2016年8月1日月曜日

スポルティバ・トランゴS EVOのソール張り替え


超愛用しているお気に入りのブーツスポルティバ・トランゴS EVO GORE-TEXのソールを張り替えました。なんとなくだましだまし使っていたのだけれど、つま先がすり減りすぎてアッパーにもダメージを与えそうになってきたことと、滑りやすくてさすがに危険を感じてきたので、ついに思い切ってリソールをすることに。


ソールを張り替えて使うべきか、新しいブーツに買い換えるかは少し迷いました。が、このブーツが非常に気に入っていたので変えたくなかったことと、ソールの張り替えをしたことがなかったので、話のタネに一度やってみようという思いから張り替えを決断。


張り替えを依頼したのは、このブーツを買ったICI石井スポーツ登山本店。張り替えの依頼はそれなりにあるようで、スムーズに受け付けてくれました。費用は1万5000円から2万円くらいということで、状態によって変わるそうです。見積もりを出しましょうか?と言われたのですが、この際、多少高くなってもいいやと思って、「3万円以下なら見積もり不要です」と答えて、価格交渉は省略しました。


日数は1カ月くらいかかるということだったのですが、25日くらいで仕上がりの連絡がありました。最終的な値段は税込み2万391円。安めの靴なら1足買えてしまう値段で、高いといえば高いですよね。




しかし高いだけあって仕上がりには満足。これが張り替えアフター状態。冒頭のビフォー状態と比べてみてください。見た目の印象もかなりシャキッとしました。




ソールのエッジはびしっと立って、破れかけていたつま先のランドラバーもまるっと新品になっていました。




アウトソールだけでなく、ミッドソールごと交換。コバのパーツも新品になっていました。スポルティバ純正のマーク付きです。もともとミッドソールは黄色、コバはグレーだったのだけど、ミッドソールがグレー、コバが黄色の逆に変わっていました。しかしデザイン的にはこのほうが締まった感じがして、むしろよかったです。



純正仕様でない独自の張り替え業者もあるようなのですが、純正ルートで頼んでよかった。だって、いくら安いといっても、あのスマートなトランゴがこんな鈍重な姿になって戻ってきたら泣くに泣けませんぜ。


では以下に新旧の比較を。すべて左が張り替えビフォー、右がアフターです。









すっかりくたびれていたトランゴが見事復活! 使い込んだいい感じのヤレ具合と新品ソールの切れ味が同居して、見た目の雰囲気もさらに上がりました。たんなるピカピカの新品よりこちらのほうがカッコよく、思い入れもひとしおに。大満足でございます!


ところでこれ、私は登山ライターという職業上、メーカーにダイレクトで安く頼むこともやろうと思えばできるのですが、一般ユーザー同様に普通にお店に頼みました。メーカーダイレクトでやるとやりとりが少し面倒なのと、特殊な依頼方法をしてしまうと、一般的な張り替え体験にならず、今後、ソール張り替えの記事を書く機会があったときに正確なことが書けないなと思ったことが理由です。


じつは現在発売中のPEAKSにこの張り替えのことをちらっと書いているのですが、これは、PEAKS編集部員に「張り替えしたよ」と何の気なしに話したところ、「そのネタ使わせてください!」と頼まれてしかたなく書いただけなのであります。


なので、この張り替えには仕事モードは一切含まれておりません。ICIの人には私の正体はバレていなかった(はず)なので、私の靴をとくに念入りに仕上げてくれたわけでもありません。一般ユーザーの方が張り替えをしても同じ仕上がりになるはずですよ。



【追記】

スカルパ・レベルと、アゾロ・エルブルースと比較レビューしました。

スポルティバvsアゾロvsスカルパ履き比べ


2016年7月15日金曜日

長野県で登山届が義務化されました

本日15日発売の『山と溪谷』8月号に、長野県登山安全条例についての記事を書きました。長野県内の山168山で登山届が義務化されるということで、注目を集めていた条例です。条例施行は7月1日。


記事はモノクロ3ページという地味なものなのですが、長野県庁にまで取材に行って手間をかけました。わかりにくい条例を噛み砕き、この条例の本質はなんなのか、登山者としてはどう対応すればよいのかを説明しております。今月のヤマケイのなかでは必見の記事かと思います。すごくわかりやすいです。なぜわかりやすいのかというと、たぶん筆者が森山憲一であることが最大の理由かと思います。


長野県登山安全条例

冗談はさておき。


この条例では、冒頭に書いたように、長野県内の主要な山168山で新たに登山届を義務化するということが定められています。その登山届が必要になるのはどこなのか。それが非常にわかりにくいです。まずはここを見てください。


長野県で登山を楽しまれる際は、「登山計画書」を提出しましょう!


ずらっと山のリストが出てくるんですが、文字だけなので、ここがまずわかりにくい。さらに、条例の対象となるのは、もう一段決まり事があります。このあたりかなり複雑なので、詳しくはヤマケイの記事を読んでください。


ただし、記事にも書いたんですが、沢登りやクライミングをする人、あるいは長野県在住の人などをのぞけば、これらの決まりを正確に理解する必要はないかなと思いました。「長野の山に登るならば、いつでもどこでも登山届が必要」と覚えておけばOKです。条例の対象外となるようなところは全国的にはマイナーな山ばかり。登山前にいちいちこの複雑な条例を読み解いて「この山は条例対象かな」と調べるよりも、「どこでも必要」と機械的に覚えておいたほうが、トータルで手間がないということです。


登山届


記事では若干批判めいたニュアンスのことも書きましたが、それは条例に関して少々疑問な点があるだけで、登山届自体には、私は賛成の立場です。条例のあるなしにかかわらず、絶対出したほうがいいです。理由は、自分のためになるからです。


万一遭難してしまった場合、登山届が出ていなければ、救助者はどこを探していいのかわかりません。よくあることなんですが、「山に行ってくる」とだけ言って家を出たまま帰ってこないという通報が、家族から警察にくるそうです。だれか仲間と行っていればまだしも、これが単独だと、探しようはほとんどないわけです。だって、どこに行っているのかさっぱりわからないのだから。実際、このまま行方不明となって数ヶ月後に遺体で偶然発見されるとか、あるいは見つからずじまいという事例もいくつもあります。


遭難してピンチに陥ったときの自分の心理を想像してみれば、その重要性はもっと理解できるかと思います。たとえば、ひとりで歩いているときに、山深くだれも来ないような谷間に滑落して動けなくなってしまった。幸いまだ息はあるが、かなり重傷でこのまま何日もつかはわからない。携帯電話は圏外だ。叫んでも人が通りかかる気配はゼロ。よほどの幸運でもないかぎりはここでゲームオーバー。


しかし登山届を出してさえいれば、この絶望的な状況でも、わずかな望みは残るわけです。だれかが救助に来てくれるかもしれないと。


登山届というのは、エマージェンシーキットや山岳保険みたいなもの。私はそういう認識です。「出せ」と言われるから出すようなものではなくて、出さないと自分が困るから出す。そういうものだと思っています。



登山届を簡単にしたい


とはいえ、登山届を出すのはめんどくさい。はっきり言ってかなり面倒くさいです。登山届の提出率は10%くらいとよく言われます。出していない90%のうち、面倒だから出さなかったという人が半分くらいはいるんじゃないんでしょうか(残りは登山届の存在を知らなかったとか、ポリシーとして出さないとか)。


私は大学探検部というところで登山を始め、そこでは、どこかに行く場合、必ず部に届を出すのが決まりでした。はじめからそういうものとして登山を始めたので、登山届を書くのはかなり苦にならないほうですが、それでも面倒くさいです。時間なくて書かないまま行ってしまうこともあります。


でもやっぱり出すべきで、そのために、登山届をできるだけ省力化することを考えてきました。やっていたのは、パソコンで書式を作っておいて、その都度必要なところだけ書き換えるという方法です。これでかなり手間は軽減されましたが、もっと簡単にしたい。


昔、ニュージーランドに行ったときにそのヒントを見つけました。ニュージーランドの山には、どの登山口にも登山届の用紙が設置されているのですが、それがものすごくシンプルだったのです。書くことは、名前と連絡先、予定コースくらい。用紙の大きさもB6くらいの小さなものだったと記憶します。「これだ!」と思いました。これでいいじゃんと。


そもそも、日本の登山界で推奨される「登山計画書」の書式は複雑すぎるのです。たとえば、今回の長野県が書式例として公開しているのはこれです。


登山計画書作成例


見ただけで書く気がなくなりそうになりませんか。私が編集をやっていたころの『山と溪谷』で作っていた書式などは、もっと書く項目が多いものでした(今でもほとんど変わってない)。


しかし、先に書いたような状況のときに役立つ最低限の情報があればよいという立場に立てば、どうしても必要なのは、登る人の名前と連絡先(本人の連絡先ではなく、家族などの連絡先であることに注意)、そして予定のコースがどこかだけです。ほかは、あればもちろん役には立つ情報ですが、「絶対」必要ではない。


てなことを考えていたころに、以下のブログを読みました。書いているのは、山小屋で働いていて、遭難救助などにも携わった経験のある方なのですが、これを読んで私は首が折れるかと思うほど強くうなずいてしまいました。あまりに共感したので、思わずコメント書き込んでしまってます。恥ずかしい。


入山届を軽量化してみる


現場での経験からなのでしょうか。研ぎ澄まされています。付け加えることはありません。これが登山届のファイナルアンサーであります。


長野県の登山条例と私が意見が合わないのは、ここなのです。長野県が登山届を義務化したことには、入山前によく調べて情報量豊富な登山計画書を作ることで、登山への意識を高め、ひいては遭難減少につなげたいという狙いがあるといいます。それは正論ではあるのですが、人間は面倒くささに勝てない生き物であるという視点が欠けているように私は思うのです。多くの人はそんな正論どおりには動けない。後ろ向きな認識かもしれませんが、それが現実なのではないでしょうか。


ならば、登山届はできるだけわかりやすくシンプルにして、とにかく提出率を上げることだけに力を注ぐ。そのほうが結果的に得られる実りは大きいように私は思うのです。


登山届はどこに出すか


いちばん手軽でわかりやすいのは、登山口にある登山届用のポストです。それがない場合は、事前に地元県警にインターネットやファクス、郵送で提出することになります。


ただしこの事前提出がまた面倒くさい。郵送で登山届を提出している人って、いったいどれくらいいるんでしょうか。都道府県によって受け付けている提出方法がまちまちであることも面倒くさい大きな理由です。「どこにどうやって出したらいいのかわからない」というのは、複雑な書式以上に、提出率を下げている大きな理由になっているような気がします。


個人的には、全国統一の専用サイトがあって、そこから提出できるようになるのが理想かと思います。長野県が条例施行に合わせて利用を推奨している「コンパス」というサイトは、それになり得る可能性をもっており、そこは私も長野県の姿勢を評価するところであります。


本当は家族に出せばいい


ただ、本当は、話はもっと単純なことなのかもしれません。ある山岳救助隊員の方が「行動予定を家族に伝えておいてくれればいいんです」と言っていたそうです。それさえしておけば、別に登山届は出さなくたってかまわないと。下山予定日に帰ってこなければ、家族は警察に連絡してくる。登山届を出していたところで、最初の第一報は家族(あるいはもっとも近しい人)からくるのが通常なのだから、届を出していてもいなくても結果は変わらない。


私もそのとおりと思います。なので私は、登山計画書を書いたら、まず妻にメールしておくようにしています。そしてそれをプリントして持っていき、登山口のポストに投函します。ポストがなければ、投函しないまま登っちゃいます。無届け登山になるわけですが、妻が山行内容を知っているので問題ないわけです。


ただしこのとき、意識的に実践しているのは、万一下山してこなかった場合に何をするべきかを妻に伝えておくこと。とはいっても、やることは110番に電話することだけ。しかし私の妻は登山をやらない人なので、教えられなければ、110番に連絡するということもすぐには思いつかないはずなのです。


もちろん110番に連絡するより登る山の地元警察のほうがベターで、登山雑誌などにもそのように書いてあることが多いのですが、登山素人の妻が動揺した精神状態で、山の所在地を調べ、そこの警察の電話番号を調べ……なんてことをてきぱきと遂行できるとは思えません。110番にかけたって、すぐに地元警察に話が回るはずなので、妻がモタモタ調べるよりそのほうがずっと話が早い。ということで、「110番に電話しろ」と伝えておくのがベストだという結論に至っています。


もうひとつ。「最終下山日時」というのを設定して妻に伝えることもしています。その時間を過ぎても連絡がなかったら遭難したと見なせ、という日時のことです。これは、大学探検部の届けにあった項目で、この時間を過ぎたら、部員がスクランブルで捜索に動き出すことになっていました。


一般的な登山計画書ではあまり見ないものなのですが、有効だと思うので今でも採用しています。たとえば下山予定日に帰ってこなかった場合、家族は心配するわけですが、すぐに警察に連絡して大騒ぎすると、その数時間後にひょっこり帰ってくるかもしれない、いつまで待ったらいいのかな……。


家族も登山をする人の場合は、そのへんの案配はある程度判断がつくものですが、そうでない場合は(私の家族とか)、判断できないまま不安な時間を無駄に過ごすことになってしまいますよね。ならば、時間単位で明確に設定しておいたほうがお互いにとってよいということです。これは、同居人がいなくて実家とか知人を連絡人にしている人には、より有効な手段かと思われます。


ただし、この日時の設定はわりと難しくて、ギリギリに設定してしまうと、わずかなアクシデントがあっただけで最終下山日時を過ぎてしまうことがあり得ます。かといって余裕を持たせすぎると、救助出動が遅れて手遅れになってしまうかもしれない。適切な日時を設定するには経験とそれに基づく想像力が必要なので、初心者のうちはやらないほうがいいかもしれません。





登山届は個人的に思うこといろいろあるテーマだったので、つい長くなりました。ほかにも、各種登山計画書作成サイトのレビューなど書きたいことあったのですが、長くなったのでそれはまた次回に。






2016年5月17日火曜日

"The 9th Grade"


先月行ったシャモニで買ってきた本。フリークライミングの150年にわたる歴史を、人物中心、写真中心に解き明かしていくというもの。あまりにもすばらしい本です。


昨年フランスで出版され、書店ではフランス語版と英語版両方売ってました。買ってきたのはもちろん英語版。フランス語は読めないからね。もうあまりのすばらしさに値段見ないで買ってしまったのでいくらだったか覚えておりませんが、50ユーロくらい(6000円くらい)だったかな。


著者は、ダビド・シャンブルというフランス人クライマー。版元はles editions du MONT-BLANCというところで、ディレクターという肩書きでカトリーヌ・デスティベルの名前も入っています。


とにかくすばらしい本です。英語が読めなくても、眺めているだけでお腹いっぱいになれる充実写真の連発。とはいえ、文章も読みたいので、有志の方、手分けして訳しませんか。


まあ、とにかく見ていただきたい。


こんなころの話から本は始まります


エミリオ・コミチ! かっこいい


ボルダリングの教祖ジョン・ギル


やはりというか、この写真も登場。70年代ヨセミテ・ストーン・マスターズ


当然エドリンガー(エドランジェです)! やっぱりイケメンでしたね


わたくしが大好きだったカトリーヌ・デスティベル


これ、1982年のコンペだそうです


キレキレだったころのジョニー・ドウズ


ギュリッヒの話は欠かせません


リン・ヒルさんもです


幻の天才、エリー・シェビューも出てきます。マニアはたまらん


ミッドナイトライトニングvsグロヴァッツ。この写真は初めて見たかも


われらが平山ユージは原寸大くらいの顔で登場


疑惑の男フレッド・ルーラン。こういうマニアックなネタもしっかりおさえてます


破壊王ニコル


この見開きかっこいい


そしてクリス・シャーマ登場


冒険王ディーン・ポッター。このあと、アレックス・オノルドも出てきます


コンペ写真もしっかり収録


左は安間佐千、右は野口啓代。昨年の本なので最新事情までフォローされています


ラストを飾るのはやはりこの人なのでしょうか。未来人アダム・オンドラ


と思ったらさにあらず。クライミングのもうひとつの到達点、トミー・コールドウェル





ああ……おれはこういう本が作りたかったのだ――と、原点を思い起こさせてくれる一冊でした。


Amazonにも売ってました。と思ったら、これはフランス語版。英語版が欲しい方は、上の版元のサイトなどを見てみてください。




25cm×28cm×厚さ2.5cm、重さ1kg以上。この大きさに中身がつまってます。これだけの充実したクライミング本は見た記憶がありません。クライミング好きなら絶対買って後悔しないはず!




【追記】

Amazonに英語版も売ってました!








【2020.3.25追記】

2018年に改訂版が出ているようです。初版より8ページ多いみたいなので、初版出版後の最新事情が追加されているのかもしれません。









2016年5月3日火曜日

オールドレンズの味わい


おもちゃを買ってしまいました。昔のペンタックススクリューマウントのレンズを、最新のキヤノンEOSに装着できるアダプターです。



アダプターといってもこんな簡単なもの。オートフォーカスも自動絞りも動きません。操作はオールマニュアルです。



Amazonでたまたま見つけて安かったので即買い。おそらく中国製のクオリティもへったくれもないものですが、機能的にはこれで充分なのです。



ペンタスクリューマウントレンズは3本持っています。左から35mm/f3.5、55mm/f1.8、135mm/f3.5。おそらく50年以上前のもので、中学生のときにじいちゃんの形見をもらったものです。何十年か死蔵していましたが、活躍のときがやってきました。



実写

50年前のレンズなんてボロボロの写りだろうと予想していましたが、想像以上に健闘しました。さすがに開放はアマアマですが、5.6くらいまで絞るとかなりしゃっきり写るのにびっくり。


まずは、現代の最新レンズで撮った写真


次に、ペンタックスオールドレンズ。いずれも絞り1.8です


中央を200%拡大。まずは最新レンズ


次にオールドレンズ


上の例は違いがわかりにくいので、左上のほうを拡大。最新レンズ


オールドレンズ。これでようやく違いがはっきり




大画面で見ると質感などかなり違って見えるんですが、スマホやパソコンの小さいサイズで見ていると、どっちもそれほど変わらないですね(被写体によっては違いがもっとはっきりするものもあるんですが)。


でも、オールドレンズのまったりとした写りは感じていただけましたでしょうか。これはこれで味があって、とくに四隅がドカンと落ちて暗く写るところなどかなり好み。ひんぱんに使うものじゃないけど、たまーに遊んでみようかと思います。


2016年4月26日火曜日

モアイフェース真の完成


昨年来、このブログでも何度も書いた瑞牆山モアイフェースのルート「千日の瑠璃」が完全版として登られました。4月23日に、下から全ピッチ通して登ったそうです。


初登として報じられた昨秋は、ピッチごとに区切ってそれぞれ別の日に登っていました。考えてみればこれは、ボルダリングの「ムーブばらし」に成功しただけで、「つなげ」はまだだったともいえるのです。


ピッチごとの成功でも「ルートの完成」として認められるにもかかわらず、「つなげ」にこだわった倉上くんの執念にあらためて敬意を表します。この歴史的なルートをピッチ完登で終わらせなかった意味はとても大きく、とくに今後に続くクライマーに大きなメッセージとなったはずです。



パートナーの佐藤裕介が昔、錫杖岳の「しあわせ未満」というルートをフリーで初登したときに、ピンクポイントで終わらせずにレッドポイントするまで通い続けたことに感心した覚えがあります。プロテクションの事前セットをしないレッドポイントこそ、「下から上に登る」クライミングの根本思想を体現したスタイルと思ったからです。


今回のワンプッシュクライミングにも同じこだわりを感じました。リスクの高いクライミングでこのこだわりを貫くのは、相当の覚悟がいることだと想像します。でもそれを貫き通したからこそ、ルートの完成度は飛躍的に高まったわけで、だからこそ「大きなメッセージ」になったと思うのです。


道を切り拓いたものが勇気をもって最後までやり通したのに、続くものがハンパなことをやるわけにはいかないと。




2016年4月22日金曜日

クライミングは運動靴でやれ


日本フリークライミング協会の会報誌『freefan』が届きました。


この冊子に「ローカル強強クライマー列伝」という連載があります。全国的には無名だけど、その地方では知る人ぞ知るというような人物を紹介するコーナーです。今回取り上げられていたのが、大学探検部時代の先輩であり、私にクライミングに教えてくれた人物でもある高橋洋祐さんでした。


高橋さんは現在は愛知県でプレイマウンテンというクライミングジムを経営しています。学生時代からクラブの中では突出してクライミングがうまく、当時から有名なクライマーといっしょに登っていたりして、その筋では知られていました。


私は学生時代に、アフリカのサントメ・プリンシペという国にある「ピコ・カン・グランデ」という岩塔を、高橋さんと後輩1人の3人チームで初登したことがあります。これも高橋さんがいっしょじゃなかったら絶対登れなかっただろうな。難しいピッチは全部高橋さんにリードしてもらいました。


Pico Cao Grande 663m



中央が高橋さん、右が私、左は縣直年という後輩。それにしても汚い写真ですな


ところで、freefanの記事を読んでいて私はショックを受けましたよ。それはこのくだり。


若林 岩と雪読んであこがれてましたよ。この登攀(ピコ・カン・グランデ)は。ところで昔は運動靴で登っていたと言ってたね? 
高橋 今でも道具にはあまり頓着しないんだけど、昔はもっとそうだった。「運動靴で登れなきゃ沢や洞窟で通用しない。ベストの靴は月星シューズ!」とか意気がってたんだけど、骨折で懲りてすぐにクライミングシューズ買った。


「運動靴で登れ」とは確かによく言われていました。クライミングシューズは岩ではいいけど歩けないから大きな山では実戦的ではないというのです。それに、登りにくい靴で練習していれば、靴に頼らない足さばきが身につくと。


それはそのとおりだ、理にかなってると、先輩の教えにしたがって私はふにゃふにゃのジョギングシューズで一生懸命登っていたわけです。当然ながら全然登れなくて、まったく面白くないわけですよ。しかしそれは私の精進が足りないからなんだと自己嫌悪に陥っていたものでした。


その後、クライミングシューズで登るようになって気がついたんですが、「登りにくい靴で練習したほうがうまくなる」というのはウソじゃないかと。登りやすい靴で登ったほうが明らかに技術が身につくんですよね。高橋さんの教えは間違っていたんじゃないか……?


ところがおそろしいことに、現在でも心のどこかで「クライミングシューズはズルだ」と思っている私がいます。もうとっくに高橋さんの教えが間違っていたことはわかっているんですが、頭ではわかっていても心が納得しないというか。高橋さんは私にクライミングのイロハを教えてくれた人。いわば歩き方を教えてくれた親です。親の教えというのは、どんなに間違っていても、当人にとっては真実として心に刻まれてしまうのですね。


その親があっさりと運動靴を否定している。それを信じて心に刻んでしまったおれの立場は……。





*ところで『freefan』の詳細はこちら。日本フリークライミング協会の会員(年会費3000円)になると送られてくるほか、クライミングジムなどで買うこともできます(500円+税)。

2016年4月3日日曜日

『外道クライマー』解説

もう本当にすばらしい。おれもこういう文章を書いてみたい。いや、『外道クライマー』のことではありません。その巻末に掲載されている「解説」のことである。筆者は角幡唯介


こみいった話をするする理解させる叙述力、品のある言葉のチョイス、絶妙のさじ加減に抑えたジョーク、すべてがすばらしい。登山や冒険の奥底の魅力というのは言葉ではとても表せないモヤモヤとしたものなのだけど、角幡の手にかかれば明快な理屈になってしまうので、本当に不思議だ。というか、うらやましい。


ここのところ、もうすっかりこの男の文章のファンである。こっそりマネさせてもらっているが、彼の新作をあらためて読むと、やはり全然およばないことに気づく。


角幡の文章をひとことで表すと、「端正」という言葉がいちばんしっくりくる。非常に的確な言葉だと思うのだが、残念ながらこれも私の言葉ではない。高野秀行の言葉である。さすがに文章でメシを食っている人は言葉のチョイスが違う。


高野と角幡は大学のクラブの先輩と後輩にあたるのだが、なんだかPL学園野球部で、先輩の清原や桑田、後輩の前田健太などの天才にはさまれた世代の上重聡のような心境だ。一応おれも甲子園(商業誌)には出たし、自分ではそこそこイケてるつもりだったのだがなあ。


つい最近、その『外道クライマー』を買って、冒頭の一章と巻末の解説だけ読んだ。どちらもたいへん面白く、これから先の読書を期待させてくれた。その解説だけ、ネットで読めるようになっていたことに気づいた。


『外道クライマー』スーパーアルパインクライマー宮城 - HONZ


本に掲載されている解説と同じ文章(のはず)。ぜひ読んでみてほしい。


私的に最高に気に入っているのは、最後の1行である。本を読まないと意味がわからないかもしれないが、もう最高。角幡はこの1行を書きたいがために、えんえん文章を書き連ねてきたんじゃないだろうか。いや、きっとそうだ。強烈なオチになってます。


似たような1行オチで、私が絶品級に気に入っている文章がある。それがこれだ。


おちんちん


こうして記すのをはばかられるタイトルだが、これは角幡がつけているタイトルだから私にはどうしようもない。タイトルはひどいけど(でもこれでいい)、ブログに書くにはもったいないような名文です。ぜひこちらもお読みください。






2016年3月19日土曜日

編集人生最大のリライト

先日、平山ユージさんの文章のことを書いたときに、リライトについて少しふれた。これについて思うことがあるので書いておこう。


私が以前編集をしていた『山と溪谷』という雑誌は、私がやっていた当時は書き手の7割がアマチュアだった。プロのライターは3割。いや、もっと少なかったかな? 執筆をお願いする人は、登山家であったり、カメラマンであったり、山岳会の書ける人であったり。ショップや山小屋の人に書いてもらうことも少なくなかった。


彼ら彼女らの書く文章は、当事者であるだけにビビッドで臨場感があるのが最大の魅力。それに対してプロライターの書く文章は読みやすく整っているけれど、よほどうまい人でないと「熱」が伝わりにくい。当事者が書くのと取材したプロが書くのとどちらがいいのか。これは私の中で結論は出ていない。ケースバイケースということなのだと思う。


それはともあれ、アマチュアの書く文章というのは、「文章」としては当然、難が多い。それを読者にわかりやすく整えるのが、当時の『山と溪谷』編集部員の大きな仕事だった。つまりリライトである。


私がこれまで行なったリライトで最もすごかったものは、ある山小屋の主人に書いてもらった原稿である。2500字という依頼だったのだが、送られてきた原稿は箇条書きが10行! 当然、これではどうしようもないので、私は主人に電話をかけた。


「原稿いただきました! ……が、さすがに少なすぎて記事にならないので、もうちょっとふくらましていただけないでしょうか?」

「やっぱりあれじゃだめですか……」

「ええ……。こちらでフォローもできるんですが、それにしても、もうちょっと分量がないと……」

「いろいろ考えたんですが、あれくらいしか思いつかなくて、編集部でなんとかならないでしょうか」

「(ううっ!)いやー……。なにかもうちょっとエピソードなどあればなんとかなるんですが、10行ではさすがに……」

「そういえば、先日取材で来られた○○さん(編集部の同僚)が、いろいろ聞いていかれました」

「(その話を聞いてこちらで書いてくれってことか)ああ……、はあ……」


こんなやりとりをしばらく交わした末、これ以上文章を書いてもらうことは難しそうだと判断した私は、思い切ってインタビューに切り替え、10ポイントの箇条書きについて、詳しい話を掘り下げて聞くことにした。それをもとに自分で作文しようと決断したのである。


取材で訪ねたという同僚に聞いた話も参考にして、私はリライト(?)にとりかかった。主人は素朴な人柄で、ひとりで小屋を切り盛りしているという人物。へんにこなれた文章にしてしまうと違和感があると考え、わざとぎくしゃくした文章を作ったりもした。結果、素材(主人と小屋のエピソード)がよかったこともあって、なかなかいい文章が仕上がった。


確認のため、主人にファクスで送る(90年代はファクスと郵便が原稿やりとりの中心手段だった)。主人の返事はこのひとこと。


「すばらしい校正ありがとうございました」


これって校正というのか? と思いつつ、その主人に憎めない人柄を感じていた私はそのまま校了。思わぬ苦労はしたけど、なにか清々しい思い出となった。


その文章、後年、単行本化されて以下の本に掲載されています。どこの小屋の文章か探してみてください。わかるかな?




ちなみにこれ、1月にひとつの山小屋を取り上げて、そこで働いている人に書いてもらうという連載でした。地味なモノクロページだったのですが、どういうわけか読者の反響がよかったのです。やっぱり当事者の書く文章には力があるということの証だったのでしょうか。


……プロでない書き手の文章一般のことを書こうと思っていたのだけど、山小屋主人のリライトの思い出が強烈すぎて長くなってしまったので、また今度。

2016年3月16日水曜日

平山ユージの文章とウェブメディアの編集

Climber’s Story#01 / クライミングを変えた、ひとりの男


レッドブルのウェブにこんな記事を書きました。
その続きとして、平山ユージ本人も書いています。


Climber’s Story#02 / 平山ユージが語る、日本の山


ユージさんは意外と(失礼)読書家で、文章を書くのも好きらしく、実際けっこう書けます。『ROCK & SNOW』の編集をやっていたころはよく書いてもらっていました。今回のレッドブルウェブの記事はユージさんにしてはいまひとつに思いましたが、本当はもっと書ける人です。


ROCK&SNOW時代、1000字で依頼した原稿をなんと10000字書いてきたことがありました。書くことがあふれ出して止まらないといった感じで、実際、10000字の内容があったので、急遽ページ数を増やして収録したものでした。


ユージさんはもちろんプロの書き手じゃないので、文章はそれなりに荒れています。そこをある程度手を入れてリライトして掲載するのですが、「すごくリライトしやすい文章だ」と思った覚えがあります。


言いたいことの骨子がはっきりしているのと、使う言葉のキレがよいことが特徴でした。とくに言葉のチョイスは秀逸で、プロライターでもできないようなキラリと光る表現が必ず入っていました。だからタイトル付けなどもすぐにできました。


ところで、レッドブルウェブは専門の編集チームがいるようで、ここがちゃんと編集の仕事をしていることに感心しました(上から目線の言い方ですみません)。記事のテーマ・分量・締め切りを明確に提示し、原稿提出後はそれをちゃんと読み込んでタイトルやリードを付け、ふさわしい写真のチョイスと並びを考えてくれました。


私が書いた記事のトップ画像に使われている手のアップの写真は、本来タテ写真で顔まで写っているものだったのです(顔はピントを外してボカしていましたが)。それを「手だけのアップにトリミングしていいですか」と提案してきたのは編集部で、そのおかげでものすごく印象的なトップ画像になりました。編集部に感謝。


これ本来、まさに雑誌編集部の仕事だったのですが、近ごろここまでやれる雑誌編集部は少なくなっていて、こんなところにも時代の流れを感じてしまいましたな~。

2016年3月11日金曜日

孤高のクライマー・森田勝


ICI石井スポーツの新宿東口ビックロ店で、クライマー森田勝氏を語るイベントがあったので行ってきました。


ちょうど『PEAKS』の連載で森田氏をとりあげたばかり。使っていた道具の展示や過去の写真なども見られるというし、なにより森田氏はICIのアドバイザーを務めていた過去がある。そのICIの方が語るというので、いろいろ深い話が聞けるんじゃないかと思ったわけです。


森田氏というと、頑固一徹な偏屈クライマーの代表格のように見られています。そのイメージが強烈で、小説『神々の山嶺』の主役のひとり羽生丈二のモデルになっています。





しかし誌面でも書いたのですが、それはどうも佐瀬稔というノンフィクション作家が書いた『狼は帰らず』という本のイメージにすぎないらしいのです。


実際の森田氏はもうちょっとまともだったという人も多く、実際、イベントで話をされたICI登山学校の東秀訓氏も、「森田さんはまじめな人で、アイデアマンだった」と語っていました。


佐瀬氏の本は読ませる力があり、読み物として面白いのだけど、叙述がドラマチックにすぎて、等身大の人物像からは離れてしまう傾向があるのかもしれない。森田氏の奥さんが本をあまりよく思っていなかったというような記述をどこかで読んだ覚えもあります。人を書くというのはなかなか難しいですね。




会場には、森田氏が考案して実際に使っていた靴が展示されていました。いちばん手前の伝説のクライミングシューズ「EBスーパーグラトン」。これ、森田氏がはじめに目を付けてICIで日本に輸入し始めたそうです。知らなかった! 


真ん中と奥の靴は、森田勝考案の登山靴。真ん中は独特のシューレースシステム、奥は毛皮のゲイターが靴に直接付いているところが、森田氏独特のアイデアだったそうです。これ、東氏も言っていたけど、真ん中はスポルティバ・スパンティーク、奥は同じくオリンポスにそっくり! 森田氏に先見性があったというか、スポルティバがパクったというか・・・?


あまり記録を残していない森田氏だけに、知らない話ばかりで面白かった。ネットでたまたま見つけたイベントだったのだけど、こういうイベントもいいですね。