ラベル 栗城史多 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 栗城史多 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年9月2日土曜日

先鋭登山をわかりやすく伝えるのは難しいことなのである


「登山は基本的に自己満足の世界」...それでもなぜ、一流クライマーによる"疑惑の登山"はなくならないのか? | 山はおそろしい | 文春オンライン


 「登山家と嘘」というテーマでインタビューされました。


このなかで、インタビューアーの中村計さんがこんなことを語っています。


現代の先鋭的登山を書くときの最大の壁は、その挑戦がいかに大変かを一般読者に伝えることがとてつもなく難しいということだと思うんです。


これはまったくそのとおりであって、これまで私も、どうしたら伝わるのだろうかといろいろ模索してきました。


模索の結果、私が多用しているのは、野球や格闘技などのスポーツに例えるという手法。たとえば栗城史多さんについて書いた記事では、栗城さんを「大学野球の平均的選手」に例え、栗城さんが目指していたエベレスト北壁を「メジャーリーグ」とすることで、実力と目標の乖離を表現しようと試みました。


昔であればこんな面倒なことをする必要はありませんでした。エベレストが登られていない時代は、究極の目標はエベレスト初登頂であり、そこにどれだけ近いかによって登山家の価値は決まる――ということは、野球や格闘技にたとえるまでもなく、誰にでも理解できる話だったからです。


ところが今は、先鋭登山の課題は多様化・細分化し、その評価は専門家でも容易ではありません。エベレスト北壁の登山史的価値を正確に評価できる人は、登山業界でも多くないのが実情です。そこに「無酸素」とか「単独」とか「冬期」とか「新ルート」などの各種条件が加わるとなおのこと。ましてや、登山をやらない一般読者にわかるはずもないでしょう。


そこで私は、野球や格闘技になぞらえることでわかりやすくする手法をとることにしたわけです。ただしこれはあくまでイメージを伝えるためのもので、多少の不正確性には目をつぶっています。「栗城さんのレベルは大学野球ではなくて高校レベルなのではないか」とか、「登山と格闘技は別物である」などと言われることもありましたが、そういうことではないんだ! 小さな正確性よりも大きなイメージを伝えることを優先した結果なので、細かいところを突っつかれても困るw


学者のコメントで、正確性を重視するあまり、素人には結論がわからないということがよくありますよね。「状況によって一概にはいえない」とか。確かにそのとおりなんでしょうが、私たち素人が知りたいことは細かくて厳密な事実ではなく、大きな枠組みなのです。学者や専門家は、事実の正確性にこだわるあまり、大きな枠組みを示してくれないことがよくあります。私はこれがいつもストレスに感じるので、自分が説明するときには伝わりやすさやわかりやすさを優先しています。




ところで最近、このあたりのことを説明するには、先鋭登山をスポーツに例えるより、学問や科学に例えるほうが適切かもしれないと思うようになりました。専門家以外にはなかなか内情がわからないところとか、メディアでもてはやされる人の本業の実態がよくわからないところとか、似ているなと思うのです。ノーベル賞やピオレドールで何が評価されたのかはわからないけど、受賞者がすごい人であることは想像できるとか。


そんなことを考えていると、先鋭登山は専門的になりすぎて蛸壺化しているなとも思えてきました。ただしだからといって、ごく一部の専門家やマニアの嗜みに過ぎないかというと、そうでもないんですよ。素人にはどうでもいいようなわずかな違いにこだわって工夫や切磋琢磨を続けてきた結果、登山は少しずつ前に進んでいるのです。


たとえば無酸素登山というのは、人類の可能性を広げる大きな一歩だったわけですが、そこに至るまでには、無数の登山家の死屍累々といえる試行錯誤が背後に存在します。そうした多くの蓄積を土台として、ときおり大きなイノベーションが起こる。そんなところも学問に似ているかもしれません。


服部文祥さんが、「登山の文化にフリーライドしている」と言って栗城さんを批判したことがありました。「無酸素」とか「単独」とかの言葉を使うなら、その言葉が意味する正しい手順を踏めと。登山史が長年かけて獲得してきた成果を自分の箔付けだけに使って、実態は適当にスルーするのではただのズルじゃないかということですね。



とりとめがなくなってきました。

最後に、先鋭登山の評価基準となるものをざっくりと説明しておきます。


1)どれだけ困難なことをしているか

2)新しいことをしているか


大きくはこのふたつです。


1は、技術的な難しさ。だれもが登れなかった困難な岩壁を登りきったとか、クライミンググレードの世界最高を更新したなどのことですね。技術的な困難を克服したということは単純に評価の対象となります。


2は、山の初登頂が典型例となります。だれも登ったことがない山に登ることは間違いなく新しいこと。ほか、酸素ボンベやロープを使うことが常識だった山で、それらを使わずに登ることも「新しいこと」です。だれも注目していなかった山を見つけ出して登ることもこれにあたります。


先鋭登山の総合評価は1+2で決まります。技術的に困難でも新しい要素がゼロであれば総合点は伸びませんし、その逆もしかり。例えれば、1は技術点、2は芸術点といった感じでしょうか。また雑な例えをしてしまいましたが、まあ、そんな感じです。以上。



2020年12月2日水曜日

『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』感想


 

話題のこの本。発売前に読んでいたので感想を書いておこうと思う。


上に載せたのは集英社の宣伝用POPで、私のコメントが載っているが、本の端的な感想としてはこのとおり。これは宣伝用に書いたコメントではなく、献本をしてくれた編集者に送ったメールの一部が使われたもので、率直な感想そのままである。


実を言うと私も、一時期、栗城さんについて本を書こうかと考えたことがある。『トリックスター』というタイトルまで思いついていた。

(トリックスターというのは、「神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者である。 往々にしていたずら好きとして描かれる。 善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴である<Wikipediaより>」らしい。まさに栗城さんにピッタリのタイトルではないだろうか)。


が、結局書かなかった。自分には「栗城史多について書く理由がない」と感じたのが最大の理由である。存命の人ならまだしも、故人、しかも亡くなって間もない人についてものを書くには、相当の関係性か、書かなくてはならない状況的理由がなくてはならないと思う。私にはそれがなかった。せいぜいネット記事を数本書くくらいが、私に見合ったボリュームであった。


そして『デス・ゾーン』を読んで、やっぱり書かなくてよかったなと思った。『デス・ゾーン』は私が想定したものと方向性は大体同じ。私が書いたら、同じような内容で情報が薄いという、劣化コピーのようなものになっていたはず。栗城史多について一冊書くという難しい仕事に説得力を持たせられたのは、著者の河野啓さんならではだったと思うのである。


河野さんは、10年ほど前に栗城さんを取材していたテレビディレクター。当時は、長期にわたって毎日のように会う、それこそ密着取材だったらしい。NHKなどの全国放送が栗城さんを取り上げる前で、栗城さんがこれから本格的に世に出て行こうとしていたころだ。


つまり河野さんは、栗城さんが虚飾をまとう前の素の姿をかなり知っている人であり、同時に、栗城さんが世に出る後押しをした初期の重要人物のひとりともいえる。河野さんには栗城さんについて「書く理由」があったのだ。


河野さんは、装飾も揶揄もせず、事実ベースで淡々と栗城史多という人物を描き出していく。その結果として、栗城さんの弱さやズルさもあからさまになるので、故人に酷すぎると感じる人もいるかもしれない。


だが私はそうは感じなかった。河野さんの筆致からは、栗城さんを貶める意図も持ち上げる意図も感じられず、ただただ、栗城史多という人物の真の姿を知りたいという意図しか感じられなかったからである。


ある対象を表現する場合において最も誠実かつフェアな態度というのは、真実に忠実になることだと信じている。不当に貶めることが不誠実なのはもちろんだが、実態以上に褒め称えるのも、対象の存在を本当には見つめていない態度だと考える。


「誠実な本」と表現したのは、このあたりに河野さんのとても真面目なスタンスを感じたからである。河野さんは愚直に栗城さんの実像を描き出そうとしている。その結果、浮かび上がるのが、実は意外なほどに愚直で不器用だった栗城さんの姿である。


「愚直で不器用」というのがマイナスポイントかというと、まったく逆。栗城さん本人の著書『一歩を越える勇気』や『NO LIMIT』からはなんのリアリティも感じられなかったのだが、『デス・ゾーン』で描かれる、エベレストにある意味愚直に通い続ける栗城史多の姿には人間味を感じたし、共感できる部分も少なからずあったのだ。


河野さんは栗城さんになかば裏切られるようなかたちでテレビ取材を中断するはめになった経緯があるという。栗城さんに対しては複雑な思いがあったらしいのだが、本書の取材で栗城さんのさまざまな面を知るにつれ、あらためて栗城さんのことを好きになれたと語っていた。


好きになれるとまではいかないが、私の読後感もそれに近い。とにかく不思議で、わけがわからず、うさんくさくもあり、共感できる余地はほぼなかった栗城史多という人物はいったい何者だったのか。本書を読んだことで、それが実感をもってかなり理解できるようになったように思う。



*著者の河野啓さんにインタビュー取材をしました。記事は1月発売の『BE-PAL』に載る予定です。


【2021.4.11追記】

BE-PALのウェブで記事が読めるようになりました。こちらです。






2018年5月28日月曜日

「賛否両論」の裏側にあったもの

5月21日、栗城史多さんがエベレストで亡くなりました。当初は、死因や遺体発見の場所など、情報が錯綜していましたが、標高7400mのキャンプ地からの下降途中、滑落しての死亡ということで確定したようです。夜中に下降していたことについて疑問もありますが、状況によってそういうこともあるのかもしれない。そこは私にはわかりません。


事故の第一報以降、私が過去に書いたブログ記事(「栗城史多という不思議」「栗城史多という不思議2」)もアクセスが爆発。なんと1日で90万PVに達しました。あらためて、栗城史多という登山家の知名度の高さ、注目度の高さを知った気分です。


栗城さんについては、昨年の2回の記事で言うべきことは書き尽くしたし、事故のことについてはまだ詳細がわからなかったので、とくに何かを書くつもりはありませんでした。が、1本だけ記事を書きました。


"賛否両論の登山家"栗城史多さんとは何者だったのか――2018上半期BEST5 | 文春オンライン


書いた理由は、竹田直弘さんという編集者からの依頼だったからです。記事中で、昨年、栗城さんに会ったときのことを書いていますが、このとき、この竹田さんも横にいました。竹田さんは、昨年、私のブログを読んで連絡をくれ、栗城さんと会うセッティングをしてくれたのです。事前に栗城さんに記事化を断られていたので、竹田さんにはもはや仕事上のメリットは何もなかったのですが、面倒な日程調整をしてくれたうえに、同席までしてくれました(そういえば、その日は、渦中にあったタレントの松居一代が文藝春秋本社に突撃した日で、目の前で見てびっくりした覚えがあります)。


竹田さんとは以前、Number編集部時代に一度仕事をしたことがあり、そのときの誠実な仕事ぶりに好印象をもっていたし、栗城さんの件で骨を折ってくれた恩もあります。編集者としても、人間としても、信頼できる人という思いがあったので、その竹田さんからの話なら変な記事にはならないだろう。ということで、思い切って記事を書いたというわけです(同様の依頼はほかにもいくつかありましたが、いちばん最初に連絡が来たハフポストの電話取材以外は全部断りました。こんなデリケートな仕事、知らない人相手にできません)。


この記事もずいぶん読まれているようで、ネット上に感想の声があふれています。さらに、栗城さん本人を知る人から直接・間接に話を聞くこともありました。この一週間、それらを見聞きするなかで、私の中での栗城さんのとらえ方に微妙に変化が生まれています。登山家としての評価はなにも変わりません。変わったのは人物についてで、それはどちらかというと同情的・共感的な方向にです。


具体的にどういうことかというのはさておき、そんなことを考えているうちに、ひとつ思うことが浮かんできました。とても重要なことです。以下は、そのことについて書いてみます。


昨年のブログで、私は野球になぞらえて、栗城さんの挑戦の無謀ぶりを説明しました。しかし今では、格闘技にたとえたほうが、より適切だったと感じています。「ボクシングの4回戦ボーイがマイク・タイソンに挑戦するようなものだった」という意味のネットの書き込みを目にしました。まさに言い得て妙。命の危険があるという点で、登山は野球より格闘技に近いものがあるからです。


高額なリングサイドチケットを持っている人は、試合内容にはあまり関心がなく、「ここにいるオレ」を買っているにすぎないという構図も、ボクシングに似ていると感じます。事故後、栗城さんの支援者や知人がSNSで追悼を表明していました。すべてではありませんが、その一部に、私は控えめに言って吐き気を催しました。なんてグロテスクな光景なんだろう。


……つい熱くなってしまった。話を戻そう。


当然のことながら、栗城さんはタイソンに滅多打ちにされて、最後はリング上で命まで落としてしまう結果になったわけですが、これが本当のボクシングだったら、こんなことはあり得なかったはずです。そんなマッチメイク、成立するわけがなく、成立するとしたらテレビのお遊び企画以外にないということが、だれの目にも明らかだからです。


しかし、エベレストではこれが成立してしまった。そこには、不可能を可能に見せる、栗城さんの天才的なショーアップ能力の存在が大きかったと思うのですが、それだけではない。世の人々が、マイク・タイソン(=エベレスト北壁や南西壁の無酸素単独登頂)が何者かを知らず、栗城さんの実力レベル(4回戦なのか日本チャンピオンなのか世界ランカーなのか)もよくわかっていなかった。天才的なショーアップ×観客の無知。このかけ算によって、悲劇的な興行が成立してしまったと思われるのです。


そう、これは悲劇です。命の危険がある無謀な挑戦からおりられなくなったボクサーと、無謀ぶりを理解せずに無邪気に応援している観客という構図。間違ってもこれを、「果敢な挑戦の末に夢破れた」という美談にしてはいけない。


亡くなった故人やご遺族には酷な言い方になってしまいますが、事実としてそのようにしか見えないし、栗城さんと近しかった人に聞いた話を総合すると、これがことの真相であるとしか思えないのです。「好きな山で死ぬことができて本望だったのでは」という陳腐な言葉で片付けても絶対にいけない。


ご遺族や友人など、近しい人にとっては、余計なことは考えず、まずもって故人を偲ぶべき時期でありますが、私を含めて世間一般がやるべきこと考えるべきことは、違うことであるはず。「何が問題だったのか」ということを考え、二度とこういう悲劇が起こらないようにすることが第一であると思うのです。


同時に思うのは、この明らかな悲劇を見て見ぬ振りをしてきた登山界の責任についてです。世間の人々がタイソンの強さも栗城さんのレベルもわからなかったのは、登山界やメディアが伝えてこなかったからです。


登山関係者なら、友人などから「栗城さんて、すごい登山家なの?」と聞かれた経験が一度ならずあるかと思います。しかしこれに答えるのはじつは難しいことです。エベレスト北壁や南西壁の難しさを、山を知らない人にもわかるように説明しなくてはならないし、同時に、栗城さんの実力レベルもわかりやすく説明できなくてはならない。よほど明晰な分析・表現能力をもっている人でもないかぎり、これは困難な話で、結果、面倒になって質問にきちんと答えてこなかった人がほとんどではないかと思われます。もちろん私もそのひとりで、「まあ……すごいというのとは違うんだけどね……」みたいな、曖昧な返事をしてずっと流してきました。


なぜ、レベルを説明するのがそんなに難しいのかと思う人もいるかもしれません。ここが、野球やボクシングなどのスポーツと登山の違うところであって、登山には、明確なランキングのようなものが存在しません。山の難しさは、季節やコンディション次第で変わったりもします。そこに「無酸素」とか「単独」などの条件が加わることによっても、困難度は大きく変動します。第一、登山は競技ではないので、評価基準は一本線ではなく、いくつもあります。考え合わせるべきパラメーターが多岐にわたるので、評価は難しく、それは「世界でいちばんすばらしいギタリストはだれか」を決めるのが困難であることに似ています。実際、先鋭登山の世界的権威とされる「ピオレドール」という賞が、選考基準の食い違いにより内紛が起こり、一時期休止されていたこともあります。


文春オンラインの記事にも書きましたが、登山雑誌は、栗城さんをほぼ黙殺してきました。理由はいろいろありますが、ここに向き合うのが面倒だったからです。へんに持ち上げても、専門誌としての見識を疑われるし、逆に、挑戦を批判的に取り上げるなら、根拠を整理して理論武装しなくてはいけない。どちらも面倒くさい道なので、ならば、ふれないでおくのが無難だろう……ということだったのです。


ところで、「登山雑誌」と他人事のように書いていますが、この20年間、登山雑誌中心に仕事をしてきた私にとっては、これはまさに自分事でもあります。


面倒くさいから、栗城さんにはかかわらないようにしてきたし、面倒くさいから、「登山家の評価」というようなテーマからは、言葉を濁して逃げてきました。ヒマラヤなどの先鋭登山について書くときは、あまり専門的なことを言っても、読者はわからないし興味もないだろうと勝手に忖度して、かなり端折った説明しかしてきませんでした。


こうした態度が、世間の無知を促進した一面はきっとあるというのが、いま感じている反省です。もちろん、社会的有名人になった栗城さんの前には、登山雑誌が何かをやったところで、大した意味はなかったかもしれないし、いずれにしろ結果は変わらなかった可能性も大きい。それでも、一定の歯止めにはなっただろうと思うのです。


私の知る限り、海外のメディアは、それなりにおかしなところはありつつも、4回戦ボーイが世界チャンピオンより有名になってしまうような極端なことはありません。大々的に取り上げられる人は、それなりに実のある人である場合がほとんどです。かなり専門的なわかりにくいことをやっている人であってもです。メディアだけでなく、社会全体の冒険に対する理解度の高さが影響しているのだとは思いますが。


日本はその点、真実よりも、わかりやすさや人気を優先させてしまうところがあります。多くの場合、それは現実的な選択であり、それによって問題が起こることはあまりないのですが、歪んだものの見方であることは変わりない。その歪みが、悲劇につながることもある。歪みはやはり歪みなのだ。そのことに気づけたことが、今回の事故から得ることができた、私にとっての教訓です。

2017年6月9日金曜日

栗城史多という不思議2

先日書いた栗城史多さんの記事、このブログを始めて以来最大のアクセスを集めました。ある程度拡散するかなとは思っていたけど、予想以上。ツイッターやフェイスブックでもたくさんシェアされて、その後会ったひと何人からも「読みましたよ」と感想を聞かされました。なんと栗城さん本人からもフェイスブックの友達申請が来て、ひえーと思いつつもOKを押しておきました。


となるとやっぱり気になるので、栗城さんがらみの情報をいろいろ見てみました。これまで栗城さんを特段ウォッチしていたわけではないので、知らなかったこともたくさんありました。そのひとつはルート。栗城さんがねらっているのはエベレスト西稜~ホーンバインクーロワールと思っていたのだけど、これは結果的にそちらに転身しただけで、もともとは北壁ねらいだったようですね。


直接・間接に、いろいろ意見や情報もいただきました。ひとつうまい例えだなと思ったのは、「栗城史多はプロレスである」という見方。プロレスとレスリングは似て非なるもので、前者の本質はショー、後者は競技であります。栗城さんのやっていることも本質はショーであって、登山の価値観で語っても大して意味はないということ。オカダ・カズチカがオリンピックに出たらどれくらいの順位になるのかを語るようなものでしょうか。それは確かに意味がない。


「栗城ファンにとっては、彼のやっていることが登山として正しいのかどうかはどちらでもよいこと。ただ前向きになれる、ただ希望をもらえる、という理由で支持しているのだ」という意見も聞きました。それもそうなのだろうと思う。



それでも嘘はいけない


「栗城史多はショーである」という見方は、以前からなんとなく感じていました。登山雑誌で栗城さんを正面から扱ってこなかったのは、そういう面もあります。オカダ・カズチカ(何度も出してすみません)をレスリング雑誌で取材しても何を話してもらえばいいのかわからないように、登山雑誌で栗城さんをどう扱ってよいのかわからなかったのです。


その一方で、栗城さんは少なくない数の人に共感・感動を与えていることも感じていました。それはひとつの価値であります。それを最大限に生かすには、登山雑誌ではなく、テレビとかのほうが活躍の場としては合っているんだろうとも思っていました。だから別ジャンルの人物として静観していたというのが、じつのところです(PEAKS編集部時代の元上司が、私が退職後に栗城さんに取材を申し込んでいたことを今回初めて知りました。登山雑誌は取材NGということで断られたそうです)。


ただし、一点だけどうしても気になるところが。数年前から気になっていたのですが、今回のブログの反響をもとにあらためていろいろ調べて、確信を深めました。それは、「栗城さん、嘘はいけないよ」ということ。


「単独といいながらじつは単独じゃない」とか、「真の山頂に行っていない」とかの嘘もあるみたいですが、個人的にはそれは、いいこととは言わないにしろ、まあどちらでもよい。本質がショーなのだとすれば、それは小さな設定ミスといえるレベルの話で、比較的問題が少ないから。どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに、「登頂チャレンジ」を謳っているところです。


ここは30年間登山をしてきて、20年間登山雑誌にかかわってきたプロとして断言しますが、いまのやり方で栗城さんが山頂に達することは99.999%ありません。100%と言わないのは、明日エベレストが大崩壊を起こして標高が1000mになってしまうようなことも絶対ないとはいえないから言わないだけで、実質的には100%と同義です。このことを栗城さんがわかっていないはずはない。だから「嘘」だというのです。


北壁はかつて、ジャン・トロワイエとエアハルト・ロレタンという、それこそメジャーリーグオールスターチームで4番とエースを張るような怪物クライマーふたりが無酸素で登ったことがあります。それでもふたりです。単独登山ではありません。単独で登るなら、その怪物たちより1.3倍くらい強いクライマーである必要があります。そして、長いエベレスト登山の歴史のなかで、北壁が無酸素で登られたのは、この1回だけです。


西稜ルートに至っては、これまで単独はおろか無酸素で登られたこともありません。ウーリー・ステックという、メジャーリーグで不動の4番を張る現代の怪物が、この春ついに無酸素でトライをしようとしていましたが、非常に残念なことに、直前の高所順応中に不慮の事故で亡くなってしまいました。

【2018.5.8追記】
認識違いがあったので訂正します。西稜は、1984年に、ブルガリアのクリスト・プロダノフが単独無酸素で登っていました(ただし、途中まで同行者がいたうえ、山頂から下降中に行方不明になっているので、単独無酸素登頂成功といっていいかは微妙です)。ほか、単独ではありませんが、1989年に、ニマ・リタとヌルブ・ジャンブーが無酸素で登っています。なお、北壁に関しては、栗城さんがねらっていたルートが無酸素で登られたのは、上記の1回のみですが、別のルートからは、同じく無酸素で過去2回登られています。いずれも単独無酸素で成功した例はありません。




栗城さんがやろうとしているルートは、こういうところなのです。1シーズンに数百人が登るノーマルルートとは、まったく話が違うということをどうか理解してほしい。


栗城さんは世界の登山界的には無名の存在です。本当にこれを無酸素単独で登ったとしたら、世界の登山界が「新しい怪物が現れた」と仰天し、世界中の山岳メディアが取材に殺到し、「登山界のアカデミー賞」といわれる「ピオレドール」の候補ともなるはずです。




そんなわけないだろ。


ということは、だれよりも栗城さん自身がわかっているはず。本気で行けると考えているとしたら、判断能力に深刻な問題があると言わざるを得ない。ノーマルルートが峠のワインディングロードなら、北壁や西稜の無酸素単独は、トラックがビュンビュン通過する高速道路を200kmで逆走するようなもの。ところが、そんな違いは登山をやらない普通の人にはわからない。そこにつけこんでチャレンジを装うのは悪質だと思うのです。



なぜ嘘がいけないのか


難病を克服した感動ノンフィクションを読んで、それがじつは作り話だとわかったら、それでもあなたは「希望を与えられたからよい」といえますか。あるいは、起業への熱意に打たれて出資したところ、いつまでも起業せず、じつは起業なんかするつもりはなかったことが判明したら。「彼の熱意は嘘だったが、一時でも私が感動させてもらったことは事実だ」なんて納得できますか。


つまり、嘘によって得られた感動は、どんなに感動したことが事実であったとしても、そこに価値などないのです。結局、「だまされた」というマイナスの感情しか最終的に残るものはない。これでは、登山としてはもちろん、ショーとして成立しないじゃないですか。


もうひとつ、嘘がいけない理由があります。どちらかというと、こちらのほうが問題は大きい。それは、栗城さん自身が追い込まれていくことです。応援する人たちは「次回がんばれ」と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか。


栗城さんは今のところ、そこには足を踏み入れない、ぎりぎりのラインで撤退するようにしていますが、今後はわからない。最近の栗城さんの行動や発言を見ると、ややバランスを欠いてきているように感じます。功を焦って無理をしてしまう可能性もあると思う。


そのときに応援していた人はきわめて後味の悪い思いをする。しかし応援に罪はない。本来後押しをしてはいけないところを誤認させて後押しをさせているのは栗城さんなのだから。嘘はそういう、人の間違った行動を招いてしまう罪もある。そして不幸と実害はこちらのほうが大きい。


誤解のないように書いておきますが、私は「登山のショー化」がいけないと思っているわけではありません。観客のいない登山というものの価値や意味を人々に伝えるためには、ショーアップはあっていいと思っています。ただし嘘はいけない。


栗城さんの場合は、「無酸素単独」と言わなければいいのです。北壁とか西稜とかも言わないで、ノーマルルートの「有」酸素単独登頂でもいいじゃないですか。これなら可能性はゼロではないと思います。「無酸素」というほうが一般にアピールすると考えているのかもしれないけど、どうですかね。普通の人が酸素の有無にそんなに興味ありますか。そこはどちらでもよくて、山頂に達するかどうかのほうがよほど関心が高いんじゃないでしょうか。有酸素だろうが登頂のようすをヘッドカメラでライブ中継してくれるなら、それは私だって見てみたいと本気で思いますよ。


そして登ってしまえばショーが終わってしまうわけじゃない。一度山頂に立てば、無酸素への道筋が多少なりとも開けることもあるかもしれないし、あるいは今度は春秋のダブル登頂をねらうとかでもいい。なにより、人々の見方が大きく変わるはず。第二幕、第三幕はいくらでもあるーーというか、むしろ開けると思うんですが。




【後日談】
ちゃんと話を聞いてみたいと思って正式に取材を申し込んだのですが、断られてしまいました。残念。→こちら


【追記】
栗城さん遭難後に書いた総括的な文章はこちら

「賛否両論」の裏側にあったもの




2017年6月2日金曜日

栗城史多という不思議

栗城史多さんがエベレスト登頂を断念したらしい。今回で7回連続の登頂失敗ということになる。


栗城さんのことは、これまで、まあちょっとどうだかなと個人的に思ってはいたものの、本人をよく知らないし、話したこともないし(正確には10年くらい前に一度だけあいさつ程度を交わしたことはある)、判断はずっと保留してきました。ただしそろそろひとこと言いたい。さすがにひどすぎるんじゃないかと。


栗城さんはフェイスブックにこう書いています。


本当は30日に登頂を目指す予定でしたが、ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト全体が悪天の周期に急に変わり本当に残念でした。 
25日の好天に登頂できればよかったですが、異様な吐き気が続き、本当に悔しいです。。 
高所ではどんなに体調管理しても何がおこるかわかりません。 
ただ今回初めて「春」に挑戦しましたが、秋に比べて春は好天の周期も多く、西稜に抜けるブルーアイスの状況もよくわかったので、来年に繋げられます。 
皆さんご存知だと思いますが、栗城史多はNever give upです。


この状況でどうして「来年に繋げられ」るといえるのか、どうして「Never give up」といえるのか、本当にわからない。タイミングとか体調管理でなんとかなるレベルではまったくないことは、ヒマラヤに登ったことがない私でさえわかります。常識的に考えれば、もうとっくに登り方を変えるか、あるいは目標の山を変えるかするべきなのに、頑ななまでにやり方を変えない。これでは、ただの無謀としか思えないのです。


かつて、服部文祥さんが栗城さんのことを「登山家としては3.5流」と言って話題になったことがありました。3.5流という評価が適正かどうかは別として、登山家としての実力が服部さんより下であることは間違いない。野球にたとえてみれば、栗城さんは大学野球レベルというのが、正しい評価なのではないかと思います。ちなみに服部さんは日本のプロ野球レベル。日本人でメジャーリーガーといえるのは数人(佐藤裕介とかがそれにあたる)。


それに対して、栗城さんがやろうとしている「エベレスト西稜~ホーンバインクーロワール無酸素単独」というのは、完全にメジャーリーグの課題です。栗城さんが昔トライしていたノーマルルートの無酸素単独であれば、それは日本のプロ野球レベルの課題なので、ひょっとしたら成功することもあるのかもしれないと思っていました。しかし、日本のプロ野球に成功できなかったのに、ここ数年はなぜか課題のレベルをさらに上げ、執拗にトライを重ねている。


ドラフト候補でもない大学野球の平均的選手が、「おれは絶対にヤンキースで4番を打つ」と言って、毎年入団テストを受け続けていたとしたら、周囲の人はどう思うでしょうか。大学生の年齢なら、これから大化けする可能性もないとはいえないから、バカだなと言いつつ、あたたかい目で見守ることもあるかもしれない。しかし、実力だけが大学レベルで、年齢は35歳。これまですでに7回テストに落ち続けている。となると、たいていの人はこう思うはずなんです。


「この人、どうかしてるんじゃないか?」


私は栗城さんを批判したいというよりも、とにかくわからないのです。この無謀な挑戦を続けていく先に何があるのか。このあまりにも非生産的な活動を続けていくモチベーションはどこにあるのか。これが成功する見込みのない挑戦であることは、現場を知っている栗城さんなら絶対にわかるはずなのに、なぜ続けるのか。それともそれすらもわからないのか。あるいは、わかっていて登頂するつもりはハナからないのか。そこに至る挑戦の過程そのものがやりたいことになっているのか。もうこれが事業になっているからいまさらやめられないということなのか。……すべてわからない。


さらにわからないのは、ファンの存在です。栗城さんのフェイスブックには応援のコメントが並び、だれもが知っているような大企業がスポンサーについてもいます。彼ら彼女らは、栗城さんに何を見ているのだろうか。


「登頂に成功するかどうかは関係ない。彼のチャレンジ精神に感動するのだ」。これならわかる。しかしそれは、目標を実現するための努力を重ねている日々の姿に感動するというものではないでしょうか。私だって、栗城さんが年間250日山に入って冬の穂高から剱岳までバリバリ登り、エベレストのほかに毎年1、2回はヒマラヤやアラスカ、アンデスなどの山で高所の経験を積み、世界のクライマーと交流してルートの研究を日々行なっていれば、無謀なやつだと思いつつ応援したくもなる(それだけやってもエベレスト西稜ソロには届かないはずですが、気概は感じる)。


こう書くと、「彼はそういう登山界の常識に挑戦しているのだ」という声が聞こえてきそうです。ただ、ヤンキースの4番を目指すなら、野球にすべてを捧げる日々を送っていないと説得力ないでしょ。ふだんはフルタイムのサラリーマンをしていて、ヤンキースの4番と言っても荒唐無稽にしか聞こえないじゃないですか。野球ならすぐわかる理屈が、なぜ登山だとわからないのか。野球だって登山だって、そういうどうしても必要なことって確実にあると思うんですよ。常識を破っていくのはその先にある。


そのようすがまったく見えず、毎年、その時期が来るとトライにだけ出かけている姿は、やっぱりどうしても理解できないのです。不思議で不思議でしょうがない。栗城さんの真の目的はなんなのか。真相を知りたい。本当に、一度その心の底の底を聞いてみたいと思います。





【補足】

書き終わったところで、山岳ガイドの近藤謙司さんがこうツイートしているのを知りました。まさにこれです。




【補足2】

後日、もう少し詳しく書いてみました。

栗城史多という不思議2