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2023年6月6日火曜日

ROCK & SNOWはなぜつまらなくなったのか

 

「ロクスノ」はなぜつまらなくなったか|Tomahawk


このような記事を読んだ。

真面目な論考であり、指摘の多くは的を射ているとも感じる。かつて編集長を務めた者として、そして今でもこの雑誌の編集に少し関わっている者として、以下思うところをスピード執筆してみる(時間がないのでとりあえず気づいたことのみ。後で追記するかも)。



■「つまらなかった記事」シューズテスト
なぜこれが続いているかというと人気があるからである(もうひとつの理由は編集的に作るのがラクだから)。確かに自分も、最近のテストは工夫がなくて面白くないと感じる。しかし人気があるという事実を無視をしてはいけない。記事の作りは改善の余地ありと思うけれど。



■編集力の低下

(記事より引用)


すごいデータだ。貴重なデータでありがたい。

ただし、雑誌の編集者ってけっこうあいまいで、単純にマンパワーとしてカウントできないことがある。Editorなどとして名前が載っていても、ほとんど何もしていない人がいる場合もあるし、企画会議で意見を言うだけの人がいたりすることもあるし、ある部分において限定的に関わっているだけの人もいる。人数=マンパワーと必ずしもならないのだ。

そこらへんは雑誌によっても異なったりする。本当に実質的な編集者として機能している人だけに限定して名前を記す雑誌もあれば、ほとんどお友達レベルの人まで記す雑誌もある。ROCK & SNOWでいえば、比較的実情に合った記載をしていると思うが、それでも名前が載っている人の間でかなりの濃淡はある。

たとえば私も最近名前を載せてもらっているが、実際の働きは、企画会議に出席することと、各号1~2企画(2~15ページほど)を担当することくらい。編集者の働きとしてはけっこう限定的だと思うので、「ロクスノの編集やってます」と積極的に公言はしていない。

このへんは内部事情を知って精密な議論をしないとイマイチ意味がないことになってしまうので少し注意は必要かな。ちなみに言うと、現在のROCK & SNOWは実態的なマンパワーが減少傾向にあるのは確か。





とりあえず、違和感を抱いた部分のみ、ざっと書いてみた。それ以外の部分は、明らかに的外れというものはとくになく、少なくともひとつの意見として一度受け止める価値のあるものだとは思う。

さしあたり。






【2023.6.9追記】

元の記事にならって、個人的に面白かった記事を私も3つあげてみる。



●VOL. 024(2004年夏号):「OLD BUT GOLD  Mars 5.13d」

杉野保さんの伝説的な連載企画「OLD BUT GOLD」。クライミングの魅力と奥深さを表現できる書き手として、杉野さんの右に出る人物は存在しない。多くの人に強い影響を与え、以後のクライミングの流れを変えたとさえ思える有名な連載だが、私も連載当時は毎号、このページから読んでいた。そして連載史上頂点と私が信じる回がこれ。杉野さんのクライミング愛、吉田和正さんへの思い、すべてのパッションがつまっている。連載史上だけでなく、過去30年の間に書かれたクライミングテキストの頂点に輝く金字塔である。読んだことのない人は絶対に読んでほしい。


とにかく出だしの一文がカッコいい。

「引き潮を狙って、ルーフ下の磯に入り込む。」

こんな一文で始めるなんて、プロの作家でもなかなかできない。


そしてラストがまた最高である。

「吉田は、まだ追いかけている。決してつかまることのない青い鳥を。」

ちょっと、完璧すぎませんか、杉野さん!!





●VOL. 046(2009年冬号):「中嶋徹 トラッドへの一人旅」

当時15歳、英語もろくにできないのにたったひとりでトラッドクライミングの本場イギリスに乗り込み、当地の有名課題を総ナメにした記録。トラッドクライミングの金字塔として知られるビデオ「Hard Grit」をテープが伸びてしまうほど繰り返し見ていた私は、ビデオに出てきた有名課題を15歳の日本人の少年が次々に切って落とす姿に目を見張った。同時に、そのパフォーマンスのレベルの高さだけでなく、読み手に手汗握らせる文章力の高さにも驚かされた。

「クライミングにルールはありません。僕たちはボルトを否定することはできないのです。しかし自由であるからこそ、なんでもできるからこそ、ひとりひとりが責任ある行動をとることが求められているのです。それは、ほかのクライマーに対してであり、未来の世代に対してでもあります。
『高校生が生意気なことを言うな』と思う方もいらっしゃるかと思いますが、高校生に指摘されるほど、ひどい現状があると思います。」

ここを読んだときは背筋が伸びる思いがした。この高校生の言うことこそが正義だと。





●VOL. 072(2016年夏号):「厳冬期黒部横断32日間 剱沢大滝左壁ゴールデンピラー」

厳冬期に32日間もかけて黒部の山奥にある課題を登った3人の男の記録。記事を書いたのは3人のうちのひとり、佐藤裕介さん。10ページにもわたる長い記事で、読み終わったあと、私は放心状態に陥った。「すごいものを読んでしまった……」と。

この記事については、別の雑誌(PEAKS)に書いたことがあり、その感想が的確なので以下に引用しておく。

「6月に刊行された『ROCK & SNOW』というクライミング雑誌に、2016年の全アウトドア雑誌中ベストワンの記事が掲載されている。<中略> アウトドア雑誌という狭い世界のなかでも、一年間に掲載される全記事の数となれば膨大になるはずだ。もちろん私はそのすべてを読んでいるわけではないが、この記事がベストであることは疑う余地がない」

「私は物書きを職業としているが、ここまで力のある文章を書けたことはないし、これからも書けるとはまったく思えない。ライターという職業に絶望を覚えるほどだ――と感じることすらなく、あまりの別次元に、ただただ、すごいという感情しか湧いてこなかった」





<番外>

ちょっと毛色の違ったところで、以下ふたつのインタビューもメチャクチャ面白いのでおすすめ。


●VOL. 016(2002年夏号):「驚異、一本指キャンパスの秘密」

クライミングジム「ビースリー」の元祖オーナー・大島次郎のインタビューなんだけど、話し手も聞き手も自由奔放すぎて面白い。全編、以下のようなカオスが展開されている。

「――高校時代は何かしてたの?」
「ラグビー。ラガーマンですよ。ラガーといえば、サッポロの”ファインラガー”、あれニセモノですよ。1月23日発売で誕生日と一緒だったから『やったー、俺はやっぱりラガーの申し子だ』って大喜びして、箱で買って帰ってきたんです。そして、プシュッて開けて飲んでみたら、発泡酒じゃないですか。『なんだこりゃ!』って感じで。頭にきて全部地面に捨ててやりましたね。やっぱラガーはキリンですよ」




●VOL. 028(2005年夏号):「A DAY IN THE LIFE ソン・サンウォン」

当時22歳の若手トップクライマー・松島暁人が、同じく22歳の韓国トップクライマー、ソン・サンウォンをインタビュー。やたら「!」が多くて発言が短く、若者は国が違えど同じだな~と思えたインタビュー。

「――1年の契約金ってどのくらいなの? シークレットだったら言わなくていいよ」
「大丈夫、韓国のクライマーで知ってる人がけっこういるから、シークレットじゃないよ。300万円ちょっとだね」
「――300万! ウォンじゃないよね?」
「ちょっと待って。ん~、ネルソンとコロンで……そうね、300万円くらいだね」
「――じゃ、新しい車買えるね! 足りてる?」
「うん」
「――グッドか?」
「うん、グッドね!」



2022年7月1日金曜日

盗用とか無断転載とか著作権のもろもろ

あるYouTube動画に私が撮影した写真が無断で使われていて、クレームを入れたら動画は削除されたということがありました。こういうことたまにあって、以前もブログ相手にクレーム入れたりしたことがあったな。


私が編集仕事を始めたときに先輩から教えられたことってたくさんあるのだけど、「盗用をしない」というのは、そのなかでもトップクラスに重要なことのひとつでした。他人の文章や写真、イラストなどを無断で使ったことが発覚したら、その人の編集者人生・ライター人生はその時点でほぼ終了するーーというのが、業界の当然の認識だったのです。

しかしこれは出版や新聞、テレビなどあくまでマスコミ業界内の常識であって、一般の人にそこまで厳しい認識は求められていなかったと思います。ところがインターネットの登場によって、現在は1億(世界なら80億)総表現者時代に。すべての人に著作権の知識や認識が求められるようになってしまいました。


著作権というのは非常に難しい概念で、私も基本を理解するまでに10年くらいかかりました。新人に教えるにしても、手を変え品を変え、さまざまな事例を体験させながら、数年かけてようやっと理解してもらえるような代物なのです。

編集部に入ってきたばかりの新人が、記事中の写真すべてをネットでコピった写真で構成していることに校了間際の水際で気づき、深夜にあらゆる人に電話をかけまくって総動員状態で作り替えたりしたこともありました。当の新人にはもちろんキツイお灸をすえましたが、最初は「えっ、ネットからとってきちゃダメなんですか?」と真顔で言ってました。こいつが人一倍ダメだったという可能性もありますが、出版社に入ってくる人でも最初はこんなもんです。


こういう体験があるので、私自身はインターネット上での盗用には比較的寛容なほうだと自認しています。だって1億(もしくは80億)人に著作権のこの難しいルールを守らせるなんて無理だから。大きな問題が生じないかぎりは黙認でいいと思っているし、実際そうしてきたものもたくさんあります。

そもそも、現行の著作権法は時代に合っていないのです。基本的に紙・フィルム時代の表現を想定した内容になっており、これだけ多くの人が毎日大量の発信をし、表現の手段も多岐にわたり、しかもコピーが圧倒的に簡単になった時代にはまったく対応できていないのです。現代のインターネット表現において混乱や矛盾が生じまくってしまうのは当然のこと。


とはいえ、無法状態でいいと思っているわけではなく、個人的には以下のような基準を設け、ここに抵触するものにはクレームを入れるようにしています。

1)表現そのものよりも、明らかに金儲けが目的であるもの

2)著作者や、著作物に関係する人の尊厳を傷つけるもの

3)コピー作品が原作より影響力をもってしまう場合

今回の動画は2に抵触しました。1にも該当する可能性はありますが、そこは実情がわからないので不問。



ところで著作権について話をし始めると、どうしても理屈っぽくなってしまいがちです。「~をしてはいけない」という話ばかりで、「じゃあ、どうすればいいのよ!」という気持ちにもなります。そこで、いちばん重要なポイントをひとつだけあげておきます。


他人が作った表現物を使うときは、作者の許可をとる


これです。

これをやりさえすれば、トラブルを起こしてしまうことはほぼありません。

もちろん手間がかかりますよ。使用許可をくれない人だっているかもしれない。でもそこを怠ると、後々、思わぬトラブルに巻き込まれることがあるってことです。

個人的には、こんな面倒なことをしなくても、もっと気軽にコピー利用ができる新しい時代のルールや法律ができてほしいなと思っています。でも現状そうはなっていないので、最低限のルールは守らないといけない。ましてやプロであるなら(=金をとっているなら)、最低限では全然ダメで、最大限守らないとね。




【おまけ情報】

ここで激しくオススメの本を紹介しておきます。著作権の本を何冊読んでも一向に理解できなかった諸々の事柄が、この本を読んで私はすべて一掃されました。


改訂版 著作権とは何か 文化と創造のゆくえ


著作権の本って、「著作権とは、財産権、人格権、隣接権から構成されており~」なんて説明から始まるものが多いのですが、この本はまったく違います。「アンディ・ウォーホールのキャンベルスープの絵は権利侵害に当たるのか」とか「マッド・アマノのコラージュは著作権侵害に当たるのか」など、実際に問題になった実例をもとに、著作権なるものの勘所をじつにわかりやすく面白く解説してくれています。

なにより私が目を開かされたのは、著作権法の「真の目的」。著作権というと、著作者の権利を守ることばかりが注目されますが、法律の真の目的はそこではなく、創作行為をより活発にすることにあるのだというのです。パクられ放題の世の中だと、バカバカしくなって創作などする人がいなくなってしまうので、そうならないために著作者の権利を守る。順番が違うのです。

この根っこを理解させてくれるところが、この本の最大の価値かなと思います。ここさえわかっていれば、あらゆる裁判の判例もなぜそういう判断になるのか概ね理解できるようになるし、自分の身の回りの事例もこの根っこから延長して判断できるように私はなりました。

私はこの旧版を持っていて、編集部の新人に著作権について教えるとき、まずはこれを読めといつも推薦していたのですが、今本棚を探したら見つからない。だれかに貸したまま借りパクになっていると思われます。

とにかく、ここまで読んできて、著作権に興味をもった人には、この本を読むことを超絶オススメします!


2021年2月16日火曜日

枻出版社が民事再生に

 

倒産速報 | 株式会社 帝国データバンク[TDB]

私の古巣のひとつ、枻出版社が民事再生になってしまった。ニュースが公になる前日にPEAKS編集部から聞いて知っていたし、年末にPEAKSやランドネが別会社に売却されたときのほうが驚きはむしろ大きかったのだが、元社員としてはやはり苦いものを感じる。

昨日、その債権者説明会があったので行ってきた(原稿料が2カ月分凍結されたので私も債権者)。説明によると、ここ数年、売上が急速に減少していたところに、予期せぬコロナ禍が致命傷になったようだった。

現在は出版不況の時代。そのなかでもっとも打撃を受けているのが雑誌。書籍(単行本)や漫画も売上は落ちているのだが、雑誌はそれと比べても落ち幅が激しい。そして枻出版社は雑誌中心の会社。書籍はあまり強くなく、売上の多くを雑誌で稼いでいた会社だ。

そのわりには持ちこたえているほうだと思っていたのだが、2017年ごろをピークに、わずか数年で転げ落ちるように売上を落としていたようだった。なんとか危機を脱出しようとギリギリであがいているところに、思わぬ方向から飛んできたコロナパンチがヒットしてしまった……というところか。



古巣のくせに他人事のように淡々と書いていて冷たいやつだ……と自分でも思うが、私は40歳を過ぎてからの中途入社で、しかもアウトドア専門要員だったので、枻出版社社員というよりもPEAKS編集部員だったという意識のほうが強い。さらに、所属していた会社の経営危機はこれで2度目(前回は2006年に山と溪谷社がインプレスホールディングスに買収されたとき)。こういうことはあるんだなと、へんに達観してしまっているところがある。

幸い、ひと足先に枻出版社から独立していたアウトドア雑誌(+ゴルフ、自転車、サーフィンなど)をはじめ、多くの雑誌は引き受け手の会社が次々決まっており、変わらず刊行されていくようだ。

実際、私も今週から来週にかけては、PEAKS次号の仕事ですでに埋まっている。原稿料凍結を食らっていながら人がいいなとこれまた自分でも思うが、つらい思いをしているのは私以上に編集部員。私もヤマケイが危機のときは肩身が狭い思いをしたし、部外者から理不尽ないじめを受けたりもしたので(あのときいじめたやつは一生許さん)、立場はよくわかる。私は愛社精神は希薄だったが編集部愛はあったので、ここは協力したい。



しかしそのアウトドア部門も、枻出版社社内では比較的落ち幅が少なかった(であろう)とはいえ、出版不況の荒波を前にして、会社が変わってこれでひと安心というわけにはいかないはず。旧来の出版ビジネスの枠組みはとっくに制度疲労を起こしている。今後、なんらかの抜本的な改革は必要なんだろう。

フリーランスになってからつくづく思うのだが、こういうときに出版出身者は本当にダメだなということ。なんらかの改革やパラダイムシフトが必要なときでも、既存の出版ビジネスの枠内でしか物事を考えられないのだ(もちろん私も含む)。一方で、ウェブメディアなど出版とは関係ない分野の人と話をすると、「えっ、そんなやり方アリだったのか」と、目を開かされることが多い。PEAKSやランドネも、そういう外部の異なる目線を入れていくことは絶対に必要だと思う。

その意味では、それこそ出版とは関連ゼロだったドリームインキュベータという会社がPEAKSの親会社になったことには、むしろ期待をしたいところ。出版脳ではないフラットな目線で、アウトドアメディアの可能性を掘り起こしてほしい。

一方で、出版社社員の立場を離れてから同時に感じているのは、コンテンツ制作能力は出版出身者は高いということ。これはウェブメディアと付き合っているとすごく感じる。「この人なんかデキるな」と感じてよくよく話を聞くと、じつは出版社出身ということが多いのだ。これはひいき目ではないと思う。人々が面白いと感じるものを的確にピックアップする嗅覚と、素材をより面白くする技術をたくさん持っている点において、出版出身者はやはりレベルが高いと感じる。



なので、出版出身でない人がビジネスの大枠を設計するプロデューサーとして機能し、出版出身者がそこに合ったコンテンツを提供していくという組み合わせがこれからの理想なのだろう。PEAKSの新会社(ピークス株式会社という名前。ややこしいが、社名はPEAKSとは関係なく、綴りはPEACS)もそこがうまく機能することを期待したい。

おそらくその過程では軋轢も起こると思う。これもヤマケイのときの経験上、なんとなく想像できる。よくあることだが、そのときに「出版文化」みたいなことを持ち出すと、話がそこでストップし、対立を深めるだけになると思う。なじんだしきたりはひとまず脇に置き、新しい環境を刺激的なものとして吸収していってほしい。……って、えらそうに上から目線で言っているが、おまえにそれができたのかと言われれば黙るしかないのだけど(笑)



明々後日はショップの人が集まる取材。絶対にこの話題で持ちきりになるはず。とりあえず「僕の考えはブログに書いておいたので読んでください」と言っておこう。





2019年8月17日土曜日

わかりやすい文章にするためのたった3つの簡単なコツ

あおりタイトルです笑


知り合いとツイッターで法律文のわかりにくさについてやりとりをしていたところ、思いついたことがあったので書いておきます。わかりにくい文章とその改善策についてです。


私が以前勤めていたころの『山と溪谷』編集部では、プロライターはあまり起用せず(起用したくとも登山のプロライターがほとんどいなかった)、登山家や山小屋の人、カメラマンなどに原稿を書いてもらうことがほとんどでした。彼ら彼女らは文章の専門家ではないので、文章にはそれなりに難があります。そこを編集者が手を入れて読みやすく整えるということをしていました。


そんなことを毎月、何年もやっていると、ある一定の傾向が見えてくるもの。文章を書き慣れていない人がやってしまいがちな問題点。


いろいろありますが、もっとも単純かつもっとも頻度が高いものを挙げるとすると、以下の3つになります。


・文章が長い
・語順がおかしい
・接続詞が多い


以下解説します。





文章が長い


”秋の唐松岳はダケカンバやナナカマドの紅葉だけでなく、頚城山塊から南アルプスまで広がる雲海や劔・立山連峰の上空を染めて日本海に沈む太陽、街灯りと満天の星空など秋ならではの素晴らしい光景が期待できる。”


これは実際に私が受け取った生原稿の一文です。途中で「ん?」と思って前に戻って読み返したりしませんでしたか。問題はいくつもあるのだけど、まずは一文が長すぎるのです。


この文章の構造はこのようになっています。


秋の唐松岳は
・ダケカンバやナナカマドの紅葉(だけでなく)
・頚城山塊から南アルプスまで広がる雲海(や)
・劔・立山連峰の上空を染めて日本海に沈む太陽
・街灯りと満天の星空
など秋ならではの素晴らしい光景が期待できる。


秋の唐松岳には4つの魅力があると言っているわけですね。しかし、「秋の唐松岳は」と始まった文章が結論を言うまでに4つの要素を入れてしまっているので、読み手はなんの話だったのか途中でわからなくなってしまうのです。


この場合のいちばん簡単な修正法は、文章を短く切ることです。


たとえばこんなふうに。


”秋の唐松岳の魅力は、ダケカンバやナナカマドの紅葉だけにあるわけではない。頚城山塊から南アルプスまで広がる雲海、劔・立山連峰の上空を染めて日本海に沈む太陽、街灯りと満天の星空など、秋ならではの素晴らしい光景も期待できる。”


だいぶ読みやすくなったんじゃないでしょうか。もともとの文章が言葉足らずなので、(の魅力)とか(にあるわけ)などの補足が必要で、後半では、助詞「や」や読点「、」を数カ所調整もしていますが、読みやすくなったもっとも大きな理由は、文章をふたつに分けたことにあります。


一般的に、わかりやすい文章を書くには一文を50字以内にとどめたほうがよいといわれます。これは経験的にもそんな感じかなと思います。作家を目指しているとかでもないかぎり、文章は50字といわず短いほどよいです。長い一文を誤解なく読ませるには技術が必要だからです。


試しに、私がここまで書いてきた一文の平均文字数を数えてみたら、約37字でした。20字台がもっとも多くて9文、次に30字台の6文。それに対して、例に出した原稿の一文は98字。この長さをスルッと読ませるにはそれなりに工夫が必要です。


【まとめ】
ひとつの文章はできるだけ短く!(50字以内が目安)





語順がおかしい


”富士ノ折立からは、剱岳が残雪をいただいた内蔵助カールの後方に顔を出す。”


これはおかしいところたぶんすぐわかると思います。


"富士ノ折立からは、残雪をいただいた内蔵助カールの後方に剱岳が顔を出す。”


こうすればよいわけですよね。簡単な修正ですが、こういうの非常に多いです。


なぜこうなってしまうかというと、書き手の頭のなかには剱岳がもっとも印象的な光景として残っているからです。なので、真っ先に「剱岳が!」と言いたくなってしまう。まずそれを言って落ち着いてから、補足的な状況描写を書くと、上の文のようになってしまうというわけです。


この文章はこういう構造になっています。


(富士ノ折立からは)
・剱岳が
・残雪をいただいた内蔵助カールの後方に
顔を出す


「剱岳が」も「残雪をいただいた内蔵助カールの後方に」も、どちらも「顔を出す」につながります。


こういう場合は、「短い言葉ほど近くに置く」という原則を守るだけで、俄然誤解が少なくなります。「剱岳が」のほうが「残雪をいただいた内蔵助カールの後方に」より文字数が少なく短い。そういう言葉ほど、つなげたい言葉の近くに置く。これ、とても単純な原則ですが効果絶大です。


一方、上の文章がこういう構造だったらどうでしょう。


(富士ノ折立からは)
・残雪をいただいた剱岳が
・内蔵助カールの後方に
顔を出す


もともとの文章では「残雪をいただい」ているのは内蔵助カールですが、今度は剱岳が「残雪をいただい」ている状況を書きたい場合。


1)富士ノ折立からは、残雪をいただいた剱岳が内蔵助カールの後方に顔を出す。

2)富士ノ折立からは、内蔵助カールの後方に残雪をいただいた剱岳が顔を出す。


この場合は1のもともとの語順のほうが明らかに誤解が少ないですよね。誤解が少なくなる理由はいくつかあるのですが、「短い言葉ほど近くに置」いていることはそのひとつであります(短いといってもこの場合はわずか1字ですが。それでも重要です)。


このあたりのことは、本多勝一氏の『日本語の作文技術』という本に非常に詳しくかつわかりやすく載っています。私は学生時代にこの本を読んで、とても影響を受けました。このこと以外にも、わかりやすい文章を書くためのコツが満載なので、激おすすめしておきます。



【まとめ】
長い言葉ほど遠くに、短い言葉ほど近くに置く!





接続詞が多い


「そして」とか「しかし」とか「ところで」とか「だから」とか「したがって」とか「ところが」とか「それから」とか「あるいは」とか「また」とか「なぜなら」とか「すなわち」とか。


接続詞って息つぎみたいなもので、なんとなく使われているケースが多いのです。よくよく考えるとそこに意味はないんだけど、「なんとなく」使うと、「なんとなく」文章がまとまったような気がして、つい使ってしまうんですよね。


これはたくさん使ったからといって文章がわかりにくくなるというわけでは必ずしもないのですが、文章がギクシャクして読みづらくはなります。


とくに個人的に注目しているのは「また」。「これは○○である。また、あれは××である」などと使われるアレです。好きな人はほんとによく使うけれど、これは意味のない接続詞の筆頭格で、経験的に9割の「また」は不要です。「また」を外すことで前後の「てにをは」を整える必要がある場合もありますが、そのまま外してしまっても問題がないことも多いです。そして、「また」を外したほうが、往々にして文章のリズムはよくなります。


たとえばこういう文章。


”花崗岩と砂礫の斜面は、雨後や霜が付いている時は滑りやすいので特に注意が必要だ。また下山時も同様である。”


この原稿を私はどうリライトしたのかなと思って、誌面を見てみたら、こうなっていました。


”花崗岩と砂礫の斜面は、雨後や霜が付いているときは滑りやすいので特に注意が必要だ。下山時も同様である。”


後者のほうがすんなり読めませんか(そうでなかったらすみません)。そもそも前者の「また」は、ほとんど機能してないよね。


「また」には、文章のリズムを悪くするほかに、文章を堅苦しくするという効能もあります。ここで「又」なんて漢字を使えばダブルでその効果が期待できます。クレームや抗議文などで相手を脅かしたいときには多用するといいのかもしれませんが、日常文章では使わないのが吉です。


もちろん、接続詞には使わないとならないものもあります。「しかし」とか逆説の接続詞なんかはその代表格。そのほかにも、文章のリズムを整えるためだけに使いたくなることもあります。私自身が、リズム整えのための接続詞を多用してしまうほうです。


ただし一般的には、接続詞はできるだけ使わないようにしたほうが文章は読みやすく、すっきりするはずです。「できるだけ使わないぞ」と意識すると、使いたくなったときに、文章の意味を通すために別の表現を考えざるを得なくなります。たいていの場合は、ちょっと考えると別の表現が見つかるんですよ。これは文章トレーニングにすごく効果的だと思います。実際、私は他人の文章をリライトすることでこれを毎月繰り返しているうちに、表現の引き出しがすごく増えました。だからおすすめなのです。


接続詞を使わないですむ表現がどう考えても見つからない場合。このときこそが、接続詞を使うべきときなのであります。こういう、ここぞというときに放つ乾坤一擲の接続詞は、逆にすごい切れ味を持ちますので。


【まとめ】
「また」は使用禁止!





****


ところでツイッターにも書いたのですが、「一文が長い」ということでこれまでもっとも印象に残っている文章があります。「号泣議員」として有名になった野々村竜太郎氏のブログなのですが、その長さはまさに超弩級。すごいです、どうぞ。


”特に本日、裁判を受ける義務を果たすために、テレビ局やラジオ局、新聞社、通信社、週刊誌や漫画・アニメ等出版社、インターネット新聞・テレビやブログ・ツイッター・フェイスブック等、フリージャーナリスト等全てのマスコミ、報道機関等に関係される皆様が第一回公判では300人以上も押し掛け、自宅や家族宅の生活圏に近付かないのは勿論、何人たりとも皆様と出会わず撮影されず取材強要されず無事に出廷し帰宅するためにも、是非とも何人たりとも皆様が押し掛け出廷や帰宅の妨げをされませんように、テレビ局やラジオ局、新聞社、通信社、週刊誌や漫画・アニメ等出版社、インターネット新聞・テレビやブログ・ツイッター・フェイスブック等、フリージャーナリスト等全てのマスコミ、報道機関等に関係される皆様に対しまして、コメントや会見は一切致しませんし、建造物侵入等自宅や家族宅の訪問やインターホンを鳴らしたりカメラを操作・名刺や手紙等を投函・待ち伏せ、付きまとい、張り込みや監視する行為等、制作者・著作者・著作権者でございます私のブログや写真、映像、YouTube、Facebook等を無断無許可で転載や引用、紹介等する行為、私や家族を記事や放送等で名誉毀損・信用毀損・侮辱・誹謗中傷等全ての人権侵害や「誤報」・迷惑行為・加害行為、公益・知る権利・報道の自由・公平で公正な「事実や真実」を伝える報道のためでもなく憲法第14条の精神も知らず、主に誹謗中傷や名誉毀損等人権侵害を行うことで出廷前に私や家族を社会的に抹殺することで視聴率・購読数・閲覧数・スポンサー便宜等営利目的や自分達の仕事・報酬のために、資本力や同じ人間の所業ではない常軌を逸した異常な組織的人海戦術に物を言わせることで公平で公正な「事実や真実」を隠蔽したりグレン・ホワイトの実験、ディパヤン・ビスワスやルビー・ドラキアの報告結果等の応用を悪用した編集や情報操作等、事件と無関係の事柄や、裏付け・検証の行われていない公平で公正な「事実や真実」と異なる報道、私を無断無許可で撮影する全ての行為やその撮影された写真や映像を記事や放送で使用する全ての行為、3時間以上にも及ぶ私の会見映像や無断無許可撮影した映像等を私や家族を社会的に抹殺するためにご都合主義に基づいた編集等を施した上で、名誉毀損・信用毀損・侮辱・誹謗中傷等全ての人権侵害と私が思料したり、事件と直接関係ない記事や放送等での使用、私に取材強要する等接触や暴行、話し掛けや強要、追い回しや脅迫などの全ての迷惑加害行為、その取材等の際の音声を記事や放送で使用する全ての行為等を固くお断り申し上げ、ご遠慮されますよう、お願い申し上げます。”



なんと約1100字、一気の長文です。この間、「。」はひとつもありません。これほどの長さの一文には滅多にお目にかかれません(なんですが、判決文とか法的文章には珍しくないんですよね。なんと2000字という一文まであると聞きました。正確な伝達がもっとも必要とされる文章でなぜそうなのかは本当に謎です)。


この文章には「無駄に漢字が多すぎる」という問題もあり、突っ込みどころ満載。リライト素材としては20年に一度級の超大物。これを見つけたときは、ふらっと釣り(ネットサーフィン)に出かけたら、500kgのマグロがかかってしまったような感覚でした。これをわかりやすい文章に直すのは相当に骨が折れますが、リライターとしては腕が鳴るところであります。




2017年11月22日水曜日

「校正」と「確認」は違うぜよ

【メディア業界の専門的な話です】

最近、というかここ7~8年くらい、「校正確認」という言葉を見聞きする機会が増えました。記事を作る際に協力してもらった人や企業・団体などに、内容に問題がないか確認してもらう作業のことを指しています。しかしこの言葉、違和感がありまして、個人的には使わないようにしています。


なぜかというと。


「校正」というのは、誤字や脱字など、文章上のミスを正す作業を指します。「生年月日が違ってます」とか「価格が間違ってます」とか「こんなこと言ってません」とか、そういう事実を正す作業は、「校正」ではなく、たんなる「確認」であるからです。


ところが、だれが言い始めたのか、私の周りでは日常的に聞きます。編集者などに「校正確認すんでますか」と聞かれるたびに、「ええ、『確認』ずみです」などと、意地を張って校正という言葉を使わないようにしたりしているのですが、あまりの多さに面倒で流すときもあります。


そんな細かい言葉の問題にこだわらなくてもいいのかもしれないけれど、こだわりたい理由があります。それは、「校正確認お願いします」と頼むと、「えっ、あんたが書いた文章のミスをおれが正さなきゃいけないの?」と受け取る人がいるから。「そんなやついないよ」と思う人は、日常的に校正という言葉を使っていて、校正という言葉に対する感覚が麻痺しているのでしょう。普通の人は日常で校正なんて言葉は滅多に使わないので、「校正お願いします」と言われたら、辞書どおりの意味にとってしまうものです。


だから、「校正確認」やめようぜ、という話でした。「校正確認撲滅委員会」でも立ち上げようかな。同志募集。


*これ、もしかしたら私の周りだけで起こっている事象かもしれません。同じ出版・メディア業界でも、私の付き合いのないところでは「なんじゃそりゃ、そんな変な言い方しないよ」というところが大半という可能性もあります。



2017年2月28日火曜日

PEAKS創刊前夜の話

私の古巣のひとつとなる雑誌『PEAKS』が創刊したのは2009年5月。最初の1年は隔月刊で、2010年5月の号から月刊化して今に至ります。私は創刊当初からのメンバーで、2013年3月号まで副編集長として務めました。今もフリーランスの立場で記事作りにかかわっているので、もう8年近くやっていることになります。


先日の『PEAKS』のインタビュー取材のときに、寺倉さんから創刊のころのことを聞かれ、久しぶりに当時を思い出しました。パソコンをあさってみたら、最初に書いた企画書が出てきたので、昔話とともに紹介してみようと思います。




「登山雑誌、定期刊でやることになったから」


と、編集長の朝比奈耕太さんから電話を受けたときのことはよく覚えています。2009年4月初旬、松本のロイヤルホストの駐車場でした。そのとき私は松本在住の山岳カメラマンに写真借り&打ち合わせに来ていて、それが終わってさあ帰ろうというときでした。


当時、私は枻出版社に入ってちょうど一年。会社にも慣れてきて、自分の専門である登山のムックを夏前に出そうと動いていたときでした。山岳カメラマン氏には、それ用の写真の相談に来ていたのです。


「定期刊でやることになったから」というのは、ムックではなく定期雑誌として刊行すべしという決定が経営会議でなされたという報告でした。


「発売は5月21日ということで」


朝比奈さんはそう続けます。冗談言わないでください。あと1カ月半しかないじゃないですか。いや、発売10日前には校了していないといけないから、制作期間は1カ月。定期誌を1カ月で立ち上げられるわけないでしょ。普通は1年、短くても半年はかけますよ。


もちろん私はそう答えたのですが、「もう決まったので」と、取り付くシマがありません。いや、絶対無理だって。朝比奈さんだってわかってるでしょう。それでもやるって言うなら、おれはおりますよ。私はかなりエキサイトして電話口にそう吐き捨てました。


「とりあえず、なにができるか明日会議しましょう」


朝比奈さんがそう言って電話は終わりました。


枻出版社というのは、こういう急な決定や方向転換が多い会社で、この一年間、それに振り回されたことも少なくなかった私は、「もうやってらんねえ」と頭に血が上って、荒っぽく車のドアを閉めました。車を走らせ始めても、ムカつきがおさまらず、明日なんて言ってやろうか、辞表をたたきつけて帰ろうか、そんなことばかり考えていました。


中央高速を諏訪あたりまで来ると、ムカつきも一段落して、だんだん落ち着いてきました。……定期雑誌か。いくらなんでもできるわけないよな。定期誌といったらタイトルが必要だよな。そこからして白紙だもんな。どうすんだよ……。


そのうち車は小淵沢か韮崎あたりまで来ました。……やるとしたら、今進めてるムックをベースにするしかないよな。とはいえデザインはどうしたらいいのかな。ムックと定期誌じゃデザインの考え方も全然ちがうよな。デザイナーはピークスのだれになるのかな。

*ピークスというのは枻出版社の子会社のデザイン会社で、枻出版社の刊行物のデザインはここが手がけることになっています。



……そういえばピークスって、綴りなんだっけ。P・E・A・C・Sか。そうそう、PEAKじゃなくてPEACなんだよな。確か4つの会社のイニシャルの集合っていってたな。……PEACSがデザインする雑誌だからPEAKS! ダジャレか。くだらねえ~。


……けど、悪くないかもな……。P・E・A・K・S。ピークスか。山の頂上ってピークだもんな。


……あれ? これ、いいんじゃね? PEAKSって雑誌、ほかに……ないよな。えーと……うん、聞いたことないな……。え? こんな直球でいいの? 


……いや、これだよ。これでいいよ。これでいいじゃん!


たぶん、この段階で双葉か甲府昭和あたりを走っていました。


枻出版社に入る前から、私はずっと、新しい登山雑誌を作るならなんてタイトルがいいか考え続けていました。でも、ピンとくるタイトルを思いついたことはありませんでした。考えつくのは、『Mountain Life』とか『Mt.Trip』とかヘボいものばかり。


私が登山雑誌のタイトルに必要だと考えていた要素は3つありました。

1)ひと目で山の本だとイメージできること
2)短いこと
3)カタカナであること


1)は説明不要かと思います。ひねった内容で攻めたいならともかく、ボリュームゾーンに訴えたいならこれは必須かと思うのです。


2)は、会話のなかでひとことで言えることを重視していました。たとえば「マウンテンライフ」だと長すぎて、ひんぱんに口にするには面倒です。すると、人はなんらかの略称で呼ぼうとする。そのときに「なんて略すればいいかな」と考えさせるのがいやでした。それはわずかな引っかかりですが、口にする人にストレスであることは間違いありません。そのストレスはわずかなれど、でも、そのわずかなストレスを億劫がってタイトルを気軽に口にできなくなるのです。一方で、略さないでフルネームで呼ぶ人もいるでしょう。すると、人々の間で雑誌は明確な像を結ばず、ということは、意識にしっかり定着しない。それは避けたいと思っていました。


3)は、旧来の雑誌とはちがう新規性を感じさせたかったからです。それまでにあった登山の雑誌は、『山と溪谷』とか『岳人』とか『山の本』とか、日本語タイトルばかりでした(昔は『アルプ』とかもありましたが)。それらとはちがう、新時代の山の雑誌である。ということを表現するには、カタカナ(外来語)が望ましいと思っていました。


私は車を走らせながら、PEAKSをこの1~3の観点からも検討しました。PEAKSはそのどれもを、完璧にクリアしました。


タイトルが決まった瞬間、「これ、できるかも」と、不思議な感覚にとらわれたことを覚えています。あれだけ絶対無理だと思っていたことが、タイトルが決まったら、なんとかなるような気がしてきたのです。


同時に、PEAKSというタイトルに合わせて、雑誌作りに必要な要素がどんどん勝手に浮かんできました。想定読者層はどんなところにおけばいいか、どんな企画をやればいいか、デザインはどういう方向性で作ればいいか……。雑誌の大枠が頭の中で自動的に組み上がっていき、立体的な企画として立ち上がってきました。


甲府を過ぎたあたりからは、もう完全にやる気になっていて、考えることは、企画の内容や制作の段取りなど、具体的なことばかりになっていきました。帰宅したのは23時か24時ごろだったと思いますが、そのまま新雑誌の企画書を書きました。それがこれです。




ファイルのプロパティを見ると、作成日時は2009年4月2日の午前2時40分になっていました。ということは、松本に行っていたのは4月1日だったのでしょう。


「30代のための山歩きmagazine」というキャッチコピーが恥ずかしいですが、想定読者層を30代にしようとこのときすでに決めていたことがわかります。


なぜ30代か。ひとつには、枻出版社という会社の持ち味として、年配層より若い層に向けたもの作りのほうが得意ということがありました。もうひとつは、当時、30代以下の人に訴える登山メディアが存在しなかったことにあります。二大登山誌と言われていた『山と溪谷』と『岳人』は、このころ想定読者を完全に40代以上(いや、50代以上?)の年配層に振っていて、若い人が読んで面白い記事はほとんどなかったのです。


その結果、若い登山者たちは、インターネットでそれぞれ適当に情報を収集し、山に登っていました。ネット上に彼ら彼女らの居場所となりうる強力なサイトがあればよかったのですが、それもなく、ネット上に浮遊した情報の断片を自分なりに拾って登っているように私には見えました。


当時はまだ、山ガールブームが盛り上がる前です。登山というのは年配層の趣味であるという認識が一般的な時代で、若い世代は登山界から見捨てられた存在のように思えました。商売を考えれば、絶対数の多い年配層に向けたほうがいいのかもしれないけれど、それはもうヤマケイや岳人がやっている。ならば、彼らがやらないことをやろう。見捨てられた人たちの居場所を作ろう。それは売れないかもしれないけれど、1カ月しかないんだから失敗してもともと。ならば、つまらない二番煎じをやって失敗するより、未開拓のことをやって玉砕したい。……そう考えたわけです。


明けて翌日の会議、辞表のかわりに、私はこの企画書をたたきつけました。会議の出席者は朝比奈さんと、ヤマケイ時代からの同僚、ドビー山本(山本晃市)。自信満々で出したPEAKSというタイトルは「いいじゃん」と受け入れられ、朝比奈さんはすぐさま社長のもとに報告に行きました。PEAKSというタイトルと聞いて社長は「そうきたか」とニヤッとしたそうで、B案もC案も必要とせず、すぐGOとなりました。


そのあとは、準備していたムックの企画を定期誌用に作り替え、新規の記事立案、連載等の準備、広告営業先のリストアップなどなど、嵐に巻き込まれていきました。


厳しい毎日が始まりましたが、タイトルロゴの作成は面白かった思い出です。PEACSデザイナーチームが、30個くらいのロゴを作ってくれました。それをテーブルの上に広げて、どれにするかを話し合うのです。そのなかに「お!」と目に止まるものがありました。以下のようなものです(私が記憶で再現したもの。本物はもっと完成度高かったです)。


パタゴニアのロゴのマネといえばそうなんですが、ひと目で山が感じられていいな! と思ったのです。朝比奈さんも同様にこれがベストだと思ったようで、「これでいこう!」と意見は一致。ところが、ロゴが決まってひと安心と思っていたら、しばらくして会社の上層部から「タイトルが破れているように見えるのはよくない」とNGが出て、幻のタイトルロゴとなってしまいました。


今にして思えば、一回くらい会社の意見を押し返してもよかったんじゃないかという気もしますが、そのときはその余裕はまったくありませんでした。企画を作り、ライターやカメラマンに依頼をし、ページの中身を作っていくことで精一杯だったのです。誌面のビジュアルやデザインのトーンについても自分なりのイメージはあったのですが、そのへんの大枠の話は朝比奈さんにまかせきりで、結局、ほとんどなにもできませんでした。紙の選定について希望を生かせたくらいでしょうか。


編集部のスタッフ、営業部員、ライター、デザイナーにも無茶に無茶を通して、最後は自分も会社の椅子で4連徹して、ようやく校了。絶対に無理だと思っていた本が、本当に5月21日に発売されました。校了後、自分がどうしていたかはまったく記憶にありません。


これだけ無理を通しただけあって、気に入らないところ、もっとこうしたかったところ、練りが足りないところなど、当然ながら満載で、今見ると穴だらけもいいところです。校了直前にどうしても1ページ埋まらなくて、本来1ページの記事をデザイナーのウルトラテクニックで2ページに水増ししたところもあります(持っている方はどこだか探してみてください)。


実際、創刊後の初期のPEAKSは恥ずかしいところばかりで、しばらく見たくありませんでした。8年たった今でも見るのには勇気がいるのですが、時間がたって距離をおいたからでしょうか、以前よりは読むことができます。時間に追われて書き飛ばしたと思っていた自分の原稿が意外とよかったりして、少しホッとしたりもしています。


その後のことは、寺倉さんのインタビューにもあったとおり。自分の仕事人生でいちばんきつかった一年になったのですが、まあ、やってよかったなと思っています。


ひとつ思うのは、枻出版社のバカげた決断力がなかったら、PEAKSは生まれていなかったなということ。私も枻出版社が新たに立ち上げたアウトドア編集部の一員となったからには、得意の登山雑誌を作ろうとは考えていました。しかし、それには十分な準備期間が必要で、まずはムックを出して少しずつ信用を得ていくのが得策だ……と常識的に考えていたのです。


ところが、その当時、自分が書いたムックの企画書も出てきました。それを今読むと、まあ、ヌルいヌルい。こんなヘボい企画書じゃ、ろくなもんはできやしねーよ。今の自分がこの企画書を渡されたとしたら、なんかいろいろ書いてあるけどつまんねえなと、3分で見切りをつけることでしょう。一方、4月2日の夜にたった2時間で書いた企画書は熱い。やりたいこと、やるべきことが簡潔明確に書かれていて、人を動かす力が感じられます。会社のバカげた決断が私の心に強大な負荷をかけた結果、押し縮められたバネが飛び出すように、自分ひとりでは出せなかったエネルギーが出せたと思うのです。


企画書の草稿には、なかなかいいことが書かれていました。

これまでのメディアで知られていないだけで、それぞれに情熱をもって山登りをしている若者はじつはたくさんいます。 
サラリーマンでありながら年間100日近くも山に通っている人、山好きが高じて山小屋に転職してしまった独身女性、さらには、高山植物の保護に情熱を傾ける自然公園管理官、新しい山小屋のあり方に日々アイデアを巡らせている若主人、そして、ヨーロッパのすぐれた登山カルチャーを日本にも導入したいと奮闘する若手ガイド、世界一の評価を受けながら国内ではほとんど知られていないクライマーなどなど……。 
『PEAKS』は、そうしたこれからのロールモデルとなるべきさまざまな人を登場させることを通じて、山登りの新しい魅力を伝えます。次代の登山カルチャーを作り出すこと――それが『PEAKS』のミッションです。

この文章、今までずっと書いたことを忘れていました。ところがこれ、PEAKSを作りながらずっと念頭に置いていたことだったんです。ああ、おれはブレてなかったんだと今知りました。おれえらい。


8年たって、これがどの程度実現されたのかはよくわかりません。もっとできたのではないかなと、自分の力不足も痛感しています。でも、運よく時代の追い風もあって、自分にやれることはできたのではないかと思っています。



……寺倉さんに話したことも話してなかったことも、記憶がずるずる蘇ってきてえらく長くなりました。でもたまにはこうして自分を振り返るのもいいですね。機会を与えてくれた寺倉さんと編集部に感謝。


2017年2月22日水曜日

PEAKSでインタビューされました




『PEAKS』の長寿インタビュー連載「Because it is there...」に自分のインタビュー記事が載りました。人の取材はいくらもやってきましたが、取材される側にまわったのは初めてに近く、なんだかへんな気分。記事を読んでも、「へー、こんな人がいるんだ~」と、不思議な違和感というか距離感を感じています。これが、自分を客観視するということなのでしょうか。


インタビューしていただいたのは、寺倉力さん。Fall Lineの主幹編集を務めている編集者&ライターで、私が編集ライター業においてベンチマークとしている人です。寺倉さんはバックカントリーメディアの第一人者であり、私は寺倉さんをマネしてそれのクライミング版になればよいのだなと、いつも指標にさせてもらっているのです。


寺倉さんの手がけるものは常にクオリティが高く、私が雑誌作りの指標としているのがFall Lineであり、ガイドブック作りの指標が、昔、寺倉さんが作ったスキー場ガイド「スキーマップル」です。これはとてつもない本で、ガイドブックはこうあるべしという本なのです。まあ、そんな人なので、インタビューは安心しておまかせしました。


とりあえず、自分で自分の記事を読んだ感想は;

・おれ、顔怖えー
・おれ、オッサンになったなあ…
・探検部の話ってやっぱりキャッチーなのかな


「怖い」とか「近寄りがたい」とかいうことは、たまに言われるのですが、写真を見て、なぜそう言われるのかよくわかりました。これは怖いわ。自分ではこんな難しい顔している自覚はまったくないのです。記事中、冬山の格好をしている写真なんかは、それこそこれから命を賭けた危険な登攀に向かうような顔をしていますが、このとき私はなんにも考えていませんでした。ぼーっと風景を見ていただけです。


あとは探検部。記事では半分が大学探検部時代の話になっています。インタビューのときはほかの話もいろいろしたのですが、探検部の話がこれだけ取り上げられるということは、やっぱり探検部の話っておもしろいんですかね。自分が体験したことは自分にとってはわりと当たり前なので、あんまりおもしろいとも思えないのですが、外から見るとかなり特殊環境だったのでしょうか。そういうことが客観視できてよかったです。


雑誌的にはPEAKSの創刊裏話などもっと書いてほしかったんですが、そちらはあまりおもしろくなかったんでしょうか……。次回のブログではそのへんちょっと書いてみようかな。




2017年1月30日月曜日

私のきらいなネット記事4つの条件

日々、インターネットを眺めていて、「こういうのはイヤだ」と感じる記事の条件がいくつかあります。それは以下のようなものです。


1.目次がある

こういうやつです。

目次


別に目次自体がきらいなわけではありません。本などの目次は便利です。いやなのは、目次を作るまでもないほど短い記事に目次があること。目次を見て「おっ」と思った項目に飛んだら文章3行だったなんてげんなりです。でもよくあります。




2.「続きを読む」

タイトルに興味をもってページを開いたら、冒頭の文章が3行くらいだけあって、「続きを読む」とか「本文を読む」とかいうクリックボタンがついているもの。PV稼ぎが目的なんだと思いますがうざいです。


1ページの文章量が600字くらいしかなくて、それが6ページ続くなんてやつも同じです。新聞とか出版社系などオールドメディアのサイトに多いです。「公称○万部」とかいって本当はその半分以下というカルチャーに慣れ親しんでいた精神がなせるわざなのでしょうか。




3.意味のないイメージ写真

こういうやつです。


もちろんイメージ写真すべてがダメなわけではありません。ここぞと計算して使われる適切なイメージ写真は、本文のイメージをまさに何倍にも増幅してくれる効果があります(小説の挿絵などもそうです)。


私がいやなのは、本質的になくてもよい、「なんとなく」の写真です。そう感じる写真は、ほとんどが以下のどちらかだと思います。

1 表現技術が足りないことによって、イメージとしての写真が機能していない
2 「写真を入れるとSEO的によい」として入れているもの


このへんよく知らないのですが、写真や目次を入れるというのは、SEO的に有利に働くんですよね。たぶん。だからイメージ写真も目次も必要ないのに入れるんですよね。でもそれは読み手には何も必要ないわけで。必要ないものを見せられてうざく感じるのは当然でしょう。


ちなみに上のイメージ写真はぱくたそというフリー素材サイトからお借りしました。このサイト自体はとても便利なのですが、便利すぎるから安易な写真使用も増えてしまっているのだと思うのです。本当はいいイメージ写真って撮るの大変なのだよ。




4.「いかがでしたか?」

いかがでしたか? こういうサイトってイヤですよね?


というまとめ方をしてる記事。別に「いかがでしたか」という言葉にはなんの罪もないのだけど、こういうまとめ方してる記事、やたら多いと思いませんか。どいつもこいつもいかがでしたかで大格みたいでうざいなーと思っていたら、先日、インチキ記事を量産して炎上→サイト閉鎖となったDeNAパレットの事件でわかりました。こういうテンプレートになっていたんですね。




「イヤだな」と感じる代表的な条件をいくつかあげてみましたが、これらにはひとつの共通点があります。それは「読者のことを考えていない」ということです。自分の都合でやっていることばかりなのです。そりゃー読み手としてはうざく感じて当然じゃないでしょうか。


自分が書くものはこういうことはしないようにしようと、反面教師としてふんどしを締め直しているのです。






【追記】

もうひとつ思い出した! タイトルに「○○の5つの条件」とか「○○が知っているたったひとつの真実」とか付けてるもの。それを皮肉ってタイトルも変更しました(元は「私のきらいなネット記事の条件」)。


このへんを強烈に皮肉った最高のブログ記事があります。この人のライティング能力は天才的です。



2016年12月13日火曜日

人名はフルネームが基本だ

カメラマン 中西氏が語るαシリーズの魅力と解説

こんな告知を見ました。


「中西氏」ってだれ? カメラで中西というと、中西俊明さん?(山岳写真家です)と思ってしまったけど、中を見たら中西学という、私が知らない人でした。


雑誌編集部にいたときに、ライターや部下の原稿によく指摘をしていたのが、「人名はフルネームで書け」ということ。2回目以降は下の名前を省略して「中西氏」でもいいけれど、初出はフルネームが基本。これは不特定多数の人に読ませる文章の基本原則なのです。


でもなぜか下の名前を省略してしまう人が多い。本当に多い。なぜそうしてしまうかというと、書いている自分がよく知っている人だから。わざわざ下の名前まで書かなくてもわかるだろと、無意識のうちに略してしまうのです。だけど、それを読んでいる人が(たとえば)中西学さんを知っているとはかぎらないわけです。つまり、これをやってしまうということは読者のことに意識がおよんでいない証なのです。


なんか説教くさくなってしまったけど、職業柄、このことはものすごく気になります。人名はフルネームで書こうぜ!

2016年9月12日月曜日

出版編集の共通ルールが欲しい

今回はライターとしての業界ネタを。


ウエノミツアキ氏「出版編集の共通ルール作ってみようよ?」


たまたまこんなページを読みました。5年近く前の投稿のようで今さら遅いかもしれないけど、もう全力で同意です。このウエノミツアキさんって知らない人ですが、問題意識が同じで親近感わいちゃったな。


これ、そもそも、「編集」という仕事の曖昧さに由来していると思うんですよ。「編集」って仕事はなんなのか、とてもわかりにくい。ライティング(=執筆)についてはほとんどの人が同じようなイメージをもっていて、そしてそれはほぼ正しいのだけど、編集という仕事の具体像は、業界人以外はまず知らないと思います。業界人ですら明確にわかっていないのです。だからこういう問題が起こります。


たとえば、雑誌をはじめとした印刷媒体を作るときには以下のような作業が必要になります。

1)企画立案・・・どういうテーマをどれくらいの分量でやるか決める
2)キャスティング・・・企画に必要な人員を確保
3)構成案作成・・・具体的な構成要素を考える
4)取材・・・インタビュー、資料収集など
5)ビジュアル取材・・・写真撮影、イラスト作成など
6)ライティング・・・原稿執筆
7)デザイン発注・・・デザイナーにページレイアウトをしてもらうための整理
8)校正・校閲・・・間違いがないか確認。写真の色を確認する色校正も
9)校了・・・最終確認
10)印刷・・・印刷会社で印刷
11)発送・・・完成物を協力者や配送先に発送
12)宣伝・・・成果物のPR

このうち、編集者の役割は、通常1〜3、5、7〜9です。会社やモノによっては11と12も担当します。それ以外の4と6はライターが担当し、5は編集者のディレクションにしたがってカメラマンやイラストレーター、7はデザイナーが作業。10は印刷会社が行ないます。


こうしてみると、編集者の仕事ってめちゃくちゃたくさんありますね。編集者ってデスクにふんぞり返って電話ばっかりしているイメージしかないかもしれないけど、真面目にやるとめちゃくちゃ忙しいんですよ。雑誌のクオリティの7割は編集者によって決まると思っています。いちばん近いイメージは映画監督なのかなとよく思ったりもします。


ところが、この役割分担が場によって違っていて、会社や編集部によっては、上の3〜8までライターの仕事となっている場合もあります。それはそれで悪いことではないのだけど、分担が外部の人には明確でないことが多いんですよ。そこですれ違いやトラブルが起こる。


編集者や編集部って「自分のやり方」を囲い込む傾向が強く、ノウハウを共有しようという気風が異常に少ない世界なので、ウエノさんが書いているとおり、そのすれ違いは内輪の人は気付かない。僕も社員編集者時代はよくわかっていませんでした。フリーになって、いろいろな会社と仕事をするようになってから初めて強く感じていることです。さらに、この問題は広告制作やネット業界でもある程度同じということもわかりました。


「役割分担がうまくできるというだけで、その人はかなり仕事ができるといえる」ということを以前なにかで読んだことがあるんですが、まったくそのとおりだなと思います。僕はライターの立場で仕事を請けることもあれば、編集者として仕事を依頼することもあるので、このへんの問題はすげー気になります。


なので、そういうルールブック欲しい!
ウエノさん、本作りましょう!

2016年3月19日土曜日

編集人生最大のリライト

先日、平山ユージさんの文章のことを書いたときに、リライトについて少しふれた。これについて思うことがあるので書いておこう。


私が以前編集をしていた『山と溪谷』という雑誌は、私がやっていた当時は書き手の7割がアマチュアだった。プロのライターは3割。いや、もっと少なかったかな? 執筆をお願いする人は、登山家であったり、カメラマンであったり、山岳会の書ける人であったり。ショップや山小屋の人に書いてもらうことも少なくなかった。


彼ら彼女らの書く文章は、当事者であるだけにビビッドで臨場感があるのが最大の魅力。それに対してプロライターの書く文章は読みやすく整っているけれど、よほどうまい人でないと「熱」が伝わりにくい。当事者が書くのと取材したプロが書くのとどちらがいいのか。これは私の中で結論は出ていない。ケースバイケースということなのだと思う。


それはともあれ、アマチュアの書く文章というのは、「文章」としては当然、難が多い。それを読者にわかりやすく整えるのが、当時の『山と溪谷』編集部員の大きな仕事だった。つまりリライトである。


私がこれまで行なったリライトで最もすごかったものは、ある山小屋の主人に書いてもらった原稿である。2500字という依頼だったのだが、送られてきた原稿は箇条書きが10行! 当然、これではどうしようもないので、私は主人に電話をかけた。


「原稿いただきました! ……が、さすがに少なすぎて記事にならないので、もうちょっとふくらましていただけないでしょうか?」

「やっぱりあれじゃだめですか……」

「ええ……。こちらでフォローもできるんですが、それにしても、もうちょっと分量がないと……」

「いろいろ考えたんですが、あれくらいしか思いつかなくて、編集部でなんとかならないでしょうか」

「(ううっ!)いやー……。なにかもうちょっとエピソードなどあればなんとかなるんですが、10行ではさすがに……」

「そういえば、先日取材で来られた○○さん(編集部の同僚)が、いろいろ聞いていかれました」

「(その話を聞いてこちらで書いてくれってことか)ああ……、はあ……」


こんなやりとりをしばらく交わした末、これ以上文章を書いてもらうことは難しそうだと判断した私は、思い切ってインタビューに切り替え、10ポイントの箇条書きについて、詳しい話を掘り下げて聞くことにした。それをもとに自分で作文しようと決断したのである。


取材で訪ねたという同僚に聞いた話も参考にして、私はリライト(?)にとりかかった。主人は素朴な人柄で、ひとりで小屋を切り盛りしているという人物。へんにこなれた文章にしてしまうと違和感があると考え、わざとぎくしゃくした文章を作ったりもした。結果、素材(主人と小屋のエピソード)がよかったこともあって、なかなかいい文章が仕上がった。


確認のため、主人にファクスで送る(90年代はファクスと郵便が原稿やりとりの中心手段だった)。主人の返事はこのひとこと。


「すばらしい校正ありがとうございました」


これって校正というのか? と思いつつ、その主人に憎めない人柄を感じていた私はそのまま校了。思わぬ苦労はしたけど、なにか清々しい思い出となった。


その文章、後年、単行本化されて以下の本に掲載されています。どこの小屋の文章か探してみてください。わかるかな?




ちなみにこれ、1月にひとつの山小屋を取り上げて、そこで働いている人に書いてもらうという連載でした。地味なモノクロページだったのですが、どういうわけか読者の反響がよかったのです。やっぱり当事者の書く文章には力があるということの証だったのでしょうか。


……プロでない書き手の文章一般のことを書こうと思っていたのだけど、山小屋主人のリライトの思い出が強烈すぎて長くなってしまったので、また今度。

2016年3月16日水曜日

平山ユージの文章とウェブメディアの編集

Climber’s Story#01 / クライミングを変えた、ひとりの男


レッドブルのウェブにこんな記事を書きました。
その続きとして、平山ユージ本人も書いています。


Climber’s Story#02 / 平山ユージが語る、日本の山


ユージさんは意外と(失礼)読書家で、文章を書くのも好きらしく、実際けっこう書けます。『ROCK & SNOW』の編集をやっていたころはよく書いてもらっていました。今回のレッドブルウェブの記事はユージさんにしてはいまひとつに思いましたが、本当はもっと書ける人です。


ROCK&SNOW時代、1000字で依頼した原稿をなんと10000字書いてきたことがありました。書くことがあふれ出して止まらないといった感じで、実際、10000字の内容があったので、急遽ページ数を増やして収録したものでした。


ユージさんはもちろんプロの書き手じゃないので、文章はそれなりに荒れています。そこをある程度手を入れてリライトして掲載するのですが、「すごくリライトしやすい文章だ」と思った覚えがあります。


言いたいことの骨子がはっきりしているのと、使う言葉のキレがよいことが特徴でした。とくに言葉のチョイスは秀逸で、プロライターでもできないようなキラリと光る表現が必ず入っていました。だからタイトル付けなどもすぐにできました。


ところで、レッドブルウェブは専門の編集チームがいるようで、ここがちゃんと編集の仕事をしていることに感心しました(上から目線の言い方ですみません)。記事のテーマ・分量・締め切りを明確に提示し、原稿提出後はそれをちゃんと読み込んでタイトルやリードを付け、ふさわしい写真のチョイスと並びを考えてくれました。


私が書いた記事のトップ画像に使われている手のアップの写真は、本来タテ写真で顔まで写っているものだったのです(顔はピントを外してボカしていましたが)。それを「手だけのアップにトリミングしていいですか」と提案してきたのは編集部で、そのおかげでものすごく印象的なトップ画像になりました。編集部に感謝。


これ本来、まさに雑誌編集部の仕事だったのですが、近ごろここまでやれる雑誌編集部は少なくなっていて、こんなところにも時代の流れを感じてしまいましたな~。

2016年2月19日金曜日

服部文祥、初の文学賞受賞

サバイバル登山家として知られる服部文祥さんが、梅棹忠夫山と探検文学賞なる賞を受賞した(受賞作品は『ツンドラ・サバイバル』)。


梅棹忠夫というと、探検界ではカリスマのひとりであり、私も学生時代には著書をよく読んだ。なので、文学賞としてはマイナーだが、知り合いの受賞には感慨深いものがある。


が、これまで全5回の受賞者5人のうち、これで3人が知り合い(第1回の角幡唯介、第3回の高野秀行)。山と探検文学界どんだけ狭いの!


さらに、この賞の創設には、山岳編集者としての私の師、神長幹雄さんが深くかかわっている。神長さんは、私が『山と溪谷』の編集部に配属になったときの編集長であり、雑誌編集の心得はほとんどこの人から学んだ。


もっとも印象深い教えは、

「校了日にオレの机に校了紙を置いてくれさえすれば、普段は何していたっていい。会社に来なくてパチンコしていてもかまわない」

というもの。


20代で若かった私は、この言葉にいたく感じ入り、現在に至るまでこの教えを忠実に守っている(いまは会社員じゃないけど)。


……と、教えを忠実に守った私がダメであることからもわかるように、神長さんという人は、本当にダメな人なのであった。もうダメダメなのである。


高野秀行さんが受賞したとき、この神長さんから受賞の連絡があったらしい。神長さんが私の元上司であることを知って、高野さんが連絡してきた。


高野「神長さんってどんな人なの?」
森山「え? どんな人って?」
高野「いや、受賞の連絡をもらったんだけど、なんだか異常に恐縮してるんだよ」
森山「どういうことですか?」
高野「『こんな小さな賞で申し訳ないんですけれど……』とか、『賞金も本当に些少で、こんなので受けていただけるか……』とか、そんなことばっかり言うんだよね」
森山「ああ……。なんかわかります」
高野「だんだん詐欺じゃないかと思えてきてさあ」
森山「あっはっは。そういう人なんですよ、神長さんって。その恐縮には何も意味はありません」
高野「そうなの」
森山「そうです。ところで賞金っていくらなんですか」
高野「50万」
森山「えーっ、些少じゃないじゃないですか」
高野「そうそう、本当なら喜んで受け取りたいんだけど、神長さんがあまりに怪しいから、50万取られることになるのかと思えてきてさあ……」


高野さんはとりあえず安心して受賞することにしたのだが、授賞式までにも、なんかまたすったもんだがあったらしい(具体的なことは忘れてしまった)。


これだけじゃあ、神長さんのダメぶりは全然伝えられない。まだまだいろいろあるのだけど、仕事の合間にふと書き始めたブログで、もう仕事に戻らなきゃいけないので、とりあえずここまで。


愛すべきダメオヤジ、神長幹雄物語。また機会をあらためて書いてみたい。






服部さんの受賞ニュースを書くつもりだったのに、いつの間にか神長さんの話になっちまった!




2015年11月7日土曜日

アイゼンなのかクランポンなのか

登山に関する用語で、それまで一般的に使われていた呼び名を私が変えてしまったというものがいくつかあります。


ビレイディバイス
これとかこれのことです。確保器ともいいます。


2002年に発行された『ROCK & SNOW』で、ビレイデバイスの特集記事を作ったことがあります。
その冒頭の文章を書いていただいた山本和幸さんという人が言葉に厳密な人で、文章中すべて「ビレイディバイス」という表記を使っていました。
それまでは「ビレイデバイス」とみんな呼んでいたのですが、確かに綴り(Device)からすると「ディバイス」のほうが正しいようだ。
そこで、この特集記事ではすべて「ビレイディバイス」という表記を使ったのでした。


するとその後、クライミングギアメーカーのカタログやインターネット上で「ビレイディバイス」という表記が急に増えていきました。
クライミング界でのROCK&SNOWの影響力というのはかなり大きく、とくに人名や用語の表記はここで使われたものがクライミング界全体のスタンダードとなることが多いのです。
それまでまったく聞いたことがなかった「ビレイディバイス」が急速に増えていったのは、ROCK&SNOWの記事のせいであることは間違いありませんでした。


それを見て私は、ひとり「やっちまった感」を抱いていました。


高校生のころに私は、『BURRN!』というヘビーメタル雑誌が好きでよく読んでいました。
この雑誌には「ブルーズ」という言葉がよく出てきました。

「『ブルーズ』ってなんだ? 文脈からするとブルースのことらしいけど、わざわざ濁点をつけているということは、普通のブルースとはニュアンスの違うジャンルを表現しているんだろうか?」

高校生の私はそんなことを思ったりもしていたのですが、実のところはなんのことはなく、ブルースを発音に忠実な表記にしているだけなのでした。


やはりその当時好きなSF作家にマイクル・クライトンという人がいました。
『アンドロメダ病原体』とか、独特の不気味なトーンが漂っていて、かなりお気に入りだったものです。
その後、『ジュラシックパーク』でだれもが知るビッグネームとなるのですが、テレビや雑誌などでは「マイケル・クライトン」と紹介されているのです。

「ん? マイケル? あれ? 別人か? いや、でも、そんなわけは……」

もちろん別人なんかではなく、クライトンをいち早く日本に紹介した早川書房が「マイクル」という表記を使っていただけなのであります。
ちなみに綴りはMichael Crichton。
Michaelという名前は、日本では通常マイケルと表記しますよね。マイクル・ジャクソンとはいわないもんね。


このふたつのことから何が言えるか。


『BURRN!』も早川書房も、専門なだけに原音に忠実であろうとしたのだと思います。
確かにブルースは英語では「ブルーズ」と発音するし、マイケルも音的には「マイコォ」とか「マイクル」のほうが近いです。
しかしその結果として、(少なくとも私には)無用な事実の混乱を招いてしまったのです。


まわりくどくなりましたが、ビレイディバイスで私が「やっちまった感」を抱いたのは、これらの経験によります。
それまでデバイスと呼んでいたものがディバイスに変われば、何か別物になったのじゃないかと思われる可能性がある。
原音に正確であろうとした結果、それより重要であるはずの意味の混乱を招く。
それでは言葉として本末転倒なのではないか。だったら、多少発音が不正確でもすでに一般的になっている表記を使うべきなのではないか。
「デバイス」という言葉は当時から一般的に使われていて(デジタルデバイスとか)、そこをわざわざ「ディバイス」にする必要はなかった。いや、するべきではなかった。
……と、反省したのです。


しかし、「前号で『ディバイス』と表記したのは撤回します」と訂正を出すわけにもいかず、「ビレイディバイス」が普及していくのを心苦しく眺めることしかできませんでした。


というわけで、13年越しに「ビレイディバイス」の表記をここで撤回させていただきたく思います。実際、私は記事で「ディバイス」という表記を使っておきながら、この13年間、自分ではずっと「ビレイデバイス」と呼んでいました。ROCK&SNOW以外の場所では、書く際も「ビレイデバイス」としていました。申し訳ありませんでした。


というところで、長くなりましたがこの話題は終了……しようとしたのですが、ふと思いついて一応確認してみたところ、驚愕の事実が!
ここを開いて、三角マークをクリックしてみてください。
……「デバイス」って言ってない? そう聞こえますよね? 明らかに「ディバイス」じゃないよね!?


原音に正確であろうとした結果、無用な混乱を招いただけでなく、肝心の原音すら勘違いだったってことか!?
なんだかダブルで「やっちまった」のかも……。



アックス


アイスクライミングなどで使うクライミング用のピッケルのことです。
以前は「アイスバイル」あるいは略して「バイル」と呼ぶことが多かったのですが、近ごろは「アックス」と呼ぶほうが一般的です。
この呼び名の変化も私が原因——とまではいいませんが、私が後押しした可能性は濃厚です。


アイスバイルというのはドイツ語で(Eisbeil)、アイスハンマーという意味です。
しかし日本ではハンマーではなくアッズ(ブレード)の付いているタイプも一緒くたにアイスバイルと呼んでいました。ドイツ語でいくなら、そちらはアイスピッケル(Eispickel)と呼ばなければいけないのに。
そのへんの不整合性は、いちクライマーとしてはどっちでもいいことだったんですが、記事を書く立場としてはどうしても気になって、アイスバイルという言葉を使いたくなかったのです。


一方で、当時すでに「アックス」という呼称も一部で使われ始めていました。
アックスは英語Ice Axeの略。これならハンマータイプもアッズタイプもどちらでもOK。
ならばそれでいこう。
そう思った私は、ROCK&SNOW誌面ではすべて「アックス」という用語を使うようにしたのでした。


当時、ROCK&SNOW誌でのアイスクライミング記事は私が担当することが多く、必然、同誌では「アックス」という用語で統一されていくようになりました。
一般クライマーの間で「バイル」という呼称を聞く機会が減り、逆に「アックス」が増えていくようになったのもこのころと記憶しています。
私が変えたわけではないのですが、影響を与えた可能性は高いでしょう。


ところでクライミング用語は近年でも呼び方が変わったものがいくつかあり、その代表格は「ロープ」だと思います。
私がクライミングを始めた25年前は、「ザイル」という呼び方のほうが一般的だったように記憶しているのですが、今のクライマーは「ロープ」と呼ぶほうが普通です。
クライミング界は一般登山界よりも海外との交流が多い世界なので、英語に統一しようという気運が働いたのかもしれません。
いずれにしろ、一般社会的にもあれほど浸透した「ザイル」の呼称は意外なほど簡単に廃れ、やっている人の間では「ロープ」に換わってしまいました。
「ザイル」よりも「ロープ」のほうが若干発音しやすかったからではないかなと推測しています。
やっている人は頻繁にその言葉を口にしますからね。音数が少なく、言いやすく伝わりやすい言葉があれば、慣れ親しんだ言葉でも意外なほど簡単に捨て去ってしまうのだと思います。



バックパック


一般的に「ザック」と呼ばれているものです。
ザックはドイツ語ルックザック(Rucksack)の略、バックパック(Backpack)は英語で、同じものを指しています。
要は背中に背負うバッグのことです。


これについては、意図的にひとつの試みをしたことがあります。
『PEAKS』の創刊時から、「バックパック」という言葉で統一したのです。
理由は3つありました。


1.PEAKSの基となったアウトドア・フリーマガジン『フィールドライフ』では「バックパック」という用語を使っていた
2.旧来の登山雑誌と違う新味を表現したかった
3.登山用語は各国語が入り乱れているため、初心者にとってはわかりにくく、できるだけ統一したかった


こうした意図のもと、PEAKSでは創刊号からすべて「バックパック」と表記しました。
年配の方が書いた原稿などで、「バックパック」とするとあまりに違和感が強い場合をのぞき、「ザック」は基本的に封印。それは私が編集部を辞めたあと、現在に至るも続いています。


その間、PEAKS以外の場所でも「バックパック」という表記を見る機会が少しずつ増えてきました。
しかし「ザック」の浸透度は根強く、「バックパック」に置き換わる気配は見えません。
置き換わるにしても、今後まだまだ長い時間が必要に思えます。
バイルがアックスにあっさり換わったのに比べると、ザックのしぶとさが際立ちます。


その大きな理由は、「ザイル」のときと同じ、「音数」の問題ではないかと思われます。
「ザック」に比べて「バックパック」は発音数が倍になり、圧倒的に言いづらい。
ならばと「パック」と略してしまうと、なんのことかわかりにくくなってしまう。
これが「バックパック」が普及しにくい理由ではないかと思います。


こうしていろいろ考えると、「バックパック」を採用した試みには意味があったんだろうかと思わなくもありません。
ビレイディバイスのときのように、言葉を変えることで意味の混乱を招いているかもしれない。
なによりも、私自身がザック派です。自分でバックパックにしておきながら、自分でしゃべるときは「バックパック」なんてしゃらくさくて口にできません。


まあ、でも、四半世紀「ザック」で育ってしまった私のような世代はもういいんです。ほっとけば。
それよりも今後、登山の世界に入ってくる人たちにとって少しでもわかりやすくて便利な言葉はなにか。
そのときに英語にこだわりたい理由は、レスキュー界の話を聞いたことによります。
レスキューの世界でもやはり各国語が入り乱れていたそうです。
しかしそれでは、異なる地域の人たちが集まってレスキューに取り組むときに、使う用語が違うことによる混乱が生じたため、業界あげて意図的に英語に統一ということを進めているそうです。
登山でも、かかわる人が多様になっていくことを見据えれば、用語の統一は必要なことなんじゃないか……と思うのです。



クランポン


アイゼンのことです。
これとかこれとか


アイゼンはドイツ語シュタイクアイゼン(Steigeisen)の略、クランポン(Crampons)は英語です(フランス語でもクランポン)。


バックパックとまったく同じ構造ですね。
言葉の普及度からしても、「ザックvsバックパック」と「アイゼンvsクランポン」はほぼ同じような感じです。


これについても、最近、ひとつの試みをしてみました。
10月末に、私がメイン編集をした『最新雪山ギアガイド』という本が出たのですが、そのなかでは「クランポン」に表記を統一したのです。
これについては、バックパックほど明確な主張があったわけではありません。
表記はできれば英語に統一したほうがよいという基本理念と、メーカーを中心に少しずつクランポン表記が増えている現状を鑑みてのことです(上にあげたリンクはどちらも「クランポン」になっています)。


で、今後クランポンが普及するかどうか。
これは微妙ですね。
音でいえば、「アイゼン」と「クランポン」に言いやすさの決定的な差はありません。
どちらかというとアイゼンのほうが言いやすいかな。
ただ、ザックとバックパックに比べれば、その差はわずか。
だから今後クランポンが普及することもあり得るようには思います。


そしてこれまたバックパックと同じで、私自身はアイゼン派です。
四半世紀この言葉を使い続けていますからね。
ただしクランポンにはバックパックほど抵抗感はなく、今後宗旨替えをする可能性はあります。
抵抗感が少ないのはなぜかと言われても、理由はよくわからないんですが。



まとめ


用語のことをつらつら書き始めたら、日々考えていたことがどんどん出てきて、異常に長いエントリーになってしまいました。
ライターや編集という仕事をしていると、言葉の問題というのは考えさせられる機会が多く、言いたいことはいくらでもあるのです。
そして突き詰めれば突き詰めるほど矛盾があらわになってきて、迷いも増えていきます。
言葉というのは最初に体系的に作られるものではなく、自然発生的に使われているものの集合体なので、矛盾は絶対にあるのです。
だから文章においても、日々迷いと試行錯誤の連続なわけです。


そんなことにも少し注意して本を読んでいただければ、いままで気づかなかった発見もあるのではないかなと思います。
と、異常に長い文章のオチが、自分がかかわった本の宣伝という、ヒドいエントリーになってしまいました(笑)。






2015年10月4日日曜日

『Fall Line』に記事書きました


写真は私の本棚のなかで「コア・ゾーン」と呼ばれている箇所です。
要するに、クライミングを中心としたコアスポーツの本の置き場というわけです。


その一角にバックカントリーコーナーがありまして、
そこに『Fall Line』という雑誌が十数冊並んでいます。
最初に買ったのは2004年。
基本年1回刊なので、コツコツ集めて十数冊になりました。
これは必ずしも資料というわけではなく、趣味です、趣味。
とにかく美しい雑誌で、そのファンなのです。


このたび、その雑誌に記事を書かせていただきました。
雑誌に自分の文章が載ったり名前が出たりしても何も感じなくなって久しいですが、
『Fall Line』に載るというのは特別な感慨があります。
というわけで、ここで自慢するものであります。



書いたのはアウトドアメーカー「パタゴニア」の環境理念について。
なかなか重たいテーマで苦労しましたが、6000字書いております。
めちゃめちゃ凝った年表も作りました。


記事冒頭の写真は、1972年に出た伝説のシュイナード・イクイップメント第一号カタログ(の復刻)。
写真も自分で撮ったのですが、カラビナは私物のシュイナード・イクイップメント製。
カタログのページを押さえるためにふと思いついて置いてみたところ、絵的にも決まりました。


内容からするとカラビナよりスリングチョックのほうが合っているんですが、
さすがにそれは持っていないし、ページができあがってから気づいてしまったので、
持っている人を探す時間もありませんでした。
内容だけでなく、形とか色合い的にもいいアクセントになったはずなんだけどなあ。
それだけが残念。


ところで、冒頭のコア・ゾーンの写真の真ん中あたりに
「95スキーマップル東日本」という本が写っています。
スキー場のガイドブックなのですが、これはすさまじい本です。
どうすさまじいのかはひとことで説明するのが困難です。
ジャンルは違いますが、私のガイドブック作りのベンチマークとなっているのがこの本です。
とはいえ、到底このクオリティにかなうものは作れたためしがありません。
もう二度とこのレベルのガイドブックは出ないのではないかとさえ思います。
この本を作ったのは寺倉力さんという編集者兼ライター。
じつは『Fall Line』のメイン編集者でもあるのです。
雑誌にしろガイドブックにしろ、寺倉さんのクオリティに追いつくことが私の目標でもあります。


さてそのFall Lineは昨日3日発売。
ぜひ見てください!







2015年8月10日月曜日

商品紹介文はどう書くのが正解なのか

SONY α7R II | SHOOTING REPORT

NIKE AIR MAX 95 ULTRA


つらつらとインターネットを見ていて気になったふたつのページ。
どちらも商品の紹介。要は宣伝文です。
ものすごい好対照に感じたのでメモ。


どちらに魅力を感じますか?
商品自体のことじゃなくて、文章として。
より正確にいうと、これを読んで商品を買いたくなるのはどちらか。


私はいうまでもなく前者のソニー。
これを書いた人はかなりうまいな!と思いました(NBというイニシャルしか記されていないけど)。


それに対して後者のナイキは頭どうかしてるんじゃないかという文章。
これは日本語なんでしょうか。


しかし広告の現場では、こういうナイキみたいな文章が好まれるケースもある。
こんな文章読んで商品に興味を持ったり買いたくなったりするわけないと思うんだけど、
こういうのが採用されるということは、効果があるということなんでしょうか?
それともエアマックスみたいな超有名商品は文章の説明なんか不要なので、
なんとなくの単語だけ並べておけばそれでいいということなんでしょうか。
どう考えてもこれでいいとは思えないんだけどな。
うーん、わからん。


まあでも、ソニーのカメラ欲しくなってしまいましたよ。
やるじゃんNB。




2015年5月26日火曜日

すごいクライミングガイドブックができたぞ


4月20日に瑞牆山のクライミングガイドブックが発売されました。刊行元はPUMPというクライミングジム。


一読衝撃。よくぞまあここまで調べたものだと。瑞牆山にあるクライミングルートは全部で600本以上。2年間かけてそのほとんどを登り直して情報をまとめあげたそうです。上下巻に分かれていて、合わせると500ページ以上。すさまじいボリュームです。


ふたつめの衝撃は、これを作ったのが本の製作未経験の人であること(経験者の助力は受けていますが)。しかし見てもらえばわかりますが、本の構成やデザインに素人くささはなく、内容の詳しさと正確性は出版社製の本をはるかに上回っています。


その首謀者&著者であるPUMPの代表・内藤直也さんに製作の裏側を聞く機会を得ました。詳しくは6月4日発売の『ROCK & SNOW』を読んでほしいのですが、そりゃあもう刺激を受けました。


・ボリューム(体裁やページ数)は最初に決めない
・聞き書きではなく、現地に自ら足を運んで調査
・それに100日以上かける
・500ページを3カ月で書き上げた
・ルート図も自分で描く
・オンデマンドで現物を一回作ってから広告営業する


どれも出版社にはなかなかできない話です。でも全部まっとうな本作りの方法と思えました(執筆のスピードは異常ですが)。


考えてみると、私がここ一、二年、中身も価格もろくに見ずに即決で買った本は、出版社ではないところが出しているものが多いです。
これとか
これとか
これとか
これ
どれも5000円前後とかの高額な本です。でも値段は関係ないんです。「これは絶対に手元に置いておきたい」という圧倒的なパワーと熱があるのです。


瑞牆のガイドブックにも、内藤さんの常軌を逸した(という表現がふさわしい)情熱が注がれています。そんな本がつまらないわけがないのです。


本作りに携わるものとして、内藤さんの話は刺激に満ちていました。出版社出身者としてがんばらなきゃなと思うと同時に、襟を正さねばとも。


インタビューは↓に載る予定です。ぜひ読んでみてください!


2015年5月4日月曜日

登山雑誌の「タイアップ」(1)

近ごろ「ネイティブアド」という言葉をよく聞きます。
要は、広告っぽく見えず、前後の記事や流れに「自然になじんだ」広告ということらしい。
これがインターネット上で熱い議論になっています。


まずはこんな意見。
ネイティブアドよ、死語になれ。

これに対する反論的なもの。
男・徳力基彦、ネイティブ広告の時代の勘違い野郎共に物申す

「インターネット広告推進協議会」というところがあって、そこが一定のガイドラインを作ろうという動きがあるそうですが、なかなか利害は一致しないようです。
「ネイティブ広告」の推奨規定、JIAAが新たに策定


僕は主に紙媒体で仕事をしているのだけど、「他人事ではないな」と注目しています。
雑誌でもよくある「タイアップ記事」というのは、要はネイティブアドだからです。


ここ10年くらい、登山雑誌でもメーカーなどがお金を出して特定の商品のPRを目的とした記事が増えました。
それを「タイアップ記事」と呼んでいます。
15年前は登山雑誌にはほとんどなかったのだけど、10年くらい前からどんどん増えています。
そして一般記事との「なじみ具合」もどんどん進んでいるような気がします。


で、上のリンクなどで議論されているのは、そういう記事には「PR」とか「広告」というクレジットを明示すべきか否かということなのですが、こと登山雑誌ではそうしたクレジットが入っているものは見た記憶がありません。
僕のようなプロ(という言い方もなんですが)が見るとだいたい「ああ、これはタイアップだな」とわかるのですが、なかには「ちょっとわからない」というものもあります。
内容や文体から「タイアップくさい」と思えるのだけど、「ちがうかもしれない」という微妙なものもあるわけです。
今の時代、一般読者もそこはけっこう見破っているんじゃないかとは思うのですが。


この問題に関しては僕も意見はあるのですが、それ以前に、ネット上の議論を見ていて思ったのは、「うらやましい」ということでした。


なにがうらやましいかというと、ネットがです。
雑誌でも週刊誌や経済誌は「PR」クレジットを入れることが定着しているけれど、趣味系の雑誌にはそんなガイドラインはほとんどありません。女性誌なんてタイアップの総本山みたいな存在だけどなにかあるんでしょうか。
雑誌はそんな感じで、業界的・統一的な議論が巻き起こる機運がほとんどありません。
出版業界や登山界ってのは良くも悪くも個人主義が強くて、横断的な議論をしようとか知識やノウハウの共有をしようというムードがすごく薄い世界なんですよね。
それはつまらないと個人的には思っていて、だから、業界あげて熱く議論を戦わせるネットがうらやましいと感じたわけです。


この流れはそのうち雑誌にもおよんでくるはずだし、無関係ではいられないという危機感に近い思いもあって、出版界も考えておく必要があると思っているのです。


ついては自分の意見についても書いておこうと思ったんですが、長くなりそうなので次回に。

2015年4月15日水曜日

オーカクの新たなチャレンジ



きょう発売のPEAKSを見た人は気づいているだろうが、編集部の大格宗一郎が退社することになった。


大格は私が編集部にいたころに新卒で入ってきた男で、2年ほど同僚として働いた仲だ。
月刊誌の編集というのはいつも忙しく、みんなでひとつのものを作り上げるという関係上コミュニケーションも自然と密になるもので、これまで山と溪谷にしろPEAKSにしろ、雑誌編集部でいっしょに仕事をした人間は同志というか戦友的感覚が個人的に強い。
そのひとりが編集部を離れるというのは端的に言って寂しい(そういう自分が先に編集部を辞めているので勝手なもんだが)。


しかし次の職場はあのSPA!だという。
もともと就活時代からSPA!を志望していたそうで、中途の募集があったので受けてみたら受かったらしい。
どう見てもPEAKSよりSPA!のほうが大格に向いていることは私もよくわかるので、「よかったね」というほかない。


大格がPEAKS編集部に入ってきたのは2011年の春。
最初の自己紹介で「アイドルの研究が趣味です」とニヤケ顔で言う。「このツカミはきいたろ」と本人が内心で悦に入っているのが目に見えるようであった。なんだか妙に調子のいいところがあり、中身はあまりなさそうな男に見えた。
「こいつはあまり使えなさそうだな」
というのが私の第一印象だった。


その第一印象は半分当たっていて半分間違っていた。


大格の書く文章はダントツで面白かった。
いまやPEAKSの名物になっているコラム「オーカクチャレンジ」。
もともとは読者ページの片隅でひっそりと大格が始めたコーナーなのだが、当時、夜中の編集部で校了紙を読んでいた私は目が釘付けになり、読了した瞬間、「オーカク、おまえは天才だ!!」と叫んだ覚えがある。
そう感じたのは私だけでないはずだ。その後、「PEAKSはオーカクチャレンジから読みます」という声を何度となく聞いたことからもそれは証明されている。


一方で、ある程度ワクが決まった文章を書かせるとひどかった。
たとえば定例の情報ページで新しい登山用具を紹介する文章だとすると、大格が書く文章はいつも決まっている。こんな感じだ。

1)現在の登山用具についてどうでもいい枕言葉で始まる。
2)「しかし」ときて、その問題点をいくつか薄っぺらく語る。
3)「そこでこれである」と、新製品の紹介を始める。
4)「この夏、あなたも試してみてはいかがだろうか」と締める。

おまえはテレフォンショッピングか!と言いたいくらいの見事な様式美だ。
一時など8割くらいの文章が「いかがだろうか」で終わっているので、いい加減にしろとよく言っていた。
オーカクチャレンジみたいな魅力的な文章を書ける男が、情報ページとなるとどうしてこんな平均以下の文章しか書けないのか不思議でしかたなかった。


仕事の要領もいいとはいえなかった。
自分の仕事の段取りもぼろぼろであるうえ、何か頼み事をしても10回のうち7回は忘れる。あまりにも忘れることが多いので、そのうち私は重要なことは頼まないようになった。
ルーティーン的な仕事や事務的な作業には人三倍才能がない男だった。
大格の愛する野球にたとえれば、どんな球でもヒットにしてしまうイチローのようなアベレージヒッタータイプでは決してなく、当たれば飛ぶけど、当たらなければ全部三振に終わる近鉄のブライアントのようなやつだったといえるだろう。


この男は放し飼いにしてこそ生きるのだということが半年もすればわかってきた。
そのころ、大格の実家がマルタイラーメンの工場の近くだということを聞き、「じゃ、棒ラーメンの記事作って」と6ページ丸投げしたことがある。
半年の新人にとって6ページを一から作るのはかなりな大事である。
大格は福岡に現地取材に飛び、校了ぎりぎりまで粘って面白い記事を仕上げてくれた。
棒ラーメン愛好家インタビュー、マルタイ工場潜入ルポ、圧巻は棒ラーメン全40種類カタログ。棒ラーメンってこんなにあったんだ!と私は驚いた。読者もそうであったに違いない。
いまだかつて棒ラーメンについてここまで深く迫った記事はあっただろうか。
PEAKSのなかで個人的に記憶に残る記事はいくつかあるのだが、これはそのトップ10に入っている。


そんな大格であるが、私が編集部を辞めたあと、編集者として明らかな成長を見せた。
まず、電話やメールに確実に返事をしてくるようになったのは大きな進歩だ(当たり前のことと言わないでほしい)。
巻頭特集もまかされるようになり、彼なりに考え、がんばっていることは伝わってきていた。
打ち合わせをしても、以前はどうにも手応えのない反応しかなかったのだが、最近は的確なツッコミや独自なアイデアを入れてくるようになった。
掲載誌の発送は頼んでもまた忘れられそうで怖いので、相変わらず大格ではなくバイトの子に頼んではいたけれど。







SPA!の方々、ソツなく仕事をまわしてくれるオールマイティな編集者が欲しかったのなら、大格を採ったのは間違いです。
「とにかく面白い記事作ってくれ。よろしく!」とだけ言って放り出すことをすすめます。そうしたらきっとグラビアン魂に匹敵するような名物コーナーを作ってくれると思いますので。


ということで、久しぶりにSPA!買ってみようかな。
みなさんも読んでみてあげてください。
そして「いかがだろうか」で終わっている文章があったら、「オーカク、おまえがやるべき仕事はこれじゃないだろ!」とつっこんでやってください(笑)。





【おまけ】


これが記念すべき「オーカクチャレンジ」第1回。企画の内容をきちんと汲み取ってこのバカっぽいタイトルロゴを作ってくれたデザイナーのナイス仕事が光る。サブタイトルの「特別緊急企画」は結局最終回までそのままだった。(2011年10月号)


オーカクチャレンジの2号前に始まっていた幻の企画「PEAKSわらしべ長者」。企画に応募してくれた読者と物々交換を繰り返して登山用具を入手するというもの。大格が自分のアイデアで作った初の企画。(2011年8月号)


その次の号で早速終了。「理由はお察し下さい」を読んで、私はコーヒーを鼻から吹きそうになった。あとにも先にも、大格の文章を読んでいちばん笑ったのは実はこれだったりする。ちなみにオーカクチャレンジの「特別緊急企画」には、このわらしべ長者がいきなり企画倒れになったために緊急に始めた企画という意味が込められていたのである。(2011年9月号)