤーの話なのです。


なのだけど、これを全部同じ意味でとらえている人も少なくないようです。私も言葉を扱う仕事をしていなければ、そんなにこだわらなかったと思いますし、難しい所を行くチャレンジングな登山を「アルパイン」とか「バリ」とか「本チャン」とかの言葉でざくっとひとまとめに言い表すのが便利であることも確か。

ただし、もともと意味が異なる用語なので、正しく使うにこしたことはない。人それぞれに認識のズレがある用語を使っていると、コミュニケーションにもズレが生じるし、これから登山を始めようとする人が混乱してしまうこともあるだろうしね。。



2022年4月14日木曜日

『さよなら、野口 健』感想


この本、面白かった!

一冊を通しての感想は、とにかく「野口健、めちゃくちゃ!」ということ。

気まぐれで、意味不明にすぐキレ、感情的でありながらも計算高く、一方で、情に厚い部分もあり、不可能を可能にする行動力には目を見張り、放ってはおけない人間味というか可愛げもある。この本で書かれている人物像が実像なのだとすると、そのへんにはそうそういない、きわめて奇矯な個性だといえる。私は読んでいてスティーブ・ジョブズを連想してしかたがなかった。

以下、感じたことを思いつくままに列挙しておこう。



■野口健、めちゃくちゃ

良くも悪くも野口健、すごい! もうその印象に尽きる。ここまでむちゃくちゃな人だとは知らなかった。それはたとえば以下のようなものだ。


・大スポンサーがついたエベレスト遠征を「どうしてもピンとこない」という理由で中止

・当時の総理大臣、橋本龍太郎に初対面でイヤミを突きつける(この逸話は私も知っていた)

・事務所からの独立に際して、「この人がすべてを仕切ってくれるから電話して」と、ある弁護士を小林さん(本書の著者)に紹介するが、小林さんが電話すると「野口さんなど知らない」と言われる(しかし事態はうまくいく)

・同じ選挙区で立候補している、党が異なるふたりの政治家を両方公然と応援する

・急にフリーズして執筆途中の原稿データが消えてしまったパソコンをピッケルで破壊

・別の会社に転職した小林さんの名刺を「こんなものは認めん」と言って食べる

・植村直己の妻の公子さんにエベレスト出発前に験担ぎの儀式をしてもらったという、著書や講演会でよく語られている有名なエピソードがあるが、それはほぼ事実ではなかった

・富士山の環境保護に関する記者会見に地元首長を招待。会見場では首長たちの席はなぜか壇上になっており、戸惑う首長をよそに、「野口健氏と各市町村、がっちりタッグ」などと報道されてしまう


もうわけわからないけど、とにかくすごいよ、野口健。こうした「トンデモ人物伝」としてだけでも、本書は楽しめるのではないだろうか。


■是々非々

野口さんに関する文献といえば、「すごい」と称賛するものか、「ニセモノだ」と批判するもののどちらか。しかし本書は、野口さんのダメなところもいいところも、どちらもイーブンに記している。私はここにとても好感をもった。人というのは、そもそも一面的には判断できないものだ。どんな人にだっていいところがあるし、悪いところがある。そこを誇張することも隠すこともなくさらけ出しているのが本書のいいところだと感じた。


■文章が読みやすい

元マネージャーが書いた本だというので、それなりに読みづらいものかと思いきや、とても文章が達者でスルスルと読める。私はほぼ1日で一気に読んでしまった。文章には勢いがあり、読ませる力がある人なのだと思う。本書中でも語られているが、著者の小林元喜さんはもともと小説家志望だったのだという。なるほど納得である。


■ただし構成はややまとまりなし

最後、叙述が駆け足になった印象あり。8~9割くらいまではいいテンポで進んでいたのだけど、最後、バタバタッとエンディングに向かってまとめた感があり、読後感が消化不良でもったいなく感じた。あと、本書を通じて時系列がいまいちわかりにくかったりして、一冊の本としての構成は少々雑に感じる。


■著者の小林さんもクセ者である

小林さんは、学生時代に作家の村上龍の実家にアポなしで突撃して執筆の手伝い仕事を獲得したり、石原慎太郎の自宅にまたもアポなし突撃して、公式サイト制作の仕事を獲得したりもしている。このこと自体がちょっと普通じゃなく、このあたりは野口さんにそっくりだ。さらに、元マネージャーというが、途中で3回もやめている。仕事はできるようだが激情家でもあるようで、野口さんとは似たもの同士だったのかもしれない。


■著者の事情を語る部分は好みが分かれるかも

本書は野口健の人物伝ではあるが、同時に、著者の小林さんの人生の記録ともなっている。そのため、野口さんとは関係がない小林さんの私生活についても、けっこうな字数を費やして記されている。本に奥行を与える必要な記述と私は感じたが、「おまえの人生には興味ないよ」と、余計な部分に感じる人もいるかもしれない。



いずれにしろ、野口健に少しでも関心のある人なら興味深く読める一冊になっていると思う。一気に読める勢いがあるのでおすすめである。

あと、「面白い」だけではなく、考えさせられたこともあった。それについてはイマイチ考えがまとまっていないので別の機会に。




2022年2月24日木曜日

日本で2番目に高い山って知ってる?

 

2番だって、いいじゃないですか 「日本No.2協会」立ち上げ:朝日新聞デジタル


日本で2番目に高い山・北岳(3193m)を擁する山梨県南アルプス市の有志がこういう団体を立ち上げたそうです。気持ちはよくわかる。なにしろ、標高第1位の富士山に比べて、北岳の知名度は悲しいくらい低いのだから。登山をやっていない人で「日本の標高2位の山は?」という問いに即座に答えられる人ってどれくらいいるんだろう。

このニュースを読んで、昔書いた記事を思い出した。以下がそれです。




東京・新宿の街を歩いていたときのこと。すぐ目の前を4、5人の男子高校生が歩いている。

「日本でさあ、2番目に高い山ってどこだか知ってる?」

都会の雑踏で、ふつうの高校生が発したこのひとことがいきなり耳に入ってきた。風景のひとつとしてしか目に入っていなかった高校生の存在が突然、気になってしかたがない。なんて答えるんだ? 僕は接近の度合いを強めた。

「知らね」

……やっぱり知らないよね。

答えたひとりが、クイズの主に聞く。

「で、どこなの?」
「いや、オレも知らない」
「じゃ、なんで聞くんだよ」
「いやあ、知ってるかなあと思ってさあ……」

キ・タ・ダ・ケだよ!

日本で2番目に高い山は南アルプスの北岳、標高は3193m。僕はそうしゃしゃり出ていきたい衝動を必死でこらえた。そのうちすぐに、高校生の話題は新しいケータイのことに変わっていった。

金メダリストの名前は多くの人が覚えているが、銀メダリストはすぐ忘れられてしまう。世の中はそんなものとわかってはいる。富士山の知名度にくらべて北岳のそれが比較にならないほど低いことも充分理解できる。しかし……。

北岳はもうちょっと注目されてもいい山ではないかと思うのだ。槍ヶ岳や剱岳の圧倒的な個性にはさすがに及ばないことは、南アルプスファンの僕でも認めざるを得ない。しかし白馬岳や穂高と比べてどうなのかといえばほぼ同等と考えている。穂高には高山植物の豊富さで圧勝だし、白馬岳にはコースのバリエーションで上回る。それに甲斐駒ヶ岳や間ノ岳など南北方向から北岳を見てほしい。ひときわ鋭く突き立った山容にびっくりするだろう。なにより、標高は北アルプスの山すべてをしのぐのだ。

個人的には、北岳という名前がよくないと思っている。あまりにも無個性にすぎやしないか。槍ヶ岳や剱岳、白馬岳などのオリジナリティにくらべてどうだ。どこかの裏山みたいな名前ではないか。国内2番目に高い山がこれだけ知られていないのは、この名前も大きく影響しているに違いないのだ。

ところで、南アルプスで北岳に次いで高い山はどこだかご存知だろうか。

間ノ岳である。

……ちょっと、南アルプスの山のネーミングをしたやつ出て来いと言いたい。「なにかの間にある山」って感じで(名前の由来は本当にそうらしい)、北岳以上にどうでもよさ満点ではないか。

実際にどうでもいい感じのピークならそれでもいい。しかし、北岳の山頂に立ったら南を見てほしい。目の前にそびえる堂々たる量感の山にだれもが目を奪われるはずなのだ。北アルプスでいえば薬師岳のような存在感。しかも標高は国内4番目なのだ。

ツートップが平凡すぎる名前であることが南アルプスの不運と信じている。しかし内容は薄っぺらではないことは保証する。新宿の高校生には求めないけれど、せめて山好きの人にはそれを知ってほしいのである。




これはPEAKSの南アルプス特集の冒頭に載せたエッセイの一部です。この話を「エピソード1」として、南アルプスの特徴を表す個人的エピソードを3つ書きました。ちなみに「2」は「巨大タンカー・赤石岳」、「3」は「高山裏のオヤジ」です。

この記事、締切直前に猛スピードで書きとばしたものなのだけど、なぜかよく書けていて、いまでもお気に入りの記事のひとつなのです。編集部内では「これ実話?」なんて疑われたけど、100%実話!

ちなみに文中に出てくる間ノ岳、この記事が出た数年後に標高が3190mに改訂されて、奥穂高岳と並ぶ国内第3位に昇格しております。



記事が掲載されている本はこれ↓



2022年1月2日日曜日