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2020年12月2日水曜日

『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』感想


 

話題のこの本。発売前に読んでいたので感想を書いておこうと思う。


上に載せたのは集英社の宣伝用POPで、私のコメントが載っているが、本の端的な感想としてはこのとおり。これは宣伝用に書いたコメントではなく、献本をしてくれた編集者に送ったメールの一部が使われたもので、率直な感想そのままである。


実を言うと私も、一時期、栗城さんについて本を書こうかと考えたことがある。『トリックスター』というタイトルまで思いついていた。

(トリックスターというのは、「神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者である。 往々にしていたずら好きとして描かれる。 善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴である<Wikipediaより>」らしい。まさに栗城さんにピッタリのタイトルではないだろうか)。


が、結局書かなかった。自分には「栗城史多について書く理由がない」と感じたのが最大の理由である。存命の人ならまだしも、故人、しかも亡くなって間もない人についてものを書くには、相当の関係性か、書かなくてはならない状況的理由がなくてはならないと思う。私にはそれがなかった。せいぜいネット記事を数本書くくらいが、私に見合ったボリュームであった。


そして『デス・ゾーン』を読んで、やっぱり書かなくてよかったなと思った。『デス・ゾーン』は私が想定したものと方向性は大体同じ。私が書いたら、同じような内容で情報が薄いという、劣化コピーのようなものになっていたはず。栗城史多について一冊書くという難しい仕事に説得力を持たせられたのは、著者の河野啓さんならではだったと思うのである。


河野さんは、10年ほど前に栗城さんを取材していたテレビディレクター。当時は、長期にわたって毎日のように会う、それこそ密着取材だったらしい。NHKなどの全国放送が栗城さんを取り上げる前で、栗城さんがこれから本格的に世に出て行こうとしていたころだ。


つまり河野さんは、栗城さんが虚飾をまとう前の素の姿をかなり知っている人であり、同時に、栗城さんが世に出る後押しをした初期の重要人物のひとりともいえる。河野さんには栗城さんについて「書く理由」があったのだ。


河野さんは、装飾も揶揄もせず、事実ベースで淡々と栗城史多という人物を描き出していく。その結果として、栗城さんの弱さやズルさもあからさまになるので、故人に酷すぎると感じる人もいるかもしれない。


だが私はそうは感じなかった。河野さんの筆致からは、栗城さんを貶める意図も持ち上げる意図も感じられず、ただただ、栗城史多という人物の真の姿を知りたいという意図しか感じられなかったからである。


ある対象を表現する場合において最も誠実かつフェアな態度というのは、真実に忠実になることだと信じている。不当に貶めることが不誠実なのはもちろんだが、実態以上に褒め称えるのも、対象の存在を本当には見つめていない態度だと考える。


「誠実な本」と表現したのは、このあたりに河野さんのとても真面目なスタンスを感じたからである。河野さんは愚直に栗城さんの実像を描き出そうとしている。その結果、浮かび上がるのが、実は意外なほどに愚直で不器用だった栗城さんの姿である。


「愚直で不器用」というのがマイナスポイントかというと、まったく逆。栗城さん本人の著書『一歩を越える勇気』や『NO LIMIT』からはなんのリアリティも感じられなかったのだが、『デス・ゾーン』で描かれる、エベレストにある意味愚直に通い続ける栗城史多の姿には人間味を感じたし、共感できる部分も少なからずあったのだ。


河野さんは栗城さんになかば裏切られるようなかたちでテレビ取材を中断するはめになった経緯があるという。栗城さんに対しては複雑な思いがあったらしいのだが、本書の取材で栗城さんのさまざまな面を知るにつれ、あらためて栗城さんのことを好きになれたと語っていた。


好きになれるとまではいかないが、私の読後感もそれに近い。とにかく不思議で、わけがわからず、うさんくさくもあり、共感できる余地はほぼなかった栗城史多という人物はいったい何者だったのか。本書を読んだことで、それが実感をもってかなり理解できるようになったように思う。



*著者の河野啓さんにインタビュー取材をしました。記事は1月発売の『BE-PAL』に載る予定です。


【2021.4.11追記】

BE-PALのウェブで記事が読めるようになりました。こちらです。






2019年4月14日日曜日

「遭難救助は税金のムダ」なんかじゃないと思うのだが





白馬山頂から滑り下りたところ、カリカリのアイスバーンでヒヤッとしたという動画。これのコメント欄が燃えていました。登山のリスクとそれに対する世間の認識について、いろいろ考えさせられるやりとりなので、興味のある人は見てみてください。


発端はこういうコメント。

ゲレンデじゃない場所で滑る事の危険性や無謀さの認識はあるのでしょうか。しかも誰も足を踏み入れてないような急斜面を横滑りで下るって、雪崩でも引き起こしたいのかって思ってしまう。雪崩を引き起こしたり、遭難した場合、多方面に迷惑が掛かるってのに。勝手に失踪するならともかく、雪山の事故で山岳救助隊なんか出動しようもんなら、どれだけの血税が無駄に使われることか。

自分はここにすごく引っかかりました。山岳遭難が起こったときなどに、よくこのように「税金が無駄になる」という趣旨の批判がなされるのですが、これにはいつも激しく違和感を抱きます。


だって人の命が危険にさらされているわけですよ。そこに税金を使わずしていったいどこに使うのか。「登山は遊びで行っているのに」という意識からこういう言葉が発せられると思うのですが、ならば、海水浴で溺れた人も休日のドライブで事故を起こした人も助ける価値がないのか。そんなことないでしょう。どれも等しく助けなくてはいけないし、それこそ税金の使い方としては、人命救助はもっとも優先度が高いものであるはず。


「危険なことを好き好んでやっているのだから自業自得」という意識も、批判の背景にはあるのでしょう。が、登山の死亡率って、0.005%くらいですよ(600万人登山人口がいて、年間の死亡者数が300人くらいなので)。新聞が山岳遭難を大きく取り上げてきた歴史があるので、登山って実態以上に危険なものというイメージがついてしまっているように感じます。


おそらくですけれど、「税金の無駄使い」と批判する人は、登山をシリア潜入などと同じようなことと考えているのではないでしょうか。わざわざ危険を冒して、なんの意味があるのかわからないことをやっている人たちという認識。それを人的・金銭的コストをかけてまで助ける必要があるのかと。そう考えると私も批判を理解できるような気がするのです。イラクやシリアでの捕虜事件のニュースを聞いたとき、私のなかにも批判の目で見たくなる感情が少しはあったからです。


でもそれは、私はイラクやシリアのことをよく知らないし、そこに向かう人のことも知らないからなんですよね。「北斗の拳みたいな場所にのこのこ出かける間抜けなやつ」という程度の雑なイメージしか描けないから、雑な感情しか抱けないわけです。


そうであるのならば、税金がどうのという大上段な議論をしてはいけないと思うんです。「気に食わない」程度の雑な言い方ならかまわないと思いますよ。けれど、雑である状況認識に、税金という精緻な議論が必要なものをからませると、そこにはズルさを感じてしまう。私が「税金の無駄使い」論が嫌いなのはそこに大きな理由がありそうだ。動画の一連のコメントを読んでいて、そんなことを思いました。



2018年11月10日土曜日

角幡唯介、ノンフィクション本大賞受賞


ノンフィクション本大賞2018 - Yahoo!ニュース

角幡唯介が、Yahoo!ニュース本屋大賞「ノンフィクション本大賞」を受賞した。本屋大賞といえば、いまやある意味、芥川賞や直木賞よりも価値がある賞。今年から新設されたノンフィクション部門の大賞第一号が角幡というわけだ。私は角幡が書く文章の大ファンであるので、受賞はとても喜ばしい。


以前、このブログで角幡の文章の魅力について書いたことがある。そちらもぜひ読んでいただきたいのだが、じつは本当に読んでほしいのは、最後に紹介している角幡自身のブログの文章である(タイトルはここには記せない)。


『外道クライマー』書評




実際に会う角幡は、どちらかというと表情の変化がないほうで、しゃべりも訥々としており、あまり切れ者という印象がない。ところが著作から受けるイメージはキレキレであり、そのギャップにとまどう。どちらが角幡の真の姿なんだ。


7年前、角幡が2作目の著作『雪男は向こうからやって来た』を出したときに、『PEAKS』にその紹介記事を書いたことがある。これも角幡の人物と文章のギャップについて書いていた。この文章はいまでも自分的に気に入っていて、埋もれさせるにはもったいないので、PEAKS編集部の許可を得ずにここに再掲します。






<以下再掲>

 もう15年くらい前になるけれど、角幡唯介とクライミングに行ったことがある。先にばらしてしまえば、角幡は大学探検部で私の後輩にあたる。私はすでにOB、角幡は入部して間もないころで、岩場で会ったのが初対面だった。

 このときの印象は「野人のような男だな」という一点につきた。とにかく目つきが鋭い。いまよりやせていて顔つきももっとシャープだったと思う。そんなハングリーむき出しのような風貌が強く印象に残っている。

 そして日本語で会話をした記憶がない。憶えているのは、「ウオッ、ウオッ」という、うなるような相槌だけだ。それだけ聞くとほとんど類人猿のようで、本人には失礼な話だが、でも、自分にとってはそういう印象しかなかったのは本当なのだからしょうがない。

 その後は会う機会はほとんどなく、たまに人伝てに噂を聞く程度だった。しかし伝わってくる話は、やっている活動の内容にしても言動にしても、猪突猛進というイメージのものばかりで、私の第一印象を裏付けるだけだった。行動力は人一倍ありそうだけれど、知的なタイプではないのだろう。だからその後、上級生になってクラブのリーダーに就任したと聞いたときはちょっと意外に感じた。

 角幡は大学を卒業して朝日新聞の記者になった。これにはもっと驚かされた。当時の朝日新聞といえば、日本一入社するのが難しい会社のひとつだ。獣を思わせた肉体派の男が、いったいどうやって入ることができたのか。私にはわからなかった。

 角幡は、朝日新聞に入社する前、破天荒な人物として知られるあるクライマーと、登山経験皆無に近い女性歌手との3人で、ニューギニアまでヨットで渡り、ジャングルを踏破し、トリコーラという標高5000m近い山の北壁を初登攀するということをやっている。後年、ひょんなことからその女性歌手と知り合った私は、壮大な冒険行でありながら、どこか珍道中ともいえるその旅の実態を聞いたことがある。私にとっての角幡像は、エリート記者よりそちらのほうがしっくりくるものがあった。

 そして昨年の『空白の五マイル』である。それを読んで申し訳なく思った。こんなにも緻密で論理的な仕事ができる男だったとは。なにより、まったく非日常なテーマながら、ふつうの読者に刺さる言葉をきちんと選び出し、決してマニアに走らない。そのバランス感覚に本当に感心した。これは野人どころか、かなり頭がキレるやつでないとできない話だ。

 それは今回の本にも共通している。雪男がテーマというと、多くの人は「大丈夫か、こいつ?」と思うにちがいない。安心してほしい。角幡は雪男の信者ではない。むしろ懐疑的なスタンスだ。そんなものにどうしてこれだけ多くの人が惹かれ、人生をかけてまで探そうとするのか。それを元新聞記者らしい多面的な取材と人物描写で説いてくれている。

 昨年、穂高に行ったときに山中で偶然、再会した。久しぶりの角幡は、とてもやさしい笑顔を見せるようになっていて、もちろん日本語もしゃべっていた。しかし体は格闘家のようになっていた。「クマみたいだな」と思った。

 野人からクマ。格が上がったのか下がったのかわからないけれど、少なくとも野人イメージはもう消えた。だから許してくれ、角幡。

PEAKS 2011年12月号 p.97より>








この『PEAKS』12月号、たまたま別の記事で角幡のインタビューが5ページにわたって掲載されています。当時角幡が住んでいた東長崎のボロアパートで取材が行なわれ、柏倉陽介が撮影した印象的な写真が使われています。そちらも注目です。





↑一瞬混乱するかもしれませんが、私のツイートではなく、ライターの森山「伸也」のツイートです(血縁関係はありません)。穂高で角幡に会ったとき、私はこの伸也くんと一緒だったのです。ちなみに、当該の号に載っているインタビューは伸也くんが書いているものではありません。彼によるインタビューはそれより前、2011年2月号に載っています。




なお、ニューギニア冒険の話は、この本に詳しいです。著者の峠恵子さんが件の「女性歌手」です。この本、冒険界きっての奇書といわれるくらいとんでもない本で、峠さん自身も相当ぶっとんでいます。本を読んでいると、3人のなかで角幡がいちばん常識的な人間に見えるくらいです。





2018年6月11日月曜日

Youtuberとフリーソロイスト

栗城史多さん関連で、ブログのコメント欄に「彼は、ビルパフォーマンスで落ちて死んだYoutuberみたいなものだった」という意味のコメントを多く目にしました。


そんなYoutuberがいるのか。私は知らなかったので、検索して発見。見てみました(かなり衝撃映像なのでリンクは張りません)。なんというか、こんなみじめな死に方ってあるのか、というのが見てすぐの感想でした。


が、その後、ちょっと考えてしまいました。このYoutuberと、クライミングのフリーソロで死んだ人の違いを、私は言葉にできなかったのです。いや、全然違うだろ、と心では直感するのですが、じゃあ、その違いを説明しろと言われたら、すぐにはうまい説明ができない。


ジョン・バーカーがYoutuberと同じ? そんなわけないだろ。しかし、その違いを、普通の人にもわかる理屈で説明しろと言われたら、けっこう難しいと思う。


ましてやダン・オスマンとなったら。この人なんて、ノリ的にYoutuberにかなり近いものもある。これもある意味衝撃映像かな。





おそらく両者の違いは、「目的とするもの」なのだろうが、自分の中で未整理で、まだシンプルな言葉にならない。ここらへんをきちんと考えて、わかりやすい言葉で提示するというのも、自分の仕事なのだろう。




ところで、先日、史上最強のフリーソロイスト、アレックス・オノルドの取材をしました。彼は、フリーソロをする前に、徹底的に準備をするそうです。


たとえば、件のビルパフォーマンスをオノルドがすることになった場合、少なくとも以下くらいは絶対やるでしょう。

・ビル屋上の手で持つ部分のフリクションを徹底的に確かめる
・チョークなど、効果的な滑り止めがあるなら使う
・この体勢で50回懸垂しても全然問題ないくらい懸垂を鍛えまくる
・万一のときに使える足置き場を探しておく
・可能なかぎりフリクション性能の高い靴を履く
・突風の有無など、自然現象の研究


こういうことを、Youtuberがやっていたかどうかは疑問です。だって、やっていたら、あんなに簡単に落ちないと思うんですよね。このへんにも違いはありそうな気がします。そこらへんもまだうまく言葉にできないんですが。





オノルドの記事はROCK & SNOW No.80に。興味のある方はぜひ。なんと表紙撮影私です。




2018年5月28日月曜日

「賛否両論」の裏側にあったもの

5月21日、栗城史多さんがエベレストで亡くなりました。当初は、死因や遺体発見の場所など、情報が錯綜していましたが、標高7400mのキャンプ地からの下降途中、滑落しての死亡ということで確定したようです。夜中に下降していたことについて疑問もありますが、状況によってそういうこともあるのかもしれない。そこは私にはわかりません。


事故の第一報以降、私が過去に書いたブログ記事(「栗城史多という不思議」「栗城史多という不思議2」)もアクセスが爆発。なんと1日で90万PVに達しました。あらためて、栗城史多という登山家の知名度の高さ、注目度の高さを知った気分です。


栗城さんについては、昨年の2回の記事で言うべきことは書き尽くしたし、事故のことについてはまだ詳細がわからなかったので、とくに何かを書くつもりはありませんでした。が、1本だけ記事を書きました。


"賛否両論の登山家"栗城史多さんとは何者だったのか――2018上半期BEST5 | 文春オンライン


書いた理由は、竹田直弘さんという編集者からの依頼だったからです。記事中で、昨年、栗城さんに会ったときのことを書いていますが、このとき、この竹田さんも横にいました。竹田さんは、昨年、私のブログを読んで連絡をくれ、栗城さんと会うセッティングをしてくれたのです。事前に栗城さんに記事化を断られていたので、竹田さんにはもはや仕事上のメリットは何もなかったのですが、面倒な日程調整をしてくれたうえに、同席までしてくれました(そういえば、その日は、渦中にあったタレントの松居一代が文藝春秋本社に突撃した日で、目の前で見てびっくりした覚えがあります)。


竹田さんとは以前、Number編集部時代に一度仕事をしたことがあり、そのときの誠実な仕事ぶりに好印象をもっていたし、栗城さんの件で骨を折ってくれた恩もあります。編集者としても、人間としても、信頼できる人という思いがあったので、その竹田さんからの話なら変な記事にはならないだろう。ということで、思い切って記事を書いたというわけです(同様の依頼はほかにもいくつかありましたが、いちばん最初に連絡が来たハフポストの電話取材以外は全部断りました。こんなデリケートな仕事、知らない人相手にできません)。


この記事もずいぶん読まれているようで、ネット上に感想の声があふれています。さらに、栗城さん本人を知る人から直接・間接に話を聞くこともありました。この一週間、それらを見聞きするなかで、私の中での栗城さんのとらえ方に微妙に変化が生まれています。登山家としての評価はなにも変わりません。変わったのは人物についてで、それはどちらかというと同情的・共感的な方向にです。


具体的にどういうことかというのはさておき、そんなことを考えているうちに、ひとつ思うことが浮かんできました。とても重要なことです。以下は、そのことについて書いてみます。


昨年のブログで、私は野球になぞらえて、栗城さんの挑戦の無謀ぶりを説明しました。しかし今では、格闘技にたとえたほうが、より適切だったと感じています。「ボクシングの4回戦ボーイがマイク・タイソンに挑戦するようなものだった」という意味のネットの書き込みを目にしました。まさに言い得て妙。命の危険があるという点で、登山は野球より格闘技に近いものがあるからです。


高額なリングサイドチケットを持っている人は、試合内容にはあまり関心がなく、「ここにいるオレ」を買っているにすぎないという構図も、ボクシングに似ていると感じます。事故後、栗城さんの支援者や知人がSNSで追悼を表明していました。すべてではありませんが、その一部に、私は控えめに言って吐き気を催しました。なんてグロテスクな光景なんだろう。


……つい熱くなってしまった。話を戻そう。


当然のことながら、栗城さんはタイソンに滅多打ちにされて、最後はリング上で命まで落としてしまう結果になったわけですが、これが本当のボクシングだったら、こんなことはあり得なかったはずです。そんなマッチメイク、成立するわけがなく、成立するとしたらテレビのお遊び企画以外にないということが、だれの目にも明らかだからです。


しかし、エベレストではこれが成立してしまった。そこには、不可能を可能に見せる、栗城さんの天才的なショーアップ能力の存在が大きかったと思うのですが、それだけではない。世の人々が、マイク・タイソン(=エベレスト北壁や南西壁の無酸素単独登頂)が何者かを知らず、栗城さんの実力レベル(4回戦なのか日本チャンピオンなのか世界ランカーなのか)もよくわかっていなかった。天才的なショーアップ×観客の無知。このかけ算によって、悲劇的な興行が成立してしまったと思われるのです。


そう、これは悲劇です。命の危険がある無謀な挑戦からおりられなくなったボクサーと、無謀ぶりを理解せずに無邪気に応援している観客という構図。間違ってもこれを、「果敢な挑戦の末に夢破れた」という美談にしてはいけない。


亡くなった故人やご遺族には酷な言い方になってしまいますが、事実としてそのようにしか見えないし、栗城さんと近しかった人に聞いた話を総合すると、これがことの真相であるとしか思えないのです。「好きな山で死ぬことができて本望だったのでは」という陳腐な言葉で片付けても絶対にいけない。


ご遺族や友人など、近しい人にとっては、余計なことは考えず、まずもって故人を偲ぶべき時期でありますが、私を含めて世間一般がやるべきこと考えるべきことは、違うことであるはず。「何が問題だったのか」ということを考え、二度とこういう悲劇が起こらないようにすることが第一であると思うのです。


同時に思うのは、この明らかな悲劇を見て見ぬ振りをしてきた登山界の責任についてです。世間の人々がタイソンの強さも栗城さんのレベルもわからなかったのは、登山界やメディアが伝えてこなかったからです。


登山関係者なら、友人などから「栗城さんて、すごい登山家なの?」と聞かれた経験が一度ならずあるかと思います。しかしこれに答えるのはじつは難しいことです。エベレスト北壁や南西壁の難しさを、山を知らない人にもわかるように説明しなくてはならないし、同時に、栗城さんの実力レベルもわかりやすく説明できなくてはならない。よほど明晰な分析・表現能力をもっている人でもないかぎり、これは困難な話で、結果、面倒になって質問にきちんと答えてこなかった人がほとんどではないかと思われます。もちろん私もそのひとりで、「まあ……すごいというのとは違うんだけどね……」みたいな、曖昧な返事をしてずっと流してきました。


なぜ、レベルを説明するのがそんなに難しいのかと思う人もいるかもしれません。ここが、野球やボクシングなどのスポーツと登山の違うところであって、登山には、明確なランキングのようなものが存在しません。山の難しさは、季節やコンディション次第で変わったりもします。そこに「無酸素」とか「単独」などの条件が加わることによっても、困難度は大きく変動します。第一、登山は競技ではないので、評価基準は一本線ではなく、いくつもあります。考え合わせるべきパラメーターが多岐にわたるので、評価は難しく、それは「世界でいちばんすばらしいギタリストはだれか」を決めるのが困難であることに似ています。実際、先鋭登山の世界的権威とされる「ピオレドール」という賞が、選考基準の食い違いにより内紛が起こり、一時期休止されていたこともあります。


文春オンラインの記事にも書きましたが、登山雑誌は、栗城さんをほぼ黙殺してきました。理由はいろいろありますが、ここに向き合うのが面倒だったからです。へんに持ち上げても、専門誌としての見識を疑われるし、逆に、挑戦を批判的に取り上げるなら、根拠を整理して理論武装しなくてはいけない。どちらも面倒くさい道なので、ならば、ふれないでおくのが無難だろう……ということだったのです。


ところで、「登山雑誌」と他人事のように書いていますが、この20年間、登山雑誌中心に仕事をしてきた私にとっては、これはまさに自分事でもあります。


面倒くさいから、栗城さんにはかかわらないようにしてきたし、面倒くさいから、「登山家の評価」というようなテーマからは、言葉を濁して逃げてきました。ヒマラヤなどの先鋭登山について書くときは、あまり専門的なことを言っても、読者はわからないし興味もないだろうと勝手に忖度して、かなり端折った説明しかしてきませんでした。


こうした態度が、世間の無知を促進した一面はきっとあるというのが、いま感じている反省です。もちろん、社会的有名人になった栗城さんの前には、登山雑誌が何かをやったところで、大した意味はなかったかもしれないし、いずれにしろ結果は変わらなかった可能性も大きい。それでも、一定の歯止めにはなっただろうと思うのです。


私の知る限り、海外のメディアは、それなりにおかしなところはありつつも、4回戦ボーイが世界チャンピオンより有名になってしまうような極端なことはありません。大々的に取り上げられる人は、それなりに実のある人である場合がほとんどです。かなり専門的なわかりにくいことをやっている人であってもです。メディアだけでなく、社会全体の冒険に対する理解度の高さが影響しているのだとは思いますが。


日本はその点、真実よりも、わかりやすさや人気を優先させてしまうところがあります。多くの場合、それは現実的な選択であり、それによって問題が起こることはあまりないのですが、歪んだものの見方であることは変わりない。その歪みが、悲劇につながることもある。歪みはやはり歪みなのだ。そのことに気づけたことが、今回の事故から得ることができた、私にとっての教訓です。

2017年6月9日金曜日

栗城史多という不思議2

先日書いた栗城史多さんの記事、このブログを始めて以来最大のアクセスを集めました。ある程度拡散するかなとは思っていたけど、予想以上。ツイッターやフェイスブックでもたくさんシェアされて、その後会ったひと何人からも「読みましたよ」と感想を聞かされました。なんと栗城さん本人からもフェイスブックの友達申請が来て、ひえーと思いつつもOKを押しておきました。


となるとやっぱり気になるので、栗城さんがらみの情報をいろいろ見てみました。これまで栗城さんを特段ウォッチしていたわけではないので、知らなかったこともたくさんありました。そのひとつはルート。栗城さんがねらっているのはエベレスト西稜~ホーンバインクーロワールと思っていたのだけど、これは結果的にそちらに転身しただけで、もともとは北壁ねらいだったようですね。


直接・間接に、いろいろ意見や情報もいただきました。ひとつうまい例えだなと思ったのは、「栗城史多はプロレスである」という見方。プロレスとレスリングは似て非なるもので、前者の本質はショー、後者は競技であります。栗城さんのやっていることも本質はショーであって、登山の価値観で語っても大して意味はないということ。オカダ・カズチカがオリンピックに出たらどれくらいの順位になるのかを語るようなものでしょうか。それは確かに意味がない。


「栗城ファンにとっては、彼のやっていることが登山として正しいのかどうかはどちらでもよいこと。ただ前向きになれる、ただ希望をもらえる、という理由で支持しているのだ」という意見も聞きました。それもそうなのだろうと思う。



それでも嘘はいけない


「栗城史多はショーである」という見方は、以前からなんとなく感じていました。登山雑誌で栗城さんを正面から扱ってこなかったのは、そういう面もあります。オカダ・カズチカ(何度も出してすみません)をレスリング雑誌で取材しても何を話してもらえばいいのかわからないように、登山雑誌で栗城さんをどう扱ってよいのかわからなかったのです。


その一方で、栗城さんは少なくない数の人に共感・感動を与えていることも感じていました。それはひとつの価値であります。それを最大限に生かすには、登山雑誌ではなく、テレビとかのほうが活躍の場としては合っているんだろうとも思っていました。だから別ジャンルの人物として静観していたというのが、じつのところです(PEAKS編集部時代の元上司が、私が退職後に栗城さんに取材を申し込んでいたことを今回初めて知りました。登山雑誌は取材NGということで断られたそうです)。


ただし、一点だけどうしても気になるところが。数年前から気になっていたのですが、今回のブログの反響をもとにあらためていろいろ調べて、確信を深めました。それは、「栗城さん、嘘はいけないよ」ということ。


「単独といいながらじつは単独じゃない」とか、「真の山頂に行っていない」とかの嘘もあるみたいですが、個人的にはそれは、いいこととは言わないにしろ、まあどちらでもよい。本質がショーなのだとすれば、それは小さな設定ミスといえるレベルの話で、比較的問題が少ないから。どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに、「登頂チャレンジ」を謳っているところです。


ここは30年間登山をしてきて、20年間登山雑誌にかかわってきたプロとして断言しますが、いまのやり方で栗城さんが山頂に達することは99.999%ありません。100%と言わないのは、明日エベレストが大崩壊を起こして標高が1000mになってしまうようなことも絶対ないとはいえないから言わないだけで、実質的には100%と同義です。このことを栗城さんがわかっていないはずはない。だから「嘘」だというのです。


北壁はかつて、ジャン・トロワイエとエアハルト・ロレタンという、それこそメジャーリーグオールスターチームで4番とエースを張るような怪物クライマーふたりが無酸素で登ったことがあります。それでもふたりです。単独登山ではありません。単独で登るなら、その怪物たちより1.3倍くらい強いクライマーである必要があります。そして、長いエベレスト登山の歴史のなかで、北壁が無酸素で登られたのは、この1回だけです。


西稜ルートに至っては、これまで単独はおろか無酸素で登られたこともありません。ウーリー・ステックという、メジャーリーグで不動の4番を張る現代の怪物が、この春ついに無酸素でトライをしようとしていましたが、非常に残念なことに、直前の高所順応中に不慮の事故で亡くなってしまいました。

【2018.5.8追記】
認識違いがあったので訂正します。西稜は、1984年に、ブルガリアのクリスト・プロダノフが単独無酸素で登っていました(ただし、途中まで同行者がいたうえ、山頂から下降中に行方不明になっているので、単独無酸素登頂成功といっていいかは微妙です)。ほか、単独ではありませんが、1989年に、ニマ・リタとヌルブ・ジャンブーが無酸素で登っています。なお、北壁に関しては、栗城さんがねらっていたルートが無酸素で登られたのは、上記の1回のみですが、別のルートからは、同じく無酸素で過去2回登られています。いずれも単独無酸素で成功した例はありません。




栗城さんがやろうとしているルートは、こういうところなのです。1シーズンに数百人が登るノーマルルートとは、まったく話が違うということをどうか理解してほしい。


栗城さんは世界の登山界的には無名の存在です。本当にこれを無酸素単独で登ったとしたら、世界の登山界が「新しい怪物が現れた」と仰天し、世界中の山岳メディアが取材に殺到し、「登山界のアカデミー賞」といわれる「ピオレドール」の候補ともなるはずです。




そんなわけないだろ。


ということは、だれよりも栗城さん自身がわかっているはず。本気で行けると考えているとしたら、判断能力に深刻な問題があると言わざるを得ない。ノーマルルートが峠のワインディングロードなら、北壁や西稜の無酸素単独は、トラックがビュンビュン通過する高速道路を200kmで逆走するようなもの。ところが、そんな違いは登山をやらない普通の人にはわからない。そこにつけこんでチャレンジを装うのは悪質だと思うのです。



なぜ嘘がいけないのか


難病を克服した感動ノンフィクションを読んで、それがじつは作り話だとわかったら、それでもあなたは「希望を与えられたからよい」といえますか。あるいは、起業への熱意に打たれて出資したところ、いつまでも起業せず、じつは起業なんかするつもりはなかったことが判明したら。「彼の熱意は嘘だったが、一時でも私が感動させてもらったことは事実だ」なんて納得できますか。


つまり、嘘によって得られた感動は、どんなに感動したことが事実であったとしても、そこに価値などないのです。結局、「だまされた」というマイナスの感情しか最終的に残るものはない。これでは、登山としてはもちろん、ショーとして成立しないじゃないですか。


もうひとつ、嘘がいけない理由があります。どちらかというと、こちらのほうが問題は大きい。それは、栗城さん自身が追い込まれていくことです。応援する人たちは「次回がんばれ」と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか。


栗城さんは今のところ、そこには足を踏み入れない、ぎりぎりのラインで撤退するようにしていますが、今後はわからない。最近の栗城さんの行動や発言を見ると、ややバランスを欠いてきているように感じます。功を焦って無理をしてしまう可能性もあると思う。


そのときに応援していた人はきわめて後味の悪い思いをする。しかし応援に罪はない。本来後押しをしてはいけないところを誤認させて後押しをさせているのは栗城さんなのだから。嘘はそういう、人の間違った行動を招いてしまう罪もある。そして不幸と実害はこちらのほうが大きい。


誤解のないように書いておきますが、私は「登山のショー化」がいけないと思っているわけではありません。観客のいない登山というものの価値や意味を人々に伝えるためには、ショーアップはあっていいと思っています。ただし嘘はいけない。


栗城さんの場合は、「無酸素単独」と言わなければいいのです。北壁とか西稜とかも言わないで、ノーマルルートの「有」酸素単独登頂でもいいじゃないですか。これなら可能性はゼロではないと思います。「無酸素」というほうが一般にアピールすると考えているのかもしれないけど、どうですかね。普通の人が酸素の有無にそんなに興味ありますか。そこはどちらでもよくて、山頂に達するかどうかのほうがよほど関心が高いんじゃないでしょうか。有酸素だろうが登頂のようすをヘッドカメラでライブ中継してくれるなら、それは私だって見てみたいと本気で思いますよ。


そして登ってしまえばショーが終わってしまうわけじゃない。一度山頂に立てば、無酸素への道筋が多少なりとも開けることもあるかもしれないし、あるいは今度は春秋のダブル登頂をねらうとかでもいい。なにより、人々の見方が大きく変わるはず。第二幕、第三幕はいくらでもあるーーというか、むしろ開けると思うんですが。




【後日談】
ちゃんと話を聞いてみたいと思って正式に取材を申し込んだのですが、断られてしまいました。残念。→こちら


【追記】
栗城さん遭難後に書いた総括的な文章はこちら

「賛否両論」の裏側にあったもの




2017年6月2日金曜日

栗城史多という不思議

栗城史多さんがエベレスト登頂を断念したらしい。今回で7回連続の登頂失敗ということになる。


栗城さんのことは、これまで、まあちょっとどうだかなと個人的に思ってはいたものの、本人をよく知らないし、話したこともないし(正確には10年くらい前に一度だけあいさつ程度を交わしたことはある)、判断はずっと保留してきました。ただしそろそろひとこと言いたい。さすがにひどすぎるんじゃないかと。


栗城さんはフェイスブックにこう書いています。


本当は30日に登頂を目指す予定でしたが、ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト全体が悪天の周期に急に変わり本当に残念でした。 
25日の好天に登頂できればよかったですが、異様な吐き気が続き、本当に悔しいです。。 
高所ではどんなに体調管理しても何がおこるかわかりません。 
ただ今回初めて「春」に挑戦しましたが、秋に比べて春は好天の周期も多く、西稜に抜けるブルーアイスの状況もよくわかったので、来年に繋げられます。 
皆さんご存知だと思いますが、栗城史多はNever give upです。


この状況でどうして「来年に繋げられ」るといえるのか、どうして「Never give up」といえるのか、本当にわからない。タイミングとか体調管理でなんとかなるレベルではまったくないことは、ヒマラヤに登ったことがない私でさえわかります。常識的に考えれば、もうとっくに登り方を変えるか、あるいは目標の山を変えるかするべきなのに、頑ななまでにやり方を変えない。これでは、ただの無謀としか思えないのです。


かつて、服部文祥さんが栗城さんのことを「登山家としては3.5流」と言って話題になったことがありました。3.5流という評価が適正かどうかは別として、登山家としての実力が服部さんより下であることは間違いない。野球にたとえてみれば、栗城さんは大学野球レベルというのが、正しい評価なのではないかと思います。ちなみに服部さんは日本のプロ野球レベル。日本人でメジャーリーガーといえるのは数人(佐藤裕介とかがそれにあたる)。


それに対して、栗城さんがやろうとしている「エベレスト西稜~ホーンバインクーロワール無酸素単独」というのは、完全にメジャーリーグの課題です。栗城さんが昔トライしていたノーマルルートの無酸素単独であれば、それは日本のプロ野球レベルの課題なので、ひょっとしたら成功することもあるのかもしれないと思っていました。しかし、日本のプロ野球に成功できなかったのに、ここ数年はなぜか課題のレベルをさらに上げ、執拗にトライを重ねている。


ドラフト候補でもない大学野球の平均的選手が、「おれは絶対にヤンキースで4番を打つ」と言って、毎年入団テストを受け続けていたとしたら、周囲の人はどう思うでしょうか。大学生の年齢なら、これから大化けする可能性もないとはいえないから、バカだなと言いつつ、あたたかい目で見守ることもあるかもしれない。しかし、実力だけが大学レベルで、年齢は35歳。これまですでに7回テストに落ち続けている。となると、たいていの人はこう思うはずなんです。


「この人、どうかしてるんじゃないか?」


私は栗城さんを批判したいというよりも、とにかくわからないのです。この無謀な挑戦を続けていく先に何があるのか。このあまりにも非生産的な活動を続けていくモチベーションはどこにあるのか。これが成功する見込みのない挑戦であることは、現場を知っている栗城さんなら絶対にわかるはずなのに、なぜ続けるのか。それともそれすらもわからないのか。あるいは、わかっていて登頂するつもりはハナからないのか。そこに至る挑戦の過程そのものがやりたいことになっているのか。もうこれが事業になっているからいまさらやめられないということなのか。……すべてわからない。


さらにわからないのは、ファンの存在です。栗城さんのフェイスブックには応援のコメントが並び、だれもが知っているような大企業がスポンサーについてもいます。彼ら彼女らは、栗城さんに何を見ているのだろうか。


「登頂に成功するかどうかは関係ない。彼のチャレンジ精神に感動するのだ」。これならわかる。しかしそれは、目標を実現するための努力を重ねている日々の姿に感動するというものではないでしょうか。私だって、栗城さんが年間250日山に入って冬の穂高から剱岳までバリバリ登り、エベレストのほかに毎年1、2回はヒマラヤやアラスカ、アンデスなどの山で高所の経験を積み、世界のクライマーと交流してルートの研究を日々行なっていれば、無謀なやつだと思いつつ応援したくもなる(それだけやってもエベレスト西稜ソロには届かないはずですが、気概は感じる)。


こう書くと、「彼はそういう登山界の常識に挑戦しているのだ」という声が聞こえてきそうです。ただ、ヤンキースの4番を目指すなら、野球にすべてを捧げる日々を送っていないと説得力ないでしょ。ふだんはフルタイムのサラリーマンをしていて、ヤンキースの4番と言っても荒唐無稽にしか聞こえないじゃないですか。野球ならすぐわかる理屈が、なぜ登山だとわからないのか。野球だって登山だって、そういうどうしても必要なことって確実にあると思うんですよ。常識を破っていくのはその先にある。


そのようすがまったく見えず、毎年、その時期が来るとトライにだけ出かけている姿は、やっぱりどうしても理解できないのです。不思議で不思議でしょうがない。栗城さんの真の目的はなんなのか。真相を知りたい。本当に、一度その心の底の底を聞いてみたいと思います。





【補足】

書き終わったところで、山岳ガイドの近藤謙司さんがこうツイートしているのを知りました。まさにこれです。




【補足2】

後日、もう少し詳しく書いてみました。

栗城史多という不思議2