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2015年11月17日火曜日

バックカントリーギア界に大型新人現る

かつて、山と溪谷編集部にいたころ、登山用具メーカーの展示会や業界のイベントなどに行くと、必ず顔を合わせる男がいました。
それこそ必ずいました。私は全部に行っていたわけではないのだけれど、おそらくその男は私が行っていない場にも絶対いたと思われます。
同じように顔を合わせる同業者は他にもいたけれど、遭遇率の高さはダントツでナンバーワンでした。
当時、東京新聞出版局で発行していた『岳人』の広告担当部員・笹目達也という男です。


読者にとって、雑誌の編集部員は誌面でも名前や顔が出てくる機会も多いためなじみがあるかもしれません。一方で広告部員の存在はまったくといっていいほど知られていないと思います。
しかし、雑誌の売上は書店半分、広告半分といわれます。
雑誌が成り立つために優秀な編集部員の存在は欠かせませんが、
まったく同じウエイトで、優秀な広告部員の存在も欠かせないのです。
笹目さんは20代のころから、岳人の広告をたったひとりで担当していました。


当初は、体だけ大きくてなんだかもっさりした印象しかなかったのですが、上に書いたようにどこに行っても必ずいるのです。
そのフットワークの軽さは、他誌の広告営業マンと比較しても群を抜いていました。
と書くと、たんに足で稼ぐドブ板営業だけの男のようにも聞こえますが、ドブ板もここまで群を抜くとだれにも真似できない価値を持つものです。
実際、どこに行っても「岳人の笹目」の話を聞く機会が増えていきました。


そんなころ、私は枻出版社に移り、PEAKSの創刊に携わりました。
当時の枻出版社は山やアウトドアに詳しい人材が少なく、とくに広告担当の戦力不足は明らかでした。
「だれか登山業界に詳しい広告マンはいないかな……」
と考えたときに、真っ先に頭に浮かんだのが笹目さんでした。
登山雑誌広告界のエースといえば、笹目さんしかいないと思われたのです。


なにかのおりに会ったときに、「笹目さん、PEAKSの広告やってくれないかな」と持ちかけてみたことがあります。
笹目さんはにやにやするのみでした。
それは無理もなく、東京新聞というのは、新聞業界のなかでも比較的経営の安定した会社で、給料はそれなりに高かったはずなのです。
海のものとも山のものともつかぬ新参雑誌に移ってくれるはずもありません。
「まあ、そうだよね……」と言って引き下がるしかありませんでした。


ご存じのとおり岳人は、昨年の8月号を最後に、65年続いた東京新聞からの発行に終わりを告げ、9月号からモンベル(ネイチュアエンタープライズ)の発行となりました。


東京新聞時代の岳人編集部は広告にあまり関心がないようでした。
それは広告に左右されない誌面の高潔さという長所を生んでいた一方で、採算という面ではマイナスに働いていたはずです。
東京新聞という金持ちの親がいたからこそ維持されてはいましたが、こういう事態は時間の問題だったのでしょう。


おそらく笹目さんは、すねかじりのままじゃいけないと、なんとかしようとしていたのだと思います。
しかし編集部員は何十年とやっているベテランの人ばかりで、ひとりしかいない若造広告部員の言うことなぞ、なかなか聞いてはもらえなかったそうです。
東京新聞時代の晩年は、そんな状況に少し疲れたような感じも見えました。
「負けるな、笹目」と心の中では応援していたのですが、ついにモンベルの刊行に代わり、同時に笹目さんの仕事も終わりを告げ、イベント担当に異動になっていきました。


モンベル岳人に移籍するのかなと思いましたがそれはありませんでした。
東京新聞正社員の身で、しかも東京で妻子を養う立場にある笹目さんにとって、社内異動を受け入れるのは当然の選択だったのでしょう。


その1年半後の先日、
記事でスノーショベルのことを調べていたところ、アルバというメーカーの資料が少なく、知り合いのライター井上D助に聞いてみました。
「アルバを扱ってる会社の人って知ってる?」
「笹目さんでいいんじゃない」
「え? 笹目ってあの笹目さん?」
「あれ? 知らなかった? 転職したらしいよ」


教えてもらった番号に電話をかけたところ、出たのはまぎれもなくあの笹目さんでした。
「また、どうして……」
笹目さんが転職したのは、株式会社ソネという、大阪を本拠とする小さな商社。コールテックスやスキートラーブなど、山スキー用品を古くから取り扱っている会社です。「小さな」というと失礼ですが、天下の東京新聞と比べると、間違いなく小さな会社といえます。
笹目さんはその東京営業所勤務なのですが、笹目さんを含めて2人しかいないというのだから。


例によって笹目さんは転職の理由をにやにやごにょごにょと言葉を濁しましたが、要は、山業界で仕事を続けたいということのようでした。
小さなお子さんと奥さんのいる笹目さんにとって、大きな決断であったことは間違いありません。
「でもそういうの、嫌いじゃないよ」と電話でも言ったとおり、私はこういう熱は大好きなのです。熱を持った人間が携わる世界は健全にまわるという信念を持っているもので。


ソネが扱っているブランドは、バックカントリー界ではどれも知られたブランドなのですが、どれも国内では他ブランドに隠れて、3番手、4番手的な存在。
しかし、これからこれらのブランドの存在感が増してくることを予想しておきます。
なにしろあの笹目が扱っているので。
転職したのは10月ですが、早くも今年のウィンターシーズンに向けていろいろ動いているようです。


笹目さんはスキーが非常にうまく、昔は妙高かどこかでイントラをやっていたほどの脚前だそうです。
だからもともとスキーには精通しており、岳人の広告営業で山業界にも詳しくなったという経歴。


バックカントリー業界というのは、スキー出身の人は山に疎く、山出身の人はスキーに疎いという世界で、両方をバランスよく知る人材がなかなかいないという事情があります。
営業マンという立場でいえば、スキー人間は登山ショップに足が向きにくく、その逆も起こりえます。どちらにも腰軽く顔を出せ、どちらにも対等に話ができる笹目さんのような人間は貴重なのであります。
アルバやスキートラーブが存在感を増すであろうとの予想は、そういう合理的な根拠にも基づいているのです。


ということで、笹目さんの応援として、ここでソネを大々的に紹介しておこうと思います。




2015年10月4日日曜日

『Fall Line』に記事書きました


写真は私の本棚のなかで「コア・ゾーン」と呼ばれている箇所です。
要するに、クライミングを中心としたコアスポーツの本の置き場というわけです。


その一角にバックカントリーコーナーがありまして、
そこに『Fall Line』という雑誌が十数冊並んでいます。
最初に買ったのは2004年。
基本年1回刊なので、コツコツ集めて十数冊になりました。
これは必ずしも資料というわけではなく、趣味です、趣味。
とにかく美しい雑誌で、そのファンなのです。


このたび、その雑誌に記事を書かせていただきました。
雑誌に自分の文章が載ったり名前が出たりしても何も感じなくなって久しいですが、
『Fall Line』に載るというのは特別な感慨があります。
というわけで、ここで自慢するものであります。



書いたのはアウトドアメーカー「パタゴニア」の環境理念について。
なかなか重たいテーマで苦労しましたが、6000字書いております。
めちゃめちゃ凝った年表も作りました。


記事冒頭の写真は、1972年に出た伝説のシュイナード・イクイップメント第一号カタログ(の復刻)。
写真も自分で撮ったのですが、カラビナは私物のシュイナード・イクイップメント製。
カタログのページを押さえるためにふと思いついて置いてみたところ、絵的にも決まりました。


内容からするとカラビナよりスリングチョックのほうが合っているんですが、
さすがにそれは持っていないし、ページができあがってから気づいてしまったので、
持っている人を探す時間もありませんでした。
内容だけでなく、形とか色合い的にもいいアクセントになったはずなんだけどなあ。
それだけが残念。


ところで、冒頭のコア・ゾーンの写真の真ん中あたりに
「95スキーマップル東日本」という本が写っています。
スキー場のガイドブックなのですが、これはすさまじい本です。
どうすさまじいのかはひとことで説明するのが困難です。
ジャンルは違いますが、私のガイドブック作りのベンチマークとなっているのがこの本です。
とはいえ、到底このクオリティにかなうものは作れたためしがありません。
もう二度とこのレベルのガイドブックは出ないのではないかとさえ思います。
この本を作ったのは寺倉力さんという編集者兼ライター。
じつは『Fall Line』のメイン編集者でもあるのです。
雑誌にしろガイドブックにしろ、寺倉さんのクオリティに追いつくことが私の目標でもあります。


さてそのFall Lineは昨日3日発売。
ぜひ見てください!