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2016年2月16日火曜日

岡田准一インタビュー

昨日15日発売の『岳人』に、岡田准一さんのインタビュー記事を書きました。岡田さんは、3月に公開される映画『エヴェレスト 神々の山嶺』に主演しているので、それに合わせた企画というわけです。


もともと岡田さんは個人的にけっこう好きな俳優で、昔、『SP』というドラマを毎週見ていました(このドラマ、深夜枠だったんだけど、かなりクオリティ高い番組でした)。それから、岡田さんは趣味で登山やボルダリングをやるという噂が昔からあって、それは本当なのか? ということにも興味がありました。


しかし、インタビューの持ち時間はわずか30分。その間に写真撮影もしなくてはならず、話が聞けるのは実質20分というところ。それじゃあなにも聞けないよ……。その後、編集部が交渉してくれて、1時間になりました。ただし、アウトドア系3誌(岳人、山と溪谷、ランドネ)の合同インタビュー45分+個別インタビュー各誌5分というかたち。


30分よりはマシだけど、余裕はほとんどない。通常のインタビューでは軽く雑談から入って口を温めて、簡単な質問から徐々に深い質問に移っていくという流れをとるのだけど、今回は最初から全開でいくしかないな。ということで、質問項目とその流れを完璧に作り込んでインタビューに臨みました。


結果としては、限られた時間にしては深い話もできて、満足のいく取材になりました。登山やクライミングをやっているというのも本当のようでした。印象的だったのは、「これまでどんな山を登ってきたか」という質問に、岡田さんが「最近では西穂や瑞牆に登りました」と答えたところ。ここ、山にそれほど詳しくない人だったら「西穂高岳や瑞牆山に登りました」と答えるはずなんです。山やってる人ならではの略称がさらっと出てきたところに、本気度を感じましたね。


通常のインタビュー記事であれば、取材時に「西穂」「瑞牆」と略してしゃべったとしても、原稿にするときには「西穂高岳」「瑞牆山」と正式名にするところなのですが、今回はあえてそのままにしました。岡田さんの「やってる感」を『岳人』の読者には感じてほしかったからです。


のっけからそれだったので、これは山の話でいけると踏み、想定していた以上にエベレストや登山の話を掘り下げる方向で質問をしていきました。映画自体の普通の話はほかのところでも読めますしね。岡田さんも「こんなこと話していいのかな」と言いつつ、山での爆笑話をしてくれたりしたので、よかったんじゃないでしょうか(残念ながら原稿には入れられませんでしたが)。


まあ、でも、インタビューの時間制限はホントに厳しくて、終了時間が迫ってくると、岡田さんの後方に座っているスタッフが「あと10分」とか「あと3分」とかスケッチブックに書いたカンペを出してくるんですよ。それは岡田さんからは見えないんだけど、私たちにははっきり見えるわけです。あれはあせった。あんなの初めてでした。


というのも、岡田さんはこの日、私たち含めて10誌以上の取材を受けることになっていました。スタッフが持っていた時間表をちらっと見たのですが、朝から夜まで5分単位でスケジュールがぎっしりなんですよ。インタビューして撮影して、着替えてまた別のインタビューへ……。そしてそのたびに同じことを聞かれるはずなんです(「映画の見どころは?」とか「エベレストでの撮影はどうでしたか?」とか)。疲れてるはずなのにそんな素振りも見せずに答えてくれた岡田さんに感謝です。


今回はいわば「番宣」記事なので、上っ面の話に終始してしまう可能性もあるなと思っていたのですが、それは杞憂に終わりました。映画の裏話や山の話で盛り上がったのはもちろん、俳優としての演技の話が個人的に非常に面白く、その話だけもう1時間くらい聞きたいと思ったほど(掲載雑誌の趣旨からして深く突っ込むことができず残念)。結果的に4ページの文字数におさめるのに苦労したほどでした。いい話だったのに泣く泣く落とした話も3つありました。23日に発売で最後発になる『ランドネ』でそこが生かされていればいいのだけど。


で、やっぱり気になるので、『岳人』と同じく15日発売の『山と溪谷』を夕方に立ち読みしてきました。結果! 原稿の内容ほとんど同じ! うわ~、マジかよ~。こうなるとイヤだなと思って、原稿を作るときに3誌で調整しようかともチラッと思ったんですが、なんか談合めいていやらしいような気もして、結局ほとんどやらなかったのです。後悔。


でも、5分の単独取材時間(+撮影時の立ち話7分ほど)に核心となり得る質問を用意していたので、そこで聞いた話をできるだけ厚く原稿に盛り込みました。そこはヤマケイにもランドネにも載ってないぞ!




あ、あと、今月の岳人、このインタビュー記事のほかに、めずらしく学生時代の昔話を書いています。なんの話かというとUFOの話です。そちらもどうぞ。



2016年1月17日日曜日

登山は、数ある選択肢の中から最良のものを選び出せるかどうか

『岳人』を読んでいたら、いい言葉があったのでメモ。

結局登山は、体が動くかどうか以前に、数ある選択肢の中から、最良のものを的確に選び出せるかどうかである。(中略)選択肢がたくさんあって、どれを選んでも問題のない山は、簡単な山。的確に選択できれば問題ない山が、中級の山。唯一の選択肢すら多少のリスクを含んでいるのが、難しい山、ということになるのだろうか。
(2015年10月号「今夜も焚き火を見つめながら」服部文祥)

つい最近、雑誌に「登山の実力を決めるのは、体力・技術・判断力の3要素」というようなことを書いたばかりなので、かなりピンときました。
服部さんは判断力のことを言っているのだけど、これが第一であることは、そのとおりだよね。
でもガイドブックのグレード表記には、体力と技術の指標は書いてあっても判断力の指標は書いていない。
そこがいちばん重要なんだけど、数値化はしにくいからなあ。


私もずっと同じように考えていたのだけど、
最近、やっぱり体力も重要だと思うようにもなりました。
体力がないと、正しい判断ができなくなる。
体が疲れると、考える能力が奪われるわけです。
登山経験が豊富なベテランが遭難するときは、こういうことなんじゃないでしょうか。


40代になってから、体力とは意識的に維持しないと衰えていくのだということを身をもって知りました。
判断力はあるつもりなんだけど、疲れてそれを生かせないような経験も何度かしたので、今年は体力増強をテーマにやっていきたいと思っています。

2015年11月17日火曜日

バックカントリーギア界に大型新人現る

かつて、山と溪谷編集部にいたころ、登山用具メーカーの展示会や業界のイベントなどに行くと、必ず顔を合わせる男がいました。
それこそ必ずいました。私は全部に行っていたわけではないのだけれど、おそらくその男は私が行っていない場にも絶対いたと思われます。
同じように顔を合わせる同業者は他にもいたけれど、遭遇率の高さはダントツでナンバーワンでした。
当時、東京新聞出版局で発行していた『岳人』の広告担当部員・笹目達也という男です。


読者にとって、雑誌の編集部員は誌面でも名前や顔が出てくる機会も多いためなじみがあるかもしれません。一方で広告部員の存在はまったくといっていいほど知られていないと思います。
しかし、雑誌の売上は書店半分、広告半分といわれます。
雑誌が成り立つために優秀な編集部員の存在は欠かせませんが、
まったく同じウエイトで、優秀な広告部員の存在も欠かせないのです。
笹目さんは20代のころから、岳人の広告をたったひとりで担当していました。


当初は、体だけ大きくてなんだかもっさりした印象しかなかったのですが、上に書いたようにどこに行っても必ずいるのです。
そのフットワークの軽さは、他誌の広告営業マンと比較しても群を抜いていました。
と書くと、たんに足で稼ぐドブ板営業だけの男のようにも聞こえますが、ドブ板もここまで群を抜くとだれにも真似できない価値を持つものです。
実際、どこに行っても「岳人の笹目」の話を聞く機会が増えていきました。


そんなころ、私は枻出版社に移り、PEAKSの創刊に携わりました。
当時の枻出版社は山やアウトドアに詳しい人材が少なく、とくに広告担当の戦力不足は明らかでした。
「だれか登山業界に詳しい広告マンはいないかな……」
と考えたときに、真っ先に頭に浮かんだのが笹目さんでした。
登山雑誌広告界のエースといえば、笹目さんしかいないと思われたのです。


なにかのおりに会ったときに、「笹目さん、PEAKSの広告やってくれないかな」と持ちかけてみたことがあります。
笹目さんはにやにやするのみでした。
それは無理もなく、東京新聞というのは、新聞業界のなかでも比較的経営の安定した会社で、給料はそれなりに高かったはずなのです。
海のものとも山のものともつかぬ新参雑誌に移ってくれるはずもありません。
「まあ、そうだよね……」と言って引き下がるしかありませんでした。


ご存じのとおり岳人は、昨年の8月号を最後に、65年続いた東京新聞からの発行に終わりを告げ、9月号からモンベル(ネイチュアエンタープライズ)の発行となりました。


東京新聞時代の岳人編集部は広告にあまり関心がないようでした。
それは広告に左右されない誌面の高潔さという長所を生んでいた一方で、採算という面ではマイナスに働いていたはずです。
東京新聞という金持ちの親がいたからこそ維持されてはいましたが、こういう事態は時間の問題だったのでしょう。


おそらく笹目さんは、すねかじりのままじゃいけないと、なんとかしようとしていたのだと思います。
しかし編集部員は何十年とやっているベテランの人ばかりで、ひとりしかいない若造広告部員の言うことなぞ、なかなか聞いてはもらえなかったそうです。
東京新聞時代の晩年は、そんな状況に少し疲れたような感じも見えました。
「負けるな、笹目」と心の中では応援していたのですが、ついにモンベルの刊行に代わり、同時に笹目さんの仕事も終わりを告げ、イベント担当に異動になっていきました。


モンベル岳人に移籍するのかなと思いましたがそれはありませんでした。
東京新聞正社員の身で、しかも東京で妻子を養う立場にある笹目さんにとって、社内異動を受け入れるのは当然の選択だったのでしょう。


その1年半後の先日、
記事でスノーショベルのことを調べていたところ、アルバというメーカーの資料が少なく、知り合いのライター井上D助に聞いてみました。
「アルバを扱ってる会社の人って知ってる?」
「笹目さんでいいんじゃない」
「え? 笹目ってあの笹目さん?」
「あれ? 知らなかった? 転職したらしいよ」


教えてもらった番号に電話をかけたところ、出たのはまぎれもなくあの笹目さんでした。
「また、どうして……」
笹目さんが転職したのは、株式会社ソネという、大阪を本拠とする小さな商社。コールテックスやスキートラーブなど、山スキー用品を古くから取り扱っている会社です。「小さな」というと失礼ですが、天下の東京新聞と比べると、間違いなく小さな会社といえます。
笹目さんはその東京営業所勤務なのですが、笹目さんを含めて2人しかいないというのだから。


例によって笹目さんは転職の理由をにやにやごにょごにょと言葉を濁しましたが、要は、山業界で仕事を続けたいということのようでした。
小さなお子さんと奥さんのいる笹目さんにとって、大きな決断であったことは間違いありません。
「でもそういうの、嫌いじゃないよ」と電話でも言ったとおり、私はこういう熱は大好きなのです。熱を持った人間が携わる世界は健全にまわるという信念を持っているもので。


ソネが扱っているブランドは、バックカントリー界ではどれも知られたブランドなのですが、どれも国内では他ブランドに隠れて、3番手、4番手的な存在。
しかし、これからこれらのブランドの存在感が増してくることを予想しておきます。
なにしろあの笹目が扱っているので。
転職したのは10月ですが、早くも今年のウィンターシーズンに向けていろいろ動いているようです。


笹目さんはスキーが非常にうまく、昔は妙高かどこかでイントラをやっていたほどの脚前だそうです。
だからもともとスキーには精通しており、岳人の広告営業で山業界にも詳しくなったという経歴。


バックカントリー業界というのは、スキー出身の人は山に疎く、山出身の人はスキーに疎いという世界で、両方をバランスよく知る人材がなかなかいないという事情があります。
営業マンという立場でいえば、スキー人間は登山ショップに足が向きにくく、その逆も起こりえます。どちらにも腰軽く顔を出せ、どちらにも対等に話ができる笹目さんのような人間は貴重なのであります。
アルバやスキートラーブが存在感を増すであろうとの予想は、そういう合理的な根拠にも基づいているのです。


ということで、笹目さんの応援として、ここでソネを大々的に紹介しておこうと思います。




2015年10月14日水曜日

佐藤裕介インタビュー


15日発売の『岳人』に、佐藤裕介のインタビュー記事を書きました。
岳人がモンベル(正確にはネイチュアエンタープライズ)の経営に移ってから初めてお話しをいただき、自分のスケジュール的にはかなりきびしいときだったのですが、テーマが佐藤裕介と聞き、これはなんとかしなくてはと少し無理をして引き受けてしまいました。


佐藤くんに初めて会ったのは10年くらい前。
『ROCK & SNOW』の企画で行なわれた座談会の席でした。
「注目の若手クライマー」という感じで、各所で少しずつ名前を聞き始めたころでした。


座談会では、そののんびりした話し方とは裏腹に、クライミングに対する意見は非常に鋭く、すでに独自のクライミング観を持っているようでした。
「これは掘り出し物だ」と思いながら帰ったものです。


その後は、かの「ギリギリボーイズ」の一員としても活躍。
あっという間に、日本のアルパインクライミングのトップになっていきました。


彼の魅力は、無尽蔵のモチベーションと抜群の安定感。
これだけクライミングに入れ込み続けて飽きない人に会ったのは山野井泰史さん以来です。
そして登りが非常に華麗。軽やかで、どんな厳しいところでも余裕がありかつ正確。
フィジカルなクライミングの才能があるだけでなく、鋭く危険を察知する動物的な嗅覚もあるように感じます。
まさに「クライミングの才能の塊」という感じです。


昨年から山岳ガイドになったので、記事ではその話を中心に書いています。
取材は、瑞牆山で実際のガイドクライミングに同行させてもらって行ないました。
「いちばんガイドになりそうにない男」と言われ、私もそう思っていたのですが、意外や合っているのかもしれないというのが感想です。


取材では、2年前の「那智の滝事件」など話しにくいこともあえて突っ込んで聞きました。
現在の佐藤裕介を語るには避けて通れない話だと思ったからです。
逃げずにちゃんと答えてくれた佐藤くんに感謝です。
昔から疑問だった家族のことも聞きました。
ここは傑作なので、記事でぜひお読みください。


私は思い入れのあるテーマほど文章が書けなくなってしまうタイプで、
この記事も書き始めてみるとどうにもノリが出ず、3分の2くらい書いた原稿を思い切って全ボツにして一から書き直したりしました。
あっさり書けるだろうと思って引き受けた話だったんですが、意外と苦労してしまいました。
そのぶん、最終的には納得のいくかたちになったと思います。


ちなみに写真も私です。
けっこう自信作だったので、大きく使ってくれた編集部に感謝。
2007年に撮影した錫杖岳の写真もついに日の目を見ることができました。
(この撮影が、私がクライミング撮影に興味をもったきっかけでした)


これまで幾度もインタビューを受けてきた佐藤くんですが、
未出(のはず)の話もたくさん入っています。
ぜひ読んでみてください。



【ボツ写真】


















行動食はいつもタッパーに入れた弁当だそうです。休憩のたびにこれをちょこちょこ食べてました。




2015年9月6日日曜日

登れるかどうかわからない山は面白い




『岳人』9月号を読んでいて、いたく共感したフレーズがあったのでメモ。


未知未踏のものを登ることほど最高なことはない。未知未踏というのは、それが登れるのかどうかすら、わからない。答えがあるかわからない問題を解くようなものだ。
「島に残された未知未踏を登る」小阪健一郎・文


「答えがあるかどうかわからない問題を解くようなもの」


これですよ、これ。
行く手に何が出てくるかわからない山登りというのは面白い。
それこそが山登りの最大の面白さなんだと思う(つい最近も似たようなこと書いたな……)。


とくに沢登りというのはこの面白さを最も端的に味わえる登山形態なのだけど、
それを最大限に体感するために、わざとルートの下調べをしないで行く人もいるくらい。
バカバカしいなと思いつつ、気持ちは十分わかるのです。


大昔、アフリカのジャングルで未踏の岩塔を登ったことがあります。
先行きに何が出てくるかわからず、そもそも登れるのかもわからない。
過去に人間が通ったことがないところを行くというのは、ものすごく怖いことで、胸が締め付けられるようなプレッシャーを感じながら登っていました。





しかしそれだけに、登れたときの感動は、ほかの山登りの100倍は大きかったことを憶えています。
そして、初登という行為がいかに大変か、そして第二登とは天と地ほどの差がある行為であることも身をもって理解したのでした。


私たちが登った岩塔も、岳人の記事にある離島の岩や滝も、未踏とはいえ一般的に見ればまあチンケっちゃチンケですよ。
どうでもいいような重箱の隅つつきといえなくもありません。
でも、この記事を書いた小阪さんという人は、未踏の場所を行く最高の面白さを知っているのだと思います。
山登りに求めているものが私と同じ感じで、好みが合いそうな気がします。
はたからは怪しい存在と見られているかもしれないけど、応援してますよ!