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2017年7月25日火曜日

TJAR Photo Bookできました

ここのところなにかと忙しく、ブログの更新もすっかり間があいてしまいました。この間、前回・前々回に書いた栗城史多さんの記事がプチ炎上状態でたいへんでした。会う人会う人から「読みましたよ」と言われ、ついには「栗城史多」で検索すると、このブログが1ページ目に表示されるという事態に。


じつはこの間、栗城史多さん本人にも会いました。あるメディアが興味をもってくれて、取材をしようとしたのですが、記事化は断られ、「会うだけなら」ということで、本当に会うだけ会って、1時間半ほど話をしてきました。


感想としては、前回・前々回のブログはとくに修正の必要はないな、ということ。そして、取材として受けてもらえない以上、これ以上こちらにはできることはないので、この件は自分的には終了というか、一段落という感じです。




で、まるで別件。


この間、すごい本の制作にかかわっておりました。15000円の写真集です。トランスジャパンアルプスレースという、世界一過酷な山岳レースを4人のカメラマンが追ったものです。箱入りハードカバー/布張り金箔押し/オールカラー160ページという、出版社勤務時代にもやったことのない超豪華な製本。私は巻末の文章執筆を担当しました。



2002年に始まったこのレース、当時から興味を持っていて、自分自身、取材をしたり、関係者に会ったりしたことも何度もあります。レースにかかわっている人たちがとにかく純粋で、レース云々もさることながら、その人間的魅力に惹かれました。おっと、ここを書き出すと10000字くらい止まらないので、そのへんの詳しいことはまた別の機会に。


写真集の発売は8月11日(山の日)。
発売に合わせて、出版イベントをやります。収録写真のパネル展示やスライドショー、トークタイムなどもやりますので、興味のある方はぜひお越しください。



日時:8月11日(金・祝・山の日) 10時~16時

会場:ビクトリノックスジャパン株式会社 1Fショールーム
   東京都港区西麻布3-18-5

スケジュール
10:00 オープン
10:30 カメラマンあいさつ&トークショー
12:00 スライドショー
13:30 TJARについてQ&A(岩瀬幹生・飯島浩ほか予定)
15:00 選手・主催者トークショー
16:00 閉会
*10時開場〜15時入場終了/16時閉会


予約や入場料は不要で、好きな時間に来て好きな時間に帰っていただいていい、フリー入場スタイルです。会場では写真集の展示即売のほか、収録写真のパネル展示などもありますので、好きに見ていってください。イベント内容については変更等もありえますので、最新状況は以下でチェックしてみてください。



写真集はただいまこちらで予約受付中。15000円の本を中身も見ないうちから予約する人はかなり稀だと思いますが、こちらもどうぞ見てやってください。



【追記】
タイトルに「できました」と書いてしまいましたが、まだできておりません。ただいま絶賛印刷・製本中であります。校了したというだけで、現物はわれわれもまだ見ていないのです。



2017年6月9日金曜日

栗城史多という不思議2

先日書いた栗城史多さんの記事、このブログを始めて以来最大のアクセスを集めました。ある程度拡散するかなとは思っていたけど、予想以上。ツイッターやフェイスブックでもたくさんシェアされて、その後会ったひと何人からも「読みましたよ」と感想を聞かされました。なんと栗城さん本人からもフェイスブックの友達申請が来て、ひえーと思いつつもOKを押しておきました。


となるとやっぱり気になるので、栗城さんがらみの情報をいろいろ見てみました。これまで栗城さんを特段ウォッチしていたわけではないので、知らなかったこともたくさんありました。そのひとつはルート。栗城さんがねらっているのはエベレスト西稜~ホーンバインクーロワールと思っていたのだけど、これは結果的にそちらに転身しただけで、もともとは北壁ねらいだったようですね。


直接・間接に、いろいろ意見や情報もいただきました。ひとつうまい例えだなと思ったのは、「栗城史多はプロレスである」という見方。プロレスとレスリングは似て非なるもので、前者の本質はショー、後者は競技であります。栗城さんのやっていることも本質はショーであって、登山の価値観で語っても大して意味はないということ。オカダ・カズチカがオリンピックに出たらどれくらいの順位になるのかを語るようなものでしょうか。それは確かに意味がない。


「栗城ファンにとっては、彼のやっていることが登山として正しいのかどうかはどちらでもよいこと。ただ前向きになれる、ただ希望をもらえる、という理由で支持しているのだ」という意見も聞きました。それもそうなのだろうと思う。



それでも嘘はいけない


「栗城史多はショーである」という見方は、以前からなんとなく感じていました。登山雑誌で栗城さんを正面から扱ってこなかったのは、そういう面もあります。オカダ・カズチカ(何度も出してすみません)をレスリング雑誌で取材しても何を話してもらえばいいのかわからないように、登山雑誌で栗城さんをどう扱ってよいのかわからなかったのです。


その一方で、栗城さんは少なくない数の人に共感・感動を与えていることも感じていました。それはひとつの価値であります。それを最大限に生かすには、登山雑誌ではなく、テレビとかのほうが活躍の場としては合っているんだろうとも思っていました。だから別ジャンルの人物として静観していたというのが、じつのところです(PEAKS編集部時代の元上司が、私が退職後に栗城さんに取材を申し込んでいたことを今回初めて知りました。登山雑誌は取材NGということで断られたそうです)。


ただし、一点だけどうしても気になるところが。数年前から気になっていたのですが、今回のブログの反響をもとにあらためていろいろ調べて、確信を深めました。それは、「栗城さん、嘘はいけないよ」ということ。


「単独といいながらじつは単独じゃない」とか、「真の山頂に行っていない」とかの嘘もあるみたいですが、個人的にはそれは、いいこととは言わないにしろ、まあどちらでもよい。本質がショーなのだとすれば、それは小さな設定ミスといえるレベルの話で、比較的問題が少ないから。どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに、「登頂チャレンジ」を謳っているところです。


ここは30年間登山をしてきて、20年間登山雑誌にかかわってきたプロとして断言しますが、いまのやり方で栗城さんが山頂に達することは99.999%ありません。100%と言わないのは、明日エベレストが大崩壊を起こして標高が1000mになってしまうようなことも絶対ないとはいえないから言わないだけで、実質的には100%と同義です。このことを栗城さんがわかっていないはずはない。だから「嘘」だというのです。


北壁はかつて、ジャン・トロワイエとエアハルト・ロレタンという、それこそメジャーリーグオールスターチームで4番とエースを張るような怪物クライマーふたりが無酸素で登ったことがあります。それでもふたりです。単独登山ではありません。単独で登るなら、その怪物たちより1.3倍くらい強いクライマーである必要があります。そして、長いエベレスト登山の歴史のなかで、北壁が無酸素で登られたのは、この1回だけです。


西稜ルートに至っては、これまで単独はおろか無酸素で登られたこともありません。ウーリー・ステックという、メジャーリーグで不動の4番を張る現代の怪物が、この春ついに無酸素でトライをしようとしていましたが、非常に残念なことに、直前の高所順応中に不慮の事故で亡くなってしまいました。

【2018.5.8追記】
認識違いがあったので訂正します。西稜は、1984年に、ブルガリアのクリスト・プロダノフが単独無酸素で登っていました(ただし、途中まで同行者がいたうえ、山頂から下降中に行方不明になっているので、単独無酸素登頂成功といっていいかは微妙です)。ほか、単独ではありませんが、1989年に、ニマ・リタとヌルブ・ジャンブーが無酸素で登っています。なお、北壁に関しては、栗城さんがねらっていたルートが無酸素で登られたのは、上記の1回のみですが、別のルートからは、同じく無酸素で過去2回登られています。いずれも単独無酸素で成功した例はありません。




栗城さんがやろうとしているルートは、こういうところなのです。1シーズンに数百人が登るノーマルルートとは、まったく話が違うということをどうか理解してほしい。


栗城さんは世界の登山界的には無名の存在です。本当にこれを無酸素単独で登ったとしたら、世界の登山界が「新しい怪物が現れた」と仰天し、世界中の山岳メディアが取材に殺到し、「登山界のアカデミー賞」といわれる「ピオレドール」の候補ともなるはずです。




そんなわけないだろ。


ということは、だれよりも栗城さん自身がわかっているはず。本気で行けると考えているとしたら、判断能力に深刻な問題があると言わざるを得ない。ノーマルルートが峠のワインディングロードなら、北壁や西稜の無酸素単独は、トラックがビュンビュン通過する高速道路を200kmで逆走するようなもの。ところが、そんな違いは登山をやらない普通の人にはわからない。そこにつけこんでチャレンジを装うのは悪質だと思うのです。



なぜ嘘がいけないのか


難病を克服した感動ノンフィクションを読んで、それがじつは作り話だとわかったら、それでもあなたは「希望を与えられたからよい」といえますか。あるいは、起業への熱意に打たれて出資したところ、いつまでも起業せず、じつは起業なんかするつもりはなかったことが判明したら。「彼の熱意は嘘だったが、一時でも私が感動させてもらったことは事実だ」なんて納得できますか。


つまり、嘘によって得られた感動は、どんなに感動したことが事実であったとしても、そこに価値などないのです。結局、「だまされた」というマイナスの感情しか最終的に残るものはない。これでは、登山としてはもちろん、ショーとして成立しないじゃないですか。


もうひとつ、嘘がいけない理由があります。どちらかというと、こちらのほうが問題は大きい。それは、栗城さん自身が追い込まれていくことです。応援する人たちは「次回がんばれ」と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか。


栗城さんは今のところ、そこには足を踏み入れない、ぎりぎりのラインで撤退するようにしていますが、今後はわからない。最近の栗城さんの行動や発言を見ると、ややバランスを欠いてきているように感じます。功を焦って無理をしてしまう可能性もあると思う。


そのときに応援していた人はきわめて後味の悪い思いをする。しかし応援に罪はない。本来後押しをしてはいけないところを誤認させて後押しをさせているのは栗城さんなのだから。嘘はそういう、人の間違った行動を招いてしまう罪もある。そして不幸と実害はこちらのほうが大きい。


誤解のないように書いておきますが、私は「登山のショー化」がいけないと思っているわけではありません。観客のいない登山というものの価値や意味を人々に伝えるためには、ショーアップはあっていいと思っています。ただし嘘はいけない。


栗城さんの場合は、「無酸素単独」と言わなければいいのです。北壁とか西稜とかも言わないで、ノーマルルートの「有」酸素単独登頂でもいいじゃないですか。これなら可能性はゼロではないと思います。「無酸素」というほうが一般にアピールすると考えているのかもしれないけど、どうですかね。普通の人が酸素の有無にそんなに興味ありますか。そこはどちらでもよくて、山頂に達するかどうかのほうがよほど関心が高いんじゃないでしょうか。有酸素だろうが登頂のようすをヘッドカメラでライブ中継してくれるなら、それは私だって見てみたいと本気で思いますよ。


そして登ってしまえばショーが終わってしまうわけじゃない。一度山頂に立てば、無酸素への道筋が多少なりとも開けることもあるかもしれないし、あるいは今度は春秋のダブル登頂をねらうとかでもいい。なにより、人々の見方が大きく変わるはず。第二幕、第三幕はいくらでもあるーーというか、むしろ開けると思うんですが。




【後日談】
ちゃんと話を聞いてみたいと思って正式に取材を申し込んだのですが、断られてしまいました。残念。→こちら


【追記】
栗城さん遭難後に書いた総括的な文章はこちら

「賛否両論」の裏側にあったもの




2017年6月2日金曜日

栗城史多という不思議

栗城史多さんがエベレスト登頂を断念したらしい。今回で7回連続の登頂失敗ということになる。


栗城さんのことは、これまで、まあちょっとどうだかなと個人的に思ってはいたものの、本人をよく知らないし、話したこともないし(正確には10年くらい前に一度だけあいさつ程度を交わしたことはある)、判断はずっと保留してきました。ただしそろそろひとこと言いたい。さすがにひどすぎるんじゃないかと。


栗城さんはフェイスブックにこう書いています。


本当は30日に登頂を目指す予定でしたが、ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト全体が悪天の周期に急に変わり本当に残念でした。 
25日の好天に登頂できればよかったですが、異様な吐き気が続き、本当に悔しいです。。 
高所ではどんなに体調管理しても何がおこるかわかりません。 
ただ今回初めて「春」に挑戦しましたが、秋に比べて春は好天の周期も多く、西稜に抜けるブルーアイスの状況もよくわかったので、来年に繋げられます。 
皆さんご存知だと思いますが、栗城史多はNever give upです。


この状況でどうして「来年に繋げられ」るといえるのか、どうして「Never give up」といえるのか、本当にわからない。タイミングとか体調管理でなんとかなるレベルではまったくないことは、ヒマラヤに登ったことがない私でさえわかります。常識的に考えれば、もうとっくに登り方を変えるか、あるいは目標の山を変えるかするべきなのに、頑ななまでにやり方を変えない。これでは、ただの無謀としか思えないのです。


かつて、服部文祥さんが栗城さんのことを「登山家としては3.5流」と言って話題になったことがありました。3.5流という評価が適正かどうかは別として、登山家としての実力が服部さんより下であることは間違いない。野球にたとえてみれば、栗城さんは大学野球レベルというのが、正しい評価なのではないかと思います。ちなみに服部さんは日本のプロ野球レベル。日本人でメジャーリーガーといえるのは数人(佐藤裕介とかがそれにあたる)。


それに対して、栗城さんがやろうとしている「エベレスト西稜~ホーンバインクーロワール無酸素単独」というのは、完全にメジャーリーグの課題です。栗城さんが昔トライしていたノーマルルートの無酸素単独であれば、それは日本のプロ野球レベルの課題なので、ひょっとしたら成功することもあるのかもしれないと思っていました。しかし、日本のプロ野球に成功できなかったのに、ここ数年はなぜか課題のレベルをさらに上げ、執拗にトライを重ねている。


ドラフト候補でもない大学野球の平均的選手が、「おれは絶対にヤンキースで4番を打つ」と言って、毎年入団テストを受け続けていたとしたら、周囲の人はどう思うでしょうか。大学生の年齢なら、これから大化けする可能性もないとはいえないから、バカだなと言いつつ、あたたかい目で見守ることもあるかもしれない。しかし、実力だけが大学レベルで、年齢は35歳。これまですでに7回テストに落ち続けている。となると、たいていの人はこう思うはずなんです。


「この人、どうかしてるんじゃないか?」


私は栗城さんを批判したいというよりも、とにかくわからないのです。この無謀な挑戦を続けていく先に何があるのか。このあまりにも非生産的な活動を続けていくモチベーションはどこにあるのか。これが成功する見込みのない挑戦であることは、現場を知っている栗城さんなら絶対にわかるはずなのに、なぜ続けるのか。それともそれすらもわからないのか。あるいは、わかっていて登頂するつもりはハナからないのか。そこに至る挑戦の過程そのものがやりたいことになっているのか。もうこれが事業になっているからいまさらやめられないということなのか。……すべてわからない。


さらにわからないのは、ファンの存在です。栗城さんのフェイスブックには応援のコメントが並び、だれもが知っているような大企業がスポンサーについてもいます。彼ら彼女らは、栗城さんに何を見ているのだろうか。


「登頂に成功するかどうかは関係ない。彼のチャレンジ精神に感動するのだ」。これならわかる。しかしそれは、目標を実現するための努力を重ねている日々の姿に感動するというものではないでしょうか。私だって、栗城さんが年間250日山に入って冬の穂高から剱岳までバリバリ登り、エベレストのほかに毎年1、2回はヒマラヤやアラスカ、アンデスなどの山で高所の経験を積み、世界のクライマーと交流してルートの研究を日々行なっていれば、無謀なやつだと思いつつ応援したくもなる(それだけやってもエベレスト西稜ソロには届かないはずですが、気概は感じる)。


こう書くと、「彼はそういう登山界の常識に挑戦しているのだ」という声が聞こえてきそうです。ただ、ヤンキースの4番を目指すなら、野球にすべてを捧げる日々を送っていないと説得力ないでしょ。ふだんはフルタイムのサラリーマンをしていて、ヤンキースの4番と言っても荒唐無稽にしか聞こえないじゃないですか。野球ならすぐわかる理屈が、なぜ登山だとわからないのか。野球だって登山だって、そういうどうしても必要なことって確実にあると思うんですよ。常識を破っていくのはその先にある。


そのようすがまったく見えず、毎年、その時期が来るとトライにだけ出かけている姿は、やっぱりどうしても理解できないのです。不思議で不思議でしょうがない。栗城さんの真の目的はなんなのか。真相を知りたい。本当に、一度その心の底の底を聞いてみたいと思います。





【補足】

書き終わったところで、山岳ガイドの近藤謙司さんがこうツイートしているのを知りました。まさにこれです。




【補足2】

後日、もう少し詳しく書いてみました。

栗城史多という不思議2



2017年5月23日火曜日

スポルティバvsアゾロvsスカルパ履き比べ

登山ライターをしていると、「これ使ってみてください」と、メーカーから製品を提供されることがときおりあります。会社員編集者時代はこういうことあまりなかったのですが、フリーになってから明らかに増えました。


ライターというのは中立であるべき存在なので、提供を受けるときにはいつも躊躇があります。提供にあたってなにか条件があることはほとんどなく、せいぜい使用感のレポートを提出するくらいなのですが、もらってしまうとそこに人情が発生してしまうのが人間というもので、わずかながらも中立性が崩れるおそれがあるからです。


その一方で、さまざまな登山道具を使った経験というのは、アウトプットのクオリティに直結するもの。2種類の靴しか履いたことがない人と、10種類を履いた経験がある人では、靴について書ける文章の深みは明らかに異なってきます。だから、中立性をいくらか失っても経験を増やすことのほうが大事だ――と心の中で折り合いをつけて提供を受けている私であります。


とはいえ後ろめたさは正直あるので、提供によって得られた成果をここで還元することによって、その心のやましさを少しでも解消したいと思います。




ライトアルパインブーツ3種履き比べ

左からトランゴ、エルブルース、レベル


昨年、以下ふたつのブーツの提供を受けました。




どちらもセミワンタッチアイゼン対応で、雪渓や岩稜系に強い、「ライトアルパインブーツ」なんて(私に)呼ばれているカテゴリーの靴です。私が以前から愛用している「スポルティバ/トランゴS EVO GORE-TEX」の競合といえるモデルです。


昨夏から今年にかけて、山でこの3つを履き比べてみました。用途がかぶる3つの靴を同時に所有している登山者は滅多にいないはずなので、このレポートは価値があるはず。これも提供を受けなければ実現できなかったことですと言い訳をしておきます。




まずはスペック比較

トランゴ
45,360円(税込み)
重量=カタログ値700g(42)/実測値723g(42)

レベル
46,440円(税込み)
重量=カタログ値660g(42)/実測値682g(42)

エルブルース
48,600円(税込み)
重量=カタログ値800g(UK8)/実測値787g(UK8)


定価は大差なし。店頭での実売もほとんど値引きはされていないようなので、同価格帯の靴といっていいでしょう。



重さは少し差があって、エルブルースがいちばん重く、レベルがいちばん軽い。持ってみた感じや履いた体感も数字どおりに感じます。




足型

汚くてすみません


これが私の足。他の人と比較したことがないのでよくわかりませんが、幅広みたいです。足に合いやすいメーカーはスポルティバ、サロモンなど。逆に合わないのはザンバラン、ノースフェイス(細すぎる)、そしてモンベル、シリオ(幅広すぎる)など。足の実寸は約25cm、ふだんの靴のサイズは26.0cm。登山靴はだいたいEU42(26.5〜27.0cm相当)を履いてます。


さて、3つの靴の足型はこんな感じです(違いがわかりやすいようにデフォルメしています)。




トランゴは外観は細身に見えますが、ワイズ(拇指球まわりの幅)はじつはけっこう広く、私の足でもぴったりおさまります。逆に土踏まずから踵にかけてはキュッと締まっています。先端も絞られているため、キュッボンキュッというグラマラスな足型。踵がタイトでホールド性がよいのもお気に入りのポイントで、このために足との一体感がとても高く、体感重量も軽く感じます。これはスポルティバのほかのモデルでも共通している足型で、さすがクライミングシューズのトップメーカーだと感じられるところ。


次にエルブルース。方向性としてはトランゴに似ているけれど、そのグラマー加減をややマイルドにした感じ。ワイズはトランゴより気持ち狭いような気がするけれど、自分的には悪くないです。アゾロの靴はもう1足持っているけれど、それも同じような足型でした。スポルティバの足型はぴったりしすぎてやや窮屈に感じる人もいると思うので、こちらのほうが万人向けといえるかもしれません。


最後にレベル。これがいちばんストレート。悪く言えば「ずんどう」な足型。ワイズはトランゴ並みで、つま先はそれより余裕があります。そして土踏まずから踵にかけても幅には余裕があります。私の場合は、土踏まずまわりが少し余ってしまい、靴ひもで思い切り締め上げても完璧にフィットはしませんでした。甲まわりにもう少しボリュームのある人のほうが合いそうです。スカルパの雪山用登山靴「モンブラン」も似たような足型だったので、これがスカルパラストなのでしょう。


サイズは3つともEU42。どれも私にはほぼベストサイズだと思いますが、わずかな違いはあります。スカルパ>アゾロ>スポルティバという具合で、スカルパがいちばんサイズが大きく感じます。まあ、わずかな差なので気にするほどのことはありませんが、ずーっとスカルパを履いてきてこれからスポルティバに変えようという人は、念のため1サイズ上(私でいえば43)も試してみるといいかもしれません。




足首のフィット感

私はくるぶしまわりの形が普通じゃないのか、ここが擦れたり痛くなったりすることが多く、足首を動かしたときに変に当たったりしないかというのは必ずチェックするポイントなのです。


そしてこれはレベルの圧勝でした。すき間なくフィットし、しかし自在に動くこの柔軟性は、あまりに気持ちよくてクセになりそう。ストレスは完全にゼロです。というか、これより足首がフィットするハイカットブーツはこれまで履いたことがないかも。トランゴもかなりいい線いっているのですが、レベルには負けます。トランゴの発売は2005年。対してレベルは2014年。9年の間の技術の進歩というものでしょうか。

アッパーとタン(ベロ)が一体化したような独特の構造。
「ソックフィット」とスカルパでは呼んでいて、まさにソックスを履いているような感覚。


逆にエルブルースは期待外れ。3足のなかでいちばん新しい靴なのに足首にはとくに工夫が見られず、作りも履いた感じも、新しさのない鈍重なもの。フィットもよくなく、最初は痛みも出ました(タンの位置を調整したりしてごまかしているうちになじんできたのか、痛みは半日で消えました)。革新性を売りにしていたアゾロだけにここはもう少しがんばってほしかったところ。ただ、レベルとトランゴの足首が素晴らしいので辛口になりましたが、一般的な水準からいえばこれが普通です。

左からトランゴ、レベル、エルブルース。
こうして見ただけでは違いはわからないですね。




歩行感

へんな言い方になりますが、この3つのなかではエルブルースがいちばん「まともな靴」に感じました。トランゴとレベルは良くも悪くもクセがあります。


まず、エルブルースは硬い。全体に硬めの靴です。しかしソールが硬いだけでなくアッパーも硬めなので、バランスがとれています。この結果、歩行感が自然なのです。ソールが硬くて後ろに蹴り出す歩き方はしづらいので、一歩一歩踏みしめるようないわゆる「登山靴歩き」に自然となります。歩き方が自然なせいか、靴が硬いわりには、フラットな道歩きも苦になりませんでした。ソールの形状もフラットすぎず、歩行向きにチューニングされています。正統派の登山靴という印象です。


それに対してトランゴは、ソールはエルブルース並みに硬いけれど、アッパーはかなりやわらかく、いびつなバランスの靴になっています。なまじ軽くてアッパーがやわらかいため、つい「蹴り出し歩き」をしてしまうのですが、そうするとソールの硬さがじゃまをします。結果、どうもギクシャクした歩きになってしまい、そのせいだと思うのですが、フラット路面を長く歩くといつも足の裏が痛くなります。変な力が入ってしまっている証拠だと思います。しかしトランゴのこの変なバランスは意図的なものなのです。それについては後述。


あ、ちなみに、ここで「ソールが硬い」と言っているのは、アウトソールのゴム質のことではなくて、シャンクを含めた靴底の柔軟性のことです。靴の先端と踵部分を持って思いっきり曲げてみたときにどれだけ曲がるか、みたいなこと。そして、硬いとかやわらかいとか言ってますが、普通のトレッキングブーツと比べれば、この3つどれも硬いです。「硬い」「やわらかい」は3つのなかで比較した表現なのでご注意を。


さて、話を戻して、レベルはどうかというと、この手の靴にしてはソールもアッパーもやわらかく、これは意外でした。見た目的にもスペック的にも、トランゴと同じような履き心地を想像していたのですが、それよりずっとやわらかいです。雪渓の上を歩いたことはまだないのですが、急傾斜の雪渓でどうなのかな?と疑うくらい。ただしこのやわらかさのためフラット路面の歩行感はとてもよく、林道歩きも問題ありませんでした。上高地から横尾までトランゴで歩くのは勘弁願いたいですが、レベルならいけそうです。


足裏感覚(路面の凹凸などを感知できる性能)が高いのもレベルの特徴で、ふくらんだ岩や木の根を踏んだときに瞬間的に微妙なコントロールが可能です。ソールがわずかにしなって粘る感覚もあり、エルブルースやトランゴに比べて、濡れた岩や木を踏んでも突然滑ることが少ないような気がします。ただし3つのなかでサポート性はいちばん低く、ローカットシューズのような感覚すらあります。荷物が重いと厳しいかもしれません。




急傾斜地の登攀性能

ここがこの手の靴の真骨頂というべきポイント。急傾斜地での安定性を最優先に開発し、フラットな路面での歩行性能はある程度捨てているわけなので、ここがこの種の靴の価値を決めるポイントなわけです。


トランゴを初めて履いたときのことをよく覚えています。槍ヶ岳の北鎌尾根を登りにいったときなのですが、上高地から水俣乗越を越えてアプローチ。ここまではフラットでよく整備された道が中心で、足が疲れ、「うわ、この靴、失敗したかな」と思っていたんですが、北鎌沢から北鎌尾根に取り付くと印象は一変。急傾斜地や岩場での安定性は抜群で、途中の岩でボルダリングして遊んだくらいです。


ここで生きてくるのが、靴底の硬さと軽さ。急傾斜地の登りでは、靴底全体で接地できないようなシチュエーションが増え、足裏前半分だけとか、ときにはつま先だけで小さな足場に立ち込んでいくケースが増えるわけです。このとき、やわらかい靴だとぐにゃっとなってしまって不安定なんですよね。

こういう感じ。右は普通のトレッキングブーツ。
踏み込むと靴が曲がってしまって、小さい足場に立ちにくいのだ。



さてそこで、3足の靴底の硬さを比べてみました。



踵の部分を持って、思いっきり体重をかけています。それでもエルブルースはほとんど曲がりません。トランゴは少し曲がる。レベルはもうちょっと曲がる。右下の一般的なトレッキングブーツは、めちゃめちゃ曲がります。この3足と比べると、ぐにゃぐにゃというくらいです(これでも日常用の靴よりはだいぶ硬めなんですけどね)。この硬さは、雪渓を歩くときにも重要で、硬い靴ほど安定します。


ただし、硬ければ硬いほど登りやすいかというと、話はそう単純でもなく、体感としてはトランゴがいちばん急傾斜に強いです。エルブルースはがっしりした作りをしているぶん重いので、トランゴとレベルに比べると足上げの軽快性に劣るのです。急傾斜地ではこの「軽さ」はけっこう重要であります。トランゴがソールを固める一方、アッパーは軽くやわらかく仕上げているのはこのためなのでしょう。


レベルは、急傾斜地ではやや硬さが足りないように感じたんですが、やわらかいぶん、ほかのふたつより柔軟な足使いが可能です。たとえば、岩稜を歩いていて、斜めになっている場所に足をおかないといけないようなケースってよくありますよね。

こういうやつ

レベルはこれが抜群にやりやすいのです。こういう「ごまかし」の足使いができるのが、レベルの大きな魅力です。単純な急傾斜はトランゴやエルブルースより劣りますが、あらゆる地形に対応しやすいという点では、レベルのほうが岩場での実用性は高いかもしれません。なんかクライミングシューズみたいな靴です。




グリップ性

感覚的にはレベル>トランゴ=エルブルースの順。とはいえどれも大差はないです。ラバーの質の違いはとくに感じず、パターンの違いによる性能差も感じません。レベルが靴全体がやわらかいぶんやや粘ってくれる感覚があるのと、足裏感覚がいいため、突然スパーンと滑ることが少ない感じがするくらいです。


ただしここはちょっと様子見。トランゴはソールが削れてくるとグリップ性が急激に落ち、末期は危険を感じたほどだったのです。とくに木の根が露出した路面や泥の路面に弱く、雨の日に甲斐駒ヶ岳の七丈ノ滝尾根というヤブ混じりの急な道を下ったときは非常に神経を使い、かなりヤバい思いをしました。レベルとエルブルースはこれほどではないんじゃないかとは思いますが、似たような傾向にはあると思います。

左からトランゴ、レベル、エルブルース。
トランゴのソールは一度張り替えてます。



耐久性

ここについては、トランゴ以外はまだわからないのですが、おそらく、というか、ほぼ間違いなく、いちばん長持ちするのはエルブルースでしょう。なにしろこれだけがオールレザー。ソールも形状的に偏摩耗しにくそうです。


一方で、はっきりいって、トランゴの耐久性は高くありません。アッパーはとくに問題ないのですが、ソールがすぐ減ってしまうのです。軽量化とクライミング性能向上のためにパターンの浅いアウトソールを使っているため、少し減ると、前述したように急激に性能が落ちます。靴底が硬いわりにフラットな形状なので、偏摩耗しやすいのも難点です。

こうなるともう全然ダメ。驚くほど滑ります。


レベルもおそらくトランゴと同程度の耐久性でしょう。アウトソールのブロックパターンがいちばん浅いので、ソールがダメになるのも早いように思われます。


トランゴやレベルは、ある程度耐久性や汎用性を犠牲にしてもトンガッた性能を求めて作られた靴なのだと思います。「良くも悪くもクセがある」というのはそういう意味です。その点、エルブルースはエッジーな部分を抑えぎみにしてあるので、より万人向け、よりオールラウンド向けになっていると感じました。


【関連記事】
スポルティバ・トランゴS EVOのソール張り替え



用途

大きくまとめると、3つの靴の使い分けは以下のようになろうかと思います。


岩が多いルート……レベル
雪が多いルート……トランゴ
土が多いルート……エルブルース


たとえば南アルプスに行くならばエルブルースを履くでしょう。剱や穂高ならレベルかな。履いてみて初めてわかったんですが、レベルはノーマルな土の路面もそこそこいけます。以前、丹沢でレベルを履いている人を見かけて「素人はわかってないな」なんて心の中で思ったことがあるのですが、すみませんでした。


トランゴは……じつはこの靴は一般登山道ではあまりフィットするところがないのです。私は残雪期やバリエーションルート専用機として使っています。ショップやスポルティバジャパンでは「縦走をはじめとしてオールラウンドに使える靴」として売り出していますが、日本の山ではそれは当てはまらないんじゃないかと前々から思っています。普通の登山道で履いて快適な靴では決してないし、本国スポルティバの開発意図もそこにはないはずだと思うのですが……。



夏の剱岳をベースに、3つのブーツが合うコースを考えてみました。


別山尾根(剱岳ノーマルルート)
雪はなく、厳しい岩場が続く。アプローチの室堂~剱沢はマイルドな登山道。レベルで決まりでしょう。

早月尾根
ここは登ったことがないのでわからない。体力ルートなので、重荷に強く、安定感の高いエルブルースが合っているのかもしれない。下りも安心だし。

源次郎尾根・八ツ峰
難しい岩稜主体のバリエーションルート。ここはレベルの軽さとコントロール性の高さが有利かと思います。

平蔵谷・長次郎谷
いずれも急傾斜の長い雪渓を登っていって、山頂からはノーマルルートを下る。これはトランゴがいいと思います。雪渓登りの安定性と、その後の急傾斜の登山道下りのバランスにいちばん優れているんじゃないかと。

北方稜線
岩場、ガレ場、草地、雪渓など路面コンディションは盛りだくさん。迷うところだけどトランゴかな……。

剱沢~仙人~欅平
ここはエルブルースがよさそうだ。剱沢の雪渓下りも安心。その後の長い登山道歩きや水平歩道も問題なし。テント縦走などで荷物が重いときならなおのことエルブルース。




まとめ

3足履き比べて、どれがいちばん気に入ったかというと……、やっぱり愛用機のトランゴでした。なんといっても、足型が自分にバッチリ合うこと。履いていて気持ちがいいし、微妙な足場でも不安を感じにくいのは、機能差というよりも足にフィットしているからこそだと思います。クセの強いじゃじゃ馬ではありますが、こういうピンポイントな道具というのが私は好きなのです。


レベルもかなり攻めた靴で好みではあるのですが、足型の不一致が難点。ここさえ合えば、勝負靴をトランゴからこちらに乗り換えてもいいかも。雪渓上での安定性はたぶんトランゴに劣りますが、岩場での軽快性はこちらのほうが上。微妙な脚さばきを可能にするコントロール性の高さがあり、フラット路面がトランゴより歩きやすいのもいいところです。


エルブルースは個人的な好みとしてはクセが足りない。私みたいに靴を何足も持っていて、行く山によってあれこれ履き分けている人にとっては、中途半端に感じてしまうのです。ただしそれは裏を返せば、もっともオールラウンドに使える靴ということであり、他人にはいちばんおすすめできる靴ということでもあります。




ところで、トランゴは今シーズン、ついに直系の後継モデルが出ました。その名もトランゴタワーGTX。雑誌の撮影で借りたときに一度足を入れてみたことがあるだけで、詳しいことはわからないのですが、S EVOと大きな違いは感じませんでした。素材やソールは変わりましたが、基本構造に大きな変更はないようです。S EVOの完成度が高くて、改良する箇所があまりなかったんじゃないか……という気がしますが、どうなんでしょうか?




【6月3日追記】

なんとなく違和感があったのですが、いま気づきました。エルブルースの本当の競合は、スカルパでいえばシャルモ プロ GTXでしたね。スポルティバにはズバリの競合がない感じ。強いていえば、トランゴ アルプ エボ GTXですが、これはトランゴS EVOとエルブルースの中間的な性格の靴。

トランゴやレベルにズバリ競合するアゾロの靴は、本国にありました。

Climbing boot FRENEY XT GV black/silver

640gとレベルより軽量。なかなかよさそうに見えるんですが、日本国内では展開がないのです。こうして見ると、アゾロって日本には厳選されたごく一部のモデルしか入ってきていないんですね。もったいない。


2017年5月2日火曜日

ウーリー・ステック、エベレストで遭難死




一昨日から私のフェイスブックやツイッターのタイムラインが、ウーリー・ステック遭難死のニュースやコメントで埋め尽くされています。「著名登山家エベレストで死亡」と、テレビのニュースでもやっていました。これは異例なことです。登山家としてのステックの存在の巨大さを表していると感じます。


ここ10年ほどの世界の登山界で、ステックが突出した存在であったことは間違いないでしょう。彼は、アイガー北壁を2時間ちょっとで登ったり、エルキャピタンの「ゴールデンゲート」をほぼオンサイトする技術の持ち主でありながら、高所でも抜群の強さを見せていました。近ごろ、強いアルパインクライマーは6000~7000m級のテクニカルな山を指向することが多いのに対して、ステックは常に8000m峰をねらっていました。K2西壁とかマカルー西壁とかの夢の課題をやれるとしたら、ステックが間違いなく第一候補だったわけです。


この春、ステックがエベレストとローツェの継続をやるという話はなんとなく知っていました。しかし、エベレストとローツェの継続登山というのはすでに何人もやっていることなので、あまり興味を持っていませんでした。ろくに調べもせず、「ステックは今年は休養の年なのかな?」なんてうっすら思っていただけだったのです。


しかし今回あらためて知ったのですが、ステックは、エベレスト西稜から入って、エベレスト~ローツェのラウンド縦走をしようとしていたのでした。彼のオフィシャルサイトに予定コースの写真が載っています。




休養の年だなんて思っていて申し訳なかった。これは猛烈に難しい縦走で、何十年も前から、だれもが思いつくけどだれもできなかった課題なのです。「世界最難の縦走」と言っていいと思います。これをやれるとしたら、やはりステックしかいないでしょう。


5年前、栗城史多さんがエベレストにトライしたとき、こんなツイートをしたことがあります。


エベレスト西稜を無酸素ソロで登ることがどれほど不可能に近いことかは、ヒマラヤ登山をやっている人ならだれだってわかるはずなのです。そこをルートに選んでいるということは、山頂まで行く気はないのだなと判断するしかありませんでした。


ただ、このとき、数人だけ、このルートをやれるかもしれない人が頭に浮かびました。その筆頭がステックでした。


今回、ステックは、その西稜を登って、さらに、ローツェまで縦走するという、夢の課題にトライしようとしていたのです。彼ならやれたかもしれないし、この縦走を完成させたら、ステックの輝かしい登攀歴の終盤を飾る金字塔になったはず。


ステックもすでに40歳。この登山を自身の集大成のつもりで臨んでいたのかもしれない。それを考えるととても残念です。ご冥福をお祈りします。





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「ウエリ・シュテック」は間違いだったぜ!



2017年4月6日木曜日

登山届を出したからといって遭難を防げるわけではない

西穂高岳で、登山届を出さずに登って遭難した人が、5万円の罰金を科されたそうです。


岐阜県では条例で登山届の義務化を定めているので、これはしかたない。条例を破ったのだから、その責めは負わなければならないでしょう。


ただし、近ごろ、山の事故が起こるとすぐに「登山届を提出していなかった」と批判的に報道されることには強い違和感を覚えます。問題の本質はそこなのかよと。


思うに、新聞やテレビなどの報道陣は、事故の本質がわからないから、警察の「登山届は出ていなかった」という発表に過剰反応して、

登山届未提出→だから事故が起こった

と、わかりやすいストーリーを作り上げてしまうのだと思われます。しかしこれ、間違ってます。


ほとんどの場合、登山届を出していなかったということが遭難事故の原因となることはありえません。事故の原因は別にあって、技術や体力の不足とか判断ミスとか天候の急変などがそれにあたります。


これにも書きましたけど、登山届の目的とは、遭難したときに救助をスムーズにするためであって、届を出したからといって、遭難を防ぐことができるようになるものではないのです。


先日の那須の高校生雪崩事故のときも、「登山届提出せず」という見出しの記事をいくつも見ました。それをひとつの事実として報道するのはいいけれど、追及すべきもっと大きな問題がある。那須の事故の場合は、(おそらくは)現場の判断ミスであり、引率する立場の人がふさわしい技術・経験を持っている人であったかどうかであり、もしかしたら、組織の構造的な問題もあるのかもしれない。核心を放置しておいて、「登山届出してなかった!」と枝葉を騒いでも物事は解決しない。


もちろん、登山届は出すにこしたことはありません。こういう報道が「登山届出さなきゃな」という意識を高めることに貢献することは認めます。


ただし、繰り返しますが、

登山届を出したからといって遭難を防げるわけではない。


新聞やテレビには、「登山届を出していなかったことが遭難の原因」という予断をもって報道することはぜひあらためていただきたい。登山者に誤解を与えるという意味と、真の原因を見えにくくするという意味のふたつの点で、それは害悪ですらあります。


2017年3月29日水曜日

高校山岳部冬山禁止はしかたがないのかな






那須の高校生雪崩事故について、知り合いのライターやガイドがツイートしていました。


「なぜあんな日に訓練を続けたのかを議論すべき」「いかに行なうかが問題」「見直すのは違うところ」。それはそのとおり。私自身も、引率役の人に雪崩についての判断の甘さがあったのだろうと想像しています。そこは追究が必要なところです。

*ここで「追究」という言葉を使いました。あえて「追及」は使いませんでした。




こういう面は多少なりとも意識にはあったと思います。「スキー場だから安全」と。まあ、当日はスキー場は営業を終了していて、すでにスキー場ではなくただの山の中だったわけですが、こういう施設にいると、安全管理のタガがついゆるみがちになるのは、自分の経験からも容易に想像できるところです。




引率役の人はそれなりに登山経験のあった人のようなので、雪崩についての知識がゼロだったとか、まったく無防備に突っ込んだとかいうわけではないでしょう。リスクについて、少々甘く見ていたというのが実のところなのではないでしょうか。


ただ、こういう判断ってそれなりに高度なもので、生徒の命に責任を持つ立場となればなおさら難しいものです。それを一教員に求めるのは酷――というか、非現実的な気がします。山岳ガイドに依頼すれば、リスクの問題はほぼクリアできると思いますが、公立高校の部活動でそこまでできるものなのでしょうか。


そういうことをもろもろ考えて、「安全管理に自信を持てない」と結論づけたから「冬山禁止」としたのではないかな。報道を見ているだけだと、事故→禁止と、短絡的に結論づけているようにも思えるし、なんでもかんでも禁止にしておけば無難であるという考え方はかなりきらいではあるんだけれど、これに関してはしかたがないような気がしています。

2016年12月25日日曜日

アウトドアメーカーが食品?


アウトドアメーカーのパタゴニアが食品事業を始めたことが話題となっております。




添加物や遺伝子組み換え原料を排し、人体や環境によい食品を追求したとしています。環境問題に関心が高く、これまでにもさまざまな試みを行なってきたパタゴニアならではの取り組みといえるかもしれません。


アウトドアメーカーが食品事業というと聞いたことがなく、さすがユニークなことをやるなと思っていたんですが、現物を手に取っていろいろ眺めていたら、あっ! と気づきました。これまでもあったじゃん。しかもオレ、よく買ってたじゃんと。








同じくアウトドアメーカーのモンベルが出しているアルファ化米です。自宅からいちばん近い山道具店がモンベルショップということもあって、山に行くときはよくこれを買っていたのです。山道具置き場を見たらストックも2袋ありました。


確かこれ、もう数年前から売られていると思います。モンベルは自社でレストラン(スパイスマジック)もやってるし、食品事業に乗り出したのはモンベルのほうが早かったのである! さすがモンベル!


2016年10月22日土曜日

デトノアイソメに行きたい

仕事の筆が進まないので、珍しくブログ記事の連投を。


昨日登った八海山の西側には、気になる地名がたくさんあります。


まずはこれ。


なんだこりゃ? 地名なのか? それともなんかの記号みたいなものなのか? でも国土地理院の地形図に表記されているので、れっきとした地名と判断するしかない。


いったい「デトノアイソメ」とは何なのだろうか。漢字で書くとたとえば「出戸乃愛染」? いや、切る場所が違うのかもしれない。デ・トノ・ア・イソメでさしずめ「出殿阿磯目」あたりか。山の中だから磯目はないか……。


とにかくわけがわからない。山の地名には変なものがときおりあるが、これはかなりレベルが高い。同じ新潟の早出川にあるガンガラシバナに匹敵する。「わけがわからない」というだけで、私はそれに対する興味が抑えられなくなってしまう。なぜ「デトノアイソメ」なのか知りたい。そしてデトノアイソメをこの目で見てみたい。


以前、越後駒ヶ岳と中ノ岳を登ったときにもめちゃくちゃ気になっていたけれど、今回、地図を見ていて久しぶりに思い出した。思い出して稜線上から撮った写真がこれ。


画面中央、沢の合流点となっているところがおそらくデトノアイソメ。うーん、行ってみたいぞ! 気になりすぎてネット検索したところ、行っている人はやっぱりいて、現場には別に何もないらしいけれど。





次に、八海山と中ノ岳を結ぶ稜線上にあるこれ。


稜線上にV字に切れ込んだコルになっている。こういう地形に「ノゾキ」と名付けられるケースは他にもあるので、ここは「オカメ・ノ・ゾキ」ではなく、間違いなく「オカメ・ノゾキ」だろう。それにしてもなぜオカメなのだ。オカメがコルから崖下を覗き込んでいる姿が頭に浮かんでしまう(ところでオカメってなんだ)。


ここは名前だけでなく、地形的にもかなり強烈で、ものすごいV字コルになっている。北アルプスにあったら絶対にオカメキレットと呼ばれていただろう。

このアングルからだとわかりにくいけれど、稜線のいちばん低い場所がオカメノゾキ


越後三山縦走のコースでもあるけれど、このオカメノゾキの区間はハードなことで有名。なにしろオカメノゾキの標高は1240mくらい。1778mの八海山入道岳から500m以上下って、その後、中ノ岳までは一転して怒涛の800mアップ。こんなハードなアップダウン、南アルプスにもありません。

オカメノゾキから中ノ岳への800m超アップ。もはや壁のよう。見ただけで吐きそうです


この区間、私はまだ歩いておりません。一度は行ってみたいのだけど、覚悟がいりそうだな〜。





ほかに、越後駒ヶ岳のすぐ近くにも「フキギ」なんていうピークがあります。


ここは地形的にもかなり特異です。フキギから西(左)に延びる稜線と、そのすぐ下の沢(オツルミズ沢)の関係性をよく見てください。こんなへんな地形見たことない。名前だけじゃなくて、この地形を自分の目で見てみたい。





さて、越後三山周辺ではないし、国土地理院図にも表記がないのだけど、いまのところ私が知っている「変地名」のなかで最強と目されるのが、奥秩父金峰山近くにある「チョキ」です。標高1883mのピークなんですが、なぜチョキなんだ。山名でチョキなんてありなのか。そもそもどういう字を書くんだ。猪木? これじゃイノキか。いや、チョキと読むこともできるぞ。まさかパーはあるのか。それならばグーも絶対に欲しい……。


変地名は、それだけでさまざまな想像(妄想)を広げてくれる素晴らしいものでもあるのです。



山岳写真のウソ

昨日(21日)は八海山に登ってきました。デスクワークが続いてストレスがたまってきたので、突然の思いつきで単独行。本当は木曜日に行くつもりだったのだけど、天気がイマイチっぽかったので翌日に。平日でもこんなふうに思いつきひとつで動けるのがフリーランス最大の醍醐味だと思っています。そのかわり土曜日のきょうは仕事しているのだけど。


コースは、ロープウェー〜八海山〜阿寺山というもの。八海山はさすがに人気の山だけあって、平日だというのにけっこうな数の登山者が来ていました。ただ、私をのぞいてほぼ全員がロープウェーからの往復だったようで、阿寺山方面はひとりの登山者にも会わず。こちらは登山道も荒れ気味で、静かなもんでした。


個人的お目当てのひとつだったのが、八海山の紅葉。昔、この隣の中ノ岳で人生最高の紅葉を見たことがあるので、このへんの紅葉の美しさには期待していたのです。


その期待に違わぬ美しさ! 八海山頂上稜線から見下ろした山肌ですが、どうですか! 見事でしょう!




……というのはウソで、実際はこんな感じでした。



最初の写真は「風景モード」という、彩度とコントラストを上げた設定にしているので、ビビッドで派手な発色になっています。実際の見た目に近いのは2枚目の写真のほうです。


山の風景ってのは、こういうふうに彩度とコントラストを上げると簡単に見栄えのいい写真になるのです。やり方は簡単。カメラの設定を「風景」とか「ビビッド」とかにしておくだけ。インスタグラムアプリとかは、イイ感じのプリセットがいっぱいあって撮影後に選べるようになっていますが、要はこういうことをやっているわけです。


こういう色調整というのは、プロのカメラマンも多かれ少なかれみんなやっています。紅葉の取材に行って「紅葉イマイチだったな」というときでも、カメラマンから写真をもらったら素晴らしい紅葉が写っていた、なんて経験も一度や二度ではありません。もはやデジタルはなんでもできるのです。


で、デジタルだけではありません。フィルム時代、山の撮影ではフジの「ベルビア」というフィルムが圧倒的な人気を誇っていました。風景写真家や山岳写真家の8割から9割はベルビアを使用していたと記憶しています。このベルビアというフィルムはどぎつい発色が特徴で、それこそ冒頭の八海山の写真のような色が出ました。空は完璧に青く、樹々はすばらしく緑で、紅葉を撮れば、どうってことのない紅葉が錦の海になったものです。




さて、紅葉についての山岳写真のウソ、もうひとつあります。それは、紅葉がパッとしないとき、「紅葉がきれいな木をひとつだけ見つけ、それを手前に配置する」というものです。


具体的な例で説明しましょう。


これは2014年の9月末に裏剱の仙人池という、紅葉撮影の名所で撮ったものです。山旅ツアーのチラシに使えそうな素晴らしい紅葉だと思いませんか。


しかし、この写真を撮った場所から3m左に移動して撮ったものがこちら。


俄然、冴えない風景になってしまいました。しかし、当日の現場の印象としてはこちらのほうが実を表しています。




もうひとつ、こういうのもあります。


これは2013年の9月20日ごろに剱沢で撮ったものですが、これだけ見ると、周囲一帯が紅葉に包まれているように思えます。


しかしここからぐーっと引いて周囲一帯を写すとこんな具合でした。


「コレ」と記したのが、1枚目に写っているオレンジに紅葉した木。豆粒のごとくで、他はまだ青々としており、紅葉というにはまだ早すぎる感じであることがわかると思います。



雑誌に載っているような紅葉の山岳写真は、上に書いた2点のどちらか、あるいは両方をやっているものがほとんどといっても過言ではありません。逆に言えば、これらをやるだけで、あなたの紅葉写真のインパクトは倍増するはずであります。さらに言えば、インスタグラムやフェイスブックのタイムラインに流れてくる写真に「お! すごい!」と早合点して出かけたところ、大したことなかったという悲喜劇を防ぐためにも。。。

2016年10月19日水曜日

白馬岳に新しい登山道ができる!?

白馬岳新ルート検討 雪不足の大雪渓 影響見通せず


不安定な状態が続いている白馬大雪渓についに見切りをつけ(?)、新しい登山道を作ることが検討されているらしい。


これが実現されれば、北アルプス久々の新登山道ということになる(栂海新道以来ということになるんじゃないかな)。ちょっとワクワクするニュースだ。


と同時に、歴史ある大雪渓ルートが廃道ということにもなってしまうのか。それはそれで寂しい。




ところで記事の図によれば、新登山道はこんな感じになるのかな。







地形図を眺めていたら、その左にもっときれいな尾根があることに気づいた(緑線)。



こっちのほうがラインとしてはすっきりしているんじゃないかと思うのだけど、どうなんだろう。ほぼ休みなしの1000m一気登りになるからきつすぎるのかな。それとも、尾根最上部に崖記号が認められるので、通行困難な道になってしまうのか。


地図を眺めながら、こうしてルートプランをあれこれ妄想しているときがいちばん楽しいね。



2016年10月13日木曜日

山岳ガイドが憧れの職業

伊藤 伴。日本最年少にしてエベレスト、ローツェの連続登頂を成し遂げた男---その2


今年5月、エベレスト日本人最年少登頂記録を作った大学生、伊藤伴さんのインタビュー記事です(最年少記録はその直後に南谷真鈴さんに塗り替えられてしまいましたが)。


いちばん印象的だったのは、将来の夢を聞かれて「山岳ガイドになりたい」と答えているところ。


時代は変わったなあと思うのです。


昔は、「植村直己さんのような冒険家になりたい」とか「世界的なクライマーになりたい」という夢を語る若者はいても、「ガイドになりたい」という人はまずいなかった。そのころ(私が若い頃だから25年くらい前)は、山岳ガイドというと、登山にのめり込みすぎてまともな社会生活を送れなくなった人が生活のために仕方なくやる職業、というイメージが強かったんです。プロ意識も低そうで、とても憧れるようなものではありませんでした。


でも今では、19歳の若者が将来の夢として山岳ガイドをあげるのも十分ありえる話だ。伊藤さんの師である近藤謙司さんとかかっこいいもんね。私の知っているところでは、長岡健一さんとか花谷泰広さんとかも同じ。彼らは「仕方なく」ガイドをやっているのではなく、プロとして意欲的に取り組んでいる。そして大きいのは、経済的にきちんと成り立たせているところ。昔のガイドのようにその日暮らしでは憧れようもないですからね。


10代のときにフランスでガイド修行をして資格も取った江本悠滋さんが言うには、フランスでは山岳ガイドが少年の憧れ職業のひとつだそうです。自分もそうなりたくてガイドの道に進むことにしたと。日本もそういう社会にしたいと昔から言ってました。


そういう過去を思い返すと、時代はずいぶん変わった。伊藤さんの言葉はその象徴のように聞こえたのでした。

2016年7月15日金曜日

長野県で登山届が義務化されました

本日15日発売の『山と溪谷』8月号に、長野県登山安全条例についての記事を書きました。長野県内の山168山で登山届が義務化されるということで、注目を集めていた条例です。条例施行は7月1日。


記事はモノクロ3ページという地味なものなのですが、長野県庁にまで取材に行って手間をかけました。わかりにくい条例を噛み砕き、この条例の本質はなんなのか、登山者としてはどう対応すればよいのかを説明しております。今月のヤマケイのなかでは必見の記事かと思います。すごくわかりやすいです。なぜわかりやすいのかというと、たぶん筆者が森山憲一であることが最大の理由かと思います。


長野県登山安全条例

冗談はさておき。


この条例では、冒頭に書いたように、長野県内の主要な山168山で新たに登山届を義務化するということが定められています。その登山届が必要になるのはどこなのか。それが非常にわかりにくいです。まずはここを見てください。


長野県で登山を楽しまれる際は、「登山計画書」を提出しましょう!


ずらっと山のリストが出てくるんですが、文字だけなので、ここがまずわかりにくい。さらに、条例の対象となるのは、もう一段決まり事があります。このあたりかなり複雑なので、詳しくはヤマケイの記事を読んでください。


ただし、記事にも書いたんですが、沢登りやクライミングをする人、あるいは長野県在住の人などをのぞけば、これらの決まりを正確に理解する必要はないかなと思いました。「長野の山に登るならば、いつでもどこでも登山届が必要」と覚えておけばOKです。条例の対象外となるようなところは全国的にはマイナーな山ばかり。登山前にいちいちこの複雑な条例を読み解いて「この山は条例対象かな」と調べるよりも、「どこでも必要」と機械的に覚えておいたほうが、トータルで手間がないということです。


登山届


記事では若干批判めいたニュアンスのことも書きましたが、それは条例に関して少々疑問な点があるだけで、登山届自体には、私は賛成の立場です。条例のあるなしにかかわらず、絶対出したほうがいいです。理由は、自分のためになるからです。


万一遭難してしまった場合、登山届が出ていなければ、救助者はどこを探していいのかわかりません。よくあることなんですが、「山に行ってくる」とだけ言って家を出たまま帰ってこないという通報が、家族から警察にくるそうです。だれか仲間と行っていればまだしも、これが単独だと、探しようはほとんどないわけです。だって、どこに行っているのかさっぱりわからないのだから。実際、このまま行方不明となって数ヶ月後に遺体で偶然発見されるとか、あるいは見つからずじまいという事例もいくつもあります。


遭難してピンチに陥ったときの自分の心理を想像してみれば、その重要性はもっと理解できるかと思います。たとえば、ひとりで歩いているときに、山深くだれも来ないような谷間に滑落して動けなくなってしまった。幸いまだ息はあるが、かなり重傷でこのまま何日もつかはわからない。携帯電話は圏外だ。叫んでも人が通りかかる気配はゼロ。よほどの幸運でもないかぎりはここでゲームオーバー。


しかし登山届を出してさえいれば、この絶望的な状況でも、わずかな望みは残るわけです。だれかが救助に来てくれるかもしれないと。


登山届というのは、エマージェンシーキットや山岳保険みたいなもの。私はそういう認識です。「出せ」と言われるから出すようなものではなくて、出さないと自分が困るから出す。そういうものだと思っています。



登山届を簡単にしたい


とはいえ、登山届を出すのはめんどくさい。はっきり言ってかなり面倒くさいです。登山届の提出率は10%くらいとよく言われます。出していない90%のうち、面倒だから出さなかったという人が半分くらいはいるんじゃないんでしょうか(残りは登山届の存在を知らなかったとか、ポリシーとして出さないとか)。


私は大学探検部というところで登山を始め、そこでは、どこかに行く場合、必ず部に届を出すのが決まりでした。はじめからそういうものとして登山を始めたので、登山届を書くのはかなり苦にならないほうですが、それでも面倒くさいです。時間なくて書かないまま行ってしまうこともあります。


でもやっぱり出すべきで、そのために、登山届をできるだけ省力化することを考えてきました。やっていたのは、パソコンで書式を作っておいて、その都度必要なところだけ書き換えるという方法です。これでかなり手間は軽減されましたが、もっと簡単にしたい。


昔、ニュージーランドに行ったときにそのヒントを見つけました。ニュージーランドの山には、どの登山口にも登山届の用紙が設置されているのですが、それがものすごくシンプルだったのです。書くことは、名前と連絡先、予定コースくらい。用紙の大きさもB6くらいの小さなものだったと記憶します。「これだ!」と思いました。これでいいじゃんと。


そもそも、日本の登山界で推奨される「登山計画書」の書式は複雑すぎるのです。たとえば、今回の長野県が書式例として公開しているのはこれです。


登山計画書作成例


見ただけで書く気がなくなりそうになりませんか。私が編集をやっていたころの『山と溪谷』で作っていた書式などは、もっと書く項目が多いものでした(今でもほとんど変わってない)。


しかし、先に書いたような状況のときに役立つ最低限の情報があればよいという立場に立てば、どうしても必要なのは、登る人の名前と連絡先(本人の連絡先ではなく、家族などの連絡先であることに注意)、そして予定のコースがどこかだけです。ほかは、あればもちろん役には立つ情報ですが、「絶対」必要ではない。


てなことを考えていたころに、以下のブログを読みました。書いているのは、山小屋で働いていて、遭難救助などにも携わった経験のある方なのですが、これを読んで私は首が折れるかと思うほど強くうなずいてしまいました。あまりに共感したので、思わずコメント書き込んでしまってます。恥ずかしい。


入山届を軽量化してみる


現場での経験からなのでしょうか。研ぎ澄まされています。付け加えることはありません。これが登山届のファイナルアンサーであります。


長野県の登山条例と私が意見が合わないのは、ここなのです。長野県が登山届を義務化したことには、入山前によく調べて情報量豊富な登山計画書を作ることで、登山への意識を高め、ひいては遭難減少につなげたいという狙いがあるといいます。それは正論ではあるのですが、人間は面倒くささに勝てない生き物であるという視点が欠けているように私は思うのです。多くの人はそんな正論どおりには動けない。後ろ向きな認識かもしれませんが、それが現実なのではないでしょうか。


ならば、登山届はできるだけわかりやすくシンプルにして、とにかく提出率を上げることだけに力を注ぐ。そのほうが結果的に得られる実りは大きいように私は思うのです。


登山届はどこに出すか


いちばん手軽でわかりやすいのは、登山口にある登山届用のポストです。それがない場合は、事前に地元県警にインターネットやファクス、郵送で提出することになります。


ただしこの事前提出がまた面倒くさい。郵送で登山届を提出している人って、いったいどれくらいいるんでしょうか。都道府県によって受け付けている提出方法がまちまちであることも面倒くさい大きな理由です。「どこにどうやって出したらいいのかわからない」というのは、複雑な書式以上に、提出率を下げている大きな理由になっているような気がします。


個人的には、全国統一の専用サイトがあって、そこから提出できるようになるのが理想かと思います。長野県が条例施行に合わせて利用を推奨している「コンパス」というサイトは、それになり得る可能性をもっており、そこは私も長野県の姿勢を評価するところであります。


本当は家族に出せばいい


ただ、本当は、話はもっと単純なことなのかもしれません。ある山岳救助隊員の方が「行動予定を家族に伝えておいてくれればいいんです」と言っていたそうです。それさえしておけば、別に登山届は出さなくたってかまわないと。下山予定日に帰ってこなければ、家族は警察に連絡してくる。登山届を出していたところで、最初の第一報は家族(あるいはもっとも近しい人)からくるのが通常なのだから、届を出していてもいなくても結果は変わらない。


私もそのとおりと思います。なので私は、登山計画書を書いたら、まず妻にメールしておくようにしています。そしてそれをプリントして持っていき、登山口のポストに投函します。ポストがなければ、投函しないまま登っちゃいます。無届け登山になるわけですが、妻が山行内容を知っているので問題ないわけです。


ただしこのとき、意識的に実践しているのは、万一下山してこなかった場合に何をするべきかを妻に伝えておくこと。とはいっても、やることは110番に電話することだけ。しかし私の妻は登山をやらない人なので、教えられなければ、110番に連絡するということもすぐには思いつかないはずなのです。


もちろん110番に連絡するより登る山の地元警察のほうがベターで、登山雑誌などにもそのように書いてあることが多いのですが、登山素人の妻が動揺した精神状態で、山の所在地を調べ、そこの警察の電話番号を調べ……なんてことをてきぱきと遂行できるとは思えません。110番にかけたって、すぐに地元警察に話が回るはずなので、妻がモタモタ調べるよりそのほうがずっと話が早い。ということで、「110番に電話しろ」と伝えておくのがベストだという結論に至っています。


もうひとつ。「最終下山日時」というのを設定して妻に伝えることもしています。その時間を過ぎても連絡がなかったら遭難したと見なせ、という日時のことです。これは、大学探検部の届けにあった項目で、この時間を過ぎたら、部員がスクランブルで捜索に動き出すことになっていました。


一般的な登山計画書ではあまり見ないものなのですが、有効だと思うので今でも採用しています。たとえば下山予定日に帰ってこなかった場合、家族は心配するわけですが、すぐに警察に連絡して大騒ぎすると、その数時間後にひょっこり帰ってくるかもしれない、いつまで待ったらいいのかな……。


家族も登山をする人の場合は、そのへんの案配はある程度判断がつくものですが、そうでない場合は(私の家族とか)、判断できないまま不安な時間を無駄に過ごすことになってしまいますよね。ならば、時間単位で明確に設定しておいたほうがお互いにとってよいということです。これは、同居人がいなくて実家とか知人を連絡人にしている人には、より有効な手段かと思われます。


ただし、この日時の設定はわりと難しくて、ギリギリに設定してしまうと、わずかなアクシデントがあっただけで最終下山日時を過ぎてしまうことがあり得ます。かといって余裕を持たせすぎると、救助出動が遅れて手遅れになってしまうかもしれない。適切な日時を設定するには経験とそれに基づく想像力が必要なので、初心者のうちはやらないほうがいいかもしれません。





登山届は個人的に思うこといろいろあるテーマだったので、つい長くなりました。ほかにも、各種登山計画書作成サイトのレビューなど書きたいことあったのですが、長くなったのでそれはまた次回に。






2016年4月3日日曜日

『外道クライマー』解説

もう本当にすばらしい。おれもこういう文章を書いてみたい。いや、『外道クライマー』のことではありません。その巻末に掲載されている「解説」のことである。筆者は角幡唯介


こみいった話をするする理解させる叙述力、品のある言葉のチョイス、絶妙のさじ加減に抑えたジョーク、すべてがすばらしい。登山や冒険の奥底の魅力というのは言葉ではとても表せないモヤモヤとしたものなのだけど、角幡の手にかかれば明快な理屈になってしまうので、本当に不思議だ。というか、うらやましい。


ここのところ、もうすっかりこの男の文章のファンである。こっそりマネさせてもらっているが、彼の新作をあらためて読むと、やはり全然およばないことに気づく。


角幡の文章をひとことで表すと、「端正」という言葉がいちばんしっくりくる。非常に的確な言葉だと思うのだが、残念ながらこれも私の言葉ではない。高野秀行の言葉である。さすがに文章でメシを食っている人は言葉のチョイスが違う。


高野と角幡は大学のクラブの先輩と後輩にあたるのだが、なんだかPL学園野球部で、先輩の清原や桑田、後輩の前田健太などの天才にはさまれた世代の上重聡のような心境だ。一応おれも甲子園(商業誌)には出たし、自分ではそこそこイケてるつもりだったのだがなあ。


つい最近、その『外道クライマー』を買って、冒頭の一章と巻末の解説だけ読んだ。どちらもたいへん面白く、これから先の読書を期待させてくれた。その解説だけ、ネットで読めるようになっていたことに気づいた。


『外道クライマー』スーパーアルパインクライマー宮城 - HONZ


本に掲載されている解説と同じ文章(のはず)。ぜひ読んでみてほしい。


私的に最高に気に入っているのは、最後の1行である。本を読まないと意味がわからないかもしれないが、もう最高。角幡はこの1行を書きたいがために、えんえん文章を書き連ねてきたんじゃないだろうか。いや、きっとそうだ。強烈なオチになってます。


似たような1行オチで、私が絶品級に気に入っている文章がある。それがこれだ。


おちんちん


こうして記すのをはばかられるタイトルだが、これは角幡がつけているタイトルだから私にはどうしようもない。タイトルはひどいけど(でもこれでいい)、ブログに書くにはもったいないような名文です。ぜひこちらもお読みください。






2016年3月11日金曜日

孤高のクライマー・森田勝


ICI石井スポーツの新宿東口ビックロ店で、クライマー森田勝氏を語るイベントがあったので行ってきました。


ちょうど『PEAKS』の連載で森田氏をとりあげたばかり。使っていた道具の展示や過去の写真なども見られるというし、なにより森田氏はICIのアドバイザーを務めていた過去がある。そのICIの方が語るというので、いろいろ深い話が聞けるんじゃないかと思ったわけです。


森田氏というと、頑固一徹な偏屈クライマーの代表格のように見られています。そのイメージが強烈で、小説『神々の山嶺』の主役のひとり羽生丈二のモデルになっています。





しかし誌面でも書いたのですが、それはどうも佐瀬稔というノンフィクション作家が書いた『狼は帰らず』という本のイメージにすぎないらしいのです。


実際の森田氏はもうちょっとまともだったという人も多く、実際、イベントで話をされたICI登山学校の東秀訓氏も、「森田さんはまじめな人で、アイデアマンだった」と語っていました。


佐瀬氏の本は読ませる力があり、読み物として面白いのだけど、叙述がドラマチックにすぎて、等身大の人物像からは離れてしまう傾向があるのかもしれない。森田氏の奥さんが本をあまりよく思っていなかったというような記述をどこかで読んだ覚えもあります。人を書くというのはなかなか難しいですね。




会場には、森田氏が考案して実際に使っていた靴が展示されていました。いちばん手前の伝説のクライミングシューズ「EBスーパーグラトン」。これ、森田氏がはじめに目を付けてICIで日本に輸入し始めたそうです。知らなかった! 


真ん中と奥の靴は、森田勝考案の登山靴。真ん中は独特のシューレースシステム、奥は毛皮のゲイターが靴に直接付いているところが、森田氏独特のアイデアだったそうです。これ、東氏も言っていたけど、真ん中はスポルティバ・スパンティーク、奥は同じくオリンポスにそっくり! 森田氏に先見性があったというか、スポルティバがパクったというか・・・?


あまり記録を残していない森田氏だけに、知らない話ばかりで面白かった。ネットでたまたま見つけたイベントだったのだけど、こういうイベントもいいですね。






2016年2月19日金曜日

服部文祥、初の文学賞受賞

サバイバル登山家として知られる服部文祥さんが、梅棹忠夫山と探検文学賞なる賞を受賞した(受賞作品は『ツンドラ・サバイバル』)。


梅棹忠夫というと、探検界ではカリスマのひとりであり、私も学生時代には著書をよく読んだ。なので、文学賞としてはマイナーだが、知り合いの受賞には感慨深いものがある。


が、これまで全5回の受賞者5人のうち、これで3人が知り合い(第1回の角幡唯介、第3回の高野秀行)。山と探検文学界どんだけ狭いの!


さらに、この賞の創設には、山岳編集者としての私の師、神長幹雄さんが深くかかわっている。神長さんは、私が『山と溪谷』の編集部に配属になったときの編集長であり、雑誌編集の心得はほとんどこの人から学んだ。


もっとも印象深い教えは、

「校了日にオレの机に校了紙を置いてくれさえすれば、普段は何していたっていい。会社に来なくてパチンコしていてもかまわない」

というもの。


20代で若かった私は、この言葉にいたく感じ入り、現在に至るまでこの教えを忠実に守っている(いまは会社員じゃないけど)。


……と、教えを忠実に守った私がダメであることからもわかるように、神長さんという人は、本当にダメな人なのであった。もうダメダメなのである。


高野秀行さんが受賞したとき、この神長さんから受賞の連絡があったらしい。神長さんが私の元上司であることを知って、高野さんが連絡してきた。


高野「神長さんってどんな人なの?」
森山「え? どんな人って?」
高野「いや、受賞の連絡をもらったんだけど、なんだか異常に恐縮してるんだよ」
森山「どういうことですか?」
高野「『こんな小さな賞で申し訳ないんですけれど……』とか、『賞金も本当に些少で、こんなので受けていただけるか……』とか、そんなことばっかり言うんだよね」
森山「ああ……。なんかわかります」
高野「だんだん詐欺じゃないかと思えてきてさあ」
森山「あっはっは。そういう人なんですよ、神長さんって。その恐縮には何も意味はありません」
高野「そうなの」
森山「そうです。ところで賞金っていくらなんですか」
高野「50万」
森山「えーっ、些少じゃないじゃないですか」
高野「そうそう、本当なら喜んで受け取りたいんだけど、神長さんがあまりに怪しいから、50万取られることになるのかと思えてきてさあ……」


高野さんはとりあえず安心して受賞することにしたのだが、授賞式までにも、なんかまたすったもんだがあったらしい(具体的なことは忘れてしまった)。


これだけじゃあ、神長さんのダメぶりは全然伝えられない。まだまだいろいろあるのだけど、仕事の合間にふと書き始めたブログで、もう仕事に戻らなきゃいけないので、とりあえずここまで。


愛すべきダメオヤジ、神長幹雄物語。また機会をあらためて書いてみたい。






服部さんの受賞ニュースを書くつもりだったのに、いつの間にか神長さんの話になっちまった!




2016年2月18日木曜日

映画『エヴェレスト 神々の山嶺』マニアックメモ



ただいま発売の『岳人』で、映画『エヴェレスト 神々の山嶺』に主演している岡田准一さんのインタビュー記事を書いたのですが、映画についての小ネタをいくつか聞いたのでメモ。


『岳人』を発行しているのはモンベル(正確には子会社のネイチュアエンタープライズ)。そしてこの映画、山岳装備をモンベルが提供しているのです。そういうわけで知ることができた裏話。映画の本筋には関係しない道具のネタですが、山好きの人だったらちょっとニヤッとできる話かと思います。映画公開は3月12日でまだ先ですけど、見る機会があったら、こんなところにも注目してみると面白いんじゃないでしょうか。


岡田准一さんが背負っているザックは世界に1個

映画の中で、岡田さん演じる深町誠は黄土色のザックを愛用しています。これ、モンベルのアルパインパック50というザックです。ただし、ここですぐさま「アルパインパック50」で検索をかけた方はお気づきかと思いますが、この色はいまは売られていません。昨年モデルの旧カラー(HONEYという色)なのです。


そしてさらに、前面に入っている「ZEROPOINT」というロゴが、映画使用品と商品では異なっています。映画の舞台設定は1993年なので、ZEROPOINTのロゴは古い昔のものに替えているそうなのです。だから映画使用品と同じザックはほかに存在しないというわけです。


そういうわけで、まったく同じザックを入手はできないんですが、カラーに関しては、登山用具店の店頭在庫としてまだ残っているものがあるかもしれない。欲しい人は急いで探してみよう。


あ、ロゴもあれか。ヤフオクとかで旧ロゴのザックを根気強く探せば完全レプリカを作ることも可能か。さすがにそこまでやる人いないか。


エベレスト登攀シーンで使われているアックスはKAJITAX



これが出てきたときは「やるな!」と思いました。このアイスアックス、80年代から90年代にかけて大ヒットしたモデルで、みんなこれ使ってたのです。映画の時代設定を考えればこれしかないでしょう。わかってる人が小道具を選んだなと感心しました。


正式名称は「カジタックス・スペシャリスト Mark 2」。映画で使われているのは、90年代にヒットしたMark 2のほうです(初代スペシャリストは80年代)。私もこれ持ってます。


ちなみに、これまだ現役で販売されてます。いまメーカーのサイトを見たら、映画で使われているストレートシャフトはもうないみたいですが、ベントシャフトのタイプはまだ買えます。まあ、いまとなってはもっと高性能のアックスがいくらもあるので、これをアイスクライミングなどに使う人はいないですが、バリエーション的なルートではけっこう使えます。私もごくたまに出動させることがあります。コンパクトで取り回しやすいんですよね。


そのほか

1990年代前半の山道具をそろえるのは意外と苦労したそうです。もっと古いものであれば、整理して保存している人もいるけど、1990年代前半のものというのはクラシックな価値があるわけではなく、かといって現役で使われているほど新しくもない。いちばん中途半端な時代だというのです。


そう言われれば確かにそうかも。アックスやカラビナなどの金属製品は劣化しにくいのでまだ持ってる人も多いけど、ウエアやザックなどはだいたい捨てちゃってますからね。そのわりには、映画に出てくる山道具の考証に違和感はなかったので、小道具スタッフはいい仕事をしているのだと思います。


あと、岡田さんが身につけているウエアは本人が選んだそうです。一度モンベルが一式そろえたのですが、映画の設定や時代的に違和感を持ったらしく、岡田さん自らモンベルショップに出向いて選び直したとのこと。このへんは山登りやってる人ならではですね。






【2月19日追記】

なんと! まさに映画で使った小道具なども展示したイベントが開催されるそうですぞ! 

撮影で実際に使用した衣装や小道具、映画の内容を紹介し、高度5200M級の世界が広がる写真パネルや映画メイキング映像などの展示・放映に加え、ここでしか見ることが出来ない、岡田准一さん自身がエヴェレストロケ中に撮影した写真のパネル展示など、映画『エヴェレスト 神々の山嶺』の世界を余すことなく、感じていただける展示イベントです。 

詳細はこちら


あまりのタイミングに、「イベントの宣伝エントリーだったんじゃないの~」と言われそうだけど、まったく関係ない偶然ですから! むしろ、「オレのエントリー読んで急遽企画したんじゃないの?」と言いたい。これほんと!


2016年2月17日水曜日

登山のグレーディング

3年前にフェイスブックにこんなことを書いたことがあります。


山のグレード


山の難易度をわかりやすく表すのって難しい。


たとえば富士山と屋久島宮之浦岳の難易度を比較せよと言ったときに、ひとことで言い切れる人ってたぶんいないはずだ。それこそ剣道初段とかみたいに、だれにでもわかりやすい尺度って作れないものかとずーっと考えているんだけど、まだ思いつかない。


山登りって考え合わせる条件があまりにも多岐にわたるから、そもそも統一的な尺度を作るのは無理なのかもしれない。いや、でも、これまでだれも本気で考えていなかっただけで、本気で取り組めば現状よりはわかりやすい何かができるんじゃないか。……という気もしている。


こういうことを考えるときにいつも思い出すのがクライミングのグレード。


これは結局、100%、登った人の主観に過ぎないわけです。傾斜が90度以上あれば5.11だとか、ホールドが5mm以下だったら1級だとか、そんな客観的な基準は何もない。「これくらいなんじゃないの」という、いわば感想の積み重ねによって形成されている。


ところがそんなものが驚くほど正確で。リードグレードだと25段階くらいに分かれているのだけど、実際登ってみると、だいたい合っている。たまに1段階前後のズレはあっても、2段階ズレていることはほとんどない。自然の岩という曖昧なものを相手に、25段階もの正確な基準が作られているというのはすごいことである。


どうしてこんなことが可能になったかというと、考えてみればこれってウィキペディアと同じ仕組みなんですよね。だれかがグレーディングしたものを、別のだれかが違うと思えば書き換える。それがまた違うとなれば……の繰り返し。まさに典型的な集合知。


自然という複雑怪奇なものを相手にした場合、先に理屈を設定してそれに基づいて整理していくより、クライミンググレード方式が合っているような気がする。みんなでよってたかって意見を言い合ってそれをすりあわせていくという。この考え方を登山にも応用すれば、もう少しわかりやすく山の難易度が表せる方法が見つかるんじゃないのか。


しかしその一方で、山をグレーディングするということには味気なさを感じてしまうのも事実。山登りの大きな魅力のひとつに「不確定要素」があると思う。あそこの山の上に行ったら何があるんだろう、行ってみないとわからない、というドキドキ感。グレードシステムが完璧であるほど、そのドキドキ感は少なくなってしまう。だって、事前にかなりの部分が正確に予想できてしまうのだから。それはつまらない。


しかしそこでもう一回ひっくり返して、それでもやっぱりグレードは必要なんじゃないかと考えている。そう思う最大の理由は、文化を異にする人との対話が可能になるから。グレードってのはひとつの言語だ。共通のものさしを持つことで、知らない人、さらには山登りをしたことがない人とでも、正確なコミュニケーションが簡単にできるようになるはず。


クライミング界がまさにそう。たとえば、チェコのクライマーがすごいルートを登ったらしいとだけ聞いても、「ふーん」くらいしか思わないけれど、そのルートが5.15cだと聞けば、全世界のクライマーが一瞬にしてその価値を理解する。しかも理解度にそれほどのブレなく共通に。


それだけじゃない。日本のクライマーがアメリカやヨーロッパに行ったとき、言葉がろくにできないのに現地のクライマーとコミュニケーションが成立することには、グレードの存在が大いに関係しているはずだ。


これを登山に置き換えて考えてみると。


たとえば高尾山に登って、高尾山が2級というグレードの山であることを知った人が、「私たちは1級~3級の山をよく登ってます」という山岳会の告知を目にしたら、気になるんじゃないだろうか。あるいは、登山用具店で「ふだんは10級前後の山を登ってます」といえば、店員もおすすめすべき道具が何か、正確に判断できるだろう。


まだある。たとえば富士山が6級だったとする。富士山に登った人が、国内には10級なんて山もあることを知る。いちばん難しいのは25級なんて山もあるらしい。となると、だれでも興味が湧くんじゃないだろうか。もうひとついえば、ふだん登っている山が3級前後の人が剱岳に興味を持ったとする。しかし剱岳のグレードは15級だと知れば、「もうちょっと経験積んでからにするか…」となって、剱に実力不相応の人が押し寄せて事故が起きるなんてことももう少し減るのではないか。


グレードシステムには弊害もあり、それを整えるほど本質を壊しかねない危険を孕んでいるものではあるけれど、クライミング界がこれまでグレードシステムから受けてきたメリットの大きさを考えると、個人的に天秤は「グレードあり」に傾く。同様にして、山登りにも、もう少しわかりやすいものさしが必要なんじゃないか。


……なんてことを、山のガイドブックを編集しながら日々妄想しているわけです。


なんでこんな文章思い出したかというと

近ごろ、長野県を中心に、登山道のグレーディングを進める事業が活発になっています。1カ月くらい前には、こんな発表がありました。


「信州 山のグレーディング・ピッチマップ」事業の評価結果を公表します


これだけだとなんのことかよくわからないけど、登山道を区間ごとに5段階でグレーディングしたというものです。そしてそれを、ヤマレコというサイトが地図上でわかりやすく図示してくれています(「大きな地図で確認する」というボタンをクリックすると地図が見られます)。


この方式が、登山のグレードシステムの決定版なんじゃないかなー。上の文章をフェイスブックに載せたときに、花谷泰広ガイドが、「スキー場のコースのように緑・赤・黒みたいに地図上に示せばいいと思います」というコメントをくれて、それだ!と思った覚えがあるのだけど、今回の長野県の取り組みはまさにそれ(花谷ガイドがアイデアを提供したのかも?)。昭文社の山と高原地図でこれが採用されれば、いっきに普及するでしょうね。


いくつか注文をつけるとすれば、

・ヤマレコの図は5段階の色の区別がわかりにくい(ここは昭文社の優秀な地図デザイナーの手にかかればすぐに解決するでしょう)

・グレード改訂の機会を設けておく(「ここのグレードはおかしいんじゃないか」とか登山者が投票できるシステムがあると面白いなあ〜)

そんなところ。


始まったばっかりだけど、登山者全体でうまく育てていきたいところっすね!



2015年12月17日木曜日

「好きな登山家」山野井泰史

発売されたばかりの『山と溪谷』1月号に、
私のアイドル、山野井泰史さんのインタビュー記事を書きました。


山野井さんには何度もインタビューしたことがありますが、今回のテーマはちょっと特殊。
山と溪谷で「好きな登山家はだれですか」という読者アンケートをしたそうで、
その1位となったのが山野井さん。
それについて本人を取材してほしいという依頼でした。


となると、「1位の感想、どうですか?」ということくらいしか質問が思い浮かばず、
またそれに対して山野井さんが面白い答えを返してくれるとも思えず、
話が広がっていかないことがありありと目に見えたので、
取材のテーマを「登山家とはなんだ」というところにシフトして話を聞いてきました。


登山家とはなんだ。


これ、けっこう難しいテーマだと思います。
人によってイメージがずいぶん違うし、社会的な認識もさまざま。


一般的には、小説『神々の山嶺』のキャラクター羽生丈二のようなイメージがいちばん強いと思われます。
寡黙で、ストイックで、ヒゲを生やしていて気難しい。
そんなところでしょうかね。


しかしそんなステレオタイプな”登山家”、現代ではほとんどいません。
とくに、一流とされる人ほど、そういうイメージから遠いことが経験的に多いように思われます。
山野井さんなんか、ふだんはへらへらしていて、どちらかというと小柄なほうということもあって、屈強どころか弱々しい印象すらあります。


それに登山家って職業なのか? という問題もあります。
「登山家」って、なんの気なしに口にするけど、その定義はなんだ?
政治家とか建築家ならわかりやすいけれど、登山家ってなんだかわからない。
今でも地方紙などで「○○市在住の登山家、××さんが△△山に登頂成功」なんて記事がたまに出るけど、その××さんは趣味で登山をやっている、登山界的にも無名のただの会社員だったりする。
社会的な認識があいまいで、面倒くさい言葉なのです。登山家って。


そういう問題意識が個人的には昔からあって、そんなところを山野井さんはどう思うか、聞きました。
山野井さんの考えとしては、山野井さんのようなクライマーよりも、もっと山を広くとらえて活動している人が「登山家」というイメージに近いということでした。
そして「登山家は職業ではない」とも言っていました。
そのへん、詳しくは記事をお読みください。


ところで、こういうインタビュー記事の場合、原稿ができあがったところで本人に一度見せて確認をとります。
これ、書き手としてはけっこう気が重い作業なんです。
人によっては、取材時に言っていないようなことも含めて猛烈に直しを入れてきて、もう一から原稿書き直したほうが早いんじゃないかというようなこともあるもので。


しかし山野井さんは、まったく直しを入れてきません。
入れてくるとしたら、私が事実関係を間違っていたときのみです。
「それは3ピッチ目ではなくて、4ピッチ目です」
みたいなこと。
ほとんどの場合はなにもなしで終わります。
今回の返事もこれだけでした。
「原稿問題ありません。今夜から三重県の最近開拓された岩に行ってきます。」


たぶん山野井さんは、自分が人からどう見られるかということにほとんど関心がないのだと思います。
だから事実の訂正はするけど、ニュアンスについてはどうでもいい。


同時に、責任のありかということについて、明確な意識を持っているのだと私は解釈しています。
自分が言ったことについては責任を持つけれど、文章をどう作るかということは書き手の責任。
そこは自分が口をさしはさむことではないと。


山野井さんのように原稿に文句を言ってこない人のほうが書き手としてはラク……
と思えるのですが、実際は逆で、こちらのほうが書くときに緊張します。
「僕は自分の役割は果たしたよ、あなたの責任はあなたでしっかり果たしてね」
こう言われているような気がして、ヘボな文章は書けないなと気が引き締まるのです。


山野井さん自身は、自分がなんで1位になったのかよくわからないと言っていたけれど、
こういう清々しさが、私が山野井さんのファンである大きな理由であり、
また、「好きな登山家」アンケートで票を集めた理由のひとつでもあるはずなのです。絶対。






2015年11月7日土曜日

アイゼンなのかクランポンなのか

登山に関する用語で、それまで一般的に使われていた呼び名を私が変えてしまったというものがいくつかあります。


ビレイディバイス
これとかこれのことです。確保器ともいいます。


2002年に発行された『ROCK & SNOW』で、ビレイデバイスの特集記事を作ったことがあります。
その冒頭の文章を書いていただいた山本和幸さんという人が言葉に厳密な人で、文章中すべて「ビレイディバイス」という表記を使っていました。
それまでは「ビレイデバイス」とみんな呼んでいたのですが、確かに綴り(Device)からすると「ディバイス」のほうが正しいようだ。
そこで、この特集記事ではすべて「ビレイディバイス」という表記を使ったのでした。


するとその後、クライミングギアメーカーのカタログやインターネット上で「ビレイディバイス」という表記が急に増えていきました。
クライミング界でのROCK&SNOWの影響力というのはかなり大きく、とくに人名や用語の表記はここで使われたものがクライミング界全体のスタンダードとなることが多いのです。
それまでまったく聞いたことがなかった「ビレイディバイス」が急速に増えていったのは、ROCK&SNOWの記事のせいであることは間違いありませんでした。


それを見て私は、ひとり「やっちまった感」を抱いていました。


高校生のころに私は、『BURRN!』というヘビーメタル雑誌が好きでよく読んでいました。
この雑誌には「ブルーズ」という言葉がよく出てきました。

「『ブルーズ』ってなんだ? 文脈からするとブルースのことらしいけど、わざわざ濁点をつけているということは、普通のブルースとはニュアンスの違うジャンルを表現しているんだろうか?」

高校生の私はそんなことを思ったりもしていたのですが、実のところはなんのことはなく、ブルースを発音に忠実な表記にしているだけなのでした。


やはりその当時好きなSF作家にマイクル・クライトンという人がいました。
『アンドロメダ病原体』とか、独特の不気味なトーンが漂っていて、かなりお気に入りだったものです。
その後、『ジュラシックパーク』でだれもが知るビッグネームとなるのですが、テレビや雑誌などでは「マイケル・クライトン」と紹介されているのです。

「ん? マイケル? あれ? 別人か? いや、でも、そんなわけは……」

もちろん別人なんかではなく、クライトンをいち早く日本に紹介した早川書房が「マイクル」という表記を使っていただけなのであります。
ちなみに綴りはMichael Crichton。
Michaelという名前は、日本では通常マイケルと表記しますよね。マイクル・ジャクソンとはいわないもんね。


このふたつのことから何が言えるか。


『BURRN!』も早川書房も、専門なだけに原音に忠実であろうとしたのだと思います。
確かにブルースは英語では「ブルーズ」と発音するし、マイケルも音的には「マイコォ」とか「マイクル」のほうが近いです。
しかしその結果として、(少なくとも私には)無用な事実の混乱を招いてしまったのです。


まわりくどくなりましたが、ビレイディバイスで私が「やっちまった感」を抱いたのは、これらの経験によります。
それまでデバイスと呼んでいたものがディバイスに変われば、何か別物になったのじゃないかと思われる可能性がある。
原音に正確であろうとした結果、それより重要であるはずの意味の混乱を招く。
それでは言葉として本末転倒なのではないか。だったら、多少発音が不正確でもすでに一般的になっている表記を使うべきなのではないか。
「デバイス」という言葉は当時から一般的に使われていて(デジタルデバイスとか)、そこをわざわざ「ディバイス」にする必要はなかった。いや、するべきではなかった。
……と、反省したのです。


しかし、「前号で『ディバイス』と表記したのは撤回します」と訂正を出すわけにもいかず、「ビレイディバイス」が普及していくのを心苦しく眺めることしかできませんでした。


というわけで、13年越しに「ビレイディバイス」の表記をここで撤回させていただきたく思います。実際、私は記事で「ディバイス」という表記を使っておきながら、この13年間、自分ではずっと「ビレイデバイス」と呼んでいました。ROCK&SNOW以外の場所では、書く際も「ビレイデバイス」としていました。申し訳ありませんでした。


というところで、長くなりましたがこの話題は終了……しようとしたのですが、ふと思いついて一応確認してみたところ、驚愕の事実が!
ここを開いて、三角マークをクリックしてみてください。
……「デバイス」って言ってない? そう聞こえますよね? 明らかに「ディバイス」じゃないよね!?


原音に正確であろうとした結果、無用な混乱を招いただけでなく、肝心の原音すら勘違いだったってことか!?
なんだかダブルで「やっちまった」のかも……。



アックス


アイスクライミングなどで使うクライミング用のピッケルのことです。
以前は「アイスバイル」あるいは略して「バイル」と呼ぶことが多かったのですが、近ごろは「アックス」と呼ぶほうが一般的です。
この呼び名の変化も私が原因——とまではいいませんが、私が後押しした可能性は濃厚です。


アイスバイルというのはドイツ語で(Eisbeil)、アイスハンマーという意味です。
しかし日本ではハンマーではなくアッズ(ブレード)の付いているタイプも一緒くたにアイスバイルと呼んでいました。ドイツ語でいくなら、そちらはアイスピッケル(Eispickel)と呼ばなければいけないのに。
そのへんの不整合性は、いちクライマーとしてはどっちでもいいことだったんですが、記事を書く立場としてはどうしても気になって、アイスバイルという言葉を使いたくなかったのです。


一方で、当時すでに「アックス」という呼称も一部で使われ始めていました。
アックスは英語Ice Axeの略。これならハンマータイプもアッズタイプもどちらでもOK。
ならばそれでいこう。
そう思った私は、ROCK&SNOW誌面ではすべて「アックス」という用語を使うようにしたのでした。


当時、ROCK&SNOW誌でのアイスクライミング記事は私が担当することが多く、必然、同誌では「アックス」という用語で統一されていくようになりました。
一般クライマーの間で「バイル」という呼称を聞く機会が減り、逆に「アックス」が増えていくようになったのもこのころと記憶しています。
私が変えたわけではないのですが、影響を与えた可能性は高いでしょう。


ところでクライミング用語は近年でも呼び方が変わったものがいくつかあり、その代表格は「ロープ」だと思います。
私がクライミングを始めた25年前は、「ザイル」という呼び方のほうが一般的だったように記憶しているのですが、今のクライマーは「ロープ」と呼ぶほうが普通です。
クライミング界は一般登山界よりも海外との交流が多い世界なので、英語に統一しようという気運が働いたのかもしれません。
いずれにしろ、一般社会的にもあれほど浸透した「ザイル」の呼称は意外なほど簡単に廃れ、やっている人の間では「ロープ」に換わってしまいました。
「ザイル」よりも「ロープ」のほうが若干発音しやすかったからではないかなと推測しています。
やっている人は頻繁にその言葉を口にしますからね。音数が少なく、言いやすく伝わりやすい言葉があれば、慣れ親しんだ言葉でも意外なほど簡単に捨て去ってしまうのだと思います。



バックパック


一般的に「ザック」と呼ばれているものです。
ザックはドイツ語ルックザック(Rucksack)の略、バックパック(Backpack)は英語で、同じものを指しています。
要は背中に背負うバッグのことです。


これについては、意図的にひとつの試みをしたことがあります。
『PEAKS』の創刊時から、「バックパック」という言葉で統一したのです。
理由は3つありました。


1.PEAKSの基となったアウトドア・フリーマガジン『フィールドライフ』では「バックパック」という用語を使っていた
2.旧来の登山雑誌と違う新味を表現したかった
3.登山用語は各国語が入り乱れているため、初心者にとってはわかりにくく、できるだけ統一したかった


こうした意図のもと、PEAKSでは創刊号からすべて「バックパック」と表記しました。
年配の方が書いた原稿などで、「バックパック」とするとあまりに違和感が強い場合をのぞき、「ザック」は基本的に封印。それは私が編集部を辞めたあと、現在に至るも続いています。


その間、PEAKS以外の場所でも「バックパック」という表記を見る機会が少しずつ増えてきました。
しかし「ザック」の浸透度は根強く、「バックパック」に置き換わる気配は見えません。
置き換わるにしても、今後まだまだ長い時間が必要に思えます。
バイルがアックスにあっさり換わったのに比べると、ザックのしぶとさが際立ちます。


その大きな理由は、「ザイル」のときと同じ、「音数」の問題ではないかと思われます。
「ザック」に比べて「バックパック」は発音数が倍になり、圧倒的に言いづらい。
ならばと「パック」と略してしまうと、なんのことかわかりにくくなってしまう。
これが「バックパック」が普及しにくい理由ではないかと思います。


こうしていろいろ考えると、「バックパック」を採用した試みには意味があったんだろうかと思わなくもありません。
ビレイディバイスのときのように、言葉を変えることで意味の混乱を招いているかもしれない。
なによりも、私自身がザック派です。自分でバックパックにしておきながら、自分でしゃべるときは「バックパック」なんてしゃらくさくて口にできません。


まあ、でも、四半世紀「ザック」で育ってしまった私のような世代はもういいんです。ほっとけば。
それよりも今後、登山の世界に入ってくる人たちにとって少しでもわかりやすくて便利な言葉はなにか。
そのときに英語にこだわりたい理由は、レスキュー界の話を聞いたことによります。
レスキューの世界でもやはり各国語が入り乱れていたそうです。
しかしそれでは、異なる地域の人たちが集まってレスキューに取り組むときに、使う用語が違うことによる混乱が生じたため、業界あげて意図的に英語に統一ということを進めているそうです。
登山でも、かかわる人が多様になっていくことを見据えれば、用語の統一は必要なことなんじゃないか……と思うのです。



クランポン


アイゼンのことです。
これとかこれとか


アイゼンはドイツ語シュタイクアイゼン(Steigeisen)の略、クランポン(Crampons)は英語です(フランス語でもクランポン)。


バックパックとまったく同じ構造ですね。
言葉の普及度からしても、「ザックvsバックパック」と「アイゼンvsクランポン」はほぼ同じような感じです。


これについても、最近、ひとつの試みをしてみました。
10月末に、私がメイン編集をした『最新雪山ギアガイド』という本が出たのですが、そのなかでは「クランポン」に表記を統一したのです。
これについては、バックパックほど明確な主張があったわけではありません。
表記はできれば英語に統一したほうがよいという基本理念と、メーカーを中心に少しずつクランポン表記が増えている現状を鑑みてのことです(上にあげたリンクはどちらも「クランポン」になっています)。


で、今後クランポンが普及するかどうか。
これは微妙ですね。
音でいえば、「アイゼン」と「クランポン」に言いやすさの決定的な差はありません。
どちらかというとアイゼンのほうが言いやすいかな。
ただ、ザックとバックパックに比べれば、その差はわずか。
だから今後クランポンが普及することもあり得るようには思います。


そしてこれまたバックパックと同じで、私自身はアイゼン派です。
四半世紀この言葉を使い続けていますからね。
ただしクランポンにはバックパックほど抵抗感はなく、今後宗旨替えをする可能性はあります。
抵抗感が少ないのはなぜかと言われても、理由はよくわからないんですが。



まとめ


用語のことをつらつら書き始めたら、日々考えていたことがどんどん出てきて、異常に長いエントリーになってしまいました。
ライターや編集という仕事をしていると、言葉の問題というのは考えさせられる機会が多く、言いたいことはいくらでもあるのです。
そして突き詰めれば突き詰めるほど矛盾があらわになってきて、迷いも増えていきます。
言葉というのは最初に体系的に作られるものではなく、自然発生的に使われているものの集合体なので、矛盾は絶対にあるのです。
だから文章においても、日々迷いと試行錯誤の連続なわけです。


そんなことにも少し注意して本を読んでいただければ、いままで気づかなかった発見もあるのではないかなと思います。
と、異常に長い文章のオチが、自分がかかわった本の宣伝という、ヒドいエントリーになってしまいました(笑)。