2015年7月31日金曜日

3泊5日でネパール・ランタン谷に行ってきました

カトマンズの空港から見たガネッシュ・ヒマール。左から4峰、2峰、1峰、5峰(だと思う)


日曜深夜出発・金曜早朝帰国という駆け足でネパールに行ってきました。
ネパールを訪れたのは初めて。
川名匡ガイドがランタン谷に支援物資を届けに行くのにおともしました。


ネパールに行ったこともなく、ランタン谷にもなんの縁もゆかりもない私ですが、『山と溪谷』7月号でネパール地震の記事を作ったときに、現地に行ったことがない自分が記事を作っていることに隔靴掻痒というかもどかしさを痛切に感じ、一度ネパールに行きたいと思っていたのです。地震の状況が知りたいということではなく、単純にネパールを見てみたいと。
そんなときに川名ガイドが同行者を募集していたので、衝動的に行くことにしてしまったというわけです。





通常1週間くらいかけて歩いていくランタン谷ですが、今回はヘリコプターを使ってカトマンズから往復2時間。現地滞在はわずか30分ほどという弾丸行程でした。



ランタン谷では土砂崩れで村がひとつまるごと埋まってしまい、山岳地としてはロールワリンと並んで地震の被害がもっとも大きかった場所です。被害者数は数百人におよび、外国人旅行者も100人くらい埋まってしまったようです。

左の灰色の部分が土砂崩れ。この下に村があったそうです。右の緑の部分は村の畑


ヘリから見た風景はすさまじいもので、集落がひとつ完全に消滅していました。行方不明者の捜索などとうてい不可能とひと目でわかるような規模の土砂崩れです。対岸の斜面は高さ100mくらいまで(もっと?)爆風で大木がすべてなぎ倒されていました。


この奥にもうひとつ村があるのですが、土砂崩れで道も遮断されてしまったために、現在は陸の孤島状態。支援物資はそこに持っていったというわけです。

新品のダウンジャケットやレインジャケット、テントなどを渡してきました


この2時間以外は基本的にカトマンズにいました。報道では、ビルや世界遺産の寺が崩壊したりなどインパクトある映像がよく流れていたので、カトマンズの街が半ば崩壊したようなイメージを持っていましたが、思っていたより普通でした。とくに被害のひどい一角をのぞけば、街を歩いていても気づかないほど。まあ、もともとごちゃごちゃしていて今にも壊れそうな建物が多いせいというのもありますが。



ここは地震のせいなのかもともとボロかったのか判断つかない

それよりも印象に残ったのは猛烈な渋滞とないに等しい交通マナー。信号はないかあっても停電しているので、交差点では四方から車とバイクがわれ先に突っ込んできてカオス状態。みんな車間15cmくらいですり抜けていきます。よくぞまあこれで事故が起こらないものだよなと思うんですが、見なかっただけで実際には起こっているんだろうな。





でもまあ、渋滞は地震以前からカトマンズの名物であり、この写真も通勤ラッシュだったりするのです。当たり前だけどほとんどの人々は通常生活に戻って日々を送っているようでした。







2015年7月16日木曜日

バンフ映画祭試写会に行ってきました


毎年楽しみにしているイベント、バンフ映画祭(バンフ・マウンテン・フィルム・フェスティバル)の試写会に行ってきました。


登山、クライミング、スキー、自転車、カヤックなどなど、主に山を舞台にしたショートフィルムの映画祭。本物はカナダのバンフで行なわれるのですが、ここ10年ほど、日本でも全国で上映が行なわれるようになっています。きょう行なわれたのは、秋の上映に先駆けてのメディア向け試写会というわけです。


わたくし実はムービー好きであり、高校時代には自主映画を作ったり、就活ではテレビの制作会社を受けたり、仕事キャリアの始めも動画制作だったりするのです(ヤマケイで2年間スキー・スノーボードビデオの仕事をしていました)。いまでもユーチューブ見始めたら5時間くらい見ちゃったりします。


だからバンフ試写会も毎年楽しみなわけです。で、いつも海外のアウトドアムービーのクオリティの高さにため息をつくと同時に嫉妬すら覚えます。なんでこんないいものを作れるのかなこいつらは、という感じ。


制作者は映像の専門家もいるのですが、とくに注目しているのは、アウトドアのプレーヤーとしても一流の人が作っている作品。彼らが作るものがいいのは、普通では行かれない場所での迫真の映像を見せてくれること。かといって映像が素人っぽいわけではないんですよ。やってることと映像の両面のクオリティがすばらしく高いのが、海外のアウトドア映像の魅力なのです。


とくにお気に入りは、アメリカのCamp 4 Collectiveというチーム。リーナン・オズタークというクライマーとして一流のくせにアートな才能が充満している男がおりまして、彼のセンスが作品には爆発しております。この人のセンスは大好き。もうひとつ、イギリスのアレステア・リーという人の作る映像もよいです。レオ・ホールディングというクライマーと組んでよく作品を作っていますが、よくこんな厳しい環境でカメラ回せるな!と感心させられます。で、彼もまたきびしい場所に行けるだけでなく、作品の構成力や映像センスもすばらしいです。


話がそれましたがバンフ映画祭。まあ、そんなような日本ではちょっと見られない見応えあるアウトドア映像がたくさん見られるというのが魅力です。毎年、クライミング系作品に傑作が多く(クライミング好きの私の身びいきではなく)、これまで見た歴代の私的ベストは、ピーター・モーティマーという人が作った「First Ascent」という作品。カナダにあるクライミングルートの初登競争を描いたものなのですが、これがすばらしい人間ドラマになっているのです。クライミングに興味がない人でも主役のディディエというクライマーが大好きになってしまうこと請け合いです(ユーチューブは全編ではなくて抜粋)。


ピーター・モーティマー作品、もうひとつすごい好きなのがあって、これです。これはもうほんとに箸休めみたいな小品なのですが大好き。(モーティマー以外の私的ベストもうひとつあって、それはひとりでリヤカーを引いて砂漠を横断する作品なのですがタイトルとか忘れてしまった。だれか教えてください。もう一度見たい)。


今年のグランプリもクライミングもの。ヨセミテ黎明期を支えたふたりのクライマーを、昔の写真をうまく使って動画に仕立てたというものです。制作は! またしてもピーター・モーティマー! 個人的には「First Ascent」のほうが好きですが、クオリティはさすがのモーティマーという感じでした。あのジョッシュ・ロウエルも制作にかんでいると聞けば、むむっと反応するマニアも多いことでしょう(少ないか)。


一般公開は9月から。アウトドア好きは一度は見に行くことをおすすめします。後悔はさせません。こういうアウトドアものは大画面で見るとよさが5倍くらいになるからです。ユーチューブで見たからもういいよという人も大画面で見ると印象が変わるはず。字幕もあるしね。

2015年7月5日日曜日

伝説のクライマー・南博人


私がクライミングをやりたいと思ったきっかけになった人物に会うことができました。
谷川岳衝立岩の初登攀者、南博人さんです。


上のサインを書いてもらった『谷川岳』(瓜生卓造著)という本を学生時代に読んで、「おれも谷川岳に行きたい!」と強烈に感化されたのがそのきっかけです。
この本のクライマックスとなっているのが衝立岩初登攀のくだりで、その主役が南さんだったのです。


とくに印象に残っているのが、衝立岩を登り切ったところを描写するこの一節。

「南の唇は紙のように乾き、口内は気味悪く粘っていた。彼は横を向いて唾を吐いた。真赤な血の塊りだった。彼は肩をすぼめた」

カッコいい! おれも衝立岩の頂上で血の唾を吐きたい!
と、シビれてしまったのです(その後いまに至るも衝立岩は登れていませんが)。


言ってみればわがアイドル。
御年84歳ですが、アイドルはアイドルなのです。


実際にお会いする南さんはとてもあっけらかんとした人柄で、
「気負い」というものが全然感じられないのです。
日本のクライミング史を語るうえでは欠かせない人なのですが、
伝説のクライマー的なえらぶったところがまったくありませんでした。


私は当然、「本当に血を吐いたのですか?」と、25年来の疑問をぶつけたのですが、
「ぼくは扁桃腺が弱いようでね〜、無理すると血が出ちゃうんだよ」
とのこと。
扁桃腺でしたか……。


もうひとつ重要なことを聞きました。
南博人は「みなみ・ひろんど」と読むとされ、
そのようにルビがふってある山岳書がたくさんあるのですが、
「いやいや、ぼくの名前は『ひろと』。『ひろんど』というのは、新田次郎さんの小説でしょ」
南さんは新田次郎の小説『神々の岩壁』に実名モデルとして登場しています。
そこでは「ひろんど」と書かれており、いつのまにかそれが本名として広まってしまったということなのです。


私もこれまで「ひろんど」と書いてしまったことがあるような気がします。
山岳関係者諸君、これからは「ひろと」と書くように!









2015年6月23日火曜日

「山岳遭難過去最多」は本当に最多なのか

先週、こんな報道がありました。
毎年この時期に警察庁が全国の山岳遭難統計を発表します。
その内容を報じたもので、この朝日新聞にかぎらず、報道各社、見出しも内容もほぼ同じです。


「過去最多」という言葉を見ると、「そりゃ大変なことだな」と思ってしまうのですが、これもう20年くらいずーっと変わってなくて、毎年この時期に同じ見出しで記事が出ることになっています。


でも、登山やってる人はなんかへんだな?と思わないですか?
そんなに年々、山が危険になってる印象ってありますか?
あるいは、そんなに登山者の数が毎年毎年増えてるように感じていますか?


僕は28年前から登山やってるのですが、そのどちらの印象もありません。
とくに危険になった気はしないし、登山者の数もこの遭難件数の増加に見合うほど増えてはいない。山で遭難者の姿を見ることが増えた気もしないし、自分のまわりで遭難した人が増えてもいない。


ではどういうことなのか。


持論なんですが、これは「山岳遭難増加」なのではなくて、「通報件数増加」なのだと思っています。


たとえば15年前であれば、山で携帯電話はほとんど通じなかったので、山中で脚を折ったとしても、人のいるところまで自力で下山するしかなかった。片足で這ってほうほうの体で下山して病院に行ったとしても、警察に連絡しなければ、それは統計にはカウントされなかったわけです。


しかし現在では、山中で脚を折ったら、まずはヘリコプターを呼べないかと考える。
つまり、遭難の数自体は大して変わっていなくて、昔は表に出てこなかった遭難がいまは出てくるようになっただけではないのかと。


実際そんな例はゴマンとあったはずだし、僕自身も山の中で落ちて顔を強打して鼻折ったことがありますが、顔面血だらけのまま歩いて下りました。
もちろん警察に連絡なんかしていません。そもそも携帯電話がない時代でした。


それに加えて、各地で山岳救助隊もずいぶん整ってきました。
昔は山岳救助というと、地元の青年団みたいな人や山岳会などが急遽集められて出かけていたわけですが、いまは主要なエリアでは警察や消防のプロ集団が出動します。
そしてその存在は一般の登山者にもずいぶん知られるようになりました。
「事故を起こしたらまずは通報」と認識が変わってきた背景にはそんな事情もあると思います。


山で事故を起こしたとき、

昔:事故った → いちばん早く下山できるルートはどこだ → がんばって下りる

今:事故った → 110か119に連絡 → ヘリ到着

これが統計数字の差になっているだけなのだと思います。


そう思う根拠としては、自分の体感のほかに、死亡・行方不明などの重大事故の数が数十年前からあまり増えていないことがあります。
本当に山岳遭難が増えているのなら、それに比例して重大事故も増えていないとおかしいはず。
でも、死亡者数は50年くらい前からずーっと200〜300人くらいで、目立った変化がないのです。


死亡者数に関してひとつだけ思うのは、通信と救助体制と道具がよくなったので、昔なら死んでいたような事故が、いまは助かるケースも増えたということ。
だから昔と現在をイコールコンディションで比較できないのはわかります。
ただ、それを考えても、重要な傾向を見いだせるほど事態は変化していないのではないかと思います。


だから報道各社も毎年「過去最多」と記事にして人々の恐怖をあおることはほどほどにして、もう少し突っ込んだ報道もしてほしいなと。
いまの報道は事実は伝えているかもしれないけど、真実は伝えていない。
毎年風物詩のように「過去最多」を見るたびにそんなことを思うのです。



2015年6月13日土曜日

長野の川上村にパタゴニアが開店するらしい


小川山に行く人の9割以上が立ち寄る(と思われる)、川上村のスーパー「ナナーズ」。
土日の売り上げの半分はクライマーによるものとすら(わが家では)言われている店だ。
いわば小川山に向かうクライマーたちの戦略拠点あるいはエイドステーション。


(その筋では)あまりにも有名なナナーズに、なんとあのパタゴニア直営店がオープンするという。


スーパーにアウトドアショップ?
どういうことか一瞬理解できなかったのだが、ナナーズの駐車場敷地内に店舗が作られ、7月6日から一年間限定というかたちで営業するとのこと。
あのクリーニング店みたいなのがあるあたりかな?と思うのだが、そこまではわからない。


しかし期間限定店というのもあまり聞かなければ、ナナーズに出店とは思いもしなかったアイデア。
今度小川山に行くときはのぞいてみよう。



【6月13日追記】
パタゴニア日本支社が店舗イメージ図をくれました。こんな感じだそうです。



2015年5月26日火曜日

すごいクライミングガイドブックができたぞ


4月20日に瑞牆山のクライミングガイドブックが発売されました。刊行元はPUMPというクライミングジム。


一読衝撃。よくぞまあここまで調べたものだと。瑞牆山にあるクライミングルートは全部で600本以上。2年間かけてそのほとんどを登り直して情報をまとめあげたそうです。上下巻に分かれていて、合わせると500ページ以上。すさまじいボリュームです。


ふたつめの衝撃は、これを作ったのが本の製作未経験の人であること(経験者の助力は受けていますが)。しかし見てもらえばわかりますが、本の構成やデザインに素人くささはなく、内容の詳しさと正確性は出版社製の本をはるかに上回っています。


その首謀者&著者であるPUMPの代表・内藤直也さんに製作の裏側を聞く機会を得ました。詳しくは6月4日発売の『ROCK & SNOW』を読んでほしいのですが、そりゃあもう刺激を受けました。


・ボリューム(体裁やページ数)は最初に決めない
・聞き書きではなく、現地に自ら足を運んで調査
・それに100日以上かける
・500ページを3カ月で書き上げた
・ルート図も自分で描く
・オンデマンドで現物を一回作ってから広告営業する


どれも出版社にはなかなかできない話です。でも全部まっとうな本作りの方法と思えました(執筆のスピードは異常ですが)。


考えてみると、私がここ一、二年、中身も価格もろくに見ずに即決で買った本は、出版社ではないところが出しているものが多いです。
これとか
これとか
これとか
これ
どれも5000円前後とかの高額な本です。でも値段は関係ないんです。「これは絶対に手元に置いておきたい」という圧倒的なパワーと熱があるのです。


瑞牆のガイドブックにも、内藤さんの常軌を逸した(という表現がふさわしい)情熱が注がれています。そんな本がつまらないわけがないのです。


本作りに携わるものとして、内藤さんの話は刺激に満ちていました。出版社出身者としてがんばらなきゃなと思うと同時に、襟を正さねばとも。


インタビューは↓に載る予定です。ぜひ読んでみてください!


2015年5月7日木曜日

ゴールデンウイークの小川山

5日・6日はクライミングのメッカ・小川山に行っていました。
どちらも快晴で、この時期の小川山は最高です。

美しい森。



最高のキャンプ場。


星空のキャンプ場。


”蜘蛛の糸”
このアングルの写真はめずらしいはず。

2015年5月4日月曜日

登山雑誌の「タイアップ」(1)

近ごろ「ネイティブアド」という言葉をよく聞きます。
要は、広告っぽく見えず、前後の記事や流れに「自然になじんだ」広告ということらしい。
これがインターネット上で熱い議論になっています。


まずはこんな意見。
ネイティブアドよ、死語になれ。

これに対する反論的なもの。
男・徳力基彦、ネイティブ広告の時代の勘違い野郎共に物申す

「インターネット広告推進協議会」というところがあって、そこが一定のガイドラインを作ろうという動きがあるそうですが、なかなか利害は一致しないようです。
「ネイティブ広告」の推奨規定、JIAAが新たに策定


僕は主に紙媒体で仕事をしているのだけど、「他人事ではないな」と注目しています。
雑誌でもよくある「タイアップ記事」というのは、要はネイティブアドだからです。


ここ10年くらい、登山雑誌でもメーカーなどがお金を出して特定の商品のPRを目的とした記事が増えました。
それを「タイアップ記事」と呼んでいます。
15年前は登山雑誌にはほとんどなかったのだけど、10年くらい前からどんどん増えています。
そして一般記事との「なじみ具合」もどんどん進んでいるような気がします。


で、上のリンクなどで議論されているのは、そういう記事には「PR」とか「広告」というクレジットを明示すべきか否かということなのですが、こと登山雑誌ではそうしたクレジットが入っているものは見た記憶がありません。
僕のようなプロ(という言い方もなんですが)が見るとだいたい「ああ、これはタイアップだな」とわかるのですが、なかには「ちょっとわからない」というものもあります。
内容や文体から「タイアップくさい」と思えるのだけど、「ちがうかもしれない」という微妙なものもあるわけです。
今の時代、一般読者もそこはけっこう見破っているんじゃないかとは思うのですが。


この問題に関しては僕も意見はあるのですが、それ以前に、ネット上の議論を見ていて思ったのは、「うらやましい」ということでした。


なにがうらやましいかというと、ネットがです。
雑誌でも週刊誌や経済誌は「PR」クレジットを入れることが定着しているけれど、趣味系の雑誌にはそんなガイドラインはほとんどありません。女性誌なんてタイアップの総本山みたいな存在だけどなにかあるんでしょうか。
雑誌はそんな感じで、業界的・統一的な議論が巻き起こる機運がほとんどありません。
出版業界や登山界ってのは良くも悪くも個人主義が強くて、横断的な議論をしようとか知識やノウハウの共有をしようというムードがすごく薄い世界なんですよね。
それはつまらないと個人的には思っていて、だから、業界あげて熱く議論を戦わせるネットがうらやましいと感じたわけです。


この流れはそのうち雑誌にもおよんでくるはずだし、無関係ではいられないという危機感に近い思いもあって、出版界も考えておく必要があると思っているのです。


ついては自分の意見についても書いておこうと思ったんですが、長くなりそうなので次回に。

2015年4月27日月曜日

知る人ぞ知るナイキの名作


使えなくなった道具はあっさり捨ててしまうほうなのだけど、たまに思い入れが深くて捨てられないものもある。
この靴がまさにそう。
買ったのは1999年くらいなので15年以上前。ゴムがはがれたり革が破れかかったりして、もう7、8年はまともに履いていないのだけど捨てられなかったのです。
しかしこうして写真に撮って記録として残しておけば、また会いたいときにすぐ会えるではないかと思いついて、ようやく捨てる決心がつきました。


ナイキACG エア・ラバドーム2002
ラバドームという靴は年式によってずいぶん変わっているのだけど、僕が履いていたのはこの2002というタイプ。
5.12が登れるといわれたほどクライミング性能の高い靴で、ハンス・フローリンというアメリカの有名なクライマーがヨセミテのビッグウォールで履いている写真を海外の雑誌で見たこともあります。
そんなトップクライマーも実戦で使うほど完成度の高い靴だったわけです。
販売期間が短かったのか、それとも売れなかったのか、履いている人はあまり見なかったけど、これの後継モデルでかなりヒットしたエア・シンダーコーンという靴の原型はここにあるといっていい。



90年代から2000年代にかけて、ナイキはACGというラインでかなり使えるアウトドアシューズを出していました。
大企業がアウトドア製品を作ると、往々にしてカッコだけのものになりがちで、通から見るとどうにも使えないものである場合が多いのですが、このころのナイキACGは違いました。
アウトドアメーカーとはまったく異なるアプローチでありながら完成度が高く、かつ革新的で、ビッグブランドが本気でアウトドアに取り組めばこういうことになるのかと、ワクワクしたものでした。



なにがそんなによかったのかというと、なによりそのクライミングシューズばりのフィット感。
足全体にすきまなくぴったりとフィットし、とにかくブレのない履き心地が最高でした。
本当に5.12を登れるのかどうかは、残念ながらわたくしの身体能力的に確かめることができなかったのですが、うまい人が履けば本当に登れるかもと思わせるだけのものがありました。
開発陣には絶対に好き者(クライミングの)がいたに違いないと確信しています。



高性能の秘訣はこのソール。ほとんどクライミングシューズと同じといってもいいような特徴的な作りです。
ソール外縁部がフラットパターンになっており、つま先が絞り込まれた形状のため、小さい突起にも非常に立ちやすかったのです。
つま先部分がフラットパターンになっているこういうソールは、「クライミングゾーン」などと呼ばれて、最近のトレッキングブーツにもよく採用されていますが、この構造を初めて採用したのはこのラバドームじゃなかったかと思います。



とにかく気に入っていて、一時はこればっかり履いていました。
壊れかけてきたころ、もう一足買っておけばよかったなと後悔したくらい。
今回あらためてネット検索してみたら、ヤフオクとか、ショップのデッドストックなんかで、たまーに出物があるみたいですね。でもサイズがデカかったりするものがほとんど。サイズが合うものがあったらもう一回買ってみたい。



これ履いて国内から海外の山まであちこち行ったなあ。
あなたはまさに名作といえる靴でした。
これまで本当にありがとう。

2015年4月22日水曜日

巨星船戸与一墜つ


作家の船戸与一さんが亡くなった。

冒険小説の名手、直木賞作家の船戸与一さん死去


船戸さんは大学探検部の大先輩にあたる。
私が学生時代、OBの集まりに顔を出すとたいてい船戸さんがいた。
船戸さんは無頼を絵に描いたような人だった。
風貌からしてまともな社会人でないことはひと目でわかったし、物言いも乱暴そのもの。
その船戸さんに劣らないやくざなOBである恵谷治さん(現在は北朝鮮がらみでテレビでもよく見かけるフリージャーナリスト)と組んだツートップはとにかくヒドく、学生たちからおそれられていた。


たとえば、その場で活動計画を説明すると、このふたりがボロカスに文句をつけてくる。
「そんなもんが探検といえるのか」
「おまえにとっての探検とはなんだ」
「考えが甘いんだよ」
いきなり頭から酒をかけられたやつもいる。
もうクソオヤジ以外の何物でもない。


ただし、好き勝手に放言はするが、「こうしろ」と言うことはなかった。
当時すでに売れっ子の冒険作家であり、海外辺境の経験なら学生よりはるかに上だったのに。
罵倒はするくせに指図は一切しなかったのだ。
「金は出すが口は出さない」
そういうポリシーで一貫していた。
それは船戸さんだけではない。ほかのOBもクソオヤジかダメオヤジばかりであったが、私は彼らのこういうところが大好きだった。
山岳部がOBの言うことにがんじがらめになっているのを見ていただけに、このクソオヤジたちは私の誇りでもあった。


いつか自分がOBになったとき、おれもこうあらねばならない。
そう思わせてくれたことに感謝しています、先輩。
心からご冥福をお祈りします。