2017年6月2日金曜日

栗城史多という不思議

栗城史多さんがエベレスト登頂を断念したらしい。今回で7回連続の登頂失敗ということになる。


栗城さんのことは、これまで、まあちょっとどうだかなと個人的に思ってはいたものの、本人をよく知らないし、話したこともないし(正確には10年くらい前に一度だけあいさつ程度を交わしたことはある)、判断はずっと保留してきました。ただしそろそろひとこと言いたい。さすがにひどすぎるんじゃないかと。


栗城さんはフェイスブックにこう書いています。


本当は30日に登頂を目指す予定でしたが、ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト全体が悪天の周期に急に変わり本当に残念でした。 
25日の好天に登頂できればよかったですが、異様な吐き気が続き、本当に悔しいです。。 
高所ではどんなに体調管理しても何がおこるかわかりません。 
ただ今回初めて「春」に挑戦しましたが、秋に比べて春は好天の周期も多く、西稜に抜けるブルーアイスの状況もよくわかったので、来年に繋げられます。 
皆さんご存知だと思いますが、栗城史多はNever give upです。


この状況でどうして「来年に繋げられ」るといえるのか、どうして「Never give up」といえるのか、本当にわからない。タイミングとか体調管理でなんとかなるレベルではまったくないことは、ヒマラヤに登ったことがない私でさえわかります。常識的に考えれば、もうとっくに登り方を変えるか、あるいは目標の山を変えるかするべきなのに、頑ななまでにやり方を変えない。これでは、ただの無謀としか思えないのです。


かつて、服部文祥さんが栗城さんのことを「登山家としては3.5流」と言って話題になったことがありました。3.5流という評価が合っているかどうかは別として、登山家としての実力が服部さんより下であることは間違いない。野球にたとえてみれば、栗城さんは大学野球レベルというのが、正しい評価なのではないかと思います。ちなみに服部さんは日本のプロ野球レベル。日本人でメジャーリーガーといえるのは数人(佐藤裕介とかがそれにあたる)。


それに対して、栗城さんがやろうとしている「エベレスト西稜~ホーンバインクーロワール無酸素単独」というのは、完全にメジャーリーグの課題です。栗城さんが昔トライしていたノーマルルートの無酸素単独であれば、それは日本のプロ野球レベルの課題なので、ひょっとしたら成功することもあるのかもしれないと思っていました。しかし、日本のプロ野球に成功できなかったのに、ここ数年はなぜか課題のレベルをさらに上げ、執拗にトライを重ねている。


大学野球の平均的選手が、「おれは絶対にヤンキースで4番を打つ」と言って、毎年テストを受け続けていたとしたら、周囲の人はどう思うでしょうか。大学生の年齢なら、これから大化けする可能性もないとはいえないから、バカだなと言いつつ、あたたかい目で見守ることもあるかもしれない。しかし、実力だけが大学レベルで、年齢は35歳。これまですでに7回テストに落ち続けている。となると、たいていの人はこう思うはずなんです。


「この人、どうかしてるんじゃないか?」


私は栗城さんを批判したいというよりも、とにかくわからないのです。この無謀な挑戦を続けていく先に何があるのか。このあまりにも非生産的な活動を続けていくモチベーションはどこにあるのか。これが成功する見込みのない挑戦であることは、現場を知っている栗城さんなら絶対にわかるはずなのに、なぜ続けるのか。それともそれすらもわからないのか。あるいは、わかっていて登頂するつもりはハナからないのか。そこに至る挑戦の過程そのものがやりたいことになっているのか。もうこれが事業になっているからいまさらやめられないということなのか。……すべてわからない。


さらにわからないのは、ファンの存在です。栗城さんのフェイスブックには応援のコメントが並び、だれもが知っているような大企業がスポンサーについてもいます。彼ら彼女らは、栗城さんに何を見ているのだろうか。


「登頂に成功するかどうかは関係ない。彼のチャレンジ精神に感動するのだ」。これならわかる。しかしそれは、目標を実現するための努力を重ねている日々の姿に感動するというものではないでしょうか。私だって、栗城さんが年間250日山に入って冬の穂高から剱岳までバリバリ登り、エベレストのほかに毎年1、2回はヒマラヤやアラスカ、アンデスなどの山で高所の経験を積み、世界のクライマーと交流してルートの研究を日々行なっていれば、無謀なやつだと思いつつ応援したくもなる(それだけやってもエベレスト西稜ソロには届かないはずですが、気概は感じる)。


こう書くと、「彼はそういう登山界の常識に挑戦しているのだ」という声が聞こえてきそうです。ただ、ヤンキースの4番を目指すなら、野球にすべてを捧げる日々を送っていないと説得力ないでしょ。ふだんはフルタイムのサラリーマンをしていて、ヤンキースの4番と言っても荒唐無稽にしか聞こえないじゃないですか。野球ならすぐわかる理屈が、なぜ登山だとわからないのか。野球だって登山だって、そういうどうしても必要なことって確実にあると思うんですよ。常識を破っていくのはその先にある。


そのようすがまったく見えず、毎年、その時期が来るとトライにだけ出かけている姿は、やっぱりどうしても理解できないのです。不思議で不思議でしょうがない。栗城さんの真の目的はなんなのか。真相を知りたい。本当に、一度その心の底の底を聞いてみたいと思います。





【補足】

書き終わったところで、山岳ガイドの近藤謙司さんがこうツイートしているのを知りました。まさにこれです。




【補足2】

後日、もう少し詳しく書いてみました。

栗城史多という不思議2



61 件のコメント:

  1. 指摘しておきますと6回ではなく7回連続です

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    1. おっとそうでしたか。ありがとうございます。本文修正しておきました。

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    2. 以前だったか、どこかのマルチビジネスに協賛する著名人物の1人に栗城さんの名前が載っており、ドン引きした記憶があります。

      マルチに名前載せてまでやる挑戦に価値なんて見出して欲しくないですねー(棒

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  2. 服部さんはk2に登頂成功してるので言っても良いと思います。

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  3. まさに、そういった否定の壁に挑戦しているようですね。
    そしてそれを見せることで、同じように否定という壁を乗り越えながら夢や目標に向けて頑張っている人を、応援しようとしているのだと思います。

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    1. その事も書いてありますよ。ちゃんと読んでます?壁を越えようとしてる人は、それなりの努力なりしてるけど、壁越えたいなぁ、エイ!ちょんちょん、とジャンプしてダメだぁとなったらまた次回、特に練習や目標を立てず同じ小さいジャンプで壁を越えようとして見える、って事でしょ、常識を壊したい人はいままでの、常識というやり方だけ違うだけで、努力や研究は同じか、それ以上してますよ。

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  4. 通りすがりの山好きオヤジです。
    わたしは栗城さんの取り組みは登山ではなく興行と思っています。挑戦する姿を見せてファンが喜ぶ、それ自体に何の文句もありません。

    ただし先鋭登山の体だけ拝借して「無酸素単独」はダメでしょう。遭難してもどこからかシェルパが現れて救助してくれる、それのどこが単独なのか。
    デタラメな登山計画は置いといても、単独は彼が使って許される言葉ではない。この点を糾弾すべきなのは山岳関係者やメディアなんじゃないかなぁ、と思っていました。
    声を上げてくれたことに感謝します。モヤモヤが少し晴れました。

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  5. 批判してる輩も、賛同してる輩も、山に登らない人から見ると変わらない…
    そんなに否定するなら本人に直接言えばええのに、なぜ言わない?
    この筆者も含め、肯定も否定も大して面識無い人が殆どだろうに…
    終いには、山に登らない奴が何を?!とか言うんだろな(笑)
    山に登る奴は面倒だなってなるのに、分からないだろうな。

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  6. 8:30投稿の匿名さんはご存知ないようですが、栗城さんのFBには、多数の意見が投稿されていますよ。
    とても多くの方が直接本人に言っているようです。

    一部に誹謗中傷の物もありますが、殆どがまっとうで論理的な物でしたが、殆どが削除されました。
    栗城さん側が削除&アクセスブロックをしているようです。

    私は昔賛同者で、講演会に参加し、著書も購入しました。
    ですが、「無酸素単独」が「嘘」であることと、「まっとうな意見まで削除&ブロックしてしまう態度」に失望し、ファンをやめました。

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  7. 去年かいつか、指を9本失ったとテレビで見ました。
    詐欺的興行で自分の指を9本も捧げられるとはもしかすると本物の○カなんじゃないのかと思います。もしくは「指を犠牲にすれば感動秘話が1つ増える=お金増える!」とでも思ったんですかね。

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  8. とても不思議なことに、
    栗城への賛辞や応援の声は、スポンサーページを除くと、栗城のブログやFBのみ。しかも全て匿名。

    逆に、栗城へのバッシングや批判は
    個人のブログや掲示板はもちろん、ありとあらゆる媒体に書いてあり
    しかもツイッターやFBなど多くは実名で書かれています…

    これまで明らかになっている栗城サイドが主導したWikipediaへの悪質な工作や掲示板の荒らし行為、ステマや自演、様々なことを考慮すると、賛辞や応援は栗城サイドの自演と考えた方が適切な気がしますね……

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  9. 無酸素って本当にキツいですよ。それを何回か繰り返した栗城さんが大学レベル?ちなみに服部さんは無酸素未経験でしたね(笑)ちなみにあなたはヒマラヤすら登ったことがない(笑)評論家ばっかり。

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    1. 酸素が必要な高度まで達した事ないんだけど?@栗城w

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    2. ナイスギャグセンス
      クリボーは入り口オナニーしかしてないだろうがよ

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  10. K2?天気が良くて、酸素使えば誰でも登れるわ(笑)体力的にも技術的にも。服部だ?笑わせんな!!!

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    1. K2を誰でも登れるとは思えませんが・・・
      服部氏は栗城氏では不可能であろう冬季3スラ登攀など国内の登攀記録もあります。
      参考までに両氏のフルマラソン42.195kmのタイム比較
      服部文祥3時間23分6秒
      栗城史多6時間38分9秒

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    2. フルマラソンの一般人の平均タイムは、男性約4時間40分女性約5時間10分
      市民ランナーの最低ラインが6時間

      栗城さんはエベレスト登頂を目指しているにもかかわらず定期的な運動を継続している一般人以下の体力なんですよね
      彼の自殺に手を貸していた人たちが理解できません

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  11. 赤岩って4級だよ?週末ハイカーの夏山レベルで登山家と言うのもダメだと思います。

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  12. お前もヒラマヤ登ってからものいえ。

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  13. 「そして、何よりも心が進まないのは600mのロープを張ってもそれは回収することはできない。つまり600mのロープと29本のアイススクリューを残置したまま帰ることになる。まるでエベレストにホッチキスを打つかのように。」栗城君、批判するのに赤岩のハンガーボルトは使うんだね?

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  14. 井の中の蛙、大海を知らず。せめてテント泊くらいしてから、ものいえ。

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  15. >お前もヒラマヤ登ってからものいえ。
    >井の中の蛙、大海を知らず。せめてテント泊くらいしてから、ものいえ。

    人様のブログに、非常識なコメントする者が居ますね。
    恥ずかしい事だとは、思わないのでしょうか????

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  16. 今、改めて読むと重く感じます。

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  17. 最悪の形で”終わり”を迎えましたね・・・・
    本人の”登山ビジネス”を支えた支援者やスポンサーたちが殺したようなもんだと思ってます

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  18. 富士山しか登った事ない私ですが、やはりプロの方達の意見は的を得ていて、今回の挑戦が如何に無謀だったのかを知りました。栗城君を嫌いない訳ではないので、今となっては違う形の挑戦の仕方をして欲しかったと思います。ご冥福をお祈り申し上げます。

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  19. ほとんどの人が栗城さんの計画の杜撰さを指摘していて「死ぬのは時間の問題」とまで言われていた。あれだけ警告されていたのにその警告を無視して栗城さんは金儲けに走ってしまった。はっきり言って自業自得だと思います。同情できる点がほとんどない。

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  20. 冒険家というより無謀家だった。失敗から何か学ぼうという姿勢がなかった。壁にぶち当たるなら壁を壊すなり越えるなり考えればイイのに、越えられない壁より高い壁に挑戦するそういう人だった。
    勿論高い壁に挑戦することは決して間違いではないが、前にぶち当たった壁より高い壁のある道へ進むという、子供でも何かおかしいと感じる方法を選んだ。
    そしてこの結果。恐らく彼の死で学べることは沢山ある。失敗からなにを学ぶか、失敗は誰だって何回もある、そこから何を学ぶかが大切なんだろう。

    これから冒険家を目指そうと思っている人、冒険家は無謀なことをする人たちではない。無謀をできるだけ可能に近づける準備や努力をして行動に移す人たちである。この栗城は無謀なことを準備せず、失敗を重ねても改善することなく無謀を繰り返した無謀家である。決してこうならないように気を付けよう。

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  21. 日本人は死者に鞭は打ちません。

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  22. 亡くなった人に対して心無い事言う奴が多いですね。
    ご存命だとしても嫌な気分になるコメントばっかりです。
    わざわざ悪口をネットに上げて、よっぽど暇なんでしょう。
    こんな人間にはなりたくない。

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  23. 登頂ではなく、実現不可能なことに不可能なままで挑戦することが目的になっていたんだと思います。文字通り致命的に履き違えてしまっていたのではないでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。

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  24. 「亡くなった方に悪口を言うなんて」と言うコメントもありますが、本来批判されていたであろう事が「死んだらチャラ」ということにはならない、というかしてはいけないと思います。安易に美談にしてしまえば同じような悲劇がまた起こる。

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  25. たとえ1人でも、他人を勇気付けることができた人生って素敵だと思います。素晴らしい価値ある命だったと。長生きや他人に迷惑をかけない人生が素晴らしいわけではないと、思いました。

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    1. 全部、嘘
      それが素敵ですか

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    2. たとえ嘘でも救われる時あるんですよ。

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    3. 私は、嘘だったら騙されたとしか思えないな

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    4. 嘘かどうかなんてどうでもいい。勇気付けられることが必要だったその瞬間に、そうしてもらえたなら、ただそれで充分なのではないでしょうか。
      大好きになった人と、最高な月日を過ごして沢山の思い出が出来た。でもその人には妻子がいたら。それを知ったときに、別れるか否かを決断して先に進むだけのことで、楽しかった思い出が消えるわけではない。その楽しく過ごした日々を人生の無駄な時間だったと後悔するか、相手を憎むか、そんな事気にせず楽しかった思い出だけを事実としてむねに残し、別の未来へ進むか、自分が選びだけのこと。

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    5. 同じことを彼の大切な人の前で言えますか? それだけ素晴らしいと思える事なら言えますよね?
      「彼は多くの『自分が感動したいだけ』の人に唆され、彼らを感動させる為に彼らを欺き続け、真に心配していた経験者たちに対しては罵声を浴びせ、嘘に嘘を重ねて彼も彼らも真実を知らないまま退く場所も気も無くなり、最後には嘘を信じた彼らに行け、逝けと背中を押されて文字通り命を懸ける無謀な冒険に旅立ち、経験者なら誰もが予想した通り命を失った」と
      人の命を自分の感動の為に食いつぶすような方々にとっては彼の命も死ぬまでに食べる餌の一つに過ぎないかも知れませんが、彼の大切な人たちにとっては彼の命は代えの利かない一つだけ
      そんな命が失われるより戻ってきてくれた方がいいに決まっていますし、まして死の理由が有象無象にどうせすぐ忘れ去られる感動などという一時の感情を与える為だなんて言われたら憤りしか感じないと思いますが
      同じ口で今年だけでも何度も何度も感動したと心にもない事を言うのでしょうしね
      彼の命の価値はそこら辺の映画1回なんかと変わらないと言ってるようなものですよ

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    6. 彼のお父様に会ってお伝えしたいくらいです。彼の頑張る姿に勇気をもらい、自分も頑張れたと。お父様は「交通事故にあうより良かった」と「今までよく頑張った」とおっしゃっていました。彼はどうしたって帰ってきません。彼が生きた人生を、人のために生きたとても素晴らしいものだったと賞賛したいです。
      もし彼が誰かに騙されて利用されていたり、行きたくないと言っているのに無理強いされたりしていたのなら殺人と変わりませんから、よろしくありません。でも彼が納得してからの決断でしていたことなのであれば、賞賛したいです。

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    7. 栗城さんを貶めるつもりはありませんが、やはり頑張るところへ行くまでの前提がなっていなかったと思います。言っちゃ悪いが偏屈変人の多い登山家に比べると、栗城さんは人当たりが良く、セルフプロデュースがうまい。その意味での才能はあったと思います。そのような才能があった彼ならば、もうちょっと違うやり方があったかもしれない。その才能が失われた事は残念でなりません。

      でも、人に夢を与えるのならば、自分も着実に経験を重ねて計画を練って行動していかなくてはならんと思うのですよ。それを虚構で固めた場合、そのファンたちにとっては裏切りになるし、本人もその固められた虚構で身動きが取れなくなる。これって双方にとっても不幸だと思いませんか?

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  26. 悲報を聞いてぞっとしました。
    プロや他人の忠告を聞かない、自分の実力とイメージの乖離、カメラの回っているときと回っていないときの態度の違いなどなどがあったようですね。筆者さんの理解できないというのもわかる気がします。
    彼は自己愛性人格障害だったのではないかと思いました。おそらく誰が止めても止まらなかったと思います。

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    1. 追伸 親だけが止められたかもしれません。

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  27. 簡単に言えば、
    九九の段も解けないレベルなのに
    微分積分にチャレンジしてる感じ。

    そもそも技術レベルが、全然見合ってないのだ。

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  28. 完全素人なので、、、お許しを。疑問なのですが。

    彼が素人同然の登山家で無謀な挑戦だったとすると、
    彼をサポートしていた、一緒に行動していた登山家も何人かいるとは思うのですが、
    その方達も完全な素人ということですよね?
    もしプロであればここに書かれているような100%無理な挑戦、
    無謀な挑戦に賛同するはずはないし。。。やらせないでしょうし。
    一緒に行動しないでしょう。自分も死ぬことになるので、、、
    ということは、、、
    現地のシェルパ以外は全て素人集団での登山、挑戦ということになるんでしょうか??

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    1. まず一つ、彼は登山家ではなかったが、とても演説の上手い人たらしであった。
      登山の専門家は口を揃え無謀だと言い続ける中、完全無視を決め込み更に他の登山家を中傷することまでありました。
      ただ内々での人物に対する評価は高く、自分の周りを自分のイエスマンで固めていました。彼が演説し、周りが助長する。
      専門家以外が周りを固めていたので、完全な素人ではなく中途半端な登山家が多かったのでしょう。

      そして無謀な挑戦は、時として興行になりえます。
      そこに目を付けたスポンサードは彼に失敗しようが宣伝になるので「賛同」します。
      100パーセント無理な挑戦ですから8回も失敗するのです。
      イエスマンしかいない、他人の意見はきかない本人なので
      やり方を変えず 仲間のカメラマンを失い、自分を3回も救助してくれたシェルパを死なせ、指を失い、自身の命を失ったのです。

      そうなるまで止めてくれる人が周りにいなかった。無謀な挑戦を無謀じゃなく魅せるカリスマ性があったのでしょう。

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  29. 根拠のない勇気はただの無謀であり、それに基づくチャレンジは、挑戦という崇高な行為からは程遠い蛮行だと思う。

    難関大学、難関資格、プロスポーツ、プロ棋士etc…高い壁への挑戦は、それを実現する可能性が少なくとも50%以上見積もることができて、ようやく挑戦と呼べる行為になる。
    それ未満であれば極論ただの博打、日々の積み重ねで地道に可能性を高めている人に対して、博打で挑むのは失礼。

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  30. いや当然でしょ、50%でも低すぎるくらい。

    実現確率を高める過程が努力であり、日々のトレーニングであって、下地もないのに高い壁に挑み続けて玉砕し続けることは、お金と時間と、そして今回に限って言えば、貴重な命の浪費とも言える。

    2年でも3年でも、エベレスト登頂に必要な体力能力を身につけて、必ず成功させるという自信を持ってから臨むべきであった。

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  31. 言っちゃなんだがこの人を可哀想だとは思わないし全て自業自得だと思う、そしてこの人の意見に賛同していた人は今何を思っているのだろうか?

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  32. ご感想ありがとうございます。これまで、このコメント欄は、ノーチェックでこちらで削除も一切しないということをポリシーにしてきましたが、目に余ると感じたものは、頃合いを見て削除するようにいたします。人がひとり亡くなっている話です。故人への罵倒にコメント欄を開放するつもりはありません。ご理解よろしくお願いいたします。

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    1. まだまだ経験が不足しており、失礼な言葉がありましたら恐縮です。

      上記の件、是非そうして下さると幸いです。
      私は登山の経験がほぼありません。ですが、私が病気で下を向いていた頃、栗城さんの著書を拝見し、行動することの意味を考えさせられました。

      その後のご活動に関しては全く知りませんでした。そして、今回の件を知り、疑問がうまれ、登山家の方の見解なども読ませて頂きました。

      友人・知人間であれば、意見し合うことも、批難することも自由だと思います。インターネットも然りです。
      しかし、誰しもが見れるサイトでは、貴方が仰る通り、情報だけで判断し、反論ができない故人を罵倒することは差し控えるべきだと思います。

      彼の想いは彼にしか分からないと思いますし、今回の件を今後も考え続けていくことがなすべきことだと思います。

      彼の最後の想いは誰にも分かりません。
      私は頂いた知識と心情を自分のために活かすだけです。

      私は海が好きですが、山も好きになれると良いです(笑)
      長文となりましたが、最後までご拝読いただき誠に有難うございました。

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  33. 毎年着実に持久力、無酸素で登頂する為の強靭な肺活量とVo2Maxを鍛えるという事をせずに只室内無酸素トレーニングだけをする等、正に具体性の無いカリスマ興行師と呼ぶに相応しい人でしたね。。
    登頂して無事に下山するというプランは毛頭無かったと思います。それを実行するだけの体力も理念も無かったと思います。
    第一回目の頃は純粋に応援していただけに、尚更ろくなトレーニングも積まずに二回目に挑戦した辺りから出資者、応援者に対して饒舌な人だなという印象が強くなりました 。
    彼と同じ登山を趣味とする者として応援していた私ですが、失意と同時に「あぁやっぱりなぁ」という言葉しか出ません。。。

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  34. 山屋が彼を批判をするのは、こういう無謀な登り方をする人がもう二度と在ってはならないからです。

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  35. 7000m8000m級の山を登った事ある人なら
    彼の実力に関して物をいうのは分かるが、、、

    ネットの情報だけで書いているとしたら。
    亡くなった人に対してあまりにも酷い。

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  36. 彼はエンターテイナーとして純粋であったように思う。
    一般的な登山の世界とは定義が違っても、彼は人々に山のロマンをダイナミックに伝えたという点でパイオニアだ。

    ノーマルルートでいいし、ガイドがついていてもいい。人々は彼の登山能力じゃなくて発信力に惹かれているのだから。

    でも、一般的な登山の世界でも認められたいと思ってしまったのだろうか。登山家としても一流として見られたいと思ってしまったのだろうか。
    彼のファンは、山をしらない人々なのだから、本当はそんなこと大したことではないのに。

    自己顕示欲が彼を狂わせてしまったのだろうか。
    エンターテイナーという充分な才能があるのに、それを過小評価して、もっと才能があるように見せたかったのだろうか。

    自分のモノサシで優秀な自分を目指せばいいのに、世間のモノサシでも優秀な自分でありたいと思ってしまったのか。

    こういった心理は、彼特有のものではなく、誰しもの心の中にも多かれ少なかれあるように思う。

    彼の行動は愚かかもしれない。
    でもわたしは”バカだ、愚かだ”とはとても言えない。

    とても悲しい。

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    1. ネット社会だから少なからず栗城氏の耳にも本人にとっては都合の悪いことも多々入っていくとは思う。でもそれは他の登山家、冒険家も同じ土俵だしメディアへの発信に特化した点は他の登山家と呼ばれる方々とは一線を画すとは思う。
      だからこそ、もう少しメディアの影響力を理解した上で真の登山家へ少しでも近づこうと努力して欲しかったようにも思う。良くも悪くもメディアの影響を利用し、利用された人だったよ。
      よく他の登山家、冒険家は栗城氏の事をバカにしているんではないか?と言う論調の文を見かけるが、それは単純に忠告であって企業で言うところのバランサーの役目を果たすはずだった。が、そこに大きな溝があるのも確かで栗城氏の頑なまでの意思が登山家のそれとは乖離していたのは残念なところ。

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  37. ノーマルルート、ガイド付き、酸素有りでいいからリアルタイム動画配信しながら登頂して欲しかったですね。それこそ世界初になったのに

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  38. ‪好きだ、って思うことに説明がつかないことってあると思う。意味や価値なんてなくても、周りから避難されても、理解してもらえなくても、行動できるのは、羨ましいなと思う。私はそんなことできない。多くの人が、意味を成さないことや、お金にならない非生産的なことを辞めてしまう。まあ、それがごく普通だと思う。‬
    ‪じゃあ有名になればいいのか、それなら偉いのか?お金になればいいのか?‬
    彼は死ぬまでやり続けられるほど、山が好きだったのかもしれないし、やっぱり色々‪考えられない人だったのかも知れないし、たしかにビジネスのためだったのかもしれないし、周りに煽られて辞める訳には行かなくなったのかもしれない。周りは意味を付けたがる。無意味で、無駄な行動を認めたりなんかしない。‬

    ‪山に登る理由として、彼は「冒険の共有」を掲げていたけれど、彼自身にも分からない言葉にならない、止めることができない衝動を、周りに説明するために、分かりやすく説明するために選んだ言葉のような気がする。山に登らなければならない理由は、本当のところ、彼自身にも説明がつかないことだったのではないかな、と思う。だから、周りが分かる訳がない。知りたくても、理解して納得したくても、誰もわからない。‬

    ‪森山さんのブログ、興味深く拝見させて頂きました。コメント欄の意見も含め、色々、考えさせられました。‬

    ‪登山を知っていればいるほど、プロであればあるほど、彼のやろうとしていることの無謀さを思わされ、意味が全く分からない....と頭を抱えさせられてしまうんだろうな、とブログを読んでいて思いました。‬

    ‪私は登山について、ほとんど何も知らないんですが、いわゆる「登山」という括りを考えたとき、彼のしてきた登山の意味することは、それとは違ったんだろうと思う。同じ価値観でないといけなくはない。ただ、こんなにも違うのか、とただ思う。‬

    ‪本当に不思議なひとですね。‬
    ‪大変、理解に苦しみます。‬

    ‪合掌‬






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  39. 私は戦艦大和みたいな方だと理解していました。

    彼に励まされたり勇気を貰った人がいて、彼等に挫折する姿を見せられなかったんじゃないかと思います。
    Never give upは、彼に掛かった呪いだったんじゃないでしょうか。

    そう考えたら、彼の行動が見えてきませんか?

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  40. 森山憲一さん、あなたがいうように栗城氏は登山でも一流(一流の定義で難易度や未踏ルートを登るような・・実力のある登山家の枠では)では一流ではなかったと、経歴や過去を見れば理解できます(嘘をついていたのも事実すし)但し、冒険の共有としてチャレンジする精神を一般的に今時のやり方で時代の流れに沿って発信し、周りを感化させて広めたきたのは日本の登山家ではトップクラスだと(野口健さんも含め)登山家や登山愛好者は、昔から登山はこうあるべき!みたいな考えが強いのか、新参者を受け付けない(認めない)名残りがあり・・登山家はこうだ!みたいな考えで、認めようとしない人がほとんど。分かりやすく言えば古い団塊の世代の考えを今時の若い子に、こうしてきたから、あなたもこうしろと強制しているのと同じです。登山家からすれば3.5流とけなした服部文祥とか他登山家から見れば、栗城は何を登山家気取りしている!と思っているのでしょう。一般的に登山家と広めた貢献者は貴方や服部氏などではなく、栗城氏や野口氏の方が遥かに一流の登山家だと結果がでてます。難易度の高い山を登っても、誰も知らなければそれは自己満足にしか過ぎない。それに興味もなければ何も印象に残らない。現実にあの一流の谷口けいさんも亡くなった時は一般人のほとんどは知らないのが現実。それでも谷口さんは登山家の中でも一流の登山家です。チャレンジを広める発信や感化させ、メジャーにする力は栗城氏や野口氏には勝てていないのも現実です。※グーグルでのアクセス解析など個々の個人名をランクなど解析すれば一目両全。要は登山家はこういうのが登山家など古い考えを押し付けてるだけであって所詮、マスターベーションに過ぎない。寿司職人は何十年も寿司職人しないといけないと言うが、売れる店と職人の経歴の長さや美味さは関係無し、歌も上手いから売れる時代ではない!それと同じです。
    一流の登山家の中でも色々、今は色々な登山家が出てくる時代を、受け入れることをしないと、あなたの言っていることは古い相撲協会と何ら変わりません。
    それが時代の流れです。
    登山家、それは登山家が決めるのでなく世論がどう思うかが重要だと思います。難しい山を登るのも登山家、登山をして世間やTVで登山家だと言われるのも登山家。それが現実です。
    今回、栗城氏が遭難され亡くなられたことは残念ですが、どんな人間でも死を無駄にしてはいけません。

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  41. 今回の件、本質的に山は関係ない気がしました。亡くなられた栗城さんの人間性やその周りの人達に起因していると思います。なので山に限った話しではなく、スポンサーが付く挑戦には事故を未然に防ぐ為に監査の仕組みが必要だと思います。その仕組みはスポンサードする企業側が委託した第三者が実施するのが望ましいと思います。
    スポンサーが付かなければ彼は死ななかっただろうし、そもそも山にも登らず、別の道を探して糊口を凌いでいたかもしれません。ただ、やっぱり監査の仕組みがなければ、同じ様に空での挑戦や海での挑戦をして、最初はポーズのつもりが、いつしか引き返せなくなり、結果、死んでいたと思います。
    監査基準は挑戦に値する準備とトレーニングを行ってきたか。彼の掲げた『冒険の共有』『否定の壁への挑戦』とは矛盾しないと思います。

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  42. 確かに、ある時期を過ぎてからは
    大きな不安と迷いを抱えていたように思います。
    彼自身の 世界を捉える視点、
    不可能なことは なにもない と 純粋に信じきっていたのが
    指を失うことで その世界観が 揺らぎはじめます。
    専門家による指摘に加えて、悪意あるバッシング
    彼自身の誇りを奪われるような評価も 増えていきました。
    予々好意的な直接会う人たちには、これからの登山についてしか聞かれない。
    彼は、自分の存在意義について
    アイデンティティクライシスを 起こしていたと思います。
    それらすべてを自分自身の内側から はねのけるための
    もっと遠くへ もっと高くへ もっともっと だったようにも思います。
    本格的な登山になればなるほど
    自分自身の 蓋をしている 想いと 向き合うことになるのでしょう
    それが、ここ最近の 山での彼の行動になってしまっていた。
    もしかすれば、深い部分には
    自分の人生に対する諦め、投げ出したい気持ちが あったのかもしれません。

    今でもときどき、彼の存在を思い出します。
    彼の功績は
    その生き様で、多くの疑問を投げかけ続けていること

    私たちにできることは
    こうだ、と決めつけることではなく
    もっともっと いい答えを探して 疑問を 抱き続けること
    では、ないでしょうか。


    彼は とても純粋で まっすぐで 好奇心旺盛な 魂のかたでした。
    彼にしかできないことを、彼は やってきた
    多くの意味で、そう思います。

    ご冥福を 心から お祈りいたします。

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  43. 彼に本当に支援者やファンというものが存在しているなら、彼がしたことに対して無駄じゃなかった救われたなどと語る前に、どうして彼が命を落とすまでその無茶に自分たちは気付けなかったのかということをもっと真剣に考えるべきではないでしょうか。
    スポンサー等の周りの人間が追い詰めたのか、只々彼が無謀だったのかは分かりませんが、彼に見合った挑戦でも勇気や希望を貰える人はいるし、そうしていれば今も生きてその人達の希望として活動出来ていたと思います。
    こんな挑戦とも呼べない無謀な行動での死を疑問もなく美談として語るのは
    、まるでそれが規定路線であったかのようで恐ろしいです。
    そして、単独無酸素と嘘を付くことには彼個人にもファンにも何もプラスになることはありません。
    その嘘が今回の死の一因でもあるでしょうし、ファンにとって大切であったはずの彼を失ったわけですから。
    それでも単独無酸素を主張するのなら、また彼のような命が理不尽に失われるだけでしょう。

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