2017年11月27日月曜日

The World's Best Belayer





ザ・ワールズ・ベスト・ビレイヤー(世界最高のビレイヤー)


クライミングギアメーカーのペツルが作ったバカ動画です。Ray Verseau(レイ・ベルソー? ルベルソをもじった名前と思われます)という、世界最高のビレイ技術を持った男を紹介するというもの。


デイブ・グラハムとかクリス・シャーマとか、世界のクライミングスターが多数出てきて、「ヤツは最高だよ」などと語ります。どんな墜落も止めてしまう技術があるうえに、ヘルメットのバイザーにモニター的なものが仕込まれていて、落下距離やグラウンドフォールの確率などを瞬時に映し出してくれるという、スゴいギアも持っています。もちろん全部ジョークです。


笑いどころはたくさんあるのですが、個人的にツボだったのは、ゴルゴ13のようなアタッシュケースに愛用のデバイスがずらりと収められているところや、早撃ちガンマンのようにグリグリをカシャーンとセットするところ、そして、終盤、ニール・グレシャムが「彼は最高なんだが、問題はギャラが高いことだ」などと大真面目な顔で語っているあたり。


バカだな~と笑って見ていただければそれでOKという動画ですが、終盤、なんと私がチラッと登場しています。9分11秒くらいのところ。1月にグリグリ+のメディアツアーで行ったバルセロナのクリス・シャーマ・ジムで撮影されました。カメラマンとRay(本名Jean Siuen)が近寄ってきて、「Jeanを映画スターかなんかと思って、ミーハーにセルフィーでもやってくれないか」と言うのです。そのあと、カメラに向かって、「私はこの映像を使用することを許可します」みたいなことを言わされました。こんな動画になるとは知らなかったなあ~。面白いから全然OKですが。


それにしても、こんなアホなことにこんな時間と労力をかける欧米人のお笑い精神、私は大好きであります。第3弾も期待しております。


ちなみに、元ネタというか、ペツルのバカビレイ動画の第1弾はこちら。これは逆に「ワースト・ビレイヤー」。お笑いなんですが、ビレイ技術の教材としても使えます。これも面白いですよ。






2017年11月22日水曜日

「校正」と「確認」は違うぜよ

【メディア業界の専門的な話です】

最近、というかここ7~8年くらい、「校正確認」という言葉を見聞きする機会が増えました。記事を作る際に協力してもらった人や企業・団体などに、内容に問題がないか確認してもらう作業のことを指しています。しかしこの言葉、違和感がありまして、個人的には使わないようにしています。


なぜかというと。


「校正」というのは、誤字や脱字など、文章上のミスを正す作業を指します。「生年月日が違ってます」とか「価格が間違ってます」とか「こんなこと言ってません」とか、そういう事実を正す作業は、「校正」ではなく、たんなる「確認」であるからです。


ところが、だれが言い始めたのか、私の周りでは日常的に聞きます。編集者などに「校正確認すんでますか」と聞かれるたびに、「ええ、『確認』ずみです」などと、意地を張って校正という言葉を使わないようにしたりしているのですが、あまりの多さに面倒で流すときもあります。


そんな細かい言葉の問題にこだわらなくてもいいのかもしれないけれど、こだわりたい理由があります。それは、「校正確認お願いします」と頼むと、「えっ、あんたが書いた文章のミスをおれが正さなきゃいけないの?」と受け取る人がいるから。「そんなやついないよ」と思う人は、日常的に校正という言葉を使っていて、校正という言葉に対する感覚が麻痺しているのでしょう。普通の人は日常で校正なんて言葉は滅多に使わないので、「校正お願いします」と言われたら、辞書どおりの意味にとってしまうものです。


だから、「校正確認」やめようぜ、という話でした。「校正確認撲滅委員会」でも立ち上げようかな。同志募集。


*これ、もしかしたら私の周りだけで起こっている事象かもしれません。同じ出版・メディア業界でも、私の付き合いのないところでは「なんじゃそりゃ、そんな変な言い方しないよ」というところが大半という可能性もあります。



2017年11月19日日曜日

富士山にヘルメットって必要なんだろうか

富士登山、頭は守れるか


こういう記事を読んだ。要するに、富士山でヘルメット普及活動が進んでいるが、登山者の利用はかんばしくないという内容。


ここ数年、富士山でやけにヘルメットがアツく語られているけれど、個人的には疑問に感じています。富士山にヘルメットって必要なんだろうか?と。


そりゃもちろん、かぶることによって安全性が高まることは間違いないけれど、それは100あるリスクを98に減らすようなものであって、その一方で犠牲にするものが大きすぎるように思うのです。もしかしたら、ケガのリスクは2減っても、熱中症になるリスクが10ぐらい増えて、トータルではかえってリスクを抱え込む結果になるんじゃないかと思えるほど、得られるメリットは薄い。


富士山でヘルメットの着用が声高に叫ばれるようになったのは、2014年の御嶽山の噴火事故以後のこと。確かに御嶽の噴火のときは、ヘルメットの有無が生死を分けることもあったようです。ただ、ああいう噴火事故は非常にレアなケースであって、それへの備えとして新たに道具を用意するというのは現実的な選択とは思えません(富士山の噴火可能性が有意に高まっているという事実があるなら、話はまったく別ですが)


落石や滑落に備えてかぶりましょうというのならまだわかるけれど、いったい富士山で、頭部に致命的なダメージを負った事故ってどれくらいあるんでしょうか。ここの検証は、少なくとも私は見たことがありません。上の記事にも「山梨県警によると、今年7~8月の遭難者のうち約6割が転落や滑落、転倒による事故だった」と思わせぶりな記述があるだけで、それとヘルメットとの関係性はぼんやりとスルーされています。


自分の経験からすると、富士山でヘルメットっていらないと思うし、仮に必要なんだとしたら、日本の多くの山でも同じようにヘルメットが必要になってしまう。


記事では、登山者がヘルメットをかぶらない理由として、「夏場で暑いからか、ファッション性がないからか、他にかぶっている人が少ないからか」という、地元職員のコメントを紹介していますが、全部そのとおりだと思います。


もうひとつ重要なのは値段。登山用のヘルメットは1万円前後もして高いのです。近ごろは軽量化と通気性アップとデザイン性アップが進んで、かぶっていてもストレスを感じないものが増えましたが、そういうものこそ高い。ホームセンターで売っている安全帽(いわゆるドカヘル)なら1000円くらいで買えるものもありますが、それはかぶり心地悪いし、重いし、蒸れるし、なにより、あまりにもカッコ悪い(安全帽屋さんすみません)。


要するに、富士山でヘルメットをかぶるという行為は、コストパフォーマンスが低すぎると思うわけです。安全性をコストパフォーマンスで語るのはいいことではないけれど、低いリスクに備えるためにほかのすべてを犠牲にしてもいいというものでもないでしょう。そのへんの現実を無視した施策は、あまりいい結果を生まないと思うんですよね。

【補足】
ここでいう「コスト」とはお金のことばかりではないです。「ヘルメットを導入することで負わなければならないマイナス要因すべて」です。装備の重量増もそうだし、快適性低下、ファッション性低下もすべて含んでいます。




ヘルメットについてちょろっと調べていたら、こんなものを発見しました。この値段ならギリ許容範囲(しかもサングラス付き!)。クライミングで使わないなら、自転車用ヘルメットは通気性が高くて軽くて、夏山登山用ヘルメットとしてはじつはかなり快適なのです。ドカヘルみたいなものかぶるよりは断然おすすめです。





2017年10月23日月曜日

もはや「地図読み」は終わった技術なのかもしれない

先日、越後駒ヶ岳に登ってきました。持っていった地図は、『山と高原地図』の電子版。スマホで見るやつです。1枚500円と安いことと(紙版の半額)、山行前夜でも買える便利さなどから、最近はもっぱらこれを利用しています(プラス、国土地理院サイトからプリントした地形図を持つのが最近の自分的定番)。


現場でそれを見ていたときに、いっしょに行った人と話したんですが、もしかして、「もう地図読みって、大多数の人には不要な技術になったんじゃないのか?」


なにしろ、スマホの画面はこれなわけです。

「コレ」で示した青いマークが現在地表示(ちなみに上下がオレンジ色なのは、電池残量が少ないことの警告です。やばいやばい笑)


もうこれを見たら、現在地は一撃でわかるわけです。地図が読めなかろうが、どんなにどんくさいヤツだろうが、これなら間違えようがない。しかも現在のGPSは精度が高く、ほとんどズレがない。地形図とコンパスを使って現在地を割り出すよりよほど正確なのです。


かつて、ガーミン等のGPS受信機が登場し始めたころは(20年近く前)、画面には北緯や東経の数字が表示されるだけで、普通の人が使いこなせるものではとてもありませんでした。地図が表示されるようになってからはだいぶ使いやすくなりましたが、価格が5万円前後かそれ以上、それに地図ソフトがまた高価で、普通の登山者にすすめられるものではありませんでした。だから私も、地図読み技術はまだ重要だと思っていました。


ところが、いまは『山と高原地図』以外にも、山で使えるスマホ地図アプリがたくさんあります。これらはアプリも地図データも無料かあるいは安価。測位精度もいまや専用受信機と変わらず。画面表示は専用受信機より数段きれいで見やすい。操作は手慣れたフリックやピンチで可能。数年前までは、インターフェースがわかりにくいものが多かったのですが、だいぶ洗練されてきました。となると、使わない手はないんじゃないのかと。


登山雑誌では、地図読み特集というのは鉄板企画で、これをやると売上がだいたい伸びます。それくらい多くの人が地図を読めるようになりたいと思っているわけですよね。ところが、地図読みというのはなかなか難しい技術で、そうそう一朝一夕には身につきません。ましてや本を読んだだけでわかるものでもないのです。ならば、スマホ一発で解決してしまうほうが話が早いし、求める結果(道迷いの防止)を得られるのではないか。それがもうだれにでも可能な時代になったのではないか。




きょうフェイスブックでたまたま見かけた投稿に、こんなのがありました。書いているのは、「ジオグラフィカ」というGPSアプリの開発元なのですが、書いてあることはほぼ全面的に同意です。




「読図にとってGPSは入口であり先生であり、アドバイザーです」

「(スマホGPSは山でも)普通に使えます。圏外でも機内モードでも使えます。谷間でも(機種による差はあるけど)測位します」

「読図は普通、手段であり目的ではありません。読図が目的の登山があってもいいでしょうが、そうでない登山もあります」

「測位衛星が何十機と飛んでいる現代において、山岳遭難の4割が道迷い遭難だなんてどうかしてます」


――おっしゃるとおりかと。




念のため書いておくと、私自身は読図が大好きで大得意であります。地図を駆使して道なき山にルートを見出し進んでいく登山が大好きです。あらゆる登山ジャンルのなかで、これがいちばん得意といってもよいほどです。微妙な起伏と地図の等高線を読み取り、コンパスが指す方角、目の前の植生、経験によるカンなども組み合わせて、難しいセクションをクリアしたときなど、よっしゃー!!と叫びたくなります。


私が大事にしてきた、そういう登山の楽しみが、スマホ一発で無意味になってしまうのは、味気なくもあり、寂しい思いもします。


ただしそういう楽しみは、いまや一部のマニア(私など)や、一部の特殊用途を必要とする人のための技術になり、大多数の人にとっては基本的に不要なものになりつつある。昔のカメラはピントや露出などの知識がないとまともに写らなかったけれど、いまは全自動でだれもが一定のクオリティの写真を撮れる。スマホで写真を撮っている人に「露出とピントを自分で決められなければ写真とはいえない」と言うのがナンセンスであるように、「地図読みの技術は登山に必須だ」という常識も時代の遺物になりつつあるのではないか。


だからもしかしたら、登山雑誌も「地図読み特集」はもうやめて、「スマホアプリ徹底使いこなし術」を特集したほうが役に立つのではなかろうか。越後駒であらためてそんなことを思ったのでした。



2017年9月22日金曜日

雑誌とウェブの文章の違い

近ごろウェブに文章を書く機会が増えた。雑誌と決定的に違うのが文章量の制限。雑誌は文章量のしばりというのはかなり厳しく、1行単位できっちり合わせていかないといけない。「3000字」という原稿があったとしても、それはWordとかで文字カウントした3000字ではなく、「16字×187行」だったりするわけである。この場合、許される誤差はプラスマイナス7文字程度となり、かなり精度の高い文字数管理が必要になる。写真のキャプションなんかは1文字2文字単位で字数調整をしなくてはならないこともしばしば。一方ウェブは、おおまかな目安はあっても、基本的にアバウトであり、3000字の依頼のところを5000字書いてもそんなに問題はない。雑誌原稿の場合、文字数を気にして端折った説明にならざるを得ないことも多かったので、書きたいだけ書けるのはいいなあと感じている。だけれども、こちらに慣れてしまうと文章が冗長になりがちという落とし穴があることにも最近気づいた。雑誌原稿のように制限があると、限られたなかでいかに密度濃く伝えられるかということに心を砕く。それはしんどい作業ではあるのだけど、考えて工夫せざるを得ないだけに、表現の幅や語彙は増えたような気がする。新聞などは雑誌よりもっと文字数制限が厳しいので、そこで日々文章を書いている新聞記者が簡潔でわかりやすい文章を書けるようになるのは当然のことといえよう。ところが、新聞記者あがりの作家・角幡唯介が言っていたのだけど、新聞記者をやっていると、文章があまりに簡潔になりすぎて、味わいのある文章とか長い文章が書けなくなってしまうのだという。となると、制限はあったほうがいいのか、ないほうがいいのか、どちらなんだ。ということがよくわからなくなったところで本日の文章は終わり。(732字)