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2017年4月6日木曜日

登山届を出したからといって遭難を防げるわけではない

西穂高岳で、登山届を出さずに登って遭難した人が、5万円の罰金を科されたそうです。


岐阜県では条例で登山届の義務化を定めているので、これはしかたない。条例を破ったのだから、その責めは負わなければならないでしょう。


ただし、近ごろ、山の事故が起こるとすぐに「登山届を提出していなかった」と批判的に報道されることには強い違和感を覚えます。問題の本質はそこなのかよと。


思うに、新聞やテレビなどの報道陣は、事故の本質がわからないから、警察の「登山届は出ていなかった」という発表に過剰反応して、

登山届未提出→だから事故が起こった

と、わかりやすいストーリーを作り上げてしまうのだと思われます。しかしこれ、間違ってます。


ほとんどの場合、登山届を出していなかったということが遭難事故の原因となることはありえません。事故の原因は別にあって、技術や体力の不足とか判断ミスとか天候の急変などがそれにあたります。


これにも書きましたけど、登山届の目的とは、遭難したときに救助をスムーズにするためであって、届を出したからといって、遭難を防ぐことができるようになるものではないのです。


先日の那須の高校生雪崩事故のときも、「登山届提出せず」という見出しの記事をいくつも見ました。それをひとつの事実として報道するのはいいけれど、追及すべきもっと大きな問題がある。那須の事故の場合は、(おそらくは)現場の判断ミスであり、引率する立場の人がふさわしい技術・経験を持っている人であったかどうかであり、もしかしたら、組織の構造的な問題もあるのかもしれない。核心を放置しておいて、「登山届出してなかった!」と枝葉を騒いでも物事は解決しない。


もちろん、登山届は出すにこしたことはありません。こういう報道が「登山届出さなきゃな」という意識を高めることに貢献することは認めます。


ただし、繰り返しますが、

登山届を出したからといって遭難を防げるわけではない。


新聞やテレビには、「登山届を出していなかったことが遭難の原因」という予断をもって報道することはぜひあらためていただきたい。登山者に誤解を与えるという意味と、真の原因を見えにくくするという意味のふたつの点で、それは害悪ですらあります。


2017年3月29日水曜日

高校山岳部冬山禁止はしかたがないのかな






那須の高校生雪崩事故について、知り合いのライターやガイドがツイートしていました。


「なぜあんな日に訓練を続けたのかを議論すべき」「いかに行なうかが問題」「見直すのは違うところ」。それはそのとおり。私自身も、引率役の人に雪崩についての判断の甘さがあったのだろうと想像しています。そこは追究が必要なところです。

*ここで「追究」という言葉を使いました。あえて「追及」は使いませんでした。




こういう面は多少なりとも意識にはあったと思います。「スキー場だから安全」と。まあ、当日はスキー場は営業を終了していて、すでにスキー場ではなくただの山の中だったわけですが、こういう施設にいると、安全管理のタガがついゆるみがちになるのは、自分の経験からも容易に想像できるところです。




引率役の人はそれなりに登山経験のあった人のようなので、雪崩についての知識がゼロだったとか、まったく無防備に突っ込んだとかいうわけではないでしょう。リスクについて、少々甘く見ていたというのが実のところなのではないでしょうか。


ただ、こういう判断ってそれなりに高度なもので、生徒の命に責任を持つ立場となればなおさら難しいものです。それを一教員に求めるのは酷――というか、非現実的な気がします。山岳ガイドに依頼すれば、リスクの問題はほぼクリアできると思いますが、公立高校の部活動でそこまでできるものなのでしょうか。


そういうことをもろもろ考えて、「安全管理に自信を持てない」と結論づけたから「冬山禁止」としたのではないかな。報道を見ているだけだと、事故→禁止と、短絡的に結論づけているようにも思えるし、なんでもかんでも禁止にしておけば無難であるという考え方はかなりきらいではあるんだけれど、これに関してはしかたがないような気がしています。

2015年6月23日火曜日

「山岳遭難過去最多」は本当に最多なのか

先週、こんな報道がありました。
毎年この時期に警察庁が全国の山岳遭難統計を発表します。
その内容を報じたもので、この朝日新聞にかぎらず、報道各社、見出しも内容もほぼ同じです。


「過去最多」という言葉を見ると、「そりゃ大変なことだな」と思ってしまうのですが、これもう20年くらいずーっと変わってなくて、毎年この時期に同じ見出しで記事が出ることになっています。


でも、登山やってる人はなんかへんだな?と思わないですか?
そんなに年々、山が危険になってる印象ってありますか?
あるいは、そんなに登山者の数が毎年毎年増えてるように感じていますか?


僕は28年前から登山やってるのですが、そのどちらの印象もありません。
とくに危険になった気はしないし、登山者の数もこの遭難件数の増加に見合うほど増えてはいない。山で遭難者の姿を見ることが増えた気もしないし、自分のまわりで遭難した人が増えてもいない。


ではどういうことなのか。


持論なんですが、これは「山岳遭難増加」なのではなくて、「通報件数増加」なのだと思っています。


たとえば15年前であれば、山で携帯電話はほとんど通じなかったので、山中で脚を折ったとしても、人のいるところまで自力で下山するしかなかった。片足で這ってほうほうの体で下山して病院に行ったとしても、警察に連絡しなければ、それは統計にはカウントされなかったわけです。


しかし現在では、山中で脚を折ったら、まずはヘリコプターを呼べないかと考える。
つまり、遭難の数自体は大して変わっていなくて、昔は表に出てこなかった遭難がいまは出てくるようになっただけではないのかと。


実際そんな例はゴマンとあったはずだし、僕自身も山の中で落ちて顔を強打して鼻折ったことがありますが、顔面血だらけのまま歩いて下りました。
もちろん警察に連絡なんかしていません。そもそも携帯電話がない時代でした。


それに加えて、各地で山岳救助隊もずいぶん整ってきました。
昔は山岳救助というと、地元の青年団みたいな人や山岳会などが急遽集められて出かけていたわけですが、いまは主要なエリアでは警察や消防のプロ集団が出動します。
そしてその存在は一般の登山者にもずいぶん知られるようになりました。
「事故を起こしたらまずは通報」と認識が変わってきた背景にはそんな事情もあると思います。


山で事故を起こしたとき、

昔:事故った → いちばん早く下山できるルートはどこだ → がんばって下りる

今:事故った → 110か119に連絡 → ヘリ到着

これが統計数字の差になっているだけなのだと思います。


そう思う根拠としては、自分の体感のほかに、死亡・行方不明などの重大事故の数が数十年前からあまり増えていないことがあります。
本当に山岳遭難が増えているのなら、それに比例して重大事故も増えていないとおかしいはず。
でも、死亡者数は50年くらい前からずーっと200〜300人くらいで、目立った変化がないのです。


死亡者数に関してひとつだけ思うのは、通信と救助体制と道具がよくなったので、昔なら死んでいたような事故が、いまは助かるケースも増えたということ。
だから昔と現在をイコールコンディションで比較できないのはわかります。
ただ、それを考えても、重要な傾向を見いだせるほど事態は変化していないのではないかと思います。


だから報道各社も毎年「過去最多」と記事にして人々の恐怖をあおることはほどほどにして、もう少し突っ込んだ報道もしてほしいなと。
いまの報道は事実は伝えているかもしれないけど、真実は伝えていない。
毎年風物詩のように「過去最多」を見るたびにそんなことを思うのです。