2016年3月19日土曜日

編集人生最大のリライト

先日、平山ユージさんの文章のことを書いたときに、リライトについて少しふれた。これについて思うことがあるので書いておこう。


私が以前編集をしていた『山と溪谷』という雑誌は、私がやっていた当時は書き手の7割がアマチュアだった。プロのライターは3割。いや、もっと少なかったかな? 執筆をお願いする人は、登山家であったり、カメラマンであったり、山岳会の書ける人であったり。ショップや山小屋の人に書いてもらうことも少なくなかった。


彼ら彼女らの書く文章は、当事者であるだけにビビッドで臨場感があるのが最大の魅力。それに対してプロライターの書く文章は読みやすく整っているけれど、よほどうまい人でないと「熱」が伝わりにくい。当事者が書くのと取材したプロが書くのとどちらがいいのか。これは私の中で結論は出ていない。ケースバイケースということなのだと思う。


それはともあれ、アマチュアの書く文章というのは、「文章」としては当然、難が多い。それを読者にわかりやすく整えるのが、当時の『山と溪谷』編集部員の大きな仕事だった。つまりリライトである。


私がこれまで行なったリライトで最もすごかったものは、ある山小屋の主人に書いてもらった原稿である。2500字という依頼だったのだが、送られてきた原稿は箇条書きが10行! 当然、これではどうしようもないので、私は主人に電話をかけた。


「原稿いただきました! ……が、さすがに少なすぎて記事にならないので、もうちょっとふくらましていただけないでしょうか?」

「やっぱりあれじゃだめですか……」

「ええ……。こちらでフォローもできるんですが、それにしても、もうちょっと分量がないと……」

「いろいろ考えたんですが、あれくらいしか思いつかなくて、編集部でなんとかならないでしょうか」

「(ううっ!)いやー……。なにかもうちょっとエピソードなどあればなんとかなるんですが、10行ではさすがに……」

「そういえば、先日取材で来られた○○さん(編集部の同僚)が、いろいろ聞いていかれました」

「(その話を聞いてこちらで書いてくれってことか)ああ……、はあ……」


こんなやりとりをしばらく交わした末、これ以上文章を書いてもらうことは難しそうだと判断した私は、思い切ってインタビューに切り替え、10ポイントの箇条書きについて、詳しい話を掘り下げて聞くことにした。それをもとに自分で作文しようと決断したのである。


取材で訪ねたという同僚に聞いた話も参考にして、私はリライト(?)にとりかかった。主人は素朴な人柄で、ひとりで小屋を切り盛りしているという人物。へんにこなれた文章にしてしまうと違和感があると考え、わざとぎくしゃくした文章を作ったりもした。結果、素材(主人と小屋のエピソード)がよかったこともあって、なかなかいい文章が仕上がった。


確認のため、主人にファクスで送る(90年代はファクスと郵便が原稿やりとりの中心手段だった)。主人の返事はこのひとこと。


「すばらしい校正ありがとうございました」


これって校正というのか? と思いつつ、その主人に憎めない人柄を感じていた私はそのまま校了。思わぬ苦労はしたけど、なにか清々しい思い出となった。


その文章、後年、単行本化されて以下の本に掲載されています。どこの小屋の文章か探してみてください。わかるかな?




ちなみにこれ、1月にひとつの山小屋を取り上げて、そこで働いている人に書いてもらうという連載でした。地味なモノクロページだったのですが、どういうわけか読者の反響がよかったのです。やっぱり当事者の書く文章には力があるということの証だったのでしょうか。


……プロでない書き手の文章一般のことを書こうと思っていたのだけど、山小屋主人のリライトの思い出が強烈すぎて長くなってしまったので、また今度。

2016年3月16日水曜日

平山ユージの文章とウェブメディアの編集

Climber’s Story#01 / クライミングを変えた、ひとりの男


レッドブルのウェブにこんな記事を書きました。
その続きとして、平山ユージ本人も書いています。


Climber’s Story#02 / 平山ユージが語る、日本の山


ユージさんは意外と(失礼)読書家で、文章を書くのも好きらしく、実際けっこう書けます。『ROCK & SNOW』の編集をやっていたころはよく書いてもらっていました。今回のレッドブルウェブの記事はユージさんにしてはいまひとつに思いましたが、本当はもっと書ける人です。


ROCK&SNOW時代、1000字で依頼した原稿をなんと10000字書いてきたことがありました。書くことがあふれ出して止まらないといった感じで、実際、10000字の内容があったので、急遽ページ数を増やして収録したものでした。


ユージさんはもちろんプロの書き手じゃないので、文章はそれなりに荒れています。そこをある程度手を入れてリライトして掲載するのですが、「すごくリライトしやすい文章だ」と思った覚えがあります。


言いたいことの骨子がはっきりしているのと、使う言葉のキレがよいことが特徴でした。とくに言葉のチョイスは秀逸で、プロライターでもできないようなキラリと光る表現が必ず入っていました。だからタイトル付けなどもすぐにできました。


ところで、レッドブルウェブは専門の編集チームがいるようで、ここがちゃんと編集の仕事をしていることに感心しました(上から目線の言い方ですみません)。記事のテーマ・分量・締め切りを明確に提示し、原稿提出後はそれをちゃんと読み込んでタイトルやリードを付け、ふさわしい写真のチョイスと並びを考えてくれました。


私が書いた記事のトップ画像に使われている手のアップの写真は、本来タテ写真で顔まで写っているものだったのです(顔はピントを外してボカしていましたが)。それを「手だけのアップにトリミングしていいですか」と提案してきたのは編集部で、そのおかげでものすごく印象的なトップ画像になりました。編集部に感謝。


これ本来、まさに雑誌編集部の仕事だったのですが、近ごろここまでやれる雑誌編集部は少なくなっていて、こんなところにも時代の流れを感じてしまいましたな~。

2016年3月11日金曜日

孤高のクライマー・森田勝


ICI石井スポーツの新宿東口ビックロ店で、クライマー森田勝氏を語るイベントがあったので行ってきました。


ちょうど『PEAKS』の連載で森田氏をとりあげたばかり。使っていた道具の展示や過去の写真なども見られるというし、なにより森田氏はICIのアドバイザーを務めていた過去がある。そのICIの方が語るというので、いろいろ深い話が聞けるんじゃないかと思ったわけです。


森田氏というと、頑固一徹な偏屈クライマーの代表格のように見られています。そのイメージが強烈で、小説『神々の山嶺』の主役のひとり羽生丈二のモデルになっています。





しかし誌面でも書いたのですが、それはどうも佐瀬稔というノンフィクション作家が書いた『狼は帰らず』という本のイメージにすぎないらしいのです。


実際の森田氏はもうちょっとまともだったという人も多く、実際、イベントで話をされたICI登山学校の東秀訓氏も、「森田さんはまじめな人で、アイデアマンだった」と語っていました。


佐瀬氏の本は読ませる力があり、読み物として面白いのだけど、叙述がドラマチックにすぎて、等身大の人物像からは離れてしまう傾向があるのかもしれない。森田氏の奥さんが本をあまりよく思っていなかったというような記述をどこかで読んだ覚えもあります。人を書くというのはなかなか難しいですね。




会場には、森田氏が考案して実際に使っていた靴が展示されていました。いちばん手前の伝説のクライミングシューズ「EBスーパーグラトン」。これ、森田氏がはじめに目を付けてICIで日本に輸入し始めたそうです。知らなかった! 


真ん中と奥の靴は、森田勝考案の登山靴。真ん中は独特のシューレースシステム、奥は毛皮のゲイターが靴に直接付いているところが、森田氏独特のアイデアだったそうです。これ、東氏も言っていたけど、真ん中はスポルティバ・スパンティーク、奥は同じくオリンポスにそっくり! 森田氏に先見性があったというか、スポルティバがパクったというか・・・?


あまり記録を残していない森田氏だけに、知らない話ばかりで面白かった。ネットでたまたま見つけたイベントだったのだけど、こういうイベントもいいですね。






2016年3月4日金曜日

BEYOND TRAIL マイトリー・カルナー


『BEYOND TRAIL マイトリー・カルナー』という写真集を買いました。


トレイルランニングをテーマにした写真集で、一昨年、マッターホルンで行方不明になった相馬剛さんというトレイルランナーをテーマにしたものです。


いわゆる私家版というかたちなので、書店などでは買えません。藤巻翔という知り合いのカメラマンが作っているらしいというのは、なんとなく風の噂で聞いていましたが、先月末に完成したというわけです。


藤巻くんというのは、アウトドアスポーツに強いカメラマンで、なんというか、「熱」を感じる写真を撮る男です。その熱を通じて、被写体の心の内が聞こえてきそうな写真というのか。ファインダーを通して人の心に焦点を当てているかのような彼の写真は、私はかなり好みなのです。


写真集は、藤巻くんだけでなく、計11人のカメラマンの作品が集められています。中身も見ないうちから、これは買いだなとポチってしまいました。


期待に違わず、とにかく気合いの入った写真が並んでいました。現在の日本のトレイルランニングのベストカットがここに収録されています。私はトレイルランニングはやらないし、とくに詳しくもないけれど、それでもグッとくるとても上質な本です。3000円は全然惜しくありませんでした。




で、本を手に入れるまで知らなかったのですが、山本晃市という男が編集を担当したようです。この男、じつは山と溪谷社でも枻出版社でも、机を並べて仕事をした仲で、しかも同い年。非常によく知っている男です。本の作りにまったく素人くさいところがなかった理由がこれでわかりました。


もっぱら「ドビー山本」の名で知られている彼がこの世界にかかわり始めたのは13年前。山と溪谷社で『アドベンチャースポーツマガジン』という雑誌を作り始めたときでした。


ドビー自身はトレイルランニングなぞまったくやらないただの酒飲みなのですが、たぶんこの世界の人たちの純粋さに感じるものがあったんでしょうね。トレイルランニングなんてだれも知らないような時代から、ひとりでこつこつと雑誌を作っていました。


どマイナーな雑誌だった『アドベンチャースポーツマガジン』を、かなりな広告収入が入る雑誌にまで育て上げた末に山と溪谷社を去ることになったのですが、ドビーなきあとの山と溪谷社ではこの雑誌をうまく運営できなかったようで、ほどなくしてなくなってしまいました。


彼は自分アピールをする男ではないので、あまり知られていないかもしれませんが、現在のトレイルランニングメディアの土台を作ったのは間違いなく彼です。それは雑誌を作っただけではない。彼は人材育成にも長けていたのです。


この写真集にも名を連ねている柏倉陽介や亀田正人といった、今をときめくアウトドアカメラマン。彼らは、ドビーがいなかったら今カメラマンをやっていたかどうかわかりません。彼らが大学を出たばかりで仕事のないフリーターのようだったころ、ドビーは自宅に泊めてメシを食わせてやりながら雑誌仕事を手伝わせていました。


そのうち、どうもふたりは写真が撮れるようだと気づいたドビーは、積極的に誌面で彼らの写真を使いました。当時としては大抜擢といっていい使い方だったと思います。そこで自信をつけた柏倉と亀田は、プロのカメラマンとして活動するようになっていったのです。


このふたりだけではない。11人のカメラマンのひとり、宮田幸司もそうです。スポーツカメラマンだった宮田さんをトレイルランニングの世界に引き込んだのはドビーでした。藤巻翔だってそのひとりといえると思います。


つまり、現在のトレイルランニング写真に欠かせないカメラマンの多くは、ドビーが育てた、あるいはドビーが発見した人材なのです。カメラマンにかぎらず、ドビーはそういう、人を巻き込む力に長けた男でした。




この写真集には、13人のトレイルランナーが文章を寄せてもいます。石川弘樹、鏑木毅、横山峰弘、山本健一、望月将悟、奥宮俊祐などなど……。いずれも、ひとりでもキャスティングできれば、雑誌の特集が成立するようなトップランナーばかりです。その人たちがこれだけそろって私家版の一冊に協力しているのは、第一に相馬剛さんのためでしょうが、ドビーが手がけていなければあり得なかったことだとも思うのです。


ドビーは見た目からはあまり想像できませんが、ドラマチックなビジュアルセンスに優れた男で、彼の作る誌面はいつも躍動感がありました。この本もそうです。ジェラシーを感じます。おれもぼけっとしてられないなと刺激を受けました。


写真集の詳細はこちらに。

Fuji Trailhead

ぜひ見てみてください。






【3月14日追記】

とてもすばらしい話を聞きました。


この写真集の印刷・製本を行なっているのは、大日本印刷と三共グラフィックという会社なのですが、これは、大日本が『アドベンチャースポーツマガジン』、三共は、ドビーがアドスポのあとに枻出版社で作っていた『トレイルランニングマガジン(タカタッタ)』の印刷・製本を行なっていた会社なのです。


両社は、この写真集の趣旨に賛同し、通常ではありえない「共同印刷製本」を行なったそうです。そんなの聞いたことがない。


本というと、書き手やカメラマン、出版社ばかりがクローズアップされて、印刷業者にスポットがあたることはまずないのですが、本の制作の裏側で彼らが果たしている役割は、きっと一般の人が想像する10倍くらいあります。


とくに、写真の発色などは職人ワザといえる領域で、どこ(具体的にはだれ)が手がけるかによって、「これ同じ写真?」というくらい変わってきます。写真を生かすも殺すも印刷業者次第。それくらい重要なパートなのです。


そんな彼らが異例のタッグを組んだというのは、なにかとてもグッとくる話でした。

2016年3月2日水曜日

ウェブ記事について思ったこと

軽量・快適・機能的。多彩な顔ぶれのMILLET(ミレー)新作ライトウェイト・バックパックから目が離せない


ボケーッとネットサーフをしていてなんとなく目にとまったこの記事。「なんかまた宣伝用の中身がスカスカな記事なんだろうな」と思っていたらさにあらず。いい記事でした。


ミレーの30リットルクラスのザック3種類を紹介しており、それぞれの違いをていねいに解説しているのです。言葉をつくし、写真もちゃんと撮り、最終的にそれぞれに合った用途も提示してくれています。


これを読んで真っ先に頭に浮かんだのは「うらやましい」ということ。ひとつの道具にこれだけの文章量を尽くして説明できる場は雑誌にはほとんどないのです。通常、雑誌で道具を解説するときに確保できる文章量は、これの10分の1くらいでしょうか。


だから雑誌の登山ライターは、そのかぎられた字数のなかにできるだけの情報を工夫して入れ込もうとするのです。でもやっぱり量を尽くさないと表現できないことは間違いなくあって、その点、必要と思えばいくらでも(といってもある程度の上限はあろうけど)書けるウェブ記事はいいなあと。


とくにこの記事みたいに、似たような道具の違いを表現するには、これくらいの情報量はやっぱり必要だと思うのです。これだけ言いたいことを思う存分書き切れる量があったら気分いいだろうなあ。


そしてエラそうな言い方になってしまいますが、この記事を書いている人の説明は的確だと思いました。おそらくはミレーから提供を受けているPR記事なんだと思うのですが(ちがったらすみません)、宣伝ありきの内容ではなく、ちゃんと役に立つ記事になっています。書いているのがザックをよくわかっている人なんだと思われます(このサイトの内情も書いている人も全然知りませんが)。


ふたつ苦言を呈すると、


ひとつはタイトル。「目が離せない」というのはちょっと安っぽい……。いや、本当に「目が離せない」と思ったんなら、迷わず使えばいいと思うんです。ただその場合は、目が離せなくて興奮している熱が本文にも乗り移っているはず。この記事からはそういう熱は感じなかったので、その場合は別の言葉を探したほうがよかったのでは。中身も安っぽい記事だったらマッチしているんですが、よくできた記事だけにもったいないと思いました。


もうひとつは本文ラスト。

「ただ、メリット・デメリットというのも人によっては逆転しうる可能性もあり、あくまでもひとつの目安として、最後には必ず実際に自分で背負った感覚を大事にしてくださいね」

惜しい! 惜しいよ! 

これありがちな締め方なんだけど、いいこと書いてきながら最後がこれだと、ぶち壊しになってしまうと思うんですよ。「いろいろ書いてきましたが、結局は個々人の感覚なんで……」と言われると、「じゃあ、これまで読んできたのはなんだったの?」という感覚に読者はとらわれてしまうんです。ここは自分の意見を言い切って終わってほしかったな。


なんかえらそうですみません!





2016年2月22日月曜日

”千日登攀”スライドショー@CRUX大阪


大阪のクライミングジム"CRUX"で開催されたスライドショー「千日登攀」に行ってきました。


2週間くらい前にCRUXの木織隆生さんからメールが届きました。


「CRUXのみならず、『関西クライミング界のイベント』という心構えで取り組んでおります」
「彼のような直球のクライミングに触れる事自体が、クライミングを直に語りかけてくれる事だと直感したからです」
「クライミングという遊びに人生の大半を捧げてきた我々には、未来のクライマーのためにもクライミングを伝えていく責任がある」


暑苦しく1500字ほどにもわたって書き綴られるスライドショーへの誘い。こういう熱い思いはスルーしてはいけないというポリシーが自分にはあるので、仕事の合間をぬって大阪まで出かけたというわけです。


倉上慶大という男

スライドショーは、昨年秋に登られた、瑞牆モアイフェースのルート「千日の瑠璃」がテーマ。これは2015年に日本人が行なったベストクライミングと個人的には信じており、あまりに興奮して、ブログでこんなこととかこんなこと書いたりもしました。


倉上さんは初めて話したのですが(瑞牆では遠目に見ただけなので)、思っていたより小柄でした。とはいっても170cmはあるそうなのですが、岩を登っている姿はもっと大きく見えて、178cmくらいあるのかと思っていました。こういうことよくあって、登っている姿が実際以上に大きく見える人っているのです。平山ユージさんもそうだし、野口啓代ちゃんなんか170cm以上あるように見えます。


それと、びっくりするような美青年。ユーチューブのボルダリング動画では男くささムンムンだったし、モアイフェースを登っているときなんかそれこそゴリラのような迫力だったのに、素の倉上さんは女の子がキャーと言いそうな美形でした。それも、30歳でありながら少年の純粋さと不安定さもたたえたビジュアル系の美しさで、じっと目を見て話されるとドキドキしてしまう感じなのです(わたくしそっちの気はないので誤解なきよう)。



右でマイクを持っているのが倉上さん。


お客さんは約100人。最近、有名クライマーのスライドショーを見る機会が続いていたのだけど、そのなかでもいちばん多かったと思います。しかも有料(500円)だというのに。倉上慶大というクライマーと瑞牆モアイフェースへの注目の高さがうかがえました。


本人のブログなどでは理屈っぽい文章が綴られているので、陰のある内省的な人物を想像していました。ところが、真面目そうで、ときおり笑いも交えながら一所懸命自身のクライミングについて伝えようとするさまは、本当に普通の好青年という感じでした。少なくとも私の世代までは、冒険的なクライミングをする人はどこか欠落感を抱えたような鬱屈した人物がほとんどだったのだけれど、時代は変わったのだなと思いました。


スライドショーでは、モアイフェースとの出会いから千日の瑠璃完登までを2時間以上かけて語ってくれました。スライドはこんな感じ。




全編こんな具合に作り込んであり、スライドショーというよりプレゼンテーションという感じ。途中、大フォールシーンの動画などもありました。


印象的だったのは、グラウンドアップをあきらめたときと、ボルトを打つか否かについての葛藤を繰り返し語っていたこと。このあたりについて話しているときは、正確に表現する言葉を探すあまり言葉につまるようなときもあって、こだわりの深さが垣間見えました。


それと、聞いてはいたけどあらためてビックリなのは、昨年春から瑞牆でマルチピッチを登り始めるまで、ルートはほとんどやったことがなく、最高グレードも5.12ぐらいだったということ。ボルダリングで五段を登る実力と常識外れのモチベーションがあれば、5.14Rのマルチピッチも半年で開拓できるようになるということなのでしょうか。モアイフェースに取り組み始めてから完登するまでの数ヶ月は「自分でもどうかしていたと思う」と倉上さん本人が言うほどの異常な集中だったそうです。


ただ、逆説的な言い方になりますが、そういう人だからこそ、このルートを拓くことができたのだとも感じました。倉上さんはボルダリングの発想でこの巨大な岩壁に挑んだわけで、ルートの経験がある人だと、このラインを登ろうという発想はなかなか出てこないだろうと。


スライドショー後の質疑応答では、金言がいくつも聞けました。以下に語録として列挙します。


「マルチピッチといったって、ボルダリングが長くなっただけともいえる」

「ボルダリングだってトラッドともいえるんですよね」

「どんなジャンルのクライミングもつながっているということをモアイフェースが気づかせてくれた」

「僕がやったことは新しくない。昔行なわれていたクライミングと同じ」

「課題は文化財」

「エリアに思いを馳せた先人に敬意を払いたい」


今後の目標としては、千日の瑠璃のワンプッシュクライミング。そしてさらに、目を付けている別のラインがあるとのことでした。その名も「裏モアイ」。千日の瑠璃はモアイフェースのおおむね右半分を登るのですが、フェース左にもラインを見いだしているそうです。今のところの見立てでは、千日の瑠璃より難しくなりそうとのことです。


以下はオンサイトをねらっている人は飛ばすように

ところで、私も千日の瑠璃のクライミングシーンを2回撮影しました。本人の発表も一段落したことだし、この歴史的史料をお蔵入りさせてしまうのはもったいないので、ここに載せておきます。


ひとつは、倉上さんの2ピッチ目(5.13c R)ファーストトライ。大フォールしたときのものです。


これは水晶トラバースの核心部分。写真を拡大してホールドをよく見てください。極悪です。とくに左手! 倉上さんによるとこれがキーホールドだそうで、欠けたらグレードアップは間違いないとのこと。


他は以下に。ただしオンサイトをねらいたい人はクリックしないように。シークエンスがアップで写っているので、一度でも見たらオンサイトの資格を永遠に失います。まさに杉野保さんの名文句「オンサイトをねらう人は読み飛ばしていただきたい」!




もうひとつは、第2登した佐藤裕介さんの核心ピッチ(5.14a R)トライ。こちらも成功した日のものではないのですが、ルートの状況はよくわかるかと。



こちらは以下に。噂のスカイフックプロテクションのようすもよくわかります。






おまけ



CRUX大阪の名物、噂の「空中ルーフ」も見てきました。巨大なハリボテが天井からぶら下がってます。こんなのほかで見たことない。


木織さんは、アメリカのモダンボルダリングカルチャーを日本に伝えた伝道師ともいうべき人物。クライミングと家族をとことん愛する粋な男です。コワそうに見えますが、中身はあたたかい眼差しをもった心優しい人なので、近所の人はCRUXをのぞいてみてください。長髪を後ろでまとめ、サイドカー付きのハーレーに乗ったヘルスエンジェルスのようなおじさんがあなたを待っています。


それから、以前のブログで「これは名言!」と紹介した小阪健一郎さんにもスライドショー会場で会うことができました。こちらはイメージどおりの変態っぽい感じで安心しました。


いろいろな出会いをもたらしてくれた木織さんに感謝。




【3月4日追記】


その木織さんが自身のブログでトークショーについて書いています。


千日登攀:倉上慶大というクライマーと過ごした夜その1


千日登攀:倉上慶大というクライマーと過ごした夜その2


とくに「その2」はものすごい名文です。絶対に読まなくてはなりません。クライミングについて書かれた近年最高峰の文章がここにあります。

2016年2月19日金曜日

服部文祥、初の文学賞受賞

サバイバル登山家として知られる服部文祥さんが、梅棹忠夫山と探検文学賞なる賞を受賞した(受賞作品は『ツンドラ・サバイバル』)。


梅棹忠夫というと、探検界ではカリスマのひとりであり、私も学生時代には著書をよく読んだ。なので、文学賞としてはマイナーだが、知り合いの受賞には感慨深いものがある。


が、これまで全5回の受賞者5人のうち、これで3人が知り合い(第1回の角幡唯介、第3回の高野秀行)。山と探検文学界どんだけ狭いの!


さらに、この賞の創設には、山岳編集者としての私の師、神長幹雄さんが深くかかわっている。神長さんは、私が『山と溪谷』の編集部に配属になったときの編集長であり、雑誌編集の心得はほとんどこの人から学んだ。


もっとも印象深い教えは、

「校了日にオレの机に校了紙を置いてくれさえすれば、普段は何していたっていい。会社に来なくてパチンコしていてもかまわない」

というもの。


20代で若かった私は、この言葉にいたく感じ入り、現在に至るまでこの教えを忠実に守っている(いまは会社員じゃないけど)。


……と、教えを忠実に守った私がダメであることからもわかるように、神長さんという人は、本当にダメな人なのであった。もうダメダメなのである。


高野秀行さんが受賞したとき、この神長さんから受賞の連絡があったらしい。神長さんが私の元上司であることを知って、高野さんが連絡してきた。


高野「神長さんってどんな人なの?」
森山「え? どんな人って?」
高野「いや、受賞の連絡をもらったんだけど、なんだか異常に恐縮してるんだよ」
森山「どういうことですか?」
高野「『こんな小さな賞で申し訳ないんですけれど……』とか、『賞金も本当に些少で、こんなので受けていただけるか……』とか、そんなことばっかり言うんだよね」
森山「ああ……。なんかわかります」
高野「だんだん詐欺じゃないかと思えてきてさあ」
森山「あっはっは。そういう人なんですよ、神長さんって。その恐縮には何も意味はありません」
高野「そうなの」
森山「そうです。ところで賞金っていくらなんですか」
高野「50万」
森山「えーっ、些少じゃないじゃないですか」
高野「そうそう、本当なら喜んで受け取りたいんだけど、神長さんがあまりに怪しいから、50万取られることになるのかと思えてきてさあ……」


高野さんはとりあえず安心して受賞することにしたのだが、授賞式までにも、なんかまたすったもんだがあったらしい(具体的なことは忘れてしまった)。


これだけじゃあ、神長さんのダメぶりは全然伝えられない。まだまだいろいろあるのだけど、仕事の合間にふと書き始めたブログで、もう仕事に戻らなきゃいけないので、とりあえずここまで。


愛すべきダメオヤジ、神長幹雄物語。また機会をあらためて書いてみたい。






服部さんの受賞ニュースを書くつもりだったのに、いつの間にか神長さんの話になっちまった!




2016年2月18日木曜日

映画『エヴェレスト 神々の山嶺』マニアックメモ



ただいま発売の『岳人』で、映画『エヴェレスト 神々の山嶺』に主演している岡田准一さんのインタビュー記事を書いたのですが、映画についての小ネタをいくつか聞いたのでメモ。


『岳人』を発行しているのはモンベル(正確には子会社のネイチュアエンタープライズ)。そしてこの映画、山岳装備をモンベルが提供しているのです。そういうわけで知ることができた裏話。映画の本筋には関係しない道具のネタですが、山好きの人だったらちょっとニヤッとできる話かと思います。映画公開は3月12日でまだ先ですけど、見る機会があったら、こんなところにも注目してみると面白いんじゃないでしょうか。


岡田准一さんが背負っているザックは世界に1個

映画の中で、岡田さん演じる深町誠は黄土色のザックを愛用しています。これ、モンベルのアルパインパック50というザックです。ただし、ここですぐさま「アルパインパック50」で検索をかけた方はお気づきかと思いますが、この色はいまは売られていません。昨年モデルの旧カラー(HONEYという色)なのです。


そしてさらに、前面に入っている「ZEROPOINT」というロゴが、映画使用品と商品では異なっています。映画の舞台設定は1993年なので、ZEROPOINTのロゴは古い昔のものに替えているそうなのです。だから映画使用品と同じザックはほかに存在しないというわけです。


そういうわけで、まったく同じザックを入手はできないんですが、カラーに関しては、登山用具店の店頭在庫としてまだ残っているものがあるかもしれない。欲しい人は急いで探してみよう。


あ、ロゴもあれか。ヤフオクとかで旧ロゴのザックを根気強く探せば完全レプリカを作ることも可能か。さすがにそこまでやる人いないか。


エベレスト登攀シーンで使われているアックスはKAJITAX



これが出てきたときは「やるな!」と思いました。このアイスアックス、80年代から90年代にかけて大ヒットしたモデルで、みんなこれ使ってたのです。映画の時代設定を考えればこれしかないでしょう。わかってる人が小道具を選んだなと感心しました。


正式名称は「カジタックス・スペシャリスト Mark 2」。映画で使われているのは、90年代にヒットしたMark 2のほうです(初代スペシャリストは80年代)。私もこれ持ってます。


ちなみに、これまだ現役で販売されてます。いまメーカーのサイトを見たら、映画で使われているストレートシャフトはもうないみたいですが、ベントシャフトのタイプはまだ買えます。まあ、いまとなってはもっと高性能のアックスがいくらもあるので、これをアイスクライミングなどに使う人はいないですが、バリエーション的なルートではけっこう使えます。私もごくたまに出動させることがあります。コンパクトで取り回しやすいんですよね。


そのほか

1990年代前半の山道具をそろえるのは意外と苦労したそうです。もっと古いものであれば、整理して保存している人もいるけど、1990年代前半のものというのはクラシックな価値があるわけではなく、かといって現役で使われているほど新しくもない。いちばん中途半端な時代だというのです。


そう言われれば確かにそうかも。アックスやカラビナなどの金属製品は劣化しにくいのでまだ持ってる人も多いけど、ウエアやザックなどはだいたい捨てちゃってますからね。そのわりには、映画に出てくる山道具の考証に違和感はなかったので、小道具スタッフはいい仕事をしているのだと思います。


あと、岡田さんが身につけているウエアは本人が選んだそうです。一度モンベルが一式そろえたのですが、映画の設定や時代的に違和感を持ったらしく、岡田さん自らモンベルショップに出向いて選び直したとのこと。このへんは山登りやってる人ならではですね。






【2月19日追記】

なんと! まさに映画で使った小道具なども展示したイベントが開催されるそうですぞ! 

撮影で実際に使用した衣装や小道具、映画の内容を紹介し、高度5200M級の世界が広がる写真パネルや映画メイキング映像などの展示・放映に加え、ここでしか見ることが出来ない、岡田准一さん自身がエヴェレストロケ中に撮影した写真のパネル展示など、映画『エヴェレスト 神々の山嶺』の世界を余すことなく、感じていただける展示イベントです。 

詳細はこちら


あまりのタイミングに、「イベントの宣伝エントリーだったんじゃないの~」と言われそうだけど、まったく関係ない偶然ですから! むしろ、「オレのエントリー読んで急遽企画したんじゃないの?」と言いたい。これほんと!


2016年2月17日水曜日

登山のグレーディング

3年前にフェイスブックにこんなことを書いたことがあります。


山のグレード


山の難易度をわかりやすく表すのって難しい。


たとえば富士山と屋久島宮之浦岳の難易度を比較せよと言ったときに、ひとことで言い切れる人ってたぶんいないはずだ。それこそ剣道初段とかみたいに、だれにでもわかりやすい尺度って作れないものかとずーっと考えているんだけど、まだ思いつかない。


山登りって考え合わせる条件があまりにも多岐にわたるから、そもそも統一的な尺度を作るのは無理なのかもしれない。いや、でも、これまでだれも本気で考えていなかっただけで、本気で取り組めば現状よりはわかりやすい何かができるんじゃないか。……という気もしている。


こういうことを考えるときにいつも思い出すのがクライミングのグレード。


これは結局、100%、登った人の主観に過ぎないわけです。傾斜が90度以上あれば5.11だとか、ホールドが5mm以下だったら1級だとか、そんな客観的な基準は何もない。「これくらいなんじゃないの」という、いわば感想の積み重ねによって形成されている。


ところがそんなものが驚くほど正確で。リードグレードだと25段階くらいに分かれているのだけど、実際登ってみると、だいたい合っている。たまに1段階前後のズレはあっても、2段階ズレていることはほとんどない。自然の岩という曖昧なものを相手に、25段階もの正確な基準が作られているというのはすごいことである。


どうしてこんなことが可能になったかというと、考えてみればこれってウィキペディアと同じ仕組みなんですよね。だれかがグレーディングしたものを、別のだれかが違うと思えば書き換える。それがまた違うとなれば……の繰り返し。まさに典型的な集合知。


自然という複雑怪奇なものを相手にした場合、先に理屈を設定してそれに基づいて整理していくより、クライミンググレード方式が合っているような気がする。みんなでよってたかって意見を言い合ってそれをすりあわせていくという。この考え方を登山にも応用すれば、もう少しわかりやすく山の難易度が表せる方法が見つかるんじゃないのか。


しかしその一方で、山をグレーディングするということには味気なさを感じてしまうのも事実。山登りの大きな魅力のひとつに「不確定要素」があると思う。あそこの山の上に行ったら何があるんだろう、行ってみないとわからない、というドキドキ感。グレードシステムが完璧であるほど、そのドキドキ感は少なくなってしまう。だって、事前にかなりの部分が正確に予想できてしまうのだから。それはつまらない。


しかしそこでもう一回ひっくり返して、それでもやっぱりグレードは必要なんじゃないかと考えている。そう思う最大の理由は、文化を異にする人との対話が可能になるから。グレードってのはひとつの言語だ。共通のものさしを持つことで、知らない人、さらには山登りをしたことがない人とでも、正確なコミュニケーションが簡単にできるようになるはず。


クライミング界がまさにそう。たとえば、チェコのクライマーがすごいルートを登ったらしいとだけ聞いても、「ふーん」くらいしか思わないけれど、そのルートが5.15cだと聞けば、全世界のクライマーが一瞬にしてその価値を理解する。しかも理解度にそれほどのブレなく共通に。


それだけじゃない。日本のクライマーがアメリカやヨーロッパに行ったとき、言葉がろくにできないのに現地のクライマーとコミュニケーションが成立することには、グレードの存在が大いに関係しているはずだ。


これを登山に置き換えて考えてみると。


たとえば高尾山に登って、高尾山が2級というグレードの山であることを知った人が、「私たちは1級~3級の山をよく登ってます」という山岳会の告知を目にしたら、気になるんじゃないだろうか。あるいは、登山用具店で「ふだんは10級前後の山を登ってます」といえば、店員もおすすめすべき道具が何か、正確に判断できるだろう。


まだある。たとえば富士山が6級だったとする。富士山に登った人が、国内には10級なんて山もあることを知る。いちばん難しいのは25級なんて山もあるらしい。となると、だれでも興味が湧くんじゃないだろうか。もうひとついえば、ふだん登っている山が3級前後の人が剱岳に興味を持ったとする。しかし剱岳のグレードは15級だと知れば、「もうちょっと経験積んでからにするか…」となって、剱に実力不相応の人が押し寄せて事故が起きるなんてことももう少し減るのではないか。


グレードシステムには弊害もあり、それを整えるほど本質を壊しかねない危険を孕んでいるものではあるけれど、クライミング界がこれまでグレードシステムから受けてきたメリットの大きさを考えると、個人的に天秤は「グレードあり」に傾く。同様にして、山登りにも、もう少しわかりやすいものさしが必要なんじゃないか。


……なんてことを、山のガイドブックを編集しながら日々妄想しているわけです。


なんでこんな文章思い出したかというと

近ごろ、長野県を中心に、登山道のグレーディングを進める事業が活発になっています。1カ月くらい前には、こんな発表がありました。


「信州 山のグレーディング・ピッチマップ」事業の評価結果を公表します


これだけだとなんのことかよくわからないけど、登山道を区間ごとに5段階でグレーディングしたというものです。そしてそれを、ヤマレコというサイトが地図上でわかりやすく図示してくれています(「大きな地図で確認する」というボタンをクリックすると地図が見られます)。


この方式が、登山のグレードシステムの決定版なんじゃないかなー。上の文章をフェイスブックに載せたときに、花谷泰広ガイドが、「スキー場のコースのように緑・赤・黒みたいに地図上に示せばいいと思います」というコメントをくれて、それだ!と思った覚えがあるのだけど、今回の長野県の取り組みはまさにそれ(花谷ガイドがアイデアを提供したのかも?)。昭文社の山と高原地図でこれが採用されれば、いっきに普及するでしょうね。


いくつか注文をつけるとすれば、

・ヤマレコの図は5段階の色の区別がわかりにくい(ここは昭文社の優秀な地図デザイナーの手にかかればすぐに解決するでしょう)

・グレード改訂の機会を設けておく(「ここのグレードはおかしいんじゃないか」とか登山者が投票できるシステムがあると面白いなあ〜)

そんなところ。


始まったばっかりだけど、登山者全体でうまく育てていきたいところっすね!



2016年2月16日火曜日

岡田准一インタビュー

昨日15日発売の『岳人』に、岡田准一さんのインタビュー記事を書きました。岡田さんは、3月に公開される映画『エヴェレスト 神々の山嶺』に主演しているので、それに合わせた企画というわけです。


もともと岡田さんは個人的にけっこう好きな俳優で、昔、『SP』というドラマを毎週見ていました(このドラマ、深夜枠だったんだけど、かなりクオリティ高い番組でした)。それから、岡田さんは趣味で登山やボルダリングをやるという噂が昔からあって、それは本当なのか? ということにも興味がありました。


しかし、インタビューの持ち時間はわずか30分。その間に写真撮影もしなくてはならず、話が聞けるのは実質20分というところ。それじゃあなにも聞けないよ……。その後、編集部が交渉してくれて、1時間になりました。ただし、アウトドア系3誌(岳人、山と溪谷、ランドネ)の合同インタビュー45分+個別インタビュー各誌5分というかたち。


30分よりはマシだけど、余裕はほとんどない。通常のインタビューでは軽く雑談から入って口を温めて、簡単な質問から徐々に深い質問に移っていくという流れをとるのだけど、今回は最初から全開でいくしかないな。ということで、質問項目とその流れを完璧に作り込んでインタビューに臨みました。


結果としては、限られた時間にしては深い話もできて、満足のいく取材になりました。登山やクライミングをやっているというのも本当のようでした。印象的だったのは、「これまでどんな山を登ってきたか」という質問に、岡田さんが「最近では西穂や瑞牆に登りました」と答えたところ。ここ、山にそれほど詳しくない人だったら「西穂高岳や瑞牆山に登りました」と答えるはずなんです。山やってる人ならではの略称がさらっと出てきたところに、本気度を感じましたね。


通常のインタビュー記事であれば、取材時に「西穂」「瑞牆」と略してしゃべったとしても、原稿にするときには「西穂高岳」「瑞牆山」と正式名にするところなのですが、今回はあえてそのままにしました。岡田さんの「やってる感」を『岳人』の読者には感じてほしかったからです。


のっけからそれだったので、これは山の話でいけると踏み、想定していた以上にエベレストや登山の話を掘り下げる方向で質問をしていきました。映画自体の普通の話はほかのところでも読めますしね。岡田さんも「こんなこと話していいのかな」と言いつつ、山での爆笑話をしてくれたりしたので、よかったんじゃないでしょうか(残念ながら原稿には入れられませんでしたが)。


まあ、でも、インタビューの時間制限はホントに厳しくて、終了時間が迫ってくると、岡田さんの後方に座っているスタッフが「あと10分」とか「あと3分」とかスケッチブックに書いたカンペを出してくるんですよ。それは岡田さんからは見えないんだけど、私たちにははっきり見えるわけです。あれはあせった。あんなの初めてでした。


というのも、岡田さんはこの日、私たち含めて10誌以上の取材を受けることになっていました。スタッフが持っていた時間表をちらっと見たのですが、朝から夜まで5分単位でスケジュールがぎっしりなんですよ。インタビューして撮影して、着替えてまた別のインタビューへ……。そしてそのたびに同じことを聞かれるはずなんです(「映画の見どころは?」とか「エベレストでの撮影はどうでしたか?」とか)。疲れてるはずなのにそんな素振りも見せずに答えてくれた岡田さんに感謝です。


今回はいわば「番宣」記事なので、上っ面の話に終始してしまう可能性もあるなと思っていたのですが、それは杞憂に終わりました。映画の裏話や山の話で盛り上がったのはもちろん、俳優としての演技の話が個人的に非常に面白く、その話だけもう1時間くらい聞きたいと思ったほど(掲載雑誌の趣旨からして深く突っ込むことができず残念)。結果的に4ページの文字数におさめるのに苦労したほどでした。いい話だったのに泣く泣く落とした話も3つありました。23日に発売で最後発になる『ランドネ』でそこが生かされていればいいのだけど。


で、やっぱり気になるので、『岳人』と同じく15日発売の『山と溪谷』を夕方に立ち読みしてきました。結果! 原稿の内容ほとんど同じ! うわ~、マジかよ~。こうなるとイヤだなと思って、原稿を作るときに3誌で調整しようかともチラッと思ったんですが、なんか談合めいていやらしいような気もして、結局ほとんどやらなかったのです。後悔。


でも、5分の単独取材時間(+撮影時の立ち話7分ほど)に核心となり得る質問を用意していたので、そこで聞いた話をできるだけ厚く原稿に盛り込みました。そこはヤマケイにもランドネにも載ってないぞ!




あ、あと、今月の岳人、このインタビュー記事のほかに、めずらしく学生時代の昔話を書いています。なんの話かというとUFOの話です。そちらもどうぞ。