2019年4月14日日曜日

「遭難救助は税金のムダ」なんかじゃないと思うのだが





白馬山頂から滑り下りたところ、カリカリのアイスバーンでヒヤッとしたという動画。これのコメント欄が燃えていました。登山のリスクとそれに対する世間の認識について、いろいろ考えさせられるやりとりなので、興味のある人は見てみてください。


発端はこういうコメント。

ゲレンデじゃない場所で滑る事の危険性や無謀さの認識はあるのでしょうか。しかも誰も足を踏み入れてないような急斜面を横滑りで下るって、雪崩でも引き起こしたいのかって思ってしまう。雪崩を引き起こしたり、遭難した場合、多方面に迷惑が掛かるってのに。勝手に失踪するならともかく、雪山の事故で山岳救助隊なんか出動しようもんなら、どれだけの血税が無駄に使われることか。

自分はここにすごく引っかかりました。山岳遭難が起こったときなどに、よくこのように「税金が無駄になる」という趣旨の批判がなされるのですが、これにはいつも激しく違和感を抱きます。


だって人の命が危険にさらされているわけですよ。そこに税金を使わずしていったいどこに使うのか。「登山は遊びで行っているのに」という意識からこういう言葉が発せられると思うのですが、ならば、海水浴で溺れた人も休日のドライブで事故を起こした人も助ける価値がないのか。そんなことないでしょう。どれも等しく助けなくてはいけないし、それこそ税金の使い方としては、人命救助はもっとも優先度が高いものであるはず。


「危険なことを好き好んでやっているのだから自業自得」という意識も、批判の背景にはあるのでしょう。が、登山の死亡率って、0.005%くらいですよ(600万人登山人口がいて、年間の死亡者数が300人くらいなので)。新聞が山岳遭難を大きく取り上げてきた歴史があるので、登山って実態以上に危険なものというイメージがついてしまっているように感じます。


おそらくですけれど、「税金の無駄使い」と批判する人は、登山をシリア潜入などと同じようなことと考えているのではないでしょうか。わざわざ危険を冒して、なんの意味があるのかわからないことをやっている人たちという認識。それを人的・金銭的コストをかけてまで助ける必要があるのかと。そう考えると私も批判を理解できるような気がするのです。イラクやシリアでの捕虜事件のニュースを聞いたとき、私のなかにも批判の目で見たくなる感情が少しはあったからです。


でもそれは、私はイラクやシリアのことをよく知らないし、そこに向かう人のことも知らないからなんですよね。「北斗の拳みたいな場所にのこのこ出かける間抜けなやつ」という程度の雑なイメージしか描けないから、雑な感情しか抱けないわけです。


そうであるのならば、税金がどうのという大上段な議論をしてはいけないと思うんです。「気に食わない」程度の雑な言い方ならかまわないと思いますよ。けれど、雑である状況認識に、税金という精緻な議論が必要なものをからませると、そこにはズルさを感じてしまう。私が「税金の無駄使い」論が嫌いなのはそこに大きな理由がありそうだ。動画の一連のコメントを読んでいて、そんなことを思いました。