2018年5月28日月曜日

「賛否両論」の裏側にあったもの

5月21日、栗城史多さんがエベレストで亡くなりました。当初は、死因や遺体発見の場所など、情報が錯綜していましたが、標高7400mのキャンプ地からの下降途中、滑落しての死亡ということで確定したようです。夜中に下降していたことについて疑問もありますが、状況によってそういうこともあるのかもしれない。そこは私にはわかりません。


事故の第一報以降、私が過去に書いたブログ記事(「栗城史多という不思議」「栗城史多という不思議2」)もアクセスが爆発。なんと1日で90万PVに達しました。あらためて、栗城史多という登山家の知名度の高さ、注目度の高さを知った気分です。


栗城さんについては、昨年の2回の記事で言うべきことは書き尽くしたし、事故のことについてはまだ詳細がわからなかったので、とくに何かを書くつもりはありませんでした。が、1本だけ記事を書きました。


“賛否両論の登山家”栗城史多さんとは何者だったのか(文春オンライン)


書いた理由は、竹田直弘さんという編集者からの依頼だったからです。記事中で、昨年、栗城さんに会ったときのことを書いていますが、このとき、この竹田さんも横にいました。竹田さんは、昨年、私のブログを読んで連絡をくれ、栗城さんと会うセッティングをしてくれたのです。事前に栗城さんに記事化を断られていたので、竹田さんにはもはや仕事上のメリットは何もなかったのですが、面倒な日程調整をしてくれたうえに、同席までしてくれました(そういえば、その日は、渦中にあったタレントの松居一代が文藝春秋本社に突撃した日で、目の前で見てびっくりした覚えがあります)。


竹田さんとは以前、Number編集部時代に一度仕事をしたことがあり、そのときの誠実な仕事ぶりに好印象をもっていたし、栗城さんの件で骨を折ってくれた恩もあります。編集者としても、人間としても、信頼できる人という思いがあったので、その竹田さんからの話なら変な記事にはならないだろう。ということで、思い切って記事を書いたというわけです(同様の依頼はほかにもいくつかありましたが、いちばん最初に連絡が来たハフポストの電話取材以外は全部断りました。こんなデリケートな仕事、知らない人相手にできません)。


この記事もずいぶん読まれているようで、ネット上に感想の声があふれています。さらに、栗城さん本人を知る人から直接・間接に話を聞くこともありました。この一週間、それらを見聞きするなかで、私の中での栗城さんのとらえ方に微妙に変化が生まれています。登山家としての評価はなにも変わりません。変わったのは人物についてで、それはどちらかというと同情的・共感的な方向にです。


具体的にどういうことかというのはさておき、そんなことを考えているうちに、ひとつ思うことが浮かんできました。とても重要なことです。以下は、そのことについて書いてみます。


昨年のブログで、私は野球になぞらえて、栗城さんの挑戦の無謀ぶりを説明しました。しかし今では、格闘技にたとえたほうが、より適切だったと感じています。「ボクシングの4回戦ボーイがマイク・タイソンに挑戦するようなものだった」という意味のネットの書き込みを目にしました。まさに言い得て妙。命の危険があるという点で、登山は野球より格闘技に近いものがあるからです。


高額なリングサイドチケットを持っている人は、試合内容にはあまり関心がなく、「ここにいるオレ」を買っているにすぎないという構造も、ボクシングに似ていると感じます。事故後、栗城さんの支援者や知人がSNSで追悼を表明していました。すべてではありませんが、その一部に、私は控えめに言って吐き気を催しました。なんてグロテスクな光景なんだろう。


……つい熱くなってしまった。話を戻そう。


当然のことながら、栗城さんはタイソンに滅多打ちにされて、最後はリング上で命まで落としてしまう結果になったわけですが、これが本当のボクシングだったら、こんなことはあり得なかったはずです。そんなマッチメイク、成立するわけがなく、成立するとしたらテレビのお遊び企画以外にないということが、だれの目にも明らかだからです。


しかし、エベレストではこれが成立してしまった。そこには、不可能を可能に見せる、栗城さんの天才的なショーアップ能力の存在が大きかったと思うのですが、それだけではない。世の人々が、マイク・タイソン(=エベレスト北壁や南西壁の無酸素単独登頂)が何者かを知らず、栗城さんの実力レベル(4回戦なのか日本チャンピオンなのか世界ランカーなのか)もよくわかっていなかった。天才的なショーアップ×観客の無知。このかけ算によって、悲劇的な興行が成立してしまったと思われるのです。


そう、これは悲劇です。命の危険がある無謀な挑戦からおりられなくなったボクサーと、無謀ぶりを理解せずに無邪気に応援している観客という構造。ボクシングと決定的に違ったのは、登山に対する世間の理解度です。間違ってもこれを、「果敢な挑戦の末に夢破れた」という美談にしてはいけない。


亡くなった故人やご遺族には酷な言い方になってしまいますが、事実としてそのようにしか見えないし、栗城さんと近しかった人に聞いた話を総合すると、これがことの真相であるとしか思えないのです。「好きな山で死ぬことができて本望だったのでは」という陳腐な言葉で片付けても絶対にいけない。


ご遺族や友人など、近しい人にとっては、余計なことは考えず、まずもって故人を偲ぶべき時期でありますが、私を含めて世間一般がやるべきこと考えるべきことは、違うことであるはず。「何が問題だったのか」ということを考え、二度とこういう悲劇が起こらないようにすることが第一であると思うのです。


同時に思うのは、この明らかな悲劇を見て見ぬ振りをしてきた登山界の責任についてです。世間の人々がタイソンの強さも栗城さんのレベルもわからなかったのは、登山界やメディアが伝えてこなかったからです。


登山関係者なら、友人などから「栗城さんて、すごい登山家なの?」と聞かれた経験が一度ならずあるかと思います。しかしこれに答えるのはじつは難しいことです。エベレスト北壁や南西壁の難しさを、山を知らない人にもわかるように説明しなくてはならないし、同時に、栗城さんの実力レベルもわかりやすく説明できなくてはならない。よほど明晰な分析・表現能力をもっている人でもないかぎり、これは困難な話で、結果、面倒になって質問にきちんと答えてこなかった人がほとんどではないかと思われます。もちろん私もそのひとりで、「まあ……すごいというのとは違うんだけどね……」みたいな、曖昧な返事をしてずっと流してきました。


なぜ、レベルを説明するのがそんなに難しいのかと思う人もいるかもしれません。ここが、野球やボクシングなどのスポーツと登山の違うところであって、登山には、明確なランキングのようなものが存在しません。山の難しさは、季節やコンディション次第で変わったりもします。そこに「無酸素」とか「単独」などの条件が加わることによっても、困難度は大きく変動します。第一、登山は競技ではないので、評価基準は一本線ではなく、いくつもあります。考え合わせるべきパラメーターが多岐にわたるので、評価は難しく、それは「世界でいちばんすばらしいギタリストはだれか」を決めるのが困難であることに似ています。実際、先鋭登山の世界的権威とされる「ピオレドール」という賞が、選考基準の食い違いにより内紛が起こり、一時期休止されていたこともあります。


文春オンラインの記事にも書きましたが、登山雑誌は、栗城さんをほぼ黙殺してきました。理由はいろいろありますが、ここに向き合うのが面倒だったからです。へんに持ち上げても、専門誌としての見識を疑われるし、逆に、挑戦を批判的に取り上げるなら、根拠を整理して理論武装しなくてはいけない。どちらも面倒くさい道なので、ならば、ふれないでおくのが無難だろう……ということだったのです。


ところで、「登山雑誌」と他人事のように書いていますが、この20年間、登山雑誌中心に仕事をしてきた私にとっては、これはまさに自分事でもあります。


面倒くさいから、栗城さんにはかかわらないようにしてきたし、面倒くさいから、「登山家の評価」というようなテーマからは、言葉を濁して逃げてきました。ヒマラヤなどの先鋭登山について書くときは、あまり専門的なことを言っても、読者はわからないし興味もないだろうと勝手に忖度して、かなり端折った説明しかしてきませんでした。


こうした態度が、世間の無知を促進した一面はきっとあるというのが、いま感じている反省です。もちろん、社会的有名人になった栗城さんの前には、登山雑誌が何かをやったところで、大した意味はなかったかもしれないし、いずれにしろ結果は変わらなかった可能性も大きい。それでも、一定の歯止めにはなっただろうと思うのです。


私の知る限り、海外のメディアは、それなりにおかしなところはありつつも、4回戦ボーイが世界チャンピオンより有名になってしまうような極端なことはありません。大々的に取り上げられる人は、それなりに実のある人である場合がほとんどです。かなり専門的なわかりにくいことをやっている人であってもです。メディアだけでなく、社会全体の冒険に対する理解度の高さが影響しているのだとは思いますが。


日本はその点、真実よりも、わかりやすさや人気を優先させてしまうところがあります。多くの場合、それは現実的な選択であり、それによって問題が起こることはあまりないのですが、歪んだものの見方であることは変わりない。その歪みが、悲劇につながることもある。歪みはやはり歪みなのだ。そのことに気づけたことが、今回の事故から得ることができた、私にとっての教訓です。

73 件のコメント:

  1. 今回の件で、彼のスポンサー企業が「何故彼を止めなかったんだ」「スポンサーがけしかけたんだ」などと非難されておりますが、正直言って理不尽という感が否めません。森山様は如何お思いでしょうか?

    まず第一に、これらスポンサー企業に、登山に関する知識を有した人物、ましてや彼の力量を見極められる人物が一体どれだけいるというのでしょうか。大企業であれば、社員や役員の中に何人かはいるかもしれませんが(ウォルマート社などは社長自らエベレスト登頂に挑戦されているそうですが)、その人たちが出資を決める稟議の中に確実に存在すると言えるでしょうか。まして中小企業でしたらほぼ皆無ではないでしょうか。

    スポンサー企業としては、自社やその商品の宣伝になってくれることが出資の目的なのであって、それを達成すると見込んで出資を決めた以上は、ただ「がんばれ」と応援する他ないのではないでしょうか。

    まして、登山界がいくらがんばって、登山に関する知識を広く一般人に啓蒙したとしても、彼の力量を「審査」できるレベルにまで達することは無理だと思います。所詮はトリビアの域を出ないのではないでしょうか。

    「専門家に問い合わせればよいじゃないか」という意見もあるかもしれません。銀行が住宅ローンの審査をするみたいに、「じゃあ森山さん、この登山家のスポンサーになっても大丈夫か審査してくれませんか。ウチの会社のロゴ入った登山服着て遭難されると困るからね」などと依頼されたら、どんなに超ベテランの登山家の件であっても、忖度抜きで「NO」と言わざるを得ないのではないでしょうか。となると、たとえベテランであっても企業が出資を渋り、思い切った挑戦が行われなくなってしまうという危惧もあると思います。

    今回、ニトリ社がスポンサーを降りたと聞いております。彼が難題に挑戦する割には国内での講演活動に明け暮れ現地での高地順応に励んでいる様子が見られないことに業を煮やしてだそうですが、そうしたところから判断してゆくしかないのでしょうか。

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    1. おっしゃることは、基本的にすべて同感です。スポンサーが止めるべきだったとは思わないし、それは無理なことであることもわかっているつもりです。

      言いたかったことは、社会全体でもう少し登山や冒険に対しての理解が深まれば、こういう悲劇は起きにくくなるんじゃないか。登山界にいる以上、その努力を自分はしていこうと思うし、登山界にいるほかのみんなも一緒にしようよ、ということです。

      とはいえそれは微々たる力なので、効果があるかどうかはわかりません。ただ、0.1でもそちらに向かうのならば、それはいいことなんじゃないかと。

      「思い切った挑戦が行われなくなってしまう」という危惧もおっしゃるとおりです。こういうことをあまり言い立てると、冒険を否定するように受け取られかねないのですが、それはまったく本意ではありません。書いていてここは気になったのですが、あまり話を広げると論点が分散してしまうので省略しました。いずれ、機会があれば、ここだけを掘り下げて書いてみたいと思います。

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  2. メディアの責任が1番大きいと思います。
    今回の事故もメディアが栗城史多さんを正しく取り上げていればこのような事故は防げたかもしれません。
    メディアの力は強力でおおかたの人は信じ込みその人に陶酔します、それが作られた虚像だと気付かない。
    私はこのブログのお掛けで真実が見えた気がします。
    今の日本には残念ながらそういう良識をもったメディアはないのでは?
    栗城さん自身もメディアによって作られた虚像登山家栗城さんのファンの方々もある意味被害者だなと思うのです。

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  3. 栗木ハンター2018年5月29日 4:28

    森山さん本当にお疲れ様でした。お久しぶりです栗木ハンターです。
    心中お察しいたします。
    今回はデリケートな問題なので私も言いたいことは色々ありましたが素人なりに記事を書きました。
    森山氏、海彦氏の見解はいつも公平な立場から的確に見解を示してくれているので百年の溜飲が一度に下りていました。

    今回栗城が亡くなったことで不謹慎ではありますが同じような感覚にとらわれました。
    森山氏がいったような「残念とは違う不思議な感覚」というか一種の救いのような感覚というのか。
    栗城批判者の中にはこのようなカタルシスを感じた方も多かったようで中には涙を流しつつも安心を感じた人たちもいたようです。
    私も思うのですが、彼の本当の理解者は森山氏はじめとする彼に疑問を呈していた我々なんじゃないかと今もそう思うのです。
    彼の死後無責任な支援者の「感謝」や「ありがとう」などに嫌悪と怒りを感じました。
    無知の善意は人を殺すのですね。。。。。
    下手なホラー映画よりそこに渦巻く利害関係にゾッとしました。
    これは本当に「登山」だったのでしょうか?
    今となっては真相は闇の中です。

    今回の森山さんの記事もよろしければ転載の方よろしくお願い致します。

    栗木ハンター

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  4. 数年前から、本を出すときもですが、サポートに自己啓発系というか、某マルチ商法の団体と組んだ辺りから加速度的にアンコントロールになったと感じます。

    その界隈に群がる観客は山登りなど知るよしもなく。「願えば必ず叶う」というような本ばかりを読んだりしてたクラスタですから。

    愚かだなと思いつつも、死ぬには早すぎると、残念に思えてなりません。ただ、美談として応援していた方々は、また別のコンテンツを見つけたら、同じように消費しつくすのだろうなと、胸くそ悪くなる思いです。

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  5. 老舗の山岳雑誌すら最近は初心者向けハウツーか年配者向けハイキング雑誌化しているように感じます。もしくはアルパインでも定番ルート紹介とか。誌面の方針の事は受注する側であるライターさんに言うのはお門違いで失礼にあたる気がしますが・・。

    ヒマラヤとか国内の厳しいアルパインが深い内容で量・質とも取り扱われるのがロック&スノーと、たまにウィルダネス誌くらい?(他にもあるかもしれませんが)
    老舗山岳雑誌も毎号で3ページ位だけでもいいから本格記事を増やしていかないと、初心者向け・人口の多い年配向けの内容が短期的には部数の結果が出る=現在の地上波TVや大マスコミがやってることと同じ、という負のスパイラルに陥る気がします。大マスコミはそれをやって結局は、衰退しましたし。

    長い目で見て経済的にも啓蒙的にも、種薪きとしてやって頂ければと願うところです・・。
    いずれにせよ、山岳雑誌は栗城さんの件を評論、分析してキッチリ誌面を割いて頂ければと。こちらの方はきつい表現ですが義務であるように思います。

    角幡さんが新書で、那智の滝の件を山岳雑誌はまともに批評、評論しなかったと書いてましたが、今回の件もそれくらい大きな事案だし、分岐点のように思います。
    森山さん他、山岳ライターの皆様の批評が登山界にも社会にも必要なので陰ながらご活躍をお祈りします。
    格闘技の喩えは素晴らしいと思いました。

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  6. ドライコット・デル2018年5月29日 5:37

    私はアーネスト・シャクルトンのファンなのですが(もちろん、エンデュアランス号の”伝説”とオーロラ号の顛末を知ったうえで、です)、彼がもし件の南極探検で命を落としていたら、きっと今日の栗城氏のような評価を下されていたんだろうな、と考えていました。

    シャクルトンと栗城氏では、成し遂げた業績に大きな差があり単純に比較はできません。ですが失敗を続ける人間であればこそ、生きて帰ってくるべきであったと思います。シャクルトンの言を借りれば「生きているロバのほうが、死んだライオンよりまし」だからです。

    きっと100年前のイギリスでもこのような議論が交わされていたんでしょうね・・・。雑多な感想で申し訳ありません。

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  7. 自分なりに2010年から栗城氏をウォッチしてきました。
    彼のことは、常識のある人間が『普通の思考』で考えても、理解はできないでしょう。
    そしてそのような普通じゃない人間だったがゆえに、私も彼に注目してしまったのだと思います。
    言動だけでなく、人間関係、講演、営業活動などなど。

    死因の滑落死の発表には納得しております。
    もしかすると、このまま敗退して帰国しても「総叩き状態」になる、同情を買うために多少の怪我を装おうとして(あくまでも怪我が目的で)。。。という予想も私は捨て切れません。

    2012年の2度目のシシャパンマの滑落騒動も、同年のエベレストで指を9本失った経緯も同様です。自らの肉体を自ら、という可能性を考えております。
    すべてに共通しているのは、夜間の撤退活動中でシェルパがそれなりの距離にいて、救助が期待できる状況でした。
    そして冒険の共有を掲げていたにもかかわらず、SPOTはオフ、全く映像も何も記録がありません。
    2012年の凍傷時に、ヘリコプター内で指を見せる栗城氏、凍傷のラインが非常にまっすぐで不自然すぎます。
    https://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/pages/103.html

    あくまでも1人の栗城マニアの与太話として。

    追 ニトリ社がスポンサーを降りたのは2012年春のシシャパンマ滑落騒動後です。
    もともと社長が学生時代の彼を気に入り、大卒後就職内定もくれていたそうですが、「山に行きたいので断った」と栗城氏が過去に語っていました。
    社長が栗城氏に苦言を呈する姿が映ったのは『カンブリア宮殿』(2011年9月8日)の映像内です。

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    1. このときの苦言が印象的でした、「彼のやっていることと、自分の思っていることの方向性がちがうのでスポンサーを降りた。」といった内容でしたが、社会に責任ある立場の人間が他人を簡単に非難できないからこそのオブラートにつつんだ最大限の苦言だったと思います。

      これと同じことが社会に責任ある立場のマスコミの限界だと思います。
      持ち上げることは簡単ですが、批判することは難しい。

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  8. 今回のことで一番の問題は、栗城さんを取り上げなかった登山専門誌ではなく、彼を「すごい登山家」のように取り上げた大手マスコミにあるのではないでしょうか?
    「どう報道していいかわからないので取りあげない」登山専門誌のこの姿勢は確かに消極的ですが、誤った報道をしたわけではありません。これに対し大手マスコミの報道内容には疑問符がつくものも多かったです。大手マスコミとひとくちに言っても媒体ごとで登山に対する見識に差があるのは仕方ないことです。しかし、明らかに登山に関して十分な知識があるはずの放送局や新聞社が誤解を生むような報道を何度も行っていたように思えます。
    彼らの報道によって栗城さんの知名度があがってスポンサーがつき、4回戦ボーイと世界チャンピオンとのマッチメイクが可能になってしまった。

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    1. 専門誌の消極的な姿勢は無視・黙殺のつもりだったかもしれませんが、結果として黙認となり、彼の跋扈を許す形となってしまいました。
      一般メディアが誤った情報を広げているなら、なおさら専門誌として冷静な指摘をしなければいけなかったと思います。
      「テレビが栗城さんすごいって言ってるけど実際どうなのよ?」と思って資料を調べようとしても客観的な分析がどこにもなく、ネット上の個人の記事では資料としては弱いのです。

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  9. 匿名さんの意見に違和感を覚えます
    今の時代インターネットに情報は溢れています。
    栗城さんが何者で登山家としての実力がどの程度であるかは、ズブの素人でも2時間もネットサーフィンをすれば分かります。
    よしんばネットの情報を鵜呑みにしないまでも、「あれ?なにかこの人おかしいぞ?肩書と看板に偽りがあるんじゃないか?」という程度の「気付き」に達しなければおかしい。

    ですからスポンサードした企業の担当者は彼の実力を見抜けなかったわけではない。登山家としての実力や彼の肩書や看板が本物であるかはハナからどうでも良かった、というのが実情でしょう。

    >スポンサー企業としては、自社やその商品の宣伝になってくれることが出資の目的なのであって

    まさにこの部分ですね。この目的が達成されれば栗城さんの登山が成功しようがしまいが、栗城さんが本物であろうが偽物であろうがどうでも良い。どのみち一般の大多数の人は登山の中身には興味無いのだから話題性だけを利用出来れば良いという皮算用だったのでしょう。

    匿名さんは無意識に今回のことを美談として捉えようとしているように見受けられます。
    企業はそんなにロマンチストではないし、彼の支援者もまたそうでしょう。
    森山さんが「吐き気を覚える、グロテスク」と表した部分はまさにそういった側面ではないのでしょうか。

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  10. 登山会の人はちゃんと批判をしていたと思います。その批判を受け止めず、「夢を否定する人々」として敬遠してしまったのは、栗城氏や、その周辺、またファンではないかと感じています。

    栗城氏が無酸素・単独という基本的な点で触れ込みと実際の登山活動に差異があった点なども、当初は批判されていたとおもいます。

    支持者に関して言うと、真実やわかりやすさに飛びついた、真実をしっていたら止めたり応援しなかったのでは、という仮説にもとづいてるとおもうのですが、私はそうではないように思います。

    私も支持者と何人かお話しましたが、
    「登山のプロとかがいう無酸素とか単独とかの定義はどうでもいい、夢や希望をもらっているのだから、私は応援する」
    という極めて私的なものでした。つまり、森山さんの指摘するようなチャレンジの合理性とか、単独無酸素の定義やルールとか、そういう社会的なかかわりのようなものはあまり関係ないようなのです。非常に私的で、極論をいうと、栗木氏の活動は、登山界やその他の社会とのかかわりではなく、栗城氏とそのファンの内部だけのとても私的な関係性だけが存在したというのが私の視点です。

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  11.  大変興味深く拝読いたしました。仰るとおり、登山は競技ではないため、評価の軸がとても難しいですね。

     「登山におけるフェアとは何か」が、実に曖昧です。
     シェルパに頼る大名行列でも、途中までスノーモービルを使っても、頂上に至ればそれはもちろん立派な「登頂」。BCから自分の足で歩かなくては登頂ではない、などというルールはなく、仮に七大陸最高峰の全山頂にヘリや飛行機から降りる人がいるとしたって、そこまでいったら、面白い冒険だと思いますし(笑)「そんなことしても意味ないよね」といわれるなら、登山すること自体が同じ批評を受けます。

     そして、森山さんは文中で「レベルの説明がとても難しい」と訴えていらっしゃいますが、本当にそう思います。彼が登山家としてどれくらいのレベルだったか、ということを一般向けに噛み砕いて説明し、理解してもらうためには、相対評価するしかないと思うのですね。
     エベレストの春のノーマルルートと、西稜や南西壁ルートとの違いの段階から、もう難題なのですね。今回、南西壁ルートの難易度を表現するためか、「登頂成功者は20人しかおらず、そのうち日本人は6人」と報道したメディアがありました。「エベレスト登頂ってそんなに難しいんだな」とか、「日本人が6人もいるなんて凄い」といったコメントが散見され、その時点で既に、栗城君の掲げた目標が「過去の日本人に成し遂げられていたもの」であるものだと認識した人が多数いました。はるかに高いハードルであることは伝わっていません。

     栗城君の業績を一般にわかりやすく説明するなら、メスナーをはじめとした偉人、今の日本人なら竹内さんのような『タイソン』級が何をしているのかをまず知らせること。
     逆に、『アマチュア』ならこれくらい、『プロテスト合格』はこのくらい、という指標も必要になってきます。
     しかしそのためには、敢えて実名を挙げますが、栗城君を評価するなら、栗城さんと同等かそれ以上の知名度の野口さん、南谷さんの登山家としての評価をせざるを得ないのではないでしょうか。また、最も多くの人が理解できる比較対象は、イモトさん、なすびさんでしょう。
     しかし、山岳界における登山家としての業績や名声を求めて登山しているわけではない方たちの扱いを一歩間違えれば、「なんだ、大げさにやってたけど、そんな大したことないんじゃん」と思われてしまい、尊敬すべきチャレンジ精神と努力を、不本意に貶める可能性が高い。
     また、「スポンサーを募って大々的に登山することはあさましいこと」という論調になることも、回避するべきだと考えます。
     正当な評価をくだすというのはとてつもなく険しい道のりだな、と思います。

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  12. かなりひどいこと申し上げますが、登山界の自業自得では。

    故人の過失は冷静に論じられるべきとは考えますが、
    あちこちでコメントされている登山関係者と思われる方々の
    印象は「最悪」だと申し上げておきます。
    人の集まりは少なからず、社会の縮図となりますから
    いろんな方々があるのは承知しておりますが。

    今回の件は栗城さんが起こした問題であるはずですが、
    苦々しく思っている別の特定の個人(アルピニスト…)の名を挙げて
    登山文化の冒涜者となじる論調の方もあることに疑問を感じますが。

    根拠のない話じゃないにしても、じゃ実際の登山者はどうなのと。
    少なくとも国内に於いては、宗教と民俗文化を冒とくしていますが。
    地元の山(本来は神域です)にチョークでいろんな色をつけて
    景観も大変に損ねていますが。こういう方と話をした方が、

    「都合が悪くなると二言目には『登山は自由』だと言って逃げる。
     『俺じゃない』なら知らん顔していいと思っている」

    と言っていましたよ。

    ピオレドール賞を受賞するほどの一流登山家は那智の滝を
    ご神体と知りつつ白昼堂々クライミングして逮捕されてますよね。
    この方々を擁護するつもりで、この方々のされたことを
    山岳信仰に無理やりなぞらえている勝手な登山者のコメント、
    アクセス交渉の相手に届いちゃっていると思っていいですよ。

    交渉に来る方は良い方でもなあ、となってましたもの。
    (大体、セクシー登山部は『六根清浄』とは真逆じゃないですか)

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    1. その業界全体のシステムに問題があるなら業界を批判するのが適切だが
      個人のモラルに依存する行為は個人を批判すべし。

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  13. もし週刊新潮や週刊文春が「登山専門誌に何度警告されても栗城は自殺行為のようなエベレスト行きを繰り返す」という記事を書いていたらどうだったでしょうか。
    彼個人を止めることはできなくても、世間に問題提起してスポンサーがお金を出すのを止めることはできたかもしれません。
    一般メディアが引用するためにも、専門メディアは面倒でも書くべきだったと思います。心中お察しいたします。

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    1. 「自殺行為のようなエベレスト行き」を繰り返すことが、否定への挑戦であると解釈されるので、止める術がないのが事実であったと思います。
      彼を黙殺することは、最善の対応方法の一つのであったと思います。
      記事が書かれれば、既存スポンサーの契約解消はあり得たかもしれませんが、不可能に挑戦しているとアピールして新たなスポンサー獲得・新たな層への支援要請の材料としたことでしょう。

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    2. 「否定への挑戦」は彼の有名な詭弁ですが、専門メディアが客観的なデータを残していれば素人にも計画のずさんさが理解できたかもしれません。
      ルートの違いが分からない素人でも、短すぎる日程で高所順応できず高山病になって失敗を繰り返す、学習しない人だ…ぐらいのことなら分かります。
      しかし、これらを分析・指摘してるのはネット上の個人の文章だけではないでしょうか、それでは資料として弱いのです。

      登山界に「栗城は登山家ではなく登山芸人だ、真面目に取り合うのは登山家としての沽券にかかわる」といった選民意識や驕りはなかったでしょうか。
      しかし登山界の秩序が乱されたのだから、相手が誰であれ立ち向かうべきでした。
      登山界は黙殺していたつもりでも、それは逃げていたことになり、結果として彼の跋扈を黙認してしまったのです。

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  14. はじめましてこんにちは。栗城史多さんのことはよく知らないのですが、この件に関しては思っていることがいくつかあります。

    専門家の方たちは栗城さんのしていたことは無謀だとおっしゃってますが、本当にそうなのでしょうか。目標そのものはたしかに無謀だと思いますが、実際の行動はそこまで無謀ではなかったように思えます。だからこそ、ご本人が無理だと思った時点で即下山していたわけですよね。彼の言う単独無酸素という言葉も、専門家からしたら不適切なようですが、それは裏を返せば無謀なことをしていなかったってことではないでしょうか。本当の意味で単独無酸素をしていたのなら無謀と言えると思います。今回の件は無謀な行動による結果というよりも、不運な事故だったように思えます。

    では彼は一体何をしていのかといいますと、それは登山ではなく挑戦だったのではないでしょうか。栗城さんのことは登山家ではなく挑戦者と呼んだほうがいいのかもしれません。登山家の方であれば、自分にできることをやれと言いたくなるでしょうが、挑戦者の求めているものはできることじゃないんですよね。自分にとってできないことをやるのが本当の挑戦者なのですから。

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    1. どうやって成し遂げるかの「どうやって」の部分が彼には皆無であったから、
      常識ある人達は相手にしなかったのだと思います。

      彼の挑戦は私には「歩いて宇宙に行く!」といったニュアンスに聞こえます。
      心の中で思うことはいいと思います。けれども歩いてどうやって宇宙に行こうかと真剣に考えたら、「歩いて宇宙に行く!」とは普通、人には言えませんし、応援してくださいとか否定の壁への挑戦とか言えません。

      そんな現実を見て、常識ある人達は絶句し、表立って意見を述べることやめたのだと思います。








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  15. 彼の正体を世間に知ってもらうには登山ルートのような難しい話ではなく、作曲しない作曲家やデザインしないデザイナーのごとく
    「講演ばっかりで山に登らない登山家」という表現をしたほうが早かったと思います。
    こうなると登山誌ではなく週刊誌の仕事かもしれませんが。

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    1. 抽象的な話ではなく具体的に、知識・技術が足りないことを説明するほうがわかりやすいと思うんだが、
      抽象的だと、やれ否定の壁だの・既成の枠にとらわれないだの言い出すから。
      しかし、具体的な指摘はちょっと間違うと悪口になってしまうという危険性をはらんでいるのでなんとも…。

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  16. このブログには栗城さんの応援者から批判的なコメントが殺到するものだと思っていました。
    「何故、もっと強く止めなかったのか!」
    「登山界は真摯に対応するべきだった!」
    「彼を救う方法は他にあっただろう!」

    ところが、応援者と思われるコメントの内容は結果を予見した上で苦言を呈した登山家を批判するものや栗城さんの行動を正当化するものばかり。

    …グロテスクな光景。まさにその通りですね。

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  17. 「挑戦者」とか言ってなぜ美化しようとする人達がいるのか?
    エベレストに対しての今までの彼の向き合い方を見れば冷静に考えれば挑戦者などとは言えないと思うのだが?
    過去7回も帰れる(自分の限界)所まで行って悔しいと泣いて帰ってくる、こんな安いお涙ちょうだいのドラマに陶酔していた人達、本当の挑戦者とは何か、見抜ける目をもって欲しい。
    こういう人達が溢れる世の中にはなって欲しくない。
    本当に努力、苦労している人達が光を浴びる世の中になって欲しい。

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  18. 「大学の先生が栗城史多さんの思い出を語る」というツィッターのまとめを読んで、栗木さんが子供のころ、どういう子供だったのか知りたくなった。

    そこにはきっと亡くなったときまでずっとあった栗木さんの、心の衝動を理解する何かがあるような気がするからだ。

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  19. タイソンと戦うには同じルールのもと階級を上げてかないと絶対に戦えないが、登山はエベレストだろうが金さえ払えば誰でも登れちゃうのよね。
    いくら無謀だろうが挑戦できる自由がある以上こういう悲劇が起きてしまう。
    無知なメディア・無知な視聴者・無知なスポンサーが絶妙に絡み合い最悪の結果となってしまった。

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  20. 故人をブログで批判した事の正当性を主張したいのでしょうが、的外れです。

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  21. ほんのちょっとでも調べれば誰でもわかる栗城さんの怪しさを、大企業も応援している一般の人も知らず、疑問に思わない気持ち悪さ。
    表面だけでしか人を見ない人があまりにも多いという社会の縮図をここに見た。
    メディアのせいじゃない、登山界の啓蒙不足でもない、ただただ、彼の物語の消費者は人の本質にまで興味がないというだけのことだ。

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  22. 森山さんの「このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。」というご警告は、結果として、警告として甘かったのではないでしょうか。
    栗城さんも(支援しているスポンサー達も)、バリエーションルートの8000m以上に突っ込む気(や突っ込ませる気)はなく、森山さんの文を目にした上で「森山さんの警告に従っているから大丈夫」と思ってしまったような気もして…。
    実際は、7400m弱の高さに登って戻ってくるだけでも亡くなることはありますよ、ということだったのではないでしょうか。

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  23. nymph_@ezweb.ne.jp2018年6月4日 5:32

    元テレビメディア関係者です

    森山さんの記事、並びにコメント欄を拝見いたしましたが
    ・無謀な栗城氏
    ・挑戦を煽ったスポンサー・マスメディア
    ・衆愚
    この三者が相乗効果的に件を加熱させ”悲劇”が起こった、と解釈される方が多いようですね。

    しかし私は、三者のどこにも非があるようには思えません。

    スポンサーやマスコミは儲け(自社ブランドや視聴率)を稼ぐことができればそれで万々歳なのです、悲しいかな資本主義の世界は金銭が発生すれば人命など簡単に無視されてしまうのです。
    大晦日の夜、大量のファイトマネーが投じられた格闘技の試合が高視聴率をたたき出しているではないですか。
    お互いに血を流し、骨を折り、その姿に熱狂する。
    倫理的にどうのこうのは置いておいて、そのような「命を賭したマネーゲーム」が興行として公然に存在しているのです。

    栗城氏も「命を賭したマネーゲーム」の渦に飛び込んだひとりという認識です。
    事実、スポンサーもマスコミも各々の目的を果たせていますし、
    栗城氏も死という結果を招いたにせよ、莫大な知名度と資金を得たのです。
    支援者の方々も、氏から勇気や希望などをもらえたことでしょう。
    それでいいのです。それがショービジネスなのです。

    そのビジネスのなかで経営に失敗して、自ら命を絶った(=無謀な挑戦をした)経営者こそ栗城氏だと思います。

    森山さんはオカダカズチカやマイクタイソンの例えを使いましたが格闘技はお好きでしょうか?
    もしも彼らのファイトに熱狂したことがあるのならば、ダブルスタンダードではないですか。
    栗城氏を批判されている”プロの登山家”の皆様は「神聖な山をショーの舞台にされた」という自然主義者的な怒りを感情的にぶちまけているようにしか思えません。

    それでは故人の慰みにはなりませんよ。
    栗城氏のご冥福をお祈りいたします。

    追記

    4回戦ボクサーとマイクタイソンの試合をテレビ放映したら「嗜虐的だ」とクレームが殺到するでしょうね。もちろんスポンサーの株も駄々落ちです。ショーは成立しません。
    観衆の登山への無知が”栗城ショー”を成立させてしまったのは森山さんの分析の済んでいるところでしょうが、もしも栗城さんの死に対して責任を感じているのであれば”プロの登山家”の皆様の啓蒙活動の不徹底に尽きると思いますけどね。

    私はショーマンとしての栗城さんに哀悼の意を評します。
    登山家 か ショーの観客 か 曖昧な立場で後出しジャンケンをするのは卑怯ですよ。

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    1. 元テレビメディア関係者さんを支持します。私も同じく、テレビ番組制作に関わっていた者として、大変共感できる意見です。栗城さんの死を最も前向きに捉えた意見だと思いました。

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    2. >栗城氏も「命を賭したマネーゲーム」の渦に飛び込んだひとりという認識です。事実、スポンサーもマスコミも各々の目的を果たせていますし、栗城氏も死という結果を招いたにせよ、莫大な知名度と資金を得たのです。
      支援者の方々も、氏から勇気や希望などをもらえたことでしょう。
      それでいいのです。それがショービジネスなのです。

      →確かに。それは現代社会の事実としてある現象ですね。そこは自分も認めます。ただ森山氏はそのような現象自体を「グロテスク」と捉えてるのではないでしょうか。自分もそのように感じます。中身のないショーは「砂上の楼閣」のごとく、本質的には何の価値も感動も生まないはずです。そこに何かの価値や感動を見出してる。見出してると勘違いしてるとしたら、多分、人類の感性の「退化」ではないでしょうか。

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    3. > しかし私は、三者のどこにも非があるようには思えません。

      > スポンサーやマスコミは儲け(自社ブランドや視聴率)を稼ぐことができればそれで万々歳なのです、悲しいかな資本主義の世界は金銭が発生すれば人命など簡単に無視されてしまうのです。

      この状態に、非がないとメディア内部の人が言っているのであれば、本当にメディアは終わっていますね。人を殺してでも自分たちが利益を上げられればいいと思っており、それを発言できてしまうのですがから、まさにグロテスクです。

      格闘技は、大きな怪我や死者が出ないように、ルールを作っています。
      ボクシングで言えば、階級、グローブ、TKO、ラウンド制など、格闘と事故死の可能性の排除を常に試行錯誤しているわけです。

      最初から、人が死ぬこと前提でスリルを与えるのであれば、漫画に出てくる地下闘技場みたくなるでしょう。

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    4. 横からすみません、ブログ主本人です。「グロテスク」という表現は、そんなに広い意味を持たせた言葉としては使っていなくて、私が目にした具体的なSNSの書き込みをさしています。

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    5. 栗城氏の登山を含む生前の活動については、それだとわかりやすいショービジネスよりも質の悪い「感動ポルノ」と「自己啓発」の複合体という印象しか私にはないというのはともかく、未だに24時間テレビに対する批判の声から何も学んでいない「元テレビメディア関係者」に唖然としております。

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    6. >それでいいのです。それがショービジネスなのです。

      こうやって開き直れる神経が全くズレています。
      なぜなら現実の大多数の観戦者はそんなことを望んでいないからです。格闘技はスポーツであって、ルールが存在するのは命の危険を可能な限り排除するためです。スポーツでもお笑いでも危険な(ように見える)マジックでも、事故が起きて死人が出たら楽しくないし笑えないし売り物になりません。映像も使えません。なぜなら大多数はそんなことを望まないから。
      命を賭けた戦いが本当に称賛されるならナイフをもたせて格闘技をさせればよろしい。でもそんなことはないでしょう。実際には電流爆破デスマッチでさえ地上波からは遠ざかっています。

      そしてスポンサーはそれに「協賛」する。作る側の立場であり、その責任を問われるのは当然です。分かりにくいからしょうがなかった。教えてもらえなかったからしょうがない(別に批判も疑問も全く起こってなかったわけではありませんが)。百歩譲ってそうだとしても「それでいい」はないでしょう?
      この一連のことを「それでよい」と書いている時点で、あなたのメディア人としての感覚はかなり麻痺してズレているのではないでしょうか。
      そのズレがある時点で、あなたが今メディアの業界から離れているのは自然なことであるし、社会にとって幸運なことであると思います。

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    7. 栗城さんについては、初めの頃は弱音を吐きながら生中継して登山する変わった若者、という印象を持っていましたが、その後、ろくに研鑽も積まず、いい加減な計画で失敗を繰り返す行動のあり方には疑問を感じていた者です。
      格闘技や、スキーの高速系競技など、一歩間違うと命に係わる様な世界はあるとは思いますが、例えば、プロレスで流血をしている競技者が命を失っても良いというう前提で競技をしているとは考えていません。寧ろ、一般人が飛び込んだら死にそうな世界において、技術・体力・精神を研ぎ澄まして研鑽しているからこそ、あのレベルで競技が出来ている世界なんだと理解しています。また、運営側も死や大けがにつながるアクシデントを回避するためにそれなりのルールを設定している状況です。言葉としては「命を賭す」と言うのかもしれませんけど、真の意味では違うと思います。ローマ時代のデスマッチであれば本当に死ぬまでやっていたでしょうが。

      栗城さんの行動がショービジネスというのはその通りだと思います。しかし、自分が栗城さんを見ている感じでは、彼ははっきり言って命を懸けるほどの研鑽も積んでいなければ、それを回避するための計画や知識も杜撰だと感じていました。一歩間違えると死にそうな苦しい世界で、もがき苦しんでいる俺、という感動ポルノを見せることが目的となっていたような気がします。だから、元々死を賭したチャレンジなんだから本望だったのでしょ、というまとめ方には違和感を感じるのです。

      登山やスキーなど自然を相手にする事は、技術、資金力、行動力、欲がついてくると、どんどん世界が広がって行き、本当のトップレベルのやっていることの難しさ、危険さが理解できてくる面があると感じています。だからこそ、登山の知見を持つ人ほど、栗城さんのやり方は危ない、今のままではまずい、という警鐘をならしに行くのは当然だと思います。
      栗城さんへの登山界の見方には色々な面があったと思いますが、一概に自分たちのフィールドをショーの舞台にされたということへの自然主義者的な怒りだけで苦言を呈している様には感じていません。

      今回の顛末については、栗城さんの死は避けられたのではないか、こういうことは繰り返してならない、と感じるからこそ、色々問題点を検証するのだと思います。自分も色々考えさせられました。
      所詮死ぬのも織り込み済みのショービジネスだから誰も悪くない・警鐘を十分に鳴らさない登山界の責任、という見方もあるのでしょうが、それが、テレビメディア関係者の一般的な考え方というのであれば、この先テレビという媒体は大丈夫かな…と感じてしまいます。

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    8. nymph_@ezweb.ne.jp2018年6月5日 21:02

      元テレビメディア関係者です。

      皆様の意見を拝見いたしました。
      「格闘技はルールありきの崇高なスポーツで、栗城ショーは無謀な自殺である」
      という旨、捉えさせていただきました。

      そこについて反論させていただきますと
      私の言う”命を賭すマネーゲーム”とは死を”前提”としたものではなく、死の危険性(=命を削ると言いましょうか)を孕んだものです。

      格闘技のルールが整備されてるとは言え、それは死という”最悪のケース”を最低限回避するためのものでしょう?
      事実リング上での怪我(=命を削る行為)はつきものですし、マット禍は今でも往々にして起こっています。

      栗城さんの無謀な挑戦は、最悪のケースを回避するルール作りの程度が低かっただけで本質的な構造は変わらないと思います。(死に対する認識のズレ)

      ローマ人がコロッセウムで殺し合いをさせていた頃から、やや理性的になったとは言え、人間は「危険なものを安全圏から見ていたい」という本能的な欲求を持っているのです。だからショービジネスが成立しているのです。
      これが私の意図する”命を賭したマネーゲーム”です。

      YouTubeの自殺配信が高PVを記録したり、飛び降り現場に人が群がることと””本質的””にはすべて同じことです


      また、上に述べたショービジネスや感動ポルノと呼ばれるメディアが
      善であるか悪であるかという議論は非常にナンセンスです。
      事実としてそういったコンテンツが成立していることについて言及しているのです。
      聴衆が求めているものに対してメディアが供給することは、当然の成り行きです。

      あなた方の正義を問うているのではありません。
      現状に対する冷静な分析です。

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    9. そもそも森山さんは、一般にわかりやすいようにエベレストバリエーションルートの難易度と栗城君の実力の説明として、野球やボクシングを例示したにすぎません。
      似ている部分がある、というだけ。
      登山ジャーナリストに格闘技のありかたについて議論をふっかけても、論点が拡散して不毛な議論になるだけかと思います。

      この記事の読者であれば、もうそろそろ、専門的な話題に踏み込んで「登山」について話しませんか。

      そして、(出始めの頃は物珍しかったですが)彼の登山を純粋なショービジネスとするなら、有名になった番組以外の出来が悪すぎる。
      登山中の生中継などほとんどしていません。ほかの登山家が、今や自分の登頂記録を証明するためにも、一般の観客と共有するためにも、全行程をGPSで開示しリアルタイムで共有するのが一般的になったのに、彼はたびたびGPSの電源を切っていた。

      ファン?の方からですら、勇気をもらった、なんとかに感謝、という言葉はあれど、「冒険の共有に感謝、彼の登山中継を、いつも手に汗を握って見守っていました」という人を、私はみたことがありません。

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    10. 元テレビメディア関係者様

      私に向けてあてられた問いと思われる部分のみ回答いたします。

      ・格闘技には特段の興味はありません。ごく一般的な知識をもとに、例えとして使っただけです。もし比喩として不適切な部分があれば、お教えください。

      ・「『神聖な山をショーの舞台にされた』という自然主義者的な怒りを感情的にぶちまけている」→これは私に向けての言葉でないかもしれませんが、私に関しては、そういう感情はまったくありません。私にとっての山は、神聖な場所ではなく、プレイグラウンドです。

      なお、ショービジネスについてのご説明は理解しました。ここについての是非は、私個人はとくに問題としておりません。ここ数年の栗城さんの活動が、ショーとしての出来が非常に悪かったということは指摘しておりますが。

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    11. nymph_@ezweb.ne.jp氏も、4回戦ボクサーとマイクタイソンの試合をテレビ放映したら、「嗜虐的だ」とクレームが殺到してショーは成立しないとはお考えなのですね。

      登山の世界はプロボクシングの世界とは違ってライセンス制ではなく、「C級ライセンスしかない者(4回戦ボーイ)」や「チャンピオン」の格付けがあるわけではありません。
      しかし、ほんの一、二時間でも「栗城史多」や「エベレスト 南西壁」「エベレスト 単独 無酸素」などのキーワードでネット検索してみれば、栗城さんの実力の程度と、栗城さんが標榜する条件でのエベレスト登頂の難度とに大きな乖離があることはすぐにわかり、栗城さんvs栗城さんが標榜する「挑戦」が「4回戦ボーイ対マイクタイソン」並みに「挑戦」の結果が見えたマッチングであり、これのショー化が「嗜虐的」見せ物であることもすぐにわかったでしょう。

      この程度のことも調べようとしなかったか、あるいは調べてもこれをよしとして「挑戦を煽ったスポンサー・マスメディア」にどこにも非がないといえるでしょうか。応援する対象のことを自ら調べようともしなかった愚かな観衆はおくとしても。

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    12. あまり長引かせるのもなんですが、元テレビメディア関係者(nymph_@ezweb.ne.jp)さんのコメントを拝見していると、「曖昧な立場で後出しジャンケンをするのは卑怯ですよ。」と書かれたご本人こそ、最初から、どうも栗城さんについてよく調べず、今回の記事を含めこちらのブログの関連記事もきちんと読まないまま、要は曖昧な立場ならぬ認識・理解のまま、書き込んでおられるのではないかと思えてなりませんでした。
      お蔭で森山さんの記事の最後の二文の重みが増しはしましたが、最新コメントからも同様のことを感じたので、僭越ながら、まずはそこからやり直して頂いた方が話が早いように思われました。

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  24. スポーツだったら結果が分かるので実力の指標となります。
    料理や芸術等の分野では、メディアで持ち上げられていても業界での評価はイマイチという人はゴマンといます。そいういう人は実力では勝てないからメディアを巧みに使って自分の名を売っていくしかありません。素人は、「この人はメディアに出ているからすごい人だ」と勘違いしてしまいます。

    そういう意味で、必要以上にメディアに出ている人や店は注意が必要です。
    この人はどういう意図でメディアに出ているのかを勘繰る必要はあります。




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  25. 34年前に冬季マッキンリーから帰ってこなかった植村直己に対する世間の反応は、この栗城史多と同種のものだったのかも。ただ違いがあるとすれば、植村は、登山的にも探検的にも当時としては記録的成果をもっていただけ。

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  26. 以前のブログや文春オンラインの記事も読ませていただきました。
    登山界で何か出来ないのか出来なかったのかと熟考をされているのを読み心が痛みます。
    当の本人は同じ物を読んでも考えを変えなかったのですから。

    スポンサーは面談でプレゼンテーションを行った内容で出資を決めたのでしょう。
    ニトリの社長が内定を出した位です。
    ただ採用しなくて良かった人材かも知れません。
    故人と同じような人を何人も見てきました。
    ただ私の知る人たちは命をかけることはしません。

    故人も指も命もかけるつもりはなかったと思います。
    登山は全く解らない私でも日が昇れば温かく日が落ちると寒い、高地に行けば行くほど気圧が下がり温度差が激しい、気圧が下がれば高山病になると解っています。

    別の問題でワイドショーもほとんど故人の事を取り上げません。
    TVの扱いが故人の実力を物語っているように思います。

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  27. 指に水ぶくれが出来た時に水ぶくれを潰し、痛くないから凍傷じゃないと公言した故人の無知さ。
    指を切断した後もその前も故人の知識や認識に進歩が無かったのでしょう。
    何も進歩無く気がつけば35歳。
    誰が何かを言ったでは無く、自分の中で焦り出したのでしょうね。
    そして自分自身で追い込んでるのを応援者は他人事のように応援しつづけた。

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  28. 彼は現代の「川口浩探検隊」だったんじゃないかと思うんですよね。
    純粋な登山家ではなく、探検家でもなく、ショービジネス方面の
    エッセンスがより多く、登頂は難しくても、生死のギリギリまでは
    観客に披露し、それを次の行動の糧とするという・・・

    本物の冒険かどうかってあまり重要じゃなかった
    ですもんね。川口浩さん。でもやっぱり偉大だった。
    栗城君もその系統かなと思ってた。
    でも、生きて帰ってきてこそのパフォーマンスですよね。

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  29. 本当に登山界に責任はあるのでしょうか。登山界は山の魅力を伝えていますし恐怖も伝えています。モラルやマナーも。人が山に行く事に登山界がどう責めることができるのでしょうか。しかし山を勘違いする様な方を今後出さないように更に努めなければなりません。

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  31. こんばんは。森山さんがご覧になった、グロテスクな光景とは何なのか具体的に教えて頂けませんか。おそらく栗城さんを悼んでいる様子なのだろうかと想像しているのですが。人の死に際してグロテスクとはとてもキツイ表現でぎょっとしました。

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    1. 公言するようなことではないので、こちらはご想像におまかせします。

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  32. 栗城氏の死は、栗城氏の責任において、氏自らの判断による行動がもたらした結果が死であったというだけのことであり、その死は結果的に自殺に近い死であったということなのだと思う。それ以上でもそれ以下でもなく、何かや、ましてや誰かの責任である訳がない。

    私には全くもって理解不能なのだが、何かや誰かの責任で栗城氏が死に追いやられたというような論調が多く見られるが、筋違いも甚だしい。
    栗城氏に近しい人達や強い関りがあった人達が、何らかの自責の念にかられるのは理解できるが、それ以外の第三者が感情的に行っている、犯人捜しのように何かや誰かに責任を追及するような言動には閉口せざるを得ない。

    ブログ主様の肩を持つつもりもないが、氏が栗城氏に対して言っていたことは、嘘をつきながら虚構(そもそも虚構は嘘の上に成り立っていますが)を演じていたことに対する批判であり、格闘技を見て熱くなることとは根本的に違う。
    格闘技にはそれぞれ『嘘も含むルール』があり、そのルールの範囲内で行われている競技であるのだが、栗城氏が演じていたのはそのルールの範囲に収まらない嘘の上に成り立っていた虚構であり、その嘘を批判していたのが森山さんであった訳だ。

    私は元々が栗城氏に批判的な立場であったし、それは今も今後も変わらない。人の死による二階級特進的な心情も持ち合わせてはいない。そうは言ってもそこで演じられた虚構も歴史の一部であり、それを検証しその実態を読み解き、何かを得ることも必要と思う。こう言うと信じられないって人が出てくるのは重々承知の上ですが、ご冥福をお祈りする立場でもあるんですがね。

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  33. 森山さんは栗城さんのアンチについてどう思われますか?今回の彼の死をきっかけに、何年も彼を執拗に追いかけ回すアンチの存在を知り、驚きました。栗城さんの死は彼の支援者が招いたという言説がネット内で言われいますが、果たしてそれだけでしょうか?安全な場所から匿名で栗城さんを追い詰め続けたアンチに対して、栗城さんは反発し答えを出すため、無謀をしたのではないかとも考えられます。アンチは栗城さんを死に追いやったかもしれない責任を全て、支援者に責任転嫁していませんか?
    アンチを始め、栗城さんを詳しく知らない人たちは森山さんのブログの過去記事を引き合いに出して批判をし続けました。文春、ハフィントンポスト、このブログ、また他のメディアでも栗城さんについてお話しする機会があると思います。森山さんの世間に対する責任は重大です。栗城さんの存在を語れる第一人者はあなたです。栗城さんには遺族がいますし、彼の出身である北海道の小さな町で彼を応援し続けた町民もいます。彼らは胸を痛めています。できることならば栗城さんへ悼むことばをしっかり表して欲しいです。登山家や冒険家たちの、栗城さんの死への言葉を読むと、みな一様に冷たい人たちだと感じました。登山や冒険を愛する人たちは、他人の命は大切に思えないのでしょうか。栗城さんの冥福をお祈りします。森山さんの今後のご活躍を見守っています。

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    1. アンチの存在については、有名税のようなもので、しかたがないものととらえています。話題になるようなことをすると、それがどんなことでもアンチは発生します。名を出して前に出て活動する以上、その覚悟をもってやるしかないのではないでしょうか。

      栗城さんを悼む言葉については、私からは出せません。文春オンラインの記事の最後に「(残念という言葉は)2回しか会ったことがない人に対して、軽々しく口にするのは、かえって不誠実な気がする」と書きました。昔、自分が亡くなった人の友人の立場だったときに、故人と親しかったわけでもない人が、ネット上などで安易に追悼を表明することに、猛烈に傷つき、反発を覚えたことがあります。栗城さんのご遺族やご友人が胸を痛めているのは当然だと思いますが、私はその立場ではないので、心にもないことを言ってはいけない。それが自分なりのポリシーです。

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    2. 安全な場所からやいのやいの言ってたという点でファンもアンチも無責任さは同じだと思います。
      アンチへの反発だろうがファンに応えるためだろうが、彼の行動の責任は彼にあります。
      アンチのほうが彼の実力を客観的に判断できただけです。
      ファンが彼の実力を判断できなかったのは登山界の情報発信不足も一因かもしれません。
      しかし彼はファンをも騙す誇大広告をしていたのですから、自分が騙したファンの応援に押されて無謀な行動を止められなかったとしたら、やはり自業自得だと思います。
      自分の命を大切にしなかった人に冷たい視線が向けられるのは仕方ないと思いますよ。

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  34. 栗城氏が亡くなったとき初めはなんて命を粗末にする奴だ、と憤りました。
    指よりも命よりも功名心を優先させた行動のように自分の目には映っていました。
    少し時間が経つにつれて少し自分の考え方が変化しました。
    彼は本当に登頂できると心から信じていたのではないか、と思えてきました。
    北野武監督の映画「教祖誕生」で、興味本位で新興宗教の教祖に祀り上げられた挙句、自分に本当に何某かの「力」があるかのように錯覚してしまった若い主人公のように、取り巻きの連中から教祖のように讃えられた栗城氏は自分のことを神通力を備えた救世主と勘違いしてしまったのではないかと思えてなりません。
    こんなことをあれこれ考えても仕方のないことですが、2度とこのような不幸な事件が起こらないことを祈っています。

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  35. 彼は、登山家ではなくパフォーマーだったのだと思います。
    私は学生時代、探検部にいたのですが、彼のような馬鹿者タイプはたまに入部してきて、常人では考えられないような企画を出して今までの組織の価値観や枠組みを子気味よくかき乱したり、実力はさておき野外や飲み会で馬鹿な事をして盛り上げ、日常でも怪しい事をして奇妙な魅力を放ちます。
     そんなタイプでも大抵の人は、学生の内に馬鹿な事をやり尽くして就職していき、若気の至りだったと笑い話にするのですが、栗城さんのように学生を卒業してからも何かパフォーマンスを続ける為に、とりあえずカッコつけるために冒険者や登山家の肩書を名乗っていたと考えると自然な気がします。
    彼が本当にやりたかった事はきっと、辺境でTバックを履いた写真を撮ったりするような何か目立つ事をしたいであって、今の社会の価値観では受け入れられないので偽りの姿でブランディングされてこんな結末になってしまったのだと思います。

    利用された登山界にとっては迷惑極まりない話ですが、登山の難易度を一般人に可視化させる良い機会かもしれません。

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  36. 今回の死亡事故で栗城氏のことをいろいろ調べました。栗城氏がよく使っていた「否定の壁への挑戦」などの言動。自らのSNSなどへの否定的なコメントの削除などの排他的な行動。狂信的な「信者」の存在など。なんとなく、自分が以前やっていた(黒歴史ですが)「マルチ商法」の雰囲気に似てるなと思ったので、スポンサーを調べてみるとまさにその手の企業がありました。栗城氏の性格も過度な「自己顕示欲」が感じられるので、うまい具合にはまったのではと想像します(マルチ従事者はトップに立ちたいという自己顕示欲が半端ではありません)。

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  37. はじめまして、こんばんは。
    一連の記事を読ませて頂きました。
    真摯ですね。
    ありがとうございます。

    >栗城さん本人を知る人から直接・間接に話を聞くこともありました。この一週間、それらを見聞きするなかで、私の中での栗城さんのとらえ方に微妙に変化が生まれています。登山家としての評価はなにも変わりません。変わったのは人物についてで、それはどちらかというと同情的・共感的な方向にです。

    できれば是非詳しくお聞かせ頂きたいのですが・・

    https://www.youtube.com/watch?v=V3alex1kGIs&t=206s
    こちらのインタビューを見るに
    山への愛は全く感じられませんし、少々意味深に聞こえる部分もあるように思います。

    滑落ではなかったのかもしれない
    どうしてもその可能性を考えてしまうのです。

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    1. まあそこはきわめて個人的な話なので、ここで論じるようなものではないです。

      削除
  38. オー・ヘンリーの「最後の一葉」
    葉っぱは画家の描いた偽物です。でも、病気で生きる気力を失った少女にとっては、本物の希望となりました。

    私は栗城さんがはまり込んだのは、こういう物だと思います。

    例えば、医師から余命3ヵ月と告げられたとして、何も足掻かず諦められますか? 世の中には無理でも挑まなければいけない人達がいます。

    栗城さんの掲げた旗は、そういう人達の希望となり得ました。とても危険な旗でした。
    彼等がファンだと知ってしまったとき、責任感の強い人ほど、自分だけ逃げることはできません。

    普通、偉そうなことを言っている奴は、どいつもこいつも言い訳をして逃げ出します。栗城さんも逃げることができたはず。なのに彼は逃げなかった。

    挫折する姿を見せられないという責任感から、毎年エベレストに行かれていたんじゃないでしょうか。例え、登頂できないと既に知っていても。本音は嫌で仕方がなかったとしても。

    確かに悲劇かもしれませんが、栗城さんが一番守りたかった人達こそファンだったのだと考えると、批難する気にはなれません。


    金儲けのため? 儲かっているならスタッフに素人なんか雇わないで済みますね。

    単独登山じゃない? じゃあなぜ、夜間1人で下山しなきゃならなかったのか。7400m地点にはシェルパ4人と到着していたにも関わらず、にです。

    死ぬしかなかった? 自殺する人が救援要請なんか出すわけがないでしょう。7400mでベースキャンプに救援要請をされた後、下山されています。だから事故です。

    栗城さんはマイクタイソンと打ち合ってなどいません。
    無謀な計画を遂行したのではなく、無謀な計画だが毎回そこに差し掛かる前にリタイアされていました。無茶な人っていうのは、実際にマイクタイソンと打ち合って自分の馬鹿さ加減に気付くのです。タイプが違います。

    彼は自分の演じる役割を理解し、生還できるよう立ち回ろうとしていたが、不幸にも事故で亡くなってしまった。
    それが実際ではないでしょうか。


    あと、批判サイトは批判のために情報を加工しています。決してフェアな見方ではありません。

    記事は大量にあっても、栗城さん関連の情報の発信者は、元を辿っていけば数人しかいません。みんなその数人の言い分を鵜呑みにしていることが、私はとても恐ろしいことに思えます。

    情報も、誰もが公式発表とヒマラヤンタイムズしか読まなかっただけの話です。他の新聞にはより詳しいことも載っていましたし、遺体を搬送する写真も出ていました。

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    1. 彼は余命宣告などされていないし、登山は自己責任ですから、無理に挑む必要などないのです。むしろ、無理なら登ってはいけません。遭難したら迷惑ですから。
      ファンに挫折する姿を見せられないという責任感があったなら、なんでまともなトレーニングをしなかったのでしょうね。
      スタッフが素人ばかりなのは、かつて同行したまともな登山関係者は愛想を尽かして離れていったのではないでしょうか。その人たちは訃報に対してもあまり多くを語られてないですね。
      自分が登山家ではなくパフォーマーだという役割には気づいていたかもしれませんが、それなら登山家の看板をさっさと下ろしておけば山に登らなくて済んだと思います。
      もっと安全な所で面白い事をやって注目を集めることでも彼のキャラクターは活かせたでしょう。

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    2. 実際に挑戦しない奴が偉そうに言うな…という詭弁も栗城氏の得意技でしたが、エベレスト登山は「実際に挑戦した奴」が膨大なデータや知見を残している分野で、それらを元に分析や指摘をすることは「実際に挑戦した奴」が言うに等しいのです。
      本当に人類の誰もやった事のない分野だったら栗城氏のような人はあるいは英雄になったかもしれません(例えば大航海時代のように)が、現代にそういう分野はほとんど残っていないのです。

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    3. 栗城さん擁護派の方とお見受けしました。同じような擁護の理屈を目にするのですが、理解力がないのかどうも理解できずにいます。是非ともお伺いしたいことがございますので、よろしければご回答頂けるとありがたく存じます。

      では、
      >責任感の強い人ほど、自分だけ逃げることはできません。
      登頂できないことを既に知っていて嫌で仕方なかったとしても、山へ行き敗退を繰り返すことが、本当にその責任を果たすことなのでしょうか?そもそも栗城さんの責任って何でしょう?また、逃げ出さないとありますが、これまで片手じゃ収まらない回数のエベレストでの興行において、一度たりともまともな登頂アタックをすることすらなく敗退しているさまは、まさに逃げていたとしか見えなかったのですがいかがでしょう?

      >栗城さんが一番守りたかった人達こそファンだった
      本当にそうなんでしょうか?何をもってそう言えるのでしょう?

      >儲かっているならスタッフに素人なんか雇わないで済みます
      儲かっている、いないという問題なのでしょうか?想像でものを言いますが例えば、玄人から相手にされなかったということは考えられませんか?

      >単独登山じゃない?・・・・・
      あなたのおっしゃる単独登山とは何でしょうか?通常はいわゆる登山会で言われている単独や無酸素という基準を用いるものと思うのですが。

      >自殺する人が救援要請なんか出すわけがないでしょう
      本当にそうでしょうか?自殺したと考えてはいませんが、自殺する人が間際になって助けてくれって言うことはよくあることです。未遂に終わり助かってよかったという人も沢山いますよね。事故と断定する根拠は何でしょう?

      >彼は自分の演じる役割を理解し、生還できるよう立ち回ろうとしていた
      つまりは登頂すると嘘をつき続けてきたことを肯定されているようですが、その嘘に罪はないということでしょうか?

      >批判サイトは批判のために情報を加工しています
      こちらでは栗城さんを肯定されているようですが、その肯定している材料は、あなたの想像に依存するものであり、正しい情報による肯定ではないように見えるのですがいかがでしょうか?

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  39. 森山様だけへの要望ではないのですが、栗城氏の総括記事を書かれる時はぜひ英語でも発信してほしいと思います。
    英語の死亡記事で Top alpinist だの Celebrated Japanese climber だの、笑っちゃうような見出しがつけられてるものがあります。もちろん書かせている人がいるのでしょうが…。
    登山家としての実績は無くてもお騒がせ男としてそれなりに知名度はあるかと思いますので、英語で発信する価値はあると思います。ぜひご一考ください。

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  40. 話題を変えて、連投させて頂きます。
    今更ですが、一般的な定義とは異なるとはいえ栗城さんの「エベレストの単独・無酸素登頂」に関しては、素人の私から見ても、また南西壁以外のルートであったとしても、具体的に考えると

    https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/1016023/
    7大陸最高峰を登頂しているアルピニストの野口氏は本紙取材に「栗城さんは両手の指9本の第2関節から先がありません。これでは岩もつかめないし、ピッケルを使うにも不自由が生じます。相当なハンディがあるなかで、南西壁を無酸素・単独というのは、僕のなかでは“ありえない”。私も彼に『それはむちゃだ』と進言したことは何度もあります」と話す。

    という野口健さんと同様の懸念(素朴な疑問)を抱かざるを得なかったので、登頂に必要であると思われるクライミングその他の登山技術、またハンディキャップがあるなかでのピッケルその他の登山用具の取り扱いについて、更には故人の高度順化(順応)や健康管理に関する問題点等々、想定される基本的な懸念事項をまとめて列挙して、それぞれどのように考え、どれくらい対処出来ているのかを登山雑誌なり一般メディアなり関連団体なりが公開質問状などとして人目に触れる形で問うていたら、散漫な指摘でおわりがちだった彼の登山における問題点が整理され、話が多岐にわたるまとめサイトなどよりも受け入れやすくなってよかったのではないかと個人的には思いました。
    (ざっと調べても山野井夫妻や他の登山家の事例になぞらえて安心できるような材料が見当たらなかったし、故人側がどのような反応を示そうとも、登山をよく知らない者への判断材料の提供ならびによい問題提起にはなったのではないかと考えられるので。)

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  41. 栗城さんの挑戦をボクシングに例えましたか・・・
    毎回ジャブ1発で怪我する前にダウンしてたのに(2012年はは当たり所が悪く、後遺症を残してしまいましたが)・・・今年はもっと当たり所が悪く、ジャブ1発で命を落とされてしまいました。

    応援してた奴、おかしい・・・今年は勝てると思ったのでしょうか?

    フリーダイビングに例えるのはどうでしょうか?
    日本記録からも程遠いところにいるのに、世界記録並みを目指すという。
    40mしか潜ったことない人がトレーニング無しでいきなり100m潜れるわけないでしょう。
    ボンベ背負って100m潜るのも危険なのに・・・
    しかも彼は40mの時もボンベ背負ってた疑惑、少なくともアシスタントはいたらしい・・・
    「頑張れ!」「応援してるぞ!」
    本気でしょうか?フリーダイビングなら5m~10mでも単独で無理したら死ねること知ってるでしょう?
    殺す気としか思えませんが・・・
    「無理しないで」「生きて帰ってきて」
    慣れた?40mでも油断したり、体調、ボンベの有無次第では命に係わることは理解できると思うのですが・・・

    「アンチが追い込んだから無理をした栗城さんが死んだ」
    私には無理する前に(無理する予定も無かったかもしれませんが)下山途中に亡くなられたように見えました。

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  42. 森山さん、こんにちは。
    以前から興味深く拝見させていただいております。

    思うに、何かの責任を模索するのはあまり意味はなく
    ご指摘の、こうなった仕組みを掘り下げ、二度と起きないように注意喚起するという事が大事かと思います。

    一連の流れを見ると、実力が伴わない人物がスポンサーを得るために「盛った」話を、メディアが食いついて「煽る」形になり、ヒーローとして祭り上げられ儲かったんだと思うのです。

    実力に乏しいのは、本人が一番知っていただろうし、だからこそ、嘘と批判されるような行為を繰り返したかとおもわれます。
    これにより、また、儲かりますしヒーローとして地位が安泰になります。

    また、一部の方には、先達が善意を持って○○だよとアドバイスするのを根拠なく否定し、自分だけは大丈夫・古い常識を押し付けるのがおかしいと思い込む方が実在し、御本人もまたそのたぐいの方と見受けられます。

    一方、メディア関係者の方がショーとはそういうものであるという論調であったようです。
    演出としての面白さや、それを一般の方に見せていくスタイルは、こういったメディアの基本姿勢です。
    やりすぎてもしょぼくても否定されます。
    これ自体は、それで責任を考えるというのはおかしいというのは解ります。

    しかしここで問題なのはちと異なるかと思います。
    通常、ディレクターや編集さんなどが本人に会って話を聞いた時に、数多の経験から「ネタとしてダメな臭い」を嗅ぎ取ってボツにするものです。
    これを最初は「まぁ頑張っている若者」ということで「盛って」取り上げたんだと思うのです。
    ところが、メディアに出るとあっという間に話が広がり、知名度が上がり、スポンサー集めも楽になります。
    メディアに出ている人ということで、意味なく説得力が上がります。
    有名人とも対等に話ができたり、美味しい思いをできたりと、バラ色の展開になったことでしょう。
    これで、引けなくなると同時に、引いたらヒーロー扱いも収入も途絶します。
    登山の失敗より、そちらの恐怖が大きかったのじゃないかと推察します。

    そうして話を盛ってまたメディアに取り上げられ、これが認知度をあげスポンサー集めが楽に、と勝手に登っていきます。
    「メディア」というのは一括りでも、さまざまなものにわかれていますから、それらがお互いに補完し合う形で起きます。

    この段階で、足りない実力をどうするかを判断しなければなりませんが、「自分だけは大丈夫」という根拠なき自信と、登山の成否ではなく挑戦を見せていればスパイラル的に認知度が上がる仕組みとで、おざなりになったと思われます。

    そして、同様の事例が極めて少ないことから、このような話題になるわけですが、事例が少ないということはこれが個別の特異な事例であることが解ります。

    それ故に、冒険をすることの重要性と、無謀な冒険を許してしまうリスクとのバランスが難しくなると思うのです。

    この無謀な冒険リスクは、度々警鐘を鳴らされている問題である、山登りの認知度が低いという事実が根底にあります。
    森山さんは、その認知度を高めてもらうために、一般的に解りやすい事例を取り上げるものの、この例えを持ち出して批判、論点がズレていくという流れに陥っているのが、同情を禁じえません。

    たくさんのハイレベル登山家がいとも簡単に命を落とすほどリスクの高いスポーツであるからきちんとした準備・訓練が必要である、これを理解してもらうのにはなかなか難しいことかと思います。
    なにせ、根拠なく自分は違うと思う人が実在するからです。

    何処の世界でも、プロのいるものは高度な物が必要です。
    そこに迷い込んでたまたま称賛と収入を得、迷走してしまった。
    誰かが止められたのかと言えば、難しかったと思います。

    いずれにせよ、ご冥福をお祈りします。

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  43. 古臭くても形に捕らわれてても登山家の方々は知識の蓄積が有ります。
    出きるだけ事故が無いように挑戦をしています。
    それを総て否定して都合の良いスローガンを掲げて行動した結果は出ています。
    これ以上過去の常識や苦言を無視した人は出て欲しく有りません。
    森山さんの今回の件の文章が、無謀な人を踏みとどまらせるように思えます。

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  44. 森山様、初めまして。
    大学の頃から20年に渡り山に親しんでいる者です。
    今回の記事や、過去記事も以前から読ませていただいております。

    登山界やマスコミがなぜ、彼を正しく評価しなかった?伝えなかったのかというのは、スポンサー登山であったからじゃないのでしょうか。
    なんで、企業の資金で毎回毎回エベレストまで行ける(そして、敗退する)んですかね?

    誰かにお金を提供してもらい、身の丈以上の計画で世界最高峰に行く登山にはそもそも興味ないから、山岳雑誌も取り上げていないだけで、もし、仮にその人が、最後のときまで自分でアルバイトして貯めた、その金だけで(有志を募ったとしても)行く挑戦をしていたなら、新聞社も山岳雑誌関係者もみな、まっとうに
    応援していたのではないでしょうか。
    その挑戦の中身自体が、等身大以上のものでスポンサー集めのために卓上でつくられたプレゼン段階の挑戦だったから、不成功に終わった。というだけではないでしょうか。そして、その人に、日本に数多くいるベテラン登山家の意見を聞く耳があれば、このやり方の間違えには気づけてたはず。
    登山家としての在り方の思想に、マッチしていなかった。やっぱり異端児なんですかね。 まとまりないコメントで、失礼いたしました。

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  45. 誰も書かないから 書いておきます。

    彼が今回のエベレスト登頂を インターネット中継する予定だった
    IT会社は 彼の死に対して 大いに責任が在ると私は考えています。

    それは タレントに危険な事をさせて 死に至らしめた番組を制作した様な イメージです。

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  46. 栗城さんを2年取材したテレビ番組制作者が彼についてブログを書いています。
    メディア関係者からの意見は少ないので紹介しておきます。
    https://ameblo.jp/chekitara

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