2016年2月17日水曜日

登山のグレーディング

3年前にフェイスブックにこんなことを書いたことがあります。


山のグレード


山の難易度をわかりやすく表すのって難しい。


たとえば富士山と屋久島宮之浦岳の難易度を比較せよと言ったときに、ひとことで言い切れる人ってたぶんいないはずだ。それこそ剣道初段とかみたいに、だれにでもわかりやすい尺度って作れないものかとずーっと考えているんだけど、まだ思いつかない。


山登りって考え合わせる条件があまりにも多岐にわたるから、そもそも統一的な尺度を作るのは無理なのかもしれない。いや、でも、これまでだれも本気で考えていなかっただけで、本気で取り組めば現状よりはわかりやすい何かができるんじゃないか。……という気もしている。


こういうことを考えるときにいつも思い出すのがクライミングのグレード。


これは結局、100%、登った人の主観に過ぎないわけです。傾斜が90度以上あれば5.11だとか、ホールドが5mm以下だったら1級だとか、そんな客観的な基準は何もない。「これくらいなんじゃないの」という、いわば感想の積み重ねによって形成されている。


ところがそんなものが驚くほど正確で。リードグレードだと25段階くらいに分かれているのだけど、実際登ってみると、だいたい合っている。たまに1段階前後のズレはあっても、2段階ズレていることはほとんどない。自然の岩という曖昧なものを相手に、25段階もの正確な基準が作られているというのはすごいことである。


どうしてこんなことが可能になったかというと、考えてみればこれってウィキペディアと同じ仕組みなんですよね。だれかがグレーディングしたものを、別のだれかが違うと思えば書き換える。それがまた違うとなれば……の繰り返し。まさに典型的な集合知。


自然という複雑怪奇なものを相手にした場合、先に理屈を設定してそれに基づいて整理していくより、クライミンググレード方式が合っているような気がする。みんなでよってたかって意見を言い合ってそれをすりあわせていくという。この考え方を登山にも応用すれば、もう少しわかりやすく山の難易度が表せる方法が見つかるんじゃないのか。


しかしその一方で、山をグレーディングするということには味気なさを感じてしまうのも事実。山登りの大きな魅力のひとつに「不確定要素」があると思う。あそこの山の上に行ったら何があるんだろう、行ってみないとわからない、というドキドキ感。グレードシステムが完璧であるほど、そのドキドキ感は少なくなってしまう。だって、事前にかなりの部分が正確に予想できてしまうのだから。それはつまらない。


しかしそこでもう一回ひっくり返して、それでもやっぱりグレードは必要なんじゃないかと考えている。そう思う最大の理由は、文化を異にする人との対話が可能になるから。グレードってのはひとつの言語だ。共通のものさしを持つことで、知らない人、さらには山登りをしたことがない人とでも、正確なコミュニケーションが簡単にできるようになるはず。


クライミング界がまさにそう。たとえば、チェコのクライマーがすごいルートを登ったらしいとだけ聞いても、「ふーん」くらいしか思わないけれど、そのルートが5.15cだと聞けば、全世界のクライマーが一瞬にしてその価値を理解する。しかも理解度にそれほどのブレなく共通に。


それだけじゃない。日本のクライマーがアメリカやヨーロッパに行ったとき、言葉がろくにできないのに現地のクライマーとコミュニケーションが成立することには、グレードの存在が大いに関係しているはずだ。


これを登山に置き換えて考えてみると。


たとえば高尾山に登って、高尾山が2級というグレードの山であることを知った人が、「私たちは1級~3級の山をよく登ってます」という山岳会の告知を目にしたら、気になるんじゃないだろうか。あるいは、登山用具店で「ふだんは10級前後の山を登ってます」といえば、店員もおすすめすべき道具が何か、正確に判断できるだろう。


まだある。たとえば富士山が6級だったとする。富士山に登った人が、国内には10級なんて山もあることを知る。いちばん難しいのは25級なんて山もあるらしい。となると、だれでも興味が湧くんじゃないだろうか。もうひとついえば、ふだん登っている山が3級前後の人が剱岳に興味を持ったとする。しかし剱岳のグレードは15級だと知れば、「もうちょっと経験積んでからにするか…」となって、剱に実力不相応の人が押し寄せて事故が起きるなんてことももう少し減るのではないか。


グレードシステムには弊害もあり、それを整えるほど本質を壊しかねない危険を孕んでいるものではあるけれど、クライミング界がこれまでグレードシステムから受けてきたメリットの大きさを考えると、個人的に天秤は「グレードあり」に傾く。同様にして、山登りにも、もう少しわかりやすいものさしが必要なんじゃないか。


……なんてことを、山のガイドブックを編集しながら日々妄想しているわけです。


なんでこんな文章思い出したかというと

近ごろ、長野県を中心に、登山道のグレーディングを進める事業が活発になっています。1カ月くらい前には、こんな発表がありました。


「信州 山のグレーディング・ピッチマップ」事業の評価結果を公表します


これだけだとなんのことかよくわからないけど、登山道を区間ごとに5段階でグレーディングしたというものです。そしてそれを、ヤマレコというサイトが地図上でわかりやすく図示してくれています(「大きな地図で確認する」というボタンをクリックすると地図が見られます)。


この方式が、登山のグレードシステムの決定版なんじゃないかなー。上の文章をフェイスブックに載せたときに、花谷泰広ガイドが、「スキー場のコースのように緑・赤・黒みたいに地図上に示せばいいと思います」というコメントをくれて、それだ!と思った覚えがあるのだけど、今回の長野県の取り組みはまさにそれ(花谷ガイドがアイデアを提供したのかも?)。昭文社の山と高原地図でこれが採用されれば、いっきに普及するでしょうね。


いくつか注文をつけるとすれば、

・ヤマレコの図は5段階の色の区別がわかりにくい(ここは昭文社の優秀な地図デザイナーの手にかかればすぐに解決するでしょう)

・グレード改訂の機会を設けておく(「ここのグレードはおかしいんじゃないか」とか登山者が投票できるシステムがあると面白いなあ〜)

そんなところ。


始まったばっかりだけど、登山者全体でうまく育てていきたいところっすね!



2016年2月16日火曜日

岡田准一インタビュー

昨日15日発売の『岳人』に、岡田准一さんのインタビュー記事を書きました。岡田さんは、3月に公開される映画『エヴェレスト 神々の山嶺』に主演しているので、それに合わせた企画というわけです。


もともと岡田さんは個人的にけっこう好きな俳優で、昔、『SP』というドラマを毎週見ていました(このドラマ、深夜枠だったんだけど、かなりクオリティ高い番組でした)。それから、岡田さんは趣味で登山やボルダリングをやるという噂が昔からあって、それは本当なのか? ということにも興味がありました。


しかし、インタビューの持ち時間はわずか30分。その間に写真撮影もしなくてはならず、話が聞けるのは実質20分というところ。それじゃあなにも聞けないよ……。その後、編集部が交渉してくれて、1時間になりました。ただし、アウトドア系3誌(岳人、山と溪谷、ランドネ)の合同インタビュー45分+個別インタビュー各誌5分というかたち。


30分よりはマシだけど、余裕はほとんどない。通常のインタビューでは軽く雑談から入って口を温めて、簡単な質問から徐々に深い質問に移っていくという流れをとるのだけど、今回は最初から全開でいくしかないな。ということで、質問項目とその流れを完璧に作り込んでインタビューに臨みました。


結果としては、限られた時間にしては深い話もできて、満足のいく取材になりました。登山やクライミングをやっているというのも本当のようでした。印象的だったのは、「これまでどんな山を登ってきたか」という質問に、岡田さんが「最近では西穂や瑞牆に登りました」と答えたところ。ここ、山にそれほど詳しくない人だったら「西穂高岳や瑞牆山に登りました」と答えるはずなんです。山やってる人ならではの略称がさらっと出てきたところに、本気度を感じましたね。


通常のインタビュー記事であれば、取材時に「西穂」「瑞牆」と略してしゃべったとしても、原稿にするときには「西穂高岳」「瑞牆山」と正式名にするところなのですが、今回はあえてそのままにしました。岡田さんの「やってる感」を『岳人』の読者には感じてほしかったからです。


のっけからそれだったので、これは山の話でいけると踏み、想定していた以上にエベレストや登山の話を掘り下げる方向で質問をしていきました。映画自体の普通の話はほかのところでも読めますしね。岡田さんも「こんなこと話していいのかな」と言いつつ、山での爆笑話をしてくれたりしたので、よかったんじゃないでしょうか(残念ながら原稿には入れられませんでしたが)。


まあ、でも、インタビューの時間制限はホントに厳しくて、終了時間が迫ってくると、岡田さんの後方に座っているスタッフが「あと10分」とか「あと3分」とかスケッチブックに書いたカンペを出してくるんですよ。それは岡田さんからは見えないんだけど、私たちにははっきり見えるわけです。あれはあせった。あんなの初めてでした。


というのも、岡田さんはこの日、私たち含めて10誌以上の取材を受けることになっていました。スタッフが持っていた時間表をちらっと見たのですが、朝から夜まで5分単位でスケジュールがぎっしりなんですよ。インタビューして撮影して、着替えてまた別のインタビューへ……。そしてそのたびに同じことを聞かれるはずなんです(「映画の見どころは?」とか「エベレストでの撮影はどうでしたか?」とか)。疲れてるはずなのにそんな素振りも見せずに答えてくれた岡田さんに感謝です。


今回はいわば「番宣」記事なので、上っ面の話に終始してしまう可能性もあるなと思っていたのですが、それは杞憂に終わりました。映画の裏話や山の話で盛り上がったのはもちろん、俳優としての演技の話が個人的に非常に面白く、その話だけもう1時間くらい聞きたいと思ったほど(掲載雑誌の趣旨からして深く突っ込むことができず残念)。結果的に4ページの文字数におさめるのに苦労したほどでした。いい話だったのに泣く泣く落とした話も3つありました。23日に発売で最後発になる『ランドネ』でそこが生かされていればいいのだけど。


で、やっぱり気になるので、『岳人』と同じく15日発売の『山と溪谷』を夕方に立ち読みしてきました。結果! 原稿の内容ほとんど同じ! うわ~、マジかよ~。こうなるとイヤだなと思って、原稿を作るときに3誌で調整しようかともチラッと思ったんですが、なんか談合めいていやらしいような気もして、結局ほとんどやらなかったのです。後悔。


でも、5分の単独取材時間(+撮影時の立ち話7分ほど)に核心となり得る質問を用意していたので、そこで聞いた話をできるだけ厚く原稿に盛り込みました。そこはヤマケイにもランドネにも載ってないぞ!




あ、あと、今月の岳人、このインタビュー記事のほかに、めずらしく学生時代の昔話を書いています。なんの話かというとUFOの話です。そちらもどうぞ。



2016年1月17日日曜日

登山は、数ある選択肢の中から最良のものを選び出せるかどうか

『岳人』を読んでいたら、いい言葉があったのでメモ。

結局登山は、体が動くかどうか以前に、数ある選択肢の中から、最良のものを的確に選び出せるかどうかである。(中略)選択肢がたくさんあって、どれを選んでも問題のない山は、簡単な山。的確に選択できれば問題ない山が、中級の山。唯一の選択肢すら多少のリスクを含んでいるのが、難しい山、ということになるのだろうか。
(2015年10月号「今夜も焚き火を見つめながら」服部文祥)

つい最近、雑誌に「登山の実力を決めるのは、体力・技術・判断力の3要素」というようなことを書いたばかりなので、かなりピンときました。
服部さんは判断力のことを言っているのだけど、これが第一であることは、そのとおりだよね。
でもガイドブックのグレード表記には、体力と技術の指標は書いてあっても判断力の指標は書いていない。
そこがいちばん重要なんだけど、数値化はしにくいからなあ。


私もずっと同じように考えていたのだけど、
最近、やっぱり体力も重要だと思うようにもなりました。
体力がないと、正しい判断ができなくなる。
体が疲れると、考える能力が奪われるわけです。
登山経験が豊富なベテランが遭難するときは、こういうことなんじゃないでしょうか。


40代になってから、体力とは意識的に維持しないと衰えていくのだということを身をもって知りました。
判断力はあるつもりなんだけど、疲れてそれを生かせないような経験も何度かしたので、今年は体力増強をテーマにやっていきたいと思っています。

2016年1月15日金曜日

「ウエリ・シュテック」は間違いだったぜ!



現代最強のアルパインクライマー——といってほぼ間違いない、スイスのウエリ・シュテック。
きょう、思わぬところで会うことができました。
マウンテンハードウェアの展示会に行ったところ、ゲストとして来ていたのです。
知らなかったので、ちょっと得した気分。


動画は、昨年秋にアイガー北壁のスピード記録を打ち立てたときのもの。
標高差1800mの北壁を2時間22分50秒で登っています。


アイガー北壁って、ヨーロッパアルプス三大北壁のなかでもいちばん難しいといわれていて、通常は2日かかるというところ。「通常」っていったって、日本の通常の登山者じゃ登れないですよ。かなり力のあるアルパインクライマーじゃないと無理です。しかもそれでも2日です。


動画を見ればびっくりなんだけど、シュテックは空身に近いような格好で、ロープを使わずに、「走るように」登ってます。
もう意味がわかりません。
普通の登山道だって、一般的な登山者が1800m登るとしたら、5〜6時間はかかるんですよ!
雪の付いた岩壁を2時間22分って……。


「ロープは使わないの?」
と聞いたら、
「持ってない。オールフリーソロ」
ということでした。
私がやったら確実に自殺ものですな……。


展示会では、シュテックが完全監修したウエアが展示されていました。
本人からいろいろ細かい部分も説明してもらって、実際、これがさすがによく作り込まれているんですが、悪いけど絶対に売れないだろうな。
なんというか、F1カーをそのまま市販してしまっているような製品で、これが必要な人って日本に50人くらいしかいないと思うんですよ。


マウンテンハードウェアって、こういうトンガった製品のエッジを丸めずにそのまま出してくる、ビッグブランドらしからぬやんちゃなところがあるのです。
私も、ティム・エメットというクライマーが監修したミクサクションジャケットという画期的なアウターシェルを愛用していて大変気に入っているのですが、これも1年でなくなってしまいました(売れなかったんだろうな)。


あ、それよりもシュテック。
重要なことを聞きました。
これまで、ROCK & SNOW時代から、雑誌では彼の名前を「ウエリ・シュテック」と表記していたのですが、マウンテンハードウェアの資料では「ウーリー・ステック」となっています。
綴りUeli Steckからするとウエリ〜のほうが正しいように思えるんだけど、ずっと気になっていたので、この機会に本人に直接聞いてみました。
すると、「ウーリー」ということでした。
「eは発音しないの?」と聞いたら、「そう」と言っていたので、明らかに「ウエリ」ではないですね。


外国の言葉をどう表記するかについては、以前のエントリーでいろいろ理屈をこねましたが、人名については本人がいうことが絶対です。
だから本日以降、彼の名前を表記するときは「ウーリー・ステック」に変えることにしました。
これまで「ウエリ」と書いていた人、みんなよろしく!


2015年12月17日木曜日

「好きな登山家」山野井泰史

発売されたばかりの『山と溪谷』1月号に、
私のアイドル、山野井泰史さんのインタビュー記事を書きました。


山野井さんには何度もインタビューしたことがありますが、今回のテーマはちょっと特殊。
山と溪谷で「好きな登山家はだれですか」という読者アンケートをしたそうで、
その1位となったのが山野井さん。
それについて本人を取材してほしいという依頼でした。


となると、「1位の感想、どうですか?」ということくらいしか質問が思い浮かばず、
またそれに対して山野井さんが面白い答えを返してくれるとも思えず、
話が広がっていかないことがありありと目に見えたので、
取材のテーマを「登山家とはなんだ」というところにシフトして話を聞いてきました。


登山家とはなんだ。


これ、けっこう難しいテーマだと思います。
人によってイメージがずいぶん違うし、社会的な認識もさまざま。


一般的には、小説『神々の山嶺』のキャラクター羽生丈二のようなイメージがいちばん強いと思われます。
寡黙で、ストイックで、ヒゲを生やしていて気難しい。
そんなところでしょうかね。


しかしそんなステレオタイプな”登山家”、現代ではほとんどいません。
とくに、一流とされる人ほど、そういうイメージから遠いことが経験的に多いように思われます。
山野井さんなんか、ふだんはへらへらしていて、どちらかというと小柄なほうということもあって、屈強どころか弱々しい印象すらあります。


それに登山家って職業なのか? という問題もあります。
「登山家」って、なんの気なしに口にするけど、その定義はなんだ?
政治家とか建築家ならわかりやすいけれど、登山家ってなんだかわからない。
今でも地方紙などで「○○市在住の登山家、××さんが△△山に登頂成功」なんて記事がたまに出るけど、その××さんは趣味で登山をやっている、登山界的にも無名のただの会社員だったりする。
社会的な認識があいまいで、面倒くさい言葉なのです。登山家って。


そういう問題意識が個人的には昔からあって、そんなところを山野井さんはどう思うか、聞きました。
山野井さんの考えとしては、山野井さんのようなクライマーよりも、もっと山を広くとらえて活動している人が「登山家」というイメージに近いということでした。
そして「登山家は職業ではない」とも言っていました。
そのへん、詳しくは記事をお読みください。


ところで、こういうインタビュー記事の場合、原稿ができあがったところで本人に一度見せて確認をとります。
これ、書き手としてはけっこう気が重い作業なんです。
人によっては、取材時に言っていないようなことも含めて猛烈に直しを入れてきて、もう一から原稿書き直したほうが早いんじゃないかというようなこともあるもので。


しかし山野井さんは、まったく直しを入れてきません。
入れてくるとしたら、私が事実関係を間違っていたときのみです。
「それは3ピッチ目ではなくて、4ピッチ目です」
みたいなこと。
ほとんどの場合はなにもなしで終わります。
今回の返事もこれだけでした。
「原稿問題ありません。今夜から三重県の最近開拓された岩に行ってきます。」


たぶん山野井さんは、自分が人からどう見られるかということにほとんど関心がないのだと思います。
だから事実の訂正はするけど、ニュアンスについてはどうでもいい。


同時に、責任のありかということについて、明確な意識を持っているのだと私は解釈しています。
自分が言ったことについては責任を持つけれど、文章をどう作るかということは書き手の責任。
そこは自分が口をさしはさむことではないと。


山野井さんのように原稿に文句を言ってこない人のほうが書き手としてはラク……
と思えるのですが、実際は逆で、こちらのほうが書くときに緊張します。
「僕は自分の役割は果たしたよ、あなたの責任はあなたでしっかり果たしてね」
こう言われているような気がして、ヘボな文章は書けないなと気が引き締まるのです。


山野井さん自身は、自分がなんで1位になったのかよくわからないと言っていたけれど、
こういう清々しさが、私が山野井さんのファンである大きな理由であり、
また、「好きな登山家」アンケートで票を集めた理由のひとつでもあるはずなのです。絶対。






2015年12月10日木曜日

アディダス・ロックスター

今ごろですが、ただいま発売中の『PEAKS』12月号(1月号が12月15日発売なので、発売期間はあと4日!)に、9月末のドイツ取材の記事を書いています。&撮っています。


取材したのは、アディダスが主催する「ロックスター」というボルダリングコンペ。
この手のコンペとしては、世界でも最大規模で、近年注目されているコンペです。


確かに、徹底的にショーアップされていて、イベントとしての完成度はとても高いと感じました。

・会場は横浜アリーナみたいなところ。傾斜のある観客席なので、どこからも見やすい
・照明や音楽が洗練されている
・セット替えの時間にはアマチュアコンペやダンスパフォーマンス、ライブ演奏などがあって飽きさせない
・1位と2位の優勝決定戦(スーパーファイナル)は、同じ課題を同時に登って先に完登したほうが勝ちという方式。見ている側に誰が勝ったかわかりやすい
・充実したアイソレーションエリア。そもそも「アイソレーション」という言葉は「隔離」という意味があって選手を囚人のように扱っているかのように連想させるので、アイソレーションという言葉自体を使っていない。「アスリートラウンジ」と呼ばれている


ワールドカップなども運営がずいぶん洗練されたとはいえ、ロックスターに比べれば地味な感じがしました。
こう言うとクライミングの見世物化とも聞こえるのですが、これは選手自身が望んだスタイルとのこと。実際「この大会は選手の扱いが抜群にいい」という声を選手から聞きました。だから出場したのだと。
粛々と行なわれるコンペより会場が盛り上がる大会であってほしいとも。


今回はアディダスが経費を出してくれている取材なので、話を聞いた人はポジティブなコメントしかしないのは、まあ当たり前。
ただ、そのへんを割り引いてもよくできたコンペイベントだと思いました。
記事も、この手のタイアップ取材ものにしてはほとんど自由に作らせてくれて、納得いく仕上がりになりました。


今回は撮影もわたくし。
監督・脚本・撮影=自分みたいな記事です。
文章よりも写真のほうが出来がよく、むしろそっちを見てほしかったのですが、
スペース等の都合で載せられなかったものがたくさんあってもったいないので、ここに載せておきます。


adidas ROCKSTARS 2015




2015年12月4日金曜日

ROCK & SNOW no.70

この登攀に心動かされないなら、君はクライマーを名乗る資格はない。

戻れるところともう戻れないところの一線を越えるときがあるか、ということだよ





印象的な言葉がたくさんありました。
きょう発売の『ROCK & SNOW』は充実してます。


表紙は、瑞牆モアイフェースを登る倉上慶大。
今年見たクライミング写真のなかでベストショットかもしれない。
中面にも、これクラスのすごい写真がもう一枚載ってます。
この2カットを見るだけでも買う価値があります。
くそー、おれもこういうの撮りたい。


以前ブログに書いた例のルートが完登され、その記録が載っています。
事実関係についてはほぼ知っていたので新たな驚きはありませんでしたが、
瑞牆クライミングガイドを作った内藤直也さんの原稿は必見。
内藤さんの興奮と感動が手に取るように伝わってくる名文です。


瑞牆モアイフェースの記事以外もバラエティに富んでいて読み応えあり。
ガスライター(本業ガス屋+パートタイムライター)の大石明弘くんもたくさん記事を書いています。
そのなかで、ソニー・トロッターが言ったというこの言葉にはっとさせられました。


「下のプロテクションが効いているか、ビレイヤーがしっかりビレイしてくれているか、あるいは8の字が結ばれているかまで確認するクライマーがいるよね。少なくとも、それはダメだ」


私のことでしょうか……。


いや、私はそんなもんじゃなく、ロープの流れに足を引っかけないか、フォールラインに突き出た岩はないか、今つかんでいるホールドは欠けないか、まで入念に確認します。
そんなことをぐずぐずしているうちに、腕が疲れて落ちてしまうというわけです。
人生の核心にはわりと考えなしにプアプロテクションで突っ込んでしまうのですが、クライミングに関しては異常に慎重派なのです。
だからあんたはうまくならないんだとトロッターにずばり指摘されてしまいました。










2015年11月17日火曜日

バックカントリーギア界に大型新人現る

かつて、山と溪谷編集部にいたころ、登山用具メーカーの展示会や業界のイベントなどに行くと、必ず顔を合わせる男がいました。
それこそ必ずいました。私は全部に行っていたわけではないのだけれど、おそらくその男は私が行っていない場にも絶対いたと思われます。
同じように顔を合わせる同業者は他にもいたけれど、遭遇率の高さはダントツでナンバーワンでした。
当時、東京新聞出版局で発行していた『岳人』の広告担当部員・笹目達也という男です。


読者にとって、雑誌の編集部員は誌面でも名前や顔が出てくる機会も多いためなじみがあるかもしれません。一方で広告部員の存在はまったくといっていいほど知られていないと思います。
しかし、雑誌の売上は書店半分、広告半分といわれます。
雑誌が成り立つために優秀な編集部員の存在は欠かせませんが、
まったく同じウエイトで、優秀な広告部員の存在も欠かせないのです。
笹目さんは20代のころから、岳人の広告をたったひとりで担当していました。


当初は、体だけ大きくてなんだかもっさりした印象しかなかったのですが、上に書いたようにどこに行っても必ずいるのです。
そのフットワークの軽さは、他誌の広告営業マンと比較しても群を抜いていました。
と書くと、たんに足で稼ぐドブ板営業だけの男のようにも聞こえますが、ドブ板もここまで群を抜くとだれにも真似できない価値を持つものです。
実際、どこに行っても「岳人の笹目」の話を聞く機会が増えていきました。


そんなころ、私は枻出版社に移り、PEAKSの創刊に携わりました。
当時の枻出版社は山やアウトドアに詳しい人材が少なく、とくに広告担当の戦力不足は明らかでした。
「だれか登山業界に詳しい広告マンはいないかな……」
と考えたときに、真っ先に頭に浮かんだのが笹目さんでした。
登山雑誌広告界のエースといえば、笹目さんしかいないと思われたのです。


なにかのおりに会ったときに、「笹目さん、PEAKSの広告やってくれないかな」と持ちかけてみたことがあります。
笹目さんはにやにやするのみでした。
それは無理もなく、東京新聞というのは、新聞業界のなかでも比較的経営の安定した会社で、給料はそれなりに高かったはずなのです。
海のものとも山のものともつかぬ新参雑誌に移ってくれるはずもありません。
「まあ、そうだよね……」と言って引き下がるしかありませんでした。


ご存じのとおり岳人は、昨年の8月号を最後に、65年続いた東京新聞からの発行に終わりを告げ、9月号からモンベル(ネイチュアエンタープライズ)の発行となりました。


東京新聞時代の岳人編集部は広告にあまり関心がないようでした。
それは広告に左右されない誌面の高潔さという長所を生んでいた一方で、採算という面ではマイナスに働いていたはずです。
東京新聞という金持ちの親がいたからこそ維持されてはいましたが、こういう事態は時間の問題だったのでしょう。


おそらく笹目さんは、すねかじりのままじゃいけないと、なんとかしようとしていたのだと思います。
しかし編集部員は何十年とやっているベテランの人ばかりで、ひとりしかいない若造広告部員の言うことなぞ、なかなか聞いてはもらえなかったそうです。
東京新聞時代の晩年は、そんな状況に少し疲れたような感じも見えました。
「負けるな、笹目」と心の中では応援していたのですが、ついにモンベルの刊行に代わり、同時に笹目さんの仕事も終わりを告げ、イベント担当に異動になっていきました。


モンベル岳人に移籍するのかなと思いましたがそれはありませんでした。
東京新聞正社員の身で、しかも東京で妻子を養う立場にある笹目さんにとって、社内異動を受け入れるのは当然の選択だったのでしょう。


その1年半後の先日、
記事でスノーショベルのことを調べていたところ、アルバというメーカーの資料が少なく、知り合いのライター井上D助に聞いてみました。
「アルバを扱ってる会社の人って知ってる?」
「笹目さんでいいんじゃない」
「え? 笹目ってあの笹目さん?」
「あれ? 知らなかった? 転職したらしいよ」


教えてもらった番号に電話をかけたところ、出たのはまぎれもなくあの笹目さんでした。
「また、どうして……」
笹目さんが転職したのは、株式会社ソネという、大阪を本拠とする小さな商社。コールテックスやスキートラーブなど、山スキー用品を古くから取り扱っている会社です。「小さな」というと失礼ですが、天下の東京新聞と比べると、間違いなく小さな会社といえます。
笹目さんはその東京営業所勤務なのですが、笹目さんを含めて2人しかいないというのだから。


例によって笹目さんは転職の理由をにやにやごにょごにょと言葉を濁しましたが、要は、山業界で仕事を続けたいということのようでした。
小さなお子さんと奥さんのいる笹目さんにとって、大きな決断であったことは間違いありません。
「でもそういうの、嫌いじゃないよ」と電話でも言ったとおり、私はこういう熱は大好きなのです。熱を持った人間が携わる世界は健全にまわるという信念を持っているもので。


ソネが扱っているブランドは、バックカントリー界ではどれも知られたブランドなのですが、どれも国内では他ブランドに隠れて、3番手、4番手的な存在。
しかし、これからこれらのブランドの存在感が増してくることを予想しておきます。
なにしろあの笹目が扱っているので。
転職したのは10月ですが、早くも今年のウィンターシーズンに向けていろいろ動いているようです。


笹目さんはスキーが非常にうまく、昔は妙高かどこかでイントラをやっていたほどの脚前だそうです。
だからもともとスキーには精通しており、岳人の広告営業で山業界にも詳しくなったという経歴。


バックカントリー業界というのは、スキー出身の人は山に疎く、山出身の人はスキーに疎いという世界で、両方をバランスよく知る人材がなかなかいないという事情があります。
営業マンという立場でいえば、スキー人間は登山ショップに足が向きにくく、その逆も起こりえます。どちらにも腰軽く顔を出せ、どちらにも対等に話ができる笹目さんのような人間は貴重なのであります。
アルバやスキートラーブが存在感を増すであろうとの予想は、そういう合理的な根拠にも基づいているのです。


ということで、笹目さんの応援として、ここでソネを大々的に紹介しておこうと思います。




2015年11月7日土曜日

アイゼンなのかクランポンなのか

登山に関する用語で、それまで一般的に使われていた呼び名を私が変えてしまったというものがいくつかあります。


ビレイディバイス
これとかこれのことです。確保器ともいいます。


2002年に発行された『ROCK & SNOW』で、ビレイデバイスの特集記事を作ったことがあります。
その冒頭の文章を書いていただいた山本和幸さんという人が言葉に厳密な人で、文章中すべて「ビレイディバイス」という表記を使っていました。
それまでは「ビレイデバイス」とみんな呼んでいたのですが、確かに綴り(Device)からすると「ディバイス」のほうが正しいようだ。
そこで、この特集記事ではすべて「ビレイディバイス」という表記を使ったのでした。


するとその後、クライミングギアメーカーのカタログやインターネット上で「ビレイディバイス」という表記が急に増えていきました。
クライミング界でのROCK&SNOWの影響力というのはかなり大きく、とくに人名や用語の表記はここで使われたものがクライミング界全体のスタンダードとなることが多いのです。
それまでまったく聞いたことがなかった「ビレイディバイス」が急速に増えていったのは、ROCK&SNOWの記事のせいであることは間違いありませんでした。


それを見て私は、ひとり「やっちまった感」を抱いていました。


高校生のころに私は、『BURRN!』というヘビーメタル雑誌が好きでよく読んでいました。
この雑誌には「ブルーズ」という言葉がよく出てきました。

「『ブルーズ』ってなんだ? 文脈からするとブルースのことらしいけど、わざわざ濁点をつけているということは、普通のブルースとはニュアンスの違うジャンルを表現しているんだろうか?」

高校生の私はそんなことを思ったりもしていたのですが、実のところはなんのことはなく、ブルースを発音に忠実な表記にしているだけなのでした。


やはりその当時好きなSF作家にマイクル・クライトンという人がいました。
『アンドロメダ病原体』とか、独特の不気味なトーンが漂っていて、かなりお気に入りだったものです。
その後、『ジュラシックパーク』でだれもが知るビッグネームとなるのですが、テレビや雑誌などでは「マイケル・クライトン」と紹介されているのです。

「ん? マイケル? あれ? 別人か? いや、でも、そんなわけは……」

もちろん別人なんかではなく、クライトンをいち早く日本に紹介した早川書房が「マイクル」という表記を使っていただけなのであります。
ちなみに綴りはMichael Crichton。
Michaelという名前は、日本では通常マイケルと表記しますよね。マイクル・ジャクソンとはいわないもんね。


このふたつのことから何が言えるか。


『BURRN!』も早川書房も、専門なだけに原音に忠実であろうとしたのだと思います。
確かにブルースは英語では「ブルーズ」と発音するし、マイケルも音的には「マイコォ」とか「マイクル」のほうが近いです。
しかしその結果として、(少なくとも私には)無用な事実の混乱を招いてしまったのです。


まわりくどくなりましたが、ビレイディバイスで私が「やっちまった感」を抱いたのは、これらの経験によります。
それまでデバイスと呼んでいたものがディバイスに変われば、何か別物になったのじゃないかと思われる可能性がある。
原音に正確であろうとした結果、それより重要であるはずの意味の混乱を招く。
それでは言葉として本末転倒なのではないか。だったら、多少発音が不正確でもすでに一般的になっている表記を使うべきなのではないか。
「デバイス」という言葉は当時から一般的に使われていて(デジタルデバイスとか)、そこをわざわざ「ディバイス」にする必要はなかった。いや、するべきではなかった。
……と、反省したのです。


しかし、「前号で『ディバイス』と表記したのは撤回します」と訂正を出すわけにもいかず、「ビレイディバイス」が普及していくのを心苦しく眺めることしかできませんでした。


というわけで、13年越しに「ビレイディバイス」の表記をここで撤回させていただきたく思います。実際、私は記事で「ディバイス」という表記を使っておきながら、この13年間、自分ではずっと「ビレイデバイス」と呼んでいました。ROCK&SNOW以外の場所では、書く際も「ビレイデバイス」としていました。申し訳ありませんでした。


というところで、長くなりましたがこの話題は終了……しようとしたのですが、ふと思いついて一応確認してみたところ、驚愕の事実が!
ここを開いて、三角マークをクリックしてみてください。
……「デバイス」って言ってない? そう聞こえますよね? 明らかに「ディバイス」じゃないよね!?


原音に正確であろうとした結果、無用な混乱を招いただけでなく、肝心の原音すら勘違いだったってことか!?
なんだかダブルで「やっちまった」のかも……。



アックス


アイスクライミングなどで使うクライミング用のピッケルのことです。
以前は「アイスバイル」あるいは略して「バイル」と呼ぶことが多かったのですが、近ごろは「アックス」と呼ぶほうが一般的です。
この呼び名の変化も私が原因——とまではいいませんが、私が後押しした可能性は濃厚です。


アイスバイルというのはドイツ語で(Eisbeil)、アイスハンマーという意味です。
しかし日本ではハンマーではなくアッズ(ブレード)の付いているタイプも一緒くたにアイスバイルと呼んでいました。ドイツ語でいくなら、そちらはアイスピッケル(Eispickel)と呼ばなければいけないのに。
そのへんの不整合性は、いちクライマーとしてはどっちでもいいことだったんですが、記事を書く立場としてはどうしても気になって、アイスバイルという言葉を使いたくなかったのです。


一方で、当時すでに「アックス」という呼称も一部で使われ始めていました。
アックスは英語Ice Axeの略。これならハンマータイプもアッズタイプもどちらでもOK。
ならばそれでいこう。
そう思った私は、ROCK&SNOW誌面ではすべて「アックス」という用語を使うようにしたのでした。


当時、ROCK&SNOW誌でのアイスクライミング記事は私が担当することが多く、必然、同誌では「アックス」という用語で統一されていくようになりました。
一般クライマーの間で「バイル」という呼称を聞く機会が減り、逆に「アックス」が増えていくようになったのもこのころと記憶しています。
私が変えたわけではないのですが、影響を与えた可能性は高いでしょう。


ところでクライミング用語は近年でも呼び方が変わったものがいくつかあり、その代表格は「ロープ」だと思います。
私がクライミングを始めた25年前は、「ザイル」という呼び方のほうが一般的だったように記憶しているのですが、今のクライマーは「ロープ」と呼ぶほうが普通です。
クライミング界は一般登山界よりも海外との交流が多い世界なので、英語に統一しようという気運が働いたのかもしれません。
いずれにしろ、一般社会的にもあれほど浸透した「ザイル」の呼称は意外なほど簡単に廃れ、やっている人の間では「ロープ」に換わってしまいました。
「ザイル」よりも「ロープ」のほうが若干発音しやすかったからではないかなと推測しています。
やっている人は頻繁にその言葉を口にしますからね。音数が少なく、言いやすく伝わりやすい言葉があれば、慣れ親しんだ言葉でも意外なほど簡単に捨て去ってしまうのだと思います。



バックパック


一般的に「ザック」と呼ばれているものです。
ザックはドイツ語ルックザック(Rucksack)の略、バックパック(Backpack)は英語で、同じものを指しています。
要は背中に背負うバッグのことです。


これについては、意図的にひとつの試みをしたことがあります。
『PEAKS』の創刊時から、「バックパック」という言葉で統一したのです。
理由は3つありました。


1.PEAKSの基となったアウトドア・フリーマガジン『フィールドライフ』では「バックパック」という用語を使っていた
2.旧来の登山雑誌と違う新味を表現したかった
3.登山用語は各国語が入り乱れているため、初心者にとってはわかりにくく、できるだけ統一したかった


こうした意図のもと、PEAKSでは創刊号からすべて「バックパック」と表記しました。
年配の方が書いた原稿などで、「バックパック」とするとあまりに違和感が強い場合をのぞき、「ザック」は基本的に封印。それは私が編集部を辞めたあと、現在に至るも続いています。


その間、PEAKS以外の場所でも「バックパック」という表記を見る機会が少しずつ増えてきました。
しかし「ザック」の浸透度は根強く、「バックパック」に置き換わる気配は見えません。
置き換わるにしても、今後まだまだ長い時間が必要に思えます。
バイルがアックスにあっさり換わったのに比べると、ザックのしぶとさが際立ちます。


その大きな理由は、「ザイル」のときと同じ、「音数」の問題ではないかと思われます。
「ザック」に比べて「バックパック」は発音数が倍になり、圧倒的に言いづらい。
ならばと「パック」と略してしまうと、なんのことかわかりにくくなってしまう。
これが「バックパック」が普及しにくい理由ではないかと思います。


こうしていろいろ考えると、「バックパック」を採用した試みには意味があったんだろうかと思わなくもありません。
ビレイディバイスのときのように、言葉を変えることで意味の混乱を招いているかもしれない。
なによりも、私自身がザック派です。自分でバックパックにしておきながら、自分でしゃべるときは「バックパック」なんてしゃらくさくて口にできません。


まあ、でも、四半世紀「ザック」で育ってしまった私のような世代はもういいんです。ほっとけば。
それよりも今後、登山の世界に入ってくる人たちにとって少しでもわかりやすくて便利な言葉はなにか。
そのときに英語にこだわりたい理由は、レスキュー界の話を聞いたことによります。
レスキューの世界でもやはり各国語が入り乱れていたそうです。
しかしそれでは、異なる地域の人たちが集まってレスキューに取り組むときに、使う用語が違うことによる混乱が生じたため、業界あげて意図的に英語に統一ということを進めているそうです。
登山でも、かかわる人が多様になっていくことを見据えれば、用語の統一は必要なことなんじゃないか……と思うのです。



クランポン


アイゼンのことです。
これとかこれとか


アイゼンはドイツ語シュタイクアイゼン(Steigeisen)の略、クランポン(Crampons)は英語です(フランス語でもクランポン)。


バックパックとまったく同じ構造ですね。
言葉の普及度からしても、「ザックvsバックパック」と「アイゼンvsクランポン」はほぼ同じような感じです。


これについても、最近、ひとつの試みをしてみました。
10月末に、私がメイン編集をした『最新雪山ギアガイド』という本が出たのですが、そのなかでは「クランポン」に表記を統一したのです。
これについては、バックパックほど明確な主張があったわけではありません。
表記はできれば英語に統一したほうがよいという基本理念と、メーカーを中心に少しずつクランポン表記が増えている現状を鑑みてのことです(上にあげたリンクはどちらも「クランポン」になっています)。


で、今後クランポンが普及するかどうか。
これは微妙ですね。
音でいえば、「アイゼン」と「クランポン」に言いやすさの決定的な差はありません。
どちらかというとアイゼンのほうが言いやすいかな。
ただ、ザックとバックパックに比べれば、その差はわずか。
だから今後クランポンが普及することもあり得るようには思います。


そしてこれまたバックパックと同じで、私自身はアイゼン派です。
四半世紀この言葉を使い続けていますからね。
ただしクランポンにはバックパックほど抵抗感はなく、今後宗旨替えをする可能性はあります。
抵抗感が少ないのはなぜかと言われても、理由はよくわからないんですが。



まとめ


用語のことをつらつら書き始めたら、日々考えていたことがどんどん出てきて、異常に長いエントリーになってしまいました。
ライターや編集という仕事をしていると、言葉の問題というのは考えさせられる機会が多く、言いたいことはいくらでもあるのです。
そして突き詰めれば突き詰めるほど矛盾があらわになってきて、迷いも増えていきます。
言葉というのは最初に体系的に作られるものではなく、自然発生的に使われているものの集合体なので、矛盾は絶対にあるのです。
だから文章においても、日々迷いと試行錯誤の連続なわけです。


そんなことにも少し注意して本を読んでいただければ、いままで気づかなかった発見もあるのではないかなと思います。
と、異常に長い文章のオチが、自分がかかわった本の宣伝という、ヒドいエントリーになってしまいました(笑)。